「ハイなハイな花園めぐりでございみす」。この名調子で始まる創
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作民謡「花園めぐり」。新型コロナが5類に移行された5月、花園
小の運動会では、地元住民も交え、4年ぶりに踊りの輪が広がった。
この名調子で始まる
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歌詞は9題目まであり、北國街道と河原市用水を導線に、この連載
でも取り上げた「花どころ」月影の山に始まり、波自加彌神社、獅
子舞も登場する。利屋町の町名由来や、団地の造成まで、花園地区
の隅々までが網羅されている。
花園小では4年生が「花園めぐり」を地元を知る学習に役立ててい
る。河原市用水にまつわる白い狐の伝説を調べた小林深想さんは
「地元のことだけど、歌詞を通じて初めて知って、実際に見に行っ
てみた。地域のいろんなことを知れてうれしい」と話す。
「地元住民に愛される民謡誕生のひみつ」
(木造の校舎から)
地元住民に愛される民謡誕生の「ひみつ」が知りたいと花園公民館
が知りたいと花園公民館、戻る1
を訪ねると、「実は、作ったのは私です」と西川廣館長(71)=
二日市町=が遠慮がちに手を上げる。灯台下暗しとは、このことだ。
「地元の盆踊り曲がほしい」という声が持ち上がったのは1998
年ごろ。会合で「素人にできるわけがない」と猛反対した西川さん
に、なぜか作詞、作曲のお鉢が回ってきた。
当時、公民館創立50周年記念誌「花園に生きる」の校正を担当し
たばかりの西川さんは、地元の事情に詳しくなっていた。「創作の
ネタには困らないかも」と引き受けたものの、1題目が一向に浮か
ばない。「これが素人の悲しさです。ほらみたことかと」
「無為に時が流れる中、パラパラと」
無為に時が流れる中、パラパラとめくっていた本の、ある短歌をき
めくっていた本の、ある短歌を、戻る2
っかけに突然、歌詞が降りてきた。「深山木のその梢とも見えざり
し桜は花にあらはれにけり」(源頼政)。「小学生の頃、木造校舎
の窓から見えた山に、春になると花が咲く。そんな光景がぱーっと
浮かんだ」。1時間ほどで歌詞は完成した。
短歌が好きで、現在は県歌人協会副会長を務める西川さんらしい
「陣痛」の秘話である。ピアノの黒鍵で作った曲をアカペラでテ
ープに入れ、音楽の先生に採譜してもらった。
(台湾でも披露)
囃子や三味線、振り付けも地元住民が担った。「素人集団」によ
る民謡が2002年、地元の夏祭りで産声を上げた。その後、花
園生まれの八田與一技師の縁で、台湾の墓前祭の冒頭でも披露し
た。留学生が金沢に集う「JAPAN TENT」でも踊られ、友好の
輪も広がっている。
地元では、民謡誕生の陰の立役者である記念誌「花園に生きる」
について、二十数年ぶりに続編を作る動きもあるという。
「西川さんは民謡がお披露目された」
西川さんは民謡がお披露目された日の感慨を一首にしている。
日の感慨を一首にしている、戻る3
「つたなきもふるさと愛でつつ創りたる盆踊り唄の今宵初舞台」。
ふるさと愛にあふれた話を聞いたところで、連載の「花園めぐり」
も終盤に。西川さんの姉にして、花園が生んだスターにご登場いた
だこう。ひみつの花園、民謡が生んだふるさと愛、4年ぶりに踊り
の輪、台湾でも披露。西川さんを中心に素人集団でこの盆踊り用の
民謡を作ったというのは素晴らしいことです。もう一つは花園生ま
れの八田技師が昔、台湾にダムを作ってこのおかげで農業が発展し
ました。台湾の発展は八田技師と共にあったと言っても過言ではあ
りません。台湾の人々は今でも八田技師を尊敬しているそうです。
東京帝国大学出身の立派な人でした。毎年慰問団が台湾を訪問して
います。
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