霧島V王手、意地の完勝、直接対決、熱海富士落胆、年間最多勝決める

(25日・福岡国際センター)

(25日・福岡国際センター)

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大関霧島が平幕熱海富士との2敗同士の直接対決を寄り切りで制し、

12勝2敗で単独首位に立った

12勝2敗で単独首位に立った。千秋楽の大関貴景勝に勝てば、4

千秋楽の大関貴景勝に勝てば

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場所ぶり2度目の優勝が決まる。霧島が敗れ、熱海富士が関脇琴ノ

 

若に勝てば、3敗で並び優勝決定戦にもつれ込む。

 

(年間最多勝決める)

 

霧島は今年の61勝目で、初の年間年間最多勝が確定した。

「大関豊昇龍は翠富士を上手投げで」

大関豊昇龍は翠富士を上手投げで退けて9勝目。貴景勝は関脇大栄
退けて9勝目。貴景勝は関脇、戻る1

翔に突き出されて5敗目を喫した。大栄翔は9勝目。琴ノ若は10

勝目をマークした。関脇若元春は5勝目を挙げ、小結阿炎は負け越

した。

 

十両は琴勝峰と大の里が11勝3敗で首位を守った。

 

大一番を控えた14日目の朝、霧島は「どっちが稽古してきたかの

結果が出る」と気合十分に語った。熱海富士に大関の意地を存分に

示して完勝し、単独首位に立った。初の年間最多勝も確定させ「ま

だ一番ある。その後に喜びたい」と千秋楽に気持ちを集中させた。

 

冷静さが光った。立ち合いで突っかけた相手と目が合わないことに

気付き「緊張しているな。自分の相撲を取ろう」と神経を研ぎ澄ま

せた。右下手を引き、左おっつけで攻める。左を巻き替えてもろ差

しを果たし、左へ回り込む相手に密着して寄り切った。

新大関の名古屋場所は肋骨のけがで

新大関の名古屋場所は肋骨のけがで初日の休場から途中出場したが、
初日の休場から途中出場したが、戻る2

負け越した。体調管理に気を配りすぎて稽古量を落とす時期もあり、

師匠の陸奥親方(元大関霧島)に「やらなきゃいけないことはやら

ないと」と諭された。昇進伝達式の口上にも込めた「稽古」で原点

に返り、本来の強さを取り戻した。

 

昇進3場所目で大関として初の賜杯となれば、年明けの初場所は綱

とりのチャンスが巡ってくる。来年4月に日本相撲協会の定年を迎

える鹿児島県出身の師匠は最後のご当地場所となり、しこ名を継い

だ弟子は「変わらず、自分のペースでいきたい」と思いを内に秘め

る。特別な意味のある1年収めの場所を歓喜で締めくくれるか。

 

(直接対決)

支度部屋に戻った21歳の熱海富士はため息をつき、首をかし

げた。2人に優勝が絞られた直接対決で霧島に敗戦。千秋楽で

自身が勝ち、大関が敗れれば、優勝決定戦に持ち込まれるが

「(可能性は)ない。もう言うことはない」と落胆した。

 

2度目で立つと、右四つから巻き替えられ、もろ差しを許す。

左へ回り込もうとしたが、大関の出足に寄り切られた。完敗

も、土俵下の粂川審判長(元小結琴稲妻)は「いつもと同じ

でリラックスし、緊張した感じではなかった」と精神面の安

定を評価した。

「先場所は単独首位で千秋楽を」

先場所は単独首位で千秋楽を迎え、本割と優勝決定戦で連敗
迎え、本割と優勝決定戦で連敗、戻る3

し、初賜杯にあと一歩届かなかった。今場所も快進撃を見せ、

勢いだけでない、確かな地力を証明した。今度は追う立場。

「明日あるので切り替えないと」と自らに言い聞かせるよう

に話した。霧島V王手、意地の完勝、直接対決、熱海富士落胆、

年間最多勝決める。今場所の大関霧島は安定していて強かった。

13勝2敗は立派な優勝成績だと思います。練習量がかなり多い

と思いました。やはりどんなスポーツも練習量が多い人がうまく

なります。それと体力が自然にかなり付きます。長い試合は体力

勝負になります。

 

 

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ラグビーW杯、日本8強ならず、アルゼンチンの背中遠く、4年前超える挑戦に幕

ラグビーのワールドカップ(W杯)フランス大会第21日は8日、

ラグビーのワールドカップ

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ナントで1次リーグD組最終戦が行われ、日本は4強2度のアル

(W杯)フランス大会

ゼンチンに27ー39で敗れ、2勝2敗の勝ち点9で同組3位に
第21日は8日

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終わり、前回の2019年大会に続く2度目の8強入りを逃した。

 

アルゼンチンが3勝1敗の勝ち点14で同組2位となって2大会

ぶりに1次リーグを突破し、準々決勝でC組1位のウェールズと

対戦する。

 

日本は前半、ロックのA・ファカタバ(BR東京)、SH斉藤(東

京SG)のトライで14ー15と粘って折り返した。後半もナイ

カブラ(BL東京)のトライなどで一時2点差と食い下がったが、

相手の攻撃力に計5トライを許して屈した。

「2日付世界ランキングで」

2日付世界ランキングで日本が12位、アルゼンチンは9位、対戦
日本が12位、戻る1

成績は日本の1勝6敗となった。W杯では12ー33で屈した19

99年大会以来、2度目の顔合わせだった。

 

(次回出場権を獲得)

日本は3位以内に与えられる次回の27年オーストラリア大会の出

場権を得た。

 

試合が終わると選手はしばらく動けず、快晴のグランドで立ち尽く

した。4年前を超える飛躍を目指した戦いは道半ばで幕を閉じた。

高い志で団結してきた日本の司令塔、SO松田は「勝てなくて悔し

さしかない」。自国開催の追い風はなく真価が問われた大会。強豪

の背中は届きそうで遠かった。

「何度も何度も食らい付いた」

何度も何度も食らい付いた。開始早々に先制を許しても、一時退場
開始早々に先制を許しても、戻る2

者を出してもスピードと技術、組織力で勝負する日本のスタイルを

貫いた。一進一退の中、9点を追う後半25分には強気にトライを

狙い、素早い球出しからWTBナイカブラが右隅に飛び込んだ。だ

が3分後、4強2度の南米の雄、アルゼンチンに防衛網を破られ、

最後はリードを広げられた。

 

2019年大会時などの筋力やプレーの数値と比較しながら「デ

ータを突き付けられると逃げられない」(プロップ稲垣)と意識

を高く鍛えてきた。ただ、4年前より守りは甘く、勝負どころで

パスの乱れが出た。ナンバー8の姫野主将は「簡単なトライを与

えてしまい、焦ってしまった」。キックで重圧を与えるプランは

精度を欠き、攻め込まれる要因になった。

「目標に掲げたのは優勝」

目標に掲げたのは「優勝」。世界最高峰のエベレスト登頂なぞら
世界最高峰のエベレスト登頂、戻る3

えてきた挑戦は、その高さを痛感する結末となった。試合後、主

将は仲間にこう伝えた。「夢や目標はこれからも受け継がれてい

く。日本ラグビーはもっともっと強くなれる」。その言葉を信じ

たい。ラグビーW杯、日本8強ならず、アルゼンチンの背中遠く、

4年前超える挑戦に幕。全てのW杯の試合で負けてしまったがラグ

ビーの選手が一番、頑張っていたような気がしました。正々堂々と

戦って負けてしまったのですから仕方がありません。4年後のオー

ストラリア大会に期待しましょう。

 

 

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万感「歴史つないだ」、ツール・ド・のと最終日、3日間411キロ走破

北國新聞創刊130年記念「ひゃくまん穀プレゼンツ第35回ツー

北國新聞創刊130年記念

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ル・ド・のと400」(同実行委)は最終日の18日、七尾市から

ひゃくまん穀

金沢市までの138・2キロで行われた。明治時代、北陸で初めて

プレゼンツ第35回

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開催された「自転車大競走」を源流とする伝統の大会で3日間計4

 

11キロを走り抜いた参加者は、ゴールで誇らしげに完走証を掲げ

「歴史をつなぐ一員になれた」と歓喜の輪を広げた。

 

最終日は、3日間走る「チャンピオンコース」などに351人がエ

ントリーした。午前7時半に七尾市を出発し、氷見市や中能登町を

経由してゴールの石川県西部緑地公園を目指した。途中、激しい雨

に見舞われることもあったが、出場者は力強くペダルをこぎ続け、

ゴールすると互いに健闘をたたえた。

「北國新聞朝刊で「人生妙なり」を」

(3度目挑戦一青さん)

「唯一無二の大会」

北國新聞朝刊で「人生妙なり」を連載するエッセイストで俳優の一
連載するエッセイストで俳優の、戻る1

青妙さんは「3日間だからこそ、選手同士や地域との一体感が生ま

れる。ツール・ド・のとは唯一無二の大会」と3度目の挑戦を振り

返った。

 

チャンピオンコースで連続出場を続ける白山市の古川博人さん(6

0)と金沢市出身の北出裕一さん(56)は自転車大競走に起源を

持つ大会を走破したことに「伝統をつなぐ一人になれたのならうれ

しい」と感無量の表情でうなずいた。今年のチャンピオンコース参

加者で最年少となった堀井昂さん(12)=大津市=は日本海の景

色が忘れられないとし「大人になっても走りたい」と笑顔を見せた。

 

最終日は、自転車界の著名人も能登の魅力に触れた。ツール・ド・

フランスなど欧州で30年以上活動してきたサイクリングフォトグ

ラファー・砂田弓弦さん(62)=富山市=は「美しい海岸と昔な

がらの家々が残る能登は絵になるポイントばかりだ」と絶賛した。

「(40)=東京=は沿道の声援が」

全日本シクロクロス選手権マスターズで優勝経験を持つ落合友樹さ

ん(40)=東京=は沿道の声援が印象に残っているとし「これほ
印象に残っているとし、戻る2

どまでに住民の理解を得られる大会は他にない。歴史が長いからこ

そだ」と力を込めた。

 

台湾勢「来年も走る」

海外勢も能登路を満喫した。台湾から初めて参加した周茂麟さん

(49)は「美しい日本海沿いを走ったことは一生の思い出。友

達にも声をかけて来年も参加したい」と話した。「八田技師夫妻

を慕い台湾と友好の会」の徳光重人世話人代表も遠来勢をサポー

トし、完走した。

 

引退の川端さん「最高の3日間」

第1回大会からチャンピオンコースに出場し続け、今大会での引退

決めている川端明さん(75)=内灘町=は、子や孫とともにゴー

ルし、有終の美を飾った。「ツール・ド・のとは生きがい。家族や

仲間に見守られ、最高の3日間になった」と満足そうに話した。

 

川端さんは最終日、1日コースで参加した長男の大介さん(44)

孫の隼介さん(14)、あいりさん(10)とともにゴールを目指

した。県西部緑地公園では引退を知った他の選手に拍手で迎えられ、

「名残惜しい気持ちが込み上げてきたが、引退しても息子たちがい

る。今後はボランティアとして大会を支えたい」と話した。

「あいりさんはおじいちゃんの自転車を」

あいりさんは「おじいちゃんの自転車をこぐ姿がかっこよかった。
こぐ姿がかっこよかった、戻る3

大きくなったら3日間のコースに挑戦したい」と笑顔を見せ、大介

さんは「父のサイクリングへの思いを引き継いでいきたい」と語っ

た。万感「歴史つないだ」、ツール・ド・のと最終日、3日間41

1キロ走破。自転車は楽しくもあり、辛いスポーツでもある。3日

間で411キロを走破するのは、かなりきついことです。観客の応

援で元気をもらって頑張るのでしょうね。それと夜の食と美酒で癒

されて走ることができるのでしょうね。

 

 

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日曜特番、レジェンド「もっと人呼べる」、景色、運営、声援を評価

今大会には、「自転車界の長嶋や王」とも称される著名サイクリス

今大会には、自転車界の

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トたちが集った。風光明媚な能登の風景や沿道の声援、豊かな食な

長嶋や王とも称される

どを楽しみ、「国内外からもっと人を呼び込める大会だ」と口をそ
著名サイクリスト

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ろえた。

「大石一夫さん(62)=長野県安曇野市=は

大石一夫さん(62)=長野県安曇野市=は世界選手権やアジア大
世界選手権やアジア、戻る1

会で日本に選ばれ、1990年には国際サイクルロードレースで総

合優勝に耀き、「レジェンド」と呼ばれる存在。1日で終わること

が多い他のイベントと比べて、ツール・ド・のとの3日間は充実感

があるとし、「小学生から高齢者まで幅広い層が参加でき、3日間

も風景と食を堪能できる」と語った。

「三浦恭資さん(62)大阪府河内長野市は」

三浦恭資さん(62)大阪府河内長野市は、ソウル五輪でロードレ
ソウル五輪でロード、戻る2

ース代表、アトランタ五輪マウンテンバイククロスカントリー代表

と種目を選ばぬ活躍から「キング」の愛称で知られる。「道沿いで

手を振ってくれる姿に感動した」と温かな住民の歓迎が印象に残っ

たという。タイムを競うのではなく、参加者同士が互いに風よけと

なるなど助け合って完走を目指すことも「最高の贅沢」とした。

「1997年ジャパンカップで優勝し」

1997年ジャパンカップで優勝し、シドニー五輪でロードレース
シドニー五輪でロードレース、戻る3

日本代表に選ばれた阿部良之さん(54)=大阪府和泉市=は、日

本海や昔ながらの街並みを楽しめるコース設定やチェックポイント

の充実した振る舞いなどを特徴に挙げ、「スピードを競わないこと

で間口が広い。自転車競技を始めたばかりの愛好者にうってつけの

大会だ」と力を込めた。日曜特番、レジェンド「もっと人呼べる」

景色、運営、声援を評価。タイムを競うのではなく完走を目標に

している大会である。「小学生から高齢者まで幅広い層が参加で

き、3日間も風景と食を堪能できる」。他のイベントは普通1日

で終わることが多い。ツール・ドのとの3日間は充実感がある。

 

 

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熱い沿道「能登は格別」、三大老舗レースの一つ、参加者に熱い声援を送る地域住民

きらびやかな銀輪の列に、沿道から大きな声援が送られた。16日

きらびやかな銀輪の列に

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に開幕したツール・ド・のと400。全国各地に自転車大会はあれ

沿道から大きな

ど、愛好者の多くは「能登は格別。やみつきになる」と口をそろえ
声援が送られた。16日

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る。人気の理由は何か。サイクリストに同行し、能登の海岸線を進

 

むと、明治期の「北國新聞社自転車大競走」に通じる沿道の熱気が

あった。

 

午前7時前、スタート地点の金沢市の県西部緑地公園には全国約5

70人が集まり、今か今かと号砲を待っていた。常連も多く、選手

同士の絆は深い。出発前からお祭りムードが漂う。

「頑張って いってらっしゃい」

沿道も楽しげだった。

「頑張って」「いってらっしゃい」。能登らしい黒い瓦屋根が続く
能登らしい黒い瓦屋根が続く、戻る1

住宅前で、孫をだきかかえた高齢者がにこやかに声を掛けていた。

黄金色の稲穂が揺れる田んぼでは老夫婦が手を止めて、笑顔を向け

た。道ばたでビールケースに座って観戦する人も。この日を楽しみ

にしていたようだ。

 

ひときわ大きな歓声が飛んでいたのは、輪島市門前町の曹洞宗大本

山總持寺祖院に近い總持寺通り商店街。初日のコースで最も難所と

言われる海抜200メートルを超える円山峠にさしかかる直前だ。

 

旗を手にした地元住民が集まって、「ほら、もうちょっとで輪島や

ぞ」と全てのランナーに笑顔で声を掛ける。陶器店を営む澤田由紀

子さん(74)は、「ちっちゃい子どもが一生懸命こいどる姿をみ

とるだけで、涙出てくる。人がくるだけでうれしくなる」と道路に

飛び出んばかりの勢いで両手に持った旗を振っていた。

昨年に続いて参加した大阪府和泉市の辻川登志子さん(61)は

「沿道の笑顔と声で力が湧いた。今年の目標は全ての声援に笑顔で

応えることです」とほほ笑んだ。

「ツール・ド・のと」はタイムを競う」

「ツール・ド・のと」はタイムを競う賞金レースとは違う。起伏に
賞金レースとは違う。起伏に、戻る2

富んだ能登の景観美、地元の温かなサポートが名物だ。国内の自転

車レースは、北海道、沖縄、そして能登が三大老舗レースと言われ

るそうだ。「のと」が35回の歴史を重ねたのは、選手の奮闘に地

域が応え、もてなしの輪を広げてきたからだろう。

 

1906(明治39)年、北國新聞社が主催した「自転車大競走」

は、長距離ロードレースとして北陸で初めて行われ、大盛り上がり

となった。当時の北國新聞には、選手が黒山の人だかりをかきわけ

て尾山神社前を出発したとの記事が載る。レースは参加する人、見

守る人の心に火を付ける。それは令和の今も変わらない。

「1日目を無事に走りきった選手たちは夜」

1日目を無事に走りきった選手たちは夜、能登のおいしい料理と美
能登のおいしい料理と、戻る3

酒で疲れを癒やした。鋭気を養い、最終日まで能登一周を走りきる。

117年前に負けないドラマがまだまだ繰り広げられそうだ。熱い

沿道「能登は格別」、三大老舗レースの一つ、参加者に熱い声援を

送る地域住民。この自転車大競走はタイムを競う賞金レースとは違

う。選手の頑張りと観客の応援と、もてなしが目的のようです。選

手と見守る人が互いに励まし合いレースが成立するようですね。素

晴らしいことだと思います。

 

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日本歴史の扉開く、涙の渡辺「やっと報われた」、退路断ち引っ張る

日本、フィリピン、インドネシアが共催するバスケットボール男子

日本、フィリピン、インドネシア

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ワールドカップ(W杯)は2日、沖縄市の沖縄アリーナなどで行わ

が共催する

れ、順位決定リーグのO組最終戦で世界ランキング36位の日本は
バスケットボール男子

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同64位のカボベルデに80ー71で勝ち、アジア最上位で来年の

 

パリ五輪出場権獲得を決めた。

 

自力での五輪出場は1976年モントリオール大会以来となる。日

本は今大会の通算成績を3勝2敗とし、順位決定リーグのO組1位

でアジア最上位となった。W杯で日本の2連勝と同一大会での3勝

は初めて。

 

日本は17ー19で迎えた第2クオーター早々に逆転。河村(横浜

BC)のドライブや富永(ネブラスカ大)の精度の高い3点シュート

に加え、ホーキンソン(SR渋谷)もゴール下で活躍して得点を重ね

た。終盤の相手の追い上げもしのいだ。

 

 

8月30日までの1次リーグでアジア勢は日本が唯一1勝を挙げた

が、全6チームが2次リーグ進出を逃した。アジア最上位が獲得す

るパリ五輪出場権は、順位決定リーグで争われていた。

「ホーバス監督は体格で劣る日本が」

ホーバス監督は体格で劣る日本が世界と互角に戦うために、明確な
世界と互角に戦うために、戻る1

戦い方を確立し、チーム力を底上げした。ポイントの一つが運動量。

主将の富樫が「練習量はダントツで(世界で)一番多いのは間違い

ない」と自信を見せたように、Bリーグのシーズン終了後の6月か

ら長期合宿を組んで鍛えた。フィンランド戦、ベネズエラ戦はそれ

ぞれ最大18点差、15点差をつけられながら逆転勝ち。走り負け

ない体力が終盤に生きた。

 

攻撃の軸に据えたのが得点効率の高い3点シュートだ。各選手に長

距離から打てる能力を強く求めた。元々パスが持ち味だった河村は

昨夏の監督の助言で積極的に狙うようになり、フィンランド戦で4

本成功。ベテラン比江島も「自分が得意なのはドライブ。ただ少し

でも守備とのずれが生じたら3点を狙うよう意識を変えないといけ

ない」と努力を重ねてベネズエラ戦で6本決め、ともに勝利の立役

者となった。

 

監督は米プロNBAなどの戦術に精通。NBAで潮流の「ファイブ・ア

ウト」を日本代表の基本布陣として採用した。大型選手もゴール下

にとどまらず、5人が外に広がったところから攻撃を始める。守備

を外に引き寄せて空いたスペースを突き、相手が対応すれば3点シ

ュートを狙う作戦で、日本のシュート力を最大限に生かした。

 

いずれも、監督が率いて銀メダルを獲得した東京五輪の女子日本代

表の戦い方がベースになっている。馬場(富山市奥田中、富山一高

OB)が「体格差の優位を持てない僕たちができる勝つバスケ。こ

のスタイルが日本人に合っている」と言うように、選手たちもホー

バス流を信じた。チーム唯一のNBA選手、大黒柱の渡辺だけに頼ら

ない強固な土台を築き上げ、自力での五輪切符獲得につなげた。

 

(代表引退の覚悟)

苦しんで、苦しんで、日本が夢にまで見たパリ五輪の切符をつかん

だ。18点差をつけて迎えた第4クオーター。残り1分12秒で3

点差まで迫られる大ピンチを耐え、何とかリードを守り切った。4

8年ぶりの自力での五輪出場。沖縄アリーナの観客は総立ちとなり、

歓喜の指笛が鳴り響いた。渡辺は「やっと報われた」と涙を拭った。

「河村の突破や富永の3点シュートなどで」

河村の突破や富永の3点シュートなどで、5試合目で初めて前半で
5試合目で初めて前半で、戻る2

リードする理想的な展開。ところが最終クオーターに暗転した。ミ

スが目立ち、シュートも入らず、7分以上無得点。「何もかもがう

まくいかなかった」(河村)。この窮地を救ったのがホーキンソン。

74ー71の残り49秒。相手のファウルを受けながらゴール下で

シュートをねじこみ、フリースローも決める。さらに残り20秒で

値千金の3点シュートを沈めた。

 

7月、チームただ一人のNBA選手の渡辺が、パリ五輪出場を逃せ

ば、代表を引退する覚悟を口にした。中心選手だった前回2019

年W杯で5戦全敗を喫し、東京五輪も3戦全敗。「勝てない選手が

上に居続けてもしょうがない」との気持ちからだった。この大黒柱

の強い決意が「本当に全員に伝わった」(富樫)。チームはより結

束を強めた。

 

世界の高い壁にはね返され続けてきた日本。競技が深く根付いた沖

縄の地で、ついに歴史の扉を開いた。「これからが日本バスケの始

まり」と富永。新時代の到来を告げた。

 

(みんなのおかげ)

渡辺 最高です。このために、みんなこの数カ月、本当に大変な思

いをしながら頑張ってきた。やっと報われた気がする。もしかした

ら今回が最後(の代表活動)になるんじゃないかと不安もあった。

みんなのおかげ。

「日本・ホーバス監督 第4クオーター」

(選手は最後まで頑張った)

日本・ホーバス監督 第4クオーターは本当に大変だったが、選手
は本当に大変だったが、戻る3

は我慢して、最後まで頑張った。みんながパリ五輪出場という目標

を決めて、信じた。その気持ちが全員にあったと思う。日本歴史の

扉開く、涙の渡辺「やっと報われた」、退路断ち引っ張る。外国の

バスケは本当に強い。世界ランキングにかかわらず3点シュートが

よく決まる。15点のリードでも安心できない。しばらくで追いつ

かれる可能性があります。日本も3戦とも危なかった。

 

 

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