能登のへそ鹿西、能登上布に新たな息吹、鹿西高生がアイデア品。

「トントン、カシャン。トントン、カシャン」。鹿西高の前庭の一

トントン、カシャン。

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角にある古い木造の建物に小気味のいい音が響く。中をのぞくと、

トントン、カシャン。

染色部の生徒が手慣れた手つきで織機を操り、糸を紡いでいた。こ

鹿西高の前庭の

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の建物の名前は「能登上布の里」。能登上布の歴史を記したパネル

 

や写真などもずらりと並び、まるで資料館のようだ。

 

染色部は高校の創立間もない1978(昭和53)年に同好会とし

て発足し、4年後に部に昇格した。能登上布の里は81年に建てら

れ、現在は1、2年生10人が週2回の活動で、古くから伝わる織

りや染めの技法を学ぶ。

 

能登上布は約2千年の歴史を持つとされる高級麻織物。県無形文化

財に指定されている。旧鹿西町や羽咋市を中心に昭和初期まで盛ん

に生産されたが、戦後は急速に衰退し、織元は羽咋市の1軒のみと

なった。染色部はその伝統を受け継ぎ、技術を磨いている。

 
「これだけ染色に特化した部活」

「これだけ染色に特化した部活全国を探しても、あまりないと思い
全国を探しても、あまりない、戻る1

ますよ」と顧問の入口正悟さん(63)も誇らしげだ。

 

(住民が織機寄付)

ただ、一時は部員不足により存続が危ぶまれた時期もあった。そん

な中、手を差し伸べたのは、能登上布をなりわいとしていた住民だ

った。屋根裏や納屋に眠っていた織機を高校に寄付し、活動の継続

に協力した。現在の織機は8台。よく見るとかなり年季が入ってお

り、修理を繰り返して使ってきたことが分かる。

 

技術指導も住民が担う。能登上布振興協議会の会員で、普段は能登

部下の能登上布会館で働く「職子さん」たちだ。月1回ほど部活動

に顔を出し、織機の修理や製織でアドバイスする。

 
「先生、このピンクの糸を使っても」

「先生、このピンクの糸を使ってもいいですか」。会員が参加した
いいですか。会員が参加した、戻る2

部活動を見学すると、部員の一人が色鮮やかなピンクと赤の生地を

織っていた。黒色や灰色など落ち着いた色合いのイメージが強い能

登上布と異なる若者の柔軟なアイデアに、指導に当たる中村千加子

さん(73)は「好きな色を使って楽しみながらやればいい。それ

が上達の秘けつ」と話す。

 

(ポーチや香袋)

部員にこれまで作った作品を見せてもらうと、生地だけでなく、ポ

ーチやスマホケース、香袋などさまざまだ。作品は毎年8月の文化

祭で販売する。一般的に能登上布は1万円以上する商品が多い中、

生徒の作品は一つ数百円程度と格安だ。

 

部員のほとんどが高校で初めて能登上布に触れたという。体験入部

がきっかけで染色部に入った部長の黒澤琴乃さん(2年)もその一

人。今では織物にすっかり魅了され、「きれいに織れた時がすごい

楽しい。後輩にも技術を教え、能登上布がずっと受け継がれてほし

い」と意気込む。

 
「しっかりと表現できている」

部員が作ったポーチを手に取ると、能登上布のさらさらとした肌触

りがしっかりと表現できている。目を輝かせて糸を紡ぐ部員の姿に、
目を輝かせて糸を紡ぐ部員の姿に、戻る3

能登上布の未来を切り開く新たな息吹を感じた。能登のへそ鹿西、

能登上布に新たな息吹、鹿西高生がアイデア品。能登上布は手織り

なので製品は非常に高価になってしまう。生地を1メートル織るに

はかなりの時間と労力がかかる。鹿西高生の発想は自由で独創的で

ある。

 

 

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さいはての哀歓心情に訴え、常盤貴子さん、女性たちの物語表現、珠洲で朗読劇

珠洲市全域で開催中の奥能登国際芸術祭2023は29日、北國新

珠洲市全域で開催中の

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聞でエッセー「月がきれいですね」を連載中の俳優・常盤貴子さん

奥能登国際芸術祭

が主演する朗読劇「うつつ・ふる・すず」が開かれた。真っ赤な衣
2023は29日、

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装に身を包んだ常盤さんは、漁網や農機具など能登の営みを伝える

 

民具に囲まれながら、断崖に根を張るツバキの木を演じた。「さい

はての地」の女性たちへの聞き取りによって紡がれた哀歓の物語を、

心情に訴える名調子で読み上げ、観衆の心を揺さぶった。

 

会場となったのは、珠洲市大谷町の劇場型民俗博物館スズ・シアタ

ー・ミュージアム「光の方舟」。能登の祭礼で使われる御膳や農機

具、漁網、古い家電製品などが展示されており、ツバキの木の役ど

ころを務めた常盤さんの姿が溶け込んだ。

「脚本は詩人の大崎清夏さんが手掛けた」

脚本は詩人の大崎清夏さんが手掛けた。大崎さんが地元の民話や伝
大崎さんが地元の民話や、戻る1

承に加え、自ら住人の女性らに聞き取って書き下ろしたストーリー

を、常盤さんが情感たっぷりに披露してみせた。

 

(飯田高生ウミネコ役)

物語は馬緤町の大崎島に残る「狐の嫁入り伝説」から始まり、ツバ

キの木に珠洲の言い伝えを教えるウミネコ役を飯田高生3人が担っ

た。常盤さんが観衆と手拍子を合わせ、地元の民謡を唄う場面もあ

った。

 

常盤さんは能登を舞台にしたNHK連続テレビ小説「まれ」に出演し

た。朗読劇は常盤さんの夫である演出家の長塚圭史さんが演出、作

曲家の阿部海太郎さんが音楽・企画を担当した。阿部さんは石川県

出身の俳優・浜辺美波さんがヒロインを務めるNHK連続テレビ小説

「らんまん」の音楽も手掛けた。

「朗読劇に先立ち、珠洲市飯田町の」

(聞き取った話がそのまま物語に)

(脚本・大崎さん語る)

朗読劇に先立ち、珠洲市飯田町の「さいはてのキャバレー」で、大
さいはてのキャバレーで、戻る2

崎さんや長塚さん、阿部さんらによるトークイベントが開催された。

大崎さんは「珠洲の女性たちはバイタリティーがあり、一人一人が

一日一日を真面目に生きている。地元で聞き取った話はあらためて

構成しなくても、そのまま物語になると思ったほどだ」と振り返っ

た。

 

大崎さんが取材した飯田町の坪野節子さん(63)もトークに加わ

った。朗読劇は30日も上演される。チケットは完売した。

「常盤さんが団長を務める珠洲焼」

(コンサート、定員に)

常盤さんが団長を務める珠洲焼応援団が10月1日に珠洲市生涯学
応援団が10月1日に珠洲市、戻る3

習センターで開く復興応援ゴスペルコンサートは先着100人の定

員に達した。常盤さんや長塚さん、阿部さんをはじめ、俳優の仲間

由紀恵さん、田中哲司さん、北村有起哉さんらが費用を寄付した。

さいはての哀歓心情に訴え、常盤貴子さん、女性たちの物語表現、

珠洲で朗読劇。北國新聞でエッセー「月がきれいですね」を連載中

の俳優・常盤貴子さんが主演する朗読劇「うつつ・ふる・すず」が

開かれた。常盤さんは断崖に根を張るツバキの木を演じた。

 

 

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シンタテ物語、「一等地」はどうなる、小学校跡活用、議論続く。

地域の要所、と言えばどこか。商業の中心である商店街、人を呼び

地域の要所、と言えば

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込む観光名所、治安を守る警察署、挙げていけばいろいろあるが、

どこか。商業の中心で

一番はやはり、校下が地域活動の基礎となっている小学校だろう。
ある商店街、人を呼び

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その小学校が統合で消えた新竪町地区は今、揺れている。

 

 

(昨年4月に要望書)

「ここ数年は地元でたくさん話し合ってきた。何せ、私らにとっち

ゃ本当に大事な場所やからね」

 

新竪町地区町会連合会の甚田和幸会長(72)が、市に提出した書

類のコピーを見せながら言う。旧新竪町小学校舎の跡地活用に関す

る要望書である。

 

旧新竪町小は2019年に旧菊川町小と統合して犀桜小が誕生した。

犀桜小の校舎は旧菊川町小の場所に新築されたため、旧新竪町小校

舎跡地の行く末は住民にとって、最大の関心事だ。

「昨年4月に提出された要望書を見ると」

昨年4月に提出された要望書を見ると、住民の希望として挙げられ
住民の希望として、戻る1

ているのは、 大学の教育施設の誘致 地区防災施設の整備 住民

交流の場の確保 周辺地域との回遊性向上などである。

 

確かにこれが全部一つの建物でかなうなら願ってもない。けれど、

どんな施設になるのか、想像がつかないのも正直なところだ。

 

市中心部に位置する旧新竪町小の跡地は地域にとっては「一等

地」。重要な場所すぎて、何に使うか絞りきるのが難しいのは当

然だろう。実際、住民に聞いて回ってみても「タワーマンション

はどうかな」「大通りが近いから、大型バスが入れる。ツアー客

が利用できる場所にしてはどうか」など、意見はさまざまである。

「市内では近年、小学校の統合が進み」

市内では近年、小学校の統合が進み、跡地や旧校舎を公共施設に
跡地や旧校舎を公共施設に、戻る2

活用する取り組みが増えている。

 

14年に旧弥生小と統合した旧野町小の校舎は、21年に「金沢

未来のまち創造館」になった。跡地活用検討委会長を務めた杉岡

利正さん(81)によると、地元の第一の希望は老朽化した公民

館や放課後児童クラブの入居。逆にそれらが入るフロア以外は市

の方針を基本にしたという。

 

「創造館」は1階に公民館や社会福祉協議会、2階以上にオフィ

スや創作スタジオが入る形に落ち着いた。協議が「大きくもめた

りはしなかった」(杉岡さん)のは、地元の求めるものが分かり

やすかったせいかもしれない。

 

甚田さんが「そろそろ市と意見交換したい」と話すように、旧新

竪町小も具体的な検討が始まっていい頃である。そうすれば、も

う少し踏み込んだビジョンが見えてくるはずだ。

 

(校内に「しらうめ園」)

旧新竪町小の歴史は148年と長い。多くの卒業生を送り出して

きただけでなく、1998年から2018年まではデイサービス

センター「しらうめ園」が校内に入り、全国でも珍しい事例とし

て注目された。地域の子どもからお年寄りまでが通い、思い出を

紡いできた場所なのである。

「たまらんと力を込める。」

ある住民は「せっかくの母校の場所なんや。変なもんを作られた

らたまらん」と力を込める。その点に関しては住民の思いは同じ
その点に関しては住民の思いは、戻る3

だろう。歴史を塗り替えるにふさわしいものが生まれるかどうか、

シンタテのアイデアが試されている。シンタテ物語、「一等地」は

どうなる、小学校跡活用、議論続く。町の小学校が次々と統合され

て行く。多くの小学校が跡地の活用の問題を抱えている。市へ要望

書を提出するため時間もかかり簡単な問題ではない。何度も話合い

が必要になる。これもみな少子化問題である。

 

 

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能登のへそ鹿西、「能登部銀座」復活へ、重伝建選定へ学生と連携

中能登町鹿西地区の徳丸区にある集会場に、古い新聞のコピーが張

中能登町鹿西地区の

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られている。日付は1934(昭和9)年10月1日、見出しは

徳丸区にある集会場に

「祝 能登部町制」とある。鹿西町の前身となる「能登部町」の誕

古い新聞のコピーが

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生を特集した北陸毎日新聞(後に北國新聞と統合)の紙面だ。

 

紙面に目を凝らすと、当時の活気がみてとれる。能登部町を「繊維

王国」と称し、伝統的な高級麻織物「能登上布」で栄えた歴史が記

されている。新聞下段の名刺広告には、銀行や診療所、食堂、牧場

など多彩な業者がずらり。その繁栄ぶりから地域では「能登部銀座」

の愛称で親しまれていたそうだ。

 

「自転車屋もあったし、お菓子屋もあった。子どもの頃は能登部に

行けば何でも買えた。鹿西の人はみんな行っとった」

「よくぞ聞いてくれましたとばかりに」

徳丸在住で「能登部銀座」時代よく知る宮下為幸町長(72)は、

よくぞ聞いてくれましたとばかりに、かつてのにぎわいを興奮気味
かつてのにぎわいを興奮気味、戻る1

に説明した。

 

(人通り少なく)

さて、89年後の現在はどうか。旧能登部町内を見て回ると、北陸

の伝統的建築様式であるアズマダチの家屋が目に付く。規模も大き

く、繊維業で膨大な財を築いた先人の暮らしぶりがみえる。しかし、

人通りは少なく閑静で、空き家も目立つ。栄華を極めた往時をしの

ぶことは難しい。

 

町は、この一帯を重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)として国

の選定を目指している。国から町並みの歴史的価値のお墨付きを得

て、かつてのにぎわいを取り戻そうということで、2018年に調

査委員会を立ち上げた。

「ただ、コロナ禍の影響もあり、」

ただ、コロナ禍の影響もあり、選定に向けた動きは鈍い。当初は5
選定に向けた動きは鈍い。当初は、戻る2

年後の今年、国に申請する計画だったが、まだ至っていない。「重

伝建?そんなの知らんわ」と首をかしげる住民もおり、地元のさら

なる機運醸成が必要のようだ。

 

(アイデア続々)

今月上旬、能登部下のカルチャーセンター飛翔で、学生が住民と議

論を交わした。「空き家をデイサービスに利用できないか」「家屋

の維持に関わるアルバイトをつくればいい」。机の上の画用紙には

柔軟な発想でアイデアが次々に書き込まれた。

 

学生は金大地域創造学類観光学・文化継承コースの川澄厚志准教授

のゼミ生で、細貝尚輝さん(3年)は「思いがけない発見や見落と

されていた特長が洗い出されたのではないか」と手応えを感じてい

た。町の担当者も「若者が活発に活動することで、地域の重伝建選

定の機運を高めたい」と期待を込める。

「重伝建が決まれば、歴史的慶事として」

重伝建が決まれば、歴史的慶事として紙面に記録される。未来の住
紙面に記録される。本来の、戻る3

民も集会場に誇り高く貼り出してくれるだろうか。今度は鮮明なカ

ラー写真で「能登部銀座」の復活を盛大に祝いたい。能登のへそ鹿

西、「能登部銀座」復活へ、重伝建選定へ学生と連携。口で言うの

は簡単だが実際に重伝建に選定してもらうのは、そう簡単なことで

はないと思われます。それでも今回は金大の学生と住民が直接議論

できたことはとても意義のあるだと思います。少し長いスパンで頑

張って行けばいつかは実現する可能性があると思います。

 

 

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そこが聞きたい、土台でき改革これから、リコー傘下2年目、技術連携

富士通からリコーの傘下に入り1年。PFUで初めてとなるリコー

富士通からリコーの傘下に

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出身のトップとして、初年度の手応えをどう感じているか。「決

 
入り1年。PFUで

算は好調で、統合も順調に進んでいます。変革にかじを切る時だ
初めてとなるリコー

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とみています」。表情は自信に満ちている。

 

社長就任時から「PFUの文化を尊重し、PFUの人間になりきる

ことを心掛けてきた」という。スキャナーという業界トップの

商品を持つPFUだけに、「性急な改革はしないように」とリコー

の山下良則会長から言われ、まずは統合を完結することを第一優

先にしたそうだ。

 

(業績落とせない)

とはいえ、PFU社員にとって、親会社が変わるのは一大事。子会

社化の直後には「風通しの良い社風が変わってしまう」「待遇が

変わらないか心配だ」と懸念する声も聞かれていた。既存の社員

とのあつれきはなかったか。

 
「初年度は絶対に業績を落とせないとの

「初年度は絶対に業績を落とせないとの意識から、厳しいことを
意識から、厳しいことを、戻る1

言わなければいけない場面もあった。リコーから入った人員は私

を含めて6人と少ないが、それでも、あつれきなく素直に受け入

れてもらえた」との答え。

 

「体重も4キロ落ちましたよ。今はすっかり戻ったけど」。快活

に笑ってはいるものの、見知らぬ会社に来て、いきなり社長を務

める難しさがにじんでいるようだった。

 

では、PFUに抱いた印象はどうだったか。

「技術力に強みを持った会社であることは間違いない。その一方、

受け身体質で内弁慶。受託事業が多かったせいか、顧客を開拓し

たり、新規事業をやったりした経験があまりない」と手厳しい。

 
「そんな中で取り組んだのが」

そんな中で取り組んだのが、「オープン経営」だった。社長の予
オープン経営だった。社長の、戻る2

定を社員に公開し、希望者と面談して会社の現状を伝える場を設

けている。

 

「今まで40人の社員とじっくりと話をした。業務改革のヒント

をもらうこともあり、現場の情報を吸い上げる観点ですごく役立

っている」

 

(相乗効果さらに)

9月で子会社化から2年目に入った。リコーとの相乗効果をどう

強化していくのか。「スキャナーを中心に、リコーの販売網を使

った需要の掘り起こしを進め、かなり実績も出てきた。今後は技

術面で連携を深め、相互の強みを商品に取り込みたい」と語る。

 
「これまでリコーグループ2社の社長を」

これまでリコーグループ2社の社長を務め、自身の「社長業」は
務め、自身の社長業は、戻る3

PFUで3社目となる。業務改革に突き進む様子から「ブルドーザ

ー」とあだ名が付いたことも。そう話を振ると、「今は少し控え

めにしています」と照れくさそうだった。「でも、1年かけて土

台ができた。そろそろいいかな、とも思っている」。さらなる変

革へ、エンジン全開で取り組む構えだ。そこが聞きたい、土台で

き改革これから、リコー傘下2年目、技術連携。PFUはユーザッ

クとパナファコムが合併して誕生した。コンピューター関連が得

意で近年ではスキャナーが業界トップになった。

 

 

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シンタテ物語、文化の薫りは「アメ文」から、戦後開設、伝説の名所

旧県立図書館、金沢歌劇座など多くの文化施設が立地する新竪町地

旧県立図書館、金沢歌劇座

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区。犬も歩けば、ではないけれど、散歩をしているといくつも大き

など多くの文化施設が

な建物を通り過ぎる。さながら「文化の集積地」だ。
立地する新竪町

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地元住民の一人は自慢げに言う。「こんなに大事な施設が集まって

 

いる所は、ほかにないよ。昔はさらに『アメ文』もあったし」。

全くおっしゃる通り・・とうなずいたが、ちょっと待った。「アメ

文」って、何ですか?

 

(1日に1000人)

「アメ文」とは「金沢アメリカ文化センター」の略称である。戦後

間もない1948(昭和23)年に西町に設けられ、50年ごろ現

在の県社会福祉会館の辺りに移転してきた。当初の名称は「スキャ

ップ図書館」で後に改称した。今は跡形もないが、新竪町地区の数

ある文化施設の先駆けと言えるだろう。

「センターではレコードや楽譜の貸し出し」

センターではレコードや楽譜の貸し出し、映画の上映会が開かれた。
映画の上映会が開かれた、戻る1

連合国軍総司令部(GHQ)による政策で全国各地に建てられた施

設の一つで、米国の大衆文化を広めることを目的とした。

 

「2階に大ホールがあって、よくレコードを聴きに行きました。

館長さんはアメリカ人でね」。隣町に住む折橋正一さん(93)

が、当時のセンターのリーフレットを見せながら話す。リーフレッ

トには鑑賞会や英語教室の予定がびっしり掲載されており、しかも

全て参加無料という大盤振る舞い。「戦後ならではの場所やったね

え」と、折橋さんは懐かしそうだ。

 

戦時中、西洋の文化に触れる機会が乏しかった反動で、海外の書籍

や音楽を求める人は金沢でも少なくなかった。センターは千人近く

が利用する日もあったというから、かなりの人気だったと見える。

「近現代史を専門とする金沢星稜大の」

近現代史を専門とする金沢星稜大の本康宏史特任教授は「金沢は知

本康宏史特任教授は、戻る2

識人や学生が多く、需要が高かったはず。空襲がなかったため米国

に対する抵抗感が比較的薄く、受け入れやすかったことも考えられ

る」と指摘する。

 

(現美でイメージ転換)

実は「アメ文」の建物は元々、旧海軍の関連施設である「北陸海軍

館」だった。軍都・金沢を感じさせる場所に、戦勝国である米国の

文化センターが上塗りするように入る。何だか、戦争の残り香が漂

う構図である。

 

しかし、本康特任教授は異なる見方だ。北陸海軍館は終戦直後、石

川の文化復興の口火を切った「第1回現代美術展の会場となった。

「現美が開かれたことで、あの場所に軍都ではなく文化の拠点とし

てのイメージができた」。現美の後に移転してきた「アメ文」は、

その文化の薫りを受け継ぎ、強める存在だったのかもしれない。

 

センターは昭和40年代に閉鎖され、往時を知る人は少ない。しか

し、多くの施設が立ち並ぶ周辺を眺めると、現美、アメ文から続く

文化の歴史が確かに感じられる。

「旧県立図書館、県社会福祉会館を含む」

旧県立図書館、県社会福祉会館を含む一帯は、県が緑地化の検討に

一帯は、県が緑地化の検討に、戻る3

乗り出した。市民に愛された「アメ文」の跡地で、今度はどんな文

化が育まれるのだろう。何にせよ、住民の自慢スポットがまた増え

るに違いない。シンタテ物語、文化の薫りは「アメ文」から、戦後

開設、伝説の名所。確かに金沢は文化と芸術の町である。それに関

係する建物が多いのも事実である。非常にレベルの高いミニオーケ

ストラ。

 

 

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