魚よ、どこへ、漁の主役入れ替わり激しく、漁師「海のことが分からんなっとる」

まさに「水もの」の言葉通り、魚の動きは読みにくい。石川県内で

まさに水ものの言葉通り

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は七尾市能登島沖に「新顔」が登場したかと思えば、ここ20年で、

魚の動きは読みにくい

イワシは46倍に増加、アジは4分の1に減少するなど水揚げ量の

石川県内で

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変動が大きい。海水温の上昇だけで理由を説明できず、「海のこと

 

が、どんどん分かりにくくなっている」と海の男たち。安定しない

漁に表情を曇らせている。

読めない魚の代表格といえば、冬の主役、ブリだ。年によっては漁

獲量が1000~3400トンとばらつきが大きい。ただ、直近1

0年(2013~22年の平均は2165トンと、その前の10年

(03~12年)の1604トンに比べ増加傾向にある。

 

県水産総合センター(能登町)の辻俊宏次長は「海水温の上昇が要

因の一つではないか」と話す。ブリは暖水を好む魚で、冬が近づく

と、寒さを避けて南下していく。気象庁によると、日本海の水温は

過去100年で1・47~1・87度上昇した。石川近海でもブリ

が好む環境ができやすくなっているとの見方だ。

「海水温の上昇の影響を感じている」

海水温の上昇の影響を感じている漁師は多い。14日に約480本
漁師は多い。14日に約480本、戻る1

のブリが水揚げされた能登町宇出津の水産関係者は「好調なスター

トでうれしいが、正直びっくりした」と話す。

 

というのも、11月上旬まで宇出港で水揚げされるのは、シイラや

カンパチ、カマスなど「夏の魚」で、港では「今年はブリはちゃん

と来るのか」との声が上がっていたからだ。「海のことが分からん

なっとる」と首をかしげる。

 

(イカ過去最低か)

減少が深刻な魚といえば、イカがある。能登町小木港を拠点に日本

海でスルメイカ漁を行う中型イカ釣り船は今季、過去に例がないほ

どの不漁にあえぎ、漁師は「群れが全然おらん」と困り顔だ。10

月末現在の水揚げ量は前年同期比65%減の479トン。このまま

のペースが来年1月末までの期間中に続けば、過去最少となる可能

性が大きい。

県漁協小木支所によると、原因は、外国船籍が違法操業でイカを根

こそぎ取っていったこと、猛暑で海水温が上昇し産卵時期が遅れて

いることに加え、イカを餌とするクロマグロが急増していることも

ある。支所の坂東博一参事は、数年前から船にマグロが近づき、イ

カの群れが霧散する場面が多いとし「そろそろ影響を本格的に考え

る時期に入った」と訴える。輪島港で巻き網漁船「蓬菜丸」を運営

する蓬菜丸水産取締役の二木勝司さん(46)は、マアジの減少を

感じている。「かつては通年で安定して水揚げがあったが、夏場は

ほとんど取れなくなった」とぼやく。

「逆に県内で水揚げ量が増えているのは」

逆に県内で水揚げ量が増えているのは、マイワシとマサバだ。ただ、
マイワシとマサバだ。ただ、戻る2

二木さんはマサバについて、頭でっかちの細長い「奇形」が網に入

るようになったと語る。出荷できず、とれる量が増えても喜べない

という。

海水温の上昇は世界的な課題であり、漁師がなんとかできるもので

はない。それでも、地道な資源保護活動により、漁獲量が回復して

いる魚介もある。カニはその一つだ。

「今年は順調。値段もそこそこに落ち着いて、2度3度と買いに来

るお客さんが多い」

 

18日、金沢市の近江町市場。大口水産の荒木優専務は殺到する買

い物客の対応に追われながら、好調ぶりを語った。雌の「香箱ガニ」

の値段は昨年と比べて2割程度安いという。

 

(カニ、甘エビ好調)

ズワイガニは近年、漁獲量が減少していた。雄の加能ガニは02年

の257トンから、22年には137トンに減った。香箱ガニは0

2年の134トンから07年には257トンに増加したが、その後

は減少し22年は134トンだった。

「このため県底曳網漁業連合会では」

このため県底曳網漁業連合会では禁漁区を複数回にわたって拡大。
禁漁区を複数回にわたって拡大、戻る3

10年余の資源保護によって、今年は漁獲枠が425トンまで許さ

れた。資源量を調査している国立研究開発法人水産研究・教育機構

(横浜市)の佐久間啓研究員は「近い将来に限れば、もう一歩の回

復がみられる」と明るい予測を打ち立てる。観光客に人気の甘エビ

の資源量も多くなっているという。

 

気がかりは海洋環境の変化だけではない。県内では漁船数や組合員

数が06年の県漁協発足以降、右肩下がりで減り続け、新たな人材

の確保は急務だ。異常気象と人手不足。漁の現場では、一筋縄では

いかない課題と向き合う日々が続く。魚よ、どこへ、漁の主役入れ

替わり激しく、漁師「海のことが分からんなっとる」。ここ20年

でイワシは46倍に増加、アジは4分の1に減少するなど水揚げ量

の変動が大きい。海水温の上昇だけで理由を説明できず、「海のこ

とが、どんどん分かりにくくなっている」と海の男たち。

 

 

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新幹線駅、ホーム見通しは最高、風情、歴史出迎え間近、九谷五彩の陶板

来年3月16日の北陸新幹線石川県内全線開業まで4カ月を切った。

来年3月16日の北陸新幹線

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今月、加賀温泉駅周辺で開催された記念イベントは盛況で、市民の

石川県内全線開業

ワクワク高まっているのを感じた。新たな顔となる駅は、温泉郷や
まで4カ月を切った。

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城下町に見られる伝統的な輪の様式がモチーフ。この駅から降り立

 

つ人たちは地域にどんな変化をもたらしてくれるのか。駅舎内部を

一足先に案内してもらうと、営業用車両「W7系」が滑り込んでく

る姿が目に浮かび、延伸が一層待ち遠しくなった。

 

「これほどホームからの見通しがいい新幹線駅は他にありません」

そう胸を張るのは、開業準備が着々と進む駅舎を紹介してくれた、

鉄道建設・運輸施設整備支援機構(鉄道・運輸機構)の北陸新幹線

建設局小松鉄道建築建設所の麻生望所長(54)だ。

 

加賀温泉駅は全長312メートル、全幅33メートル。地上10メ

ートルにあるホームは12両編成の車両がすっぽり収まるサイズで、

上下線それぞれに通過線と追い越し線がある「相対式2面4線」で

整備されている。

「麻生所長によると、加賀温泉駅の」

(浮き沈み、傾きなし)

麻生所長によると、加賀温泉駅のホームは直線区間で、上下線が同
ホームは直線区間で、上下線が、戻る1

じ高さとなっており、線路に傾きがないことが特徴。周辺の地形も

平らなため、駅から先に延びるレールが直線的に敷設され、走行車

両を駅からかなり離れた地点まで見通すことができるとのことだ。

 

敦賀延伸区間では、福井県の越前たけふ駅が同様に相対式2面4線

の駅。しかし、ホームは直線だが、勾配がついている。加賀のよう

にホームにいながら、遠くからやってくる車両を眺めることはでき

ないらしい。駅の形状だけでも多くの鉄道ファンを集めそうだと思

った。

 

ホームの壁面上部に目を移すと、木調パネルの上にある紅殻格子が

明かりに照らされていた。ホーム中央付近の待合室は、長屋をイメ

ージした庇があり、湯の街の情緒や風情が、東京や関西方面から訪

れる人たちを出迎えてくれることだろう。

 

ちなみに、ホームは東京方面に11番線が上り、敦賀方面に向かう

12番線が下り。北陸新幹線の上り下りは高崎が起点のため、在来

線とは逆になる。

「入り口に朱色を用いたエスカレーターや」

入り口に朱色を用いたエスカレーターやエレベーターで1階に下り
エレベーターで1階に、戻る2

れば、コンコースには山代、片山津、山中の3温泉にある総湯をイ

メージした待合室がある。

 

(九谷五彩の陶板)

屋根の仕上げ材には、重伝建(重要伝統的建造物群保存地区)の

「加賀橋立」「加賀東谷」などに見られる石川県産の赤瓦が使われ、

中に入ると壁にも紅殻格子。ドアの両脇は、九谷焼の九谷五彩によ

るタイルで彩られており、加賀に足を踏み入れたと感じさせてくれ

るしつらえだ。

 

コンコースには、伝統工芸の山中漆器の挽きを連想させる地場産材

の杉、柱のコーナーにシート状のヒバを用いてある。来年3月に向

け、徐々に姿を現す新駅。現在の在来線駅の通路に接する北口から

は、特急「サンダーバード」「しらさぎ」、普通列車の乗客がもの

珍しそうに新幹線駅舎をのぞき込む場面をよく見掛ける。

「加賀温泉駅のデザインイメージは」

加賀温泉駅のデザインイメージは「風情と歴史を感じさせる駅」。
風情と歴史を感じさせる駅、戻る3

三つの温泉のほか、城下町の大聖寺、北前船交易で栄えた橋立など、

観光客は駅に降り立ったその時から、これから始まる加賀めぐりの

期待を高めるに違いない。新幹線駅、ホーム見通しは最高、風情、

歴史出迎え間近、九谷五彩の陶板。確かに新幹線と特急列車では大

きな違いがある。スピードはもちろんだが価格も高い。敦賀まで延

伸されるが途中の駅の住民はワクワク感が止まらないでしょうね。

 

 

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県産ズワイガニ初競り、「輝」300万円、1匹認定、港沸く、輝姫最高7万円

石川県沖で解禁されたカニ漁で9日、県内各漁港に初物のズワイガ

石川県沖で解禁された

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ニが水揚げされた。初競りが金沢と加賀の市場で行われ、雄の「加

カニ漁で9日、県内各

能ガニ」の最高級ブランド「輝」は、金沢港で揚がった1匹が認定
漁港に初物のズワイ

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されて300万円の値が付いた。2021年の最高値(500万円)

 

には及ばなかったものの、しけによる出漁延期で3日遅れとなった

「冬の味覚の王様」の登場に港は沸いた。

 

県漁協かなざわ総合市場(金沢市)と加賀支所(加賀市)で、各漁

船が厳選したカニの最高価格を競う「蟹ー1(かにわん)グランプ

リ」が行われた。

「今季第1号の輝は県漁協金沢支所」

今季第1号の「輝」は県漁協金沢支所所属の第七重福丸が水揚げし
所属の第七重福丸が水揚げ、戻る1

た重さ1・52キロ甲羅幅15・9センチの1匹。グランプリの最

後に競りにかけられると、大物を一目見ようと仲買人や漁業関係者

が競場に集まり、市場は熱気に包まれた。300万円の値が付くと

場内にどよめきが広がった。

 

競り落としたのは県内で旅館2施設を営む百楽荘(能登町)で、金

沢の旅館で料理長を務める桶谷純二さん(41)は「お客さんにど

うしても味わってほしかった。競り落とせてほっとしている」と笑

顔を見せた。10日から3日間、宿泊客に振る舞うという。

 

(輝姫最高7万円)

市場デビュー2年目となる雌の「コウバコガニ」の最高級品「輝姫」

は、金沢と加賀市の橋立漁港で3匹ずつが基準をクリアした。「姫

ー1(ひめわん)グランプリ」も初開催され県漁協加賀支所所属の

愛明丸が水揚げした甲羅幅9・9センチの1匹が最も高い7万円で

落札された。北川智生船長(40)は「初代女王が取れて良かった」

と喜んだ。

「今季の県内のズワイガニの漁獲枠は」

今季の県内のズワイガニの漁獲枠は、資源量の回復などを受け、昨
資源量の回復などを受け、戻る2

シーズンより76トン多い425トンに設定された。県漁協による

と、9日に水揚げされた加能ガニは18・6トンで昨年の初日より

1・4トン多く、コウバコガニは7・1トン増の53・5トンだっ

た。初物は10日から県内の鮮魚店や料理店などで提供される。

 

輝(かがやき)石川県漁協が認定する県産ズワイガニの雄「加能ガ

ニ」の最高級ブランド。重量1・5キロ以上、甲羅幅14・5セン

チ以上、全ての脚がそろっている、甲羅が硬く、身入りが良いーな

どの基準がある。2021年の初競りで落札された500万円の1

匹はギネス世界記録と同額だった。

「輝姫(かがやきひめ)県漁協が昨年」

輝姫(かがやきひめ)県漁協が昨年認定した県産ズワイガニの雌
認定した県産ズワイガニの雌、戻る3

「コウバコガニ」の最高級ブランド。甲羅幅9・5センチ以上、全

ての脚がそろう、傷がなく美しい、資源管理への積極的な取り組み

をする漁業者の水揚げーなどの基準が設けられた。昨季は61匹が

水揚げされた。県産ズワイガニ初競り、「輝」300万円、1匹認

定、港沸く。我々の口にはいるのは高額のズワイガニではなくて安

価な雌のコウバコガニである。味はコウバコガニでも十分に美味し

い。価格は1匹、600円程度である。雄のズワイガニは3万円程

度と非常に高額である。これらは料亭か、温泉旅館でしか食べる機

会がないと思います。

 

 

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粟生の川筋、暴れ川に耐えた一里塚、民話の里は戦の要衝、三道山のキツネ

能美市吉光町の手取川左岸に広がる水田地帯にある県史跡「吉光の

能美市吉光町の手取川左岸

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一里塚」は県内に現存する唯一の一里塚で、小高い塚には一本のエ

に広がる水田地帯

ノキの老樹がどっしり立つ。高さ約12メートル、幹回り約2メー
にある県史跡吉光の

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トルの巨木は長年の風雪に耐え、今もなお枝を広げる様は威厳すら

 

漂わせる。

 

(今も昔も癒しの場)

一里塚はその名の通り、藩政期には旧北陸街道に1里(約4キロ)

ごとに整備され、先を急ぐ旅人の道しるべであり、休憩場所でもあ

った。塚からは枝越しに冬めく白山連峰が一望でき、散歩中の住民

が一息入れる姿もあり、今も昔もこの地を行き交う人々の癒しの場

といえる。

「吉光町会長の宮口昌尚さん(63)が」

吉光町会長の宮口昌尚さん(63)が「エノキは幾多の水害にも流
エノキは幾多の水害にも、戻る1

されずに耐えてきたんです」と話す。一里塚の東側にある八幡神社

周辺は茶臼山と呼ばれる小高い丘で、明治期には集落や一里塚を囲

むように堤が整えられた。

 

1934(昭和9)年の手取川大水害では、甚大な被害に見舞われ

た近隣集落と比べ、吉光の集落は比較的軽微の損害で済んだ。暴れ

川との闘いで培われてきた水防の知恵が生かされたのだろう。

 

宮口さんの案内で一里塚を訪ねると、保存会の会員が小公園の手入

れに励んでいた。定期的に公園内の草刈りやごみ拾いを行い、高齢

者中心の会員が親睦を深める場になっていて、「ふるさとの貴重な

遺産を守り伝えていきたい」と保存会長の南與四次さん(73)は

力を込める。

「暴れ川との闘いを続けてきた吉光町に」

暴れ川との闘いを続けてきた吉光町に隣接する三道山町は、かつて
隣接する三道山町は、戻る2

は標高22メートルの低山があり、戦国時代にはたびたび砦が築か

れる戦の要衝だった。

 

関ヶ原戦いでは東軍についた前田利長が金沢方面から手取川を渡っ

て本陣を置いたとの記録も残っている。地元の歴史に詳しい前三道

山町会長の宮下直之さん(77)は「美川から安宅にかけて広く見

渡せることから、敵を見張るための重要ポイントだった」と解説し

てくれた。

(九谷陶板で物語紹介)

三道山は旧国道8号沿いに位置し、今では車がひっきりなしに行き

交う。だが、かつての集落は旧北陸街道の外れにあった。周辺はう

っそうとした森が広がっていたこの土地には数々の民話が残ってい

る。

 

「三道山のキツネ」の民話もその一つで、地元の公園には、ストー

リーが描かれた九谷焼の陶板が設置されている。馬方が老婆に化け

たキツネを懲らしめにいく物語で、昔から親から子へ、子から孫へ

と語り継がれてきた。ただ、最近はこうした機会が減っており、宮

下さんは「大切なふるさとの民話であり、公園の陶板からでも子ど

もたちに伝えていかなければならない」と力を込める。

「姿が頼もしく見えた。粟生の川筋」

地域の宝である一里塚や民話を守り伝えていこうとする住民たちの

姿が頼もしく見えた。粟生の川筋、暴れ川に耐えた一里塚、民話の
暴れ川に耐えた一里塚、戻る3

里は戦の要衝、今も昔も癒しの場。エノキに守られた一里塚は幾多

の水害にも流されずに耐えてきた。民話はどこの町にも昔から語り

継がれて残っている。

 

 

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粟生の川筋、難所が産んだにぎわい、遊園地が水の恵み享受、橋なく渡河は舟

能美市粟生町の手取川に架かる全長約400メートルの手取川橋。

能美市粟生町の手取川

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旧国道8号沿いの金沢と小松を結ぶ交通の要衝で、トラックや車が

に架かる全長約

ひっきりなしに行き交う。ただ、明治中期まで橋は架けられておら
400メートルの手取川橋

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ず、川越えの難所だった。

 

 

 

(橋なく渡河は舟)

藩政期に旧北陸街道の整備が進められた一方で、加賀藩が戦略上の

観点から手取川には橋を架けさせなかった。粟生には代わりに慶長

年間に「粟生の渡し」が設けられ、旅人らが舟などで向こう岸に渡

った。

「春先や梅雨の時期は増水することが多く、何日も渡れずに足止め

を食うケースもあったようです」。能美ふるさとミュージアム学芸

員の鎌田康平さん(34)が解説する。

 

粟生町の歴史に詳しい粟生町会長の重田勝年さん(79)に案内さ

れ、手取川橋を訪れた。歩道が整備され、10分もあれば対岸の川

北町側に渡れる。橋のたもとには粟生の渡しの案内板も設置されて

いた。

「手取川は国内屈指の急流河川だ」

手取川は国内屈指の急流河川だ。まとまった雨が降り、普段より水
まとまった雨が降り、普段より、戻る1

かさが増した水面を見て、橋がない場合に安全に渡りきれるか、ま

ったく自信がない。暴れ川の脅威にさらされながらの渡河は、命懸

けだったに違いない。

ただ、幾度の水害にも負けずに集落を発展させてきた粟生の人々は、

逆境をプラスに変えた。川の増水によって、旅人は体を休める場所

を近くに求めた。農業が盛んだった粟生では、宿屋や飯屋に業態を

変える人が飛躍的に増えた。

 

「手取川が増水すると、粟生の村は繫盛する」。街道を行き交う人

はこの地の特性をこう表現したという。藩政期には集落の半数以上

に当たる145世帯が今で言う宿泊、飲食、物品販売業を営み、街

道筋に軒を連ねたそうだ。土地のハンディを商機に結び付ける人々

のたくましさが垣間見えた。

 

粟生に初めて橋が架けられたのは1888(明治21)年。鉄道の

開通も相まって川筋の宿泊需要は激減、今では宿場町の繫栄をとど

めるものは残っていない。重田会長は「往時のにぎわいがあったか

らこそ今の集落がある。語り継いでいきたい」と話した。

「のどかな田園地帯に、九谷五彩を」

(開業時は釣り堀主力)

のどかな田園地帯に、九谷五彩を模したカラフルな観覧車がそびえ
模したカラフルな観覧車が、戻る2

立つ。手取川沿いに立地する「手取フィッシュランド」は1967

(昭和42)年の開業当時、釣り堀が主力事業だった。

 

幹線道路沿いにあり、水温が保たれた手取川の伏流水が豊富に使え

る。これが立地の要因になった。今では3万坪もの敷地にジェット

コースターや各種アトラクションを備え、毎年30万人近くが訪れ

る。釣り堀コーナーは今でもリピーターがいる人気施設で、「遊園

地の多彩な楽しみ方を提供していきたい」辻本憲次会長(76)と

息子の勝彦社長(46)が力を込めた。

「藩政期から400年以上の時をへて」

藩政期から400年以上の時をへて、豊かな水資源を商機に生かす
豊かな水資源を商機に生かす、戻る3

取り組みは、旅人へのもてなしから県民なじみの遊園地を支えるま

でに結び付いた。この地の「川筋根性」は今、にぎわい創出への熱

意となって息づいている。粟生の川筋、難所が生んだにぎわい、遊

園地が水の恵み享受、橋なく渡河は舟。粟生へは仕事で何回か行っ

ています。手取フィッシュランドも子どもの頃連れていってもらい

ました。釣り堀ははっきり記憶しています。子どもができてからは

一緒に何回もいっています。とても楽しかったですね。乗り物がた

くさんありました。

 

 

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加能つなぐ高松、畜産場から住宅地へ、進化続ける若い町、看護大と連携

2000年の県立看護大開学を機に誕生した「学園台」は、かほく

2000年の県立看護大

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市高松で最も新しい町だ。学生アパートやデザイン性に富んだ家が

開学を機に誕生した

並び、公園で子どもと遊ぶ若い夫婦の姿もよく見かける。もとは県
学園台は、かほく

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の畜産試験場と松林が広がる地域だったが、10年ほど前から急速

 

に人口が増え、800人超が暮らす。能登への玄関口として歴史深

い高松に新風を吹き込んでいる。

 

(里山海道無料化で)

学園台は長柄町、高松、中沼の3地域の一部が合わさり、03年に

分譲が始まった。当初は思うほど移住が進まなかったとされるが、

のと里山海道が無料化された13年ごろから、県立看護大インター

チェンジがある利点から住宅や店舗が増えだしたという。

「学園台4丁目にあるカレー店」

学園台4丁目にあるカレー店「バーニングカフェ」もその一つ。羽
バーニングカフェもその一つ、戻る1

咋市で農業を営んでいたが、カレー好きが高じて14年に専門店を

オープンした。地元住民にとどまらず、金沢や加賀から、のと里山

海道を利用して多くのファンが訪れる。人口増加を見越して開業を

決めた桑原さんも「ここまで栄えるとは想定外」と驚きを隠せない

様子だった。

 

店を後にして町を歩くと、三色の国旗が目に飛び込んできた。フラ

ンス料理店のようで、正面の壁には「カフェ・マダム・ルロワ」の

文字。自分には不似合いな洗練された雰囲気だが、扉を開けると店

主のルロワ美砂子さんと夫でフランス人のパスカルさんが気さくに

迎えてくれた。

 

ルロワさんは、この場所で生まれ育ち、20代の時にパリに渡って

以来30年近く、三ツ星レストランなどで料理人を務めた。13年

には故郷で店を開きたいとの思いが募り、パスカルさんと帰国。こ

ちらも加賀や能登、県外から客が集う人気店に成長した。

「パスカルさんとともに白山市の」

パスカルさんとともに白山市の国際ビジネス学院で、料理の現場に
国際ビジネス学院で、料理の現場に、戻る2

即した実用的なフランス語の授業も受け持っている。パリにいた頃、

日本から修業に来た料理人が言葉を理解できず、十分な経験を積め

ないまま帰国する姿を何度も目にしたからだという。

 

学生が修行でフランスへ渡る前、履歴書の添削やアドバイスを求め

て店を訪れることも多いそうだ。

 

市内の児童に授業でナイフやフォークの使い方などテーブルマナー

を教えたこともあり、ルロワさんは「地域の未来を担う若者の力に

なれるなら、自分の経験を惜しまず伝えていきたい」と話した。

 

(看護大と連携)

若い町だけに、学園台では子どもを育成する取り組みが盛んだ。

ことし8月には、県立看護大の学生と子ども食堂「サンかほく

キッチン」が共同で学童保育と子ども食堂を合わせたイベント

も開催。食事の提供だけでなく、学生が夏休みの宿題も教えた

という。運営に携わった3年の石川圭菜さん(21)は「来年

も開かれたらぜひ参加したいという声が聞け、うれしかった」と

微笑んだ。

「この先も看護大などとの連携で」

この先も看護大などとの連携で、どんどん進化していく伸びしろの
どんどん進化していく伸びしろの、戻る3

大きい町なのだろうと実感した。加賀能登の真ん中に位置する高松

地区。古くからの交流で育まれた伝統文化をかたくなに守る一方、

移住者の刺激を受けながら新旧入り交じってともに成長を続ける。

取材を通じて目が離せない地区の一つになった。加能つなぐ高松、

畜産場から住宅地へ、進化続ける若い町、看護大と連携。確かに学

園台はかほく市高松で一番伸びる可能性がある地区でしょうね。若

い町だから伸びしろは大きいと思われます。

 

 

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