オトナの金沢、「金箔付き」の華やかさ、必見の加賀鳶梯子登り、火消しの心意気を今に伝える

(オトナの金沢、「金箔付き」の華やかさ、必見の加賀鳶梯子登り、

火消しの心意気を今に伝える)

とにかく不運な私にも

とにかく不運な私にも、たまには巡り合わせの好いことがあるもの。



内部リンク

かねて気になっていた金沢百万石まつりの当日、香林坊プラザでの工

たまには巡り合わせの

芸に関する講演をお頼まれしており、そのあとさきに見物することが
好いことがあるもの

外部リンク

出来そうです。

 

わけても金沢市消防団員による梯子登りが披露されると聴き、これは

必見、今から胸が踊ります。

 

(修羅場で鍛え)

なぜと云って、きれいごとの歌舞伎で見せる加賀鳶では出来っこない、

実際の修羅場で魂膽を鍛えた本職による、金沢ならではの金箔付きな

のですから。

この梯子登りは徳川時代に始まり、勇み肌の仕事師が侠を見せる晴れ

の芸として伝承され、東京では今も江戸消防記念会により、出初式や

消防殉職慰霊祭などで喝采を浴びております。

 

江戸語で云う梯子登りは、むかしの東京下町の人々にとって、イキを

体現するものとして懐かしまれ、小唄にも謳われました。

明治生まれの十七代目中村勘三郎などは酒をふくんで興に乗ると「腹

亀じゃあエ、吹き流し、逆さ大の字、ぶらアーー、ぶウらアーー、谷

のぞき」と御機嫌の態であったことを思い出します。

「その起源をたどれば」

しかし、その起源をたどれば、江戸っ子の専売とは言い切れず、諸説
江戸っ子の、戻る1

あるなか、加賀鳶を祖とするものには説得力があります。

と云うのも、江戸八百八町三千小路の防火に与る大名火消、定火消、

いろは四十八組の町火消とあるなかで、最も威勢が好く、衆目を集め

たのは加州殿お抱えの加賀鳶であったからです。

 

 

 

なればこそ、その気性と風姿とを当て込んで黙阿弥が芝居に仕組み、

団十郎が鉞銀杏の髷形をまねて、他家には許さなかった位ですから。

 

その加賀鳶の実際をしのぶ資料としては、歌川豊国えがく江戸後期

の初出式の図があり、国会図書館のアーカイブで閲覧出来ます。

「開きみれば、壮大なる」

開きみれば、壮大なる構えの前田家上屋敷に面した本郷通りを、颯
構えの前田、戻る2

爽たる出で立ちの加賀鳶が行列するなか、れっきとした騎乗の武士

の儀容には見覚えがありました。

 

(男女の境紛らす意匠)

今年の初め、加賀本多博物館で拝見した武具に馬具、茶壺什器に至

るまで、そこいらの大名よりも道具揃いであるのには驚きましたが、

とくに眼を瞠ったのが本多の殿様の雄壮かつ華麗な火事装束でした。

 

その奥方の召された燃え立つばかりの緋の羽織、揉烏帽子型の頭巾

など、どちらも当時としては男装であるのが面白く、男女の境を紛

らす美妙な意匠は、他家にも遺る同型のどれよりも優れて優美なも

のであります。

 

特筆すべきは、どちらも汚損の見られぬことで、品々の保存の良い

ところが本多家の代々が先祖を尊み、御家を大事に懸けて来られた

証拠にほかなりません。

「その心にこそ、文化財」

その心にこそ、文化財としての真の生命があることを示す、文字ど
真の生命、戻る3

おりの、有り難い名品です。オトナの金沢、「金箔付き」の華やか

さ、必見の加賀鳶梯子登り。確かに加賀鳶を見ると長い歴史と伝統

を感じます。そしてハシゴをカマで支える持ち手と演技者はどれ位

の練習をするのでしょうか。実演が迫れば毎日のように練習するの

だと思います。持ち手と演技者は何か合図をするのでしょうか。と

にかく演技者は命がけの、真剣勝負をするのですから必死だと思い

ます。持ち手も緊張感が続くと思います。こういう事が出来るのは

伝統文化だからこそだと感じます。一朝一夕にして出来るものでは

ありません。とにかく凄いと思います。火消しの心意気を今に伝え

る。

 

 

 

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