東京の伯父さんが病院を手配して慢性盲腸を抱えての大学入試がきつかったこと

(東京の伯父さんが病院を手配して慢性盲腸を抱えての

大学入試がきつかったこと)

右下腹が痛かった


大学入試のために上京する日の朝、起きると少し、右下腹が痛かった

上京する日の朝
。東京の叔父さんから、電話がかかって来て、こちらの有名な病院を

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5ケ所ほど、おさえたから、心配しないで試験を、受けに来いと言わ

 

れました。私は、下腹の痛みが気になって、なかなか行くとは、言え

ませんでした。叔父さんが何度も説得するので、死ぬも生きるも私の

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運命だと、割り切って行く覚悟が出来ました。今は本当に感謝してい

 

ます。その叔父さんも5年ほど前に、他界してしまいました。

この状

況なので、父も一緒についてきてくれました。宿に着いて、下腹を冷

やして、薬を飲んで参考書を見ていました。高専からの受験だったの

で、国立大学は、無理でした。私学でも、早稲田と慶応はレベルが高

くて無理でした。理科大の1本に絞って受験しました。次の日、会場

へ行くと500人位の人が来ていました。倍率が高いので、この中で

合格するのは、30人前後かと思ったら、開き直って以外と冷静でし

た。英語は、長文が難しくて少しの分かる単語から、後は想像で訳し

ました。数学は以外に良く出来ました。物理は、問題を良く見ると、
「ボーアの原子理論」

昨日の晩に宿で見ていた、ボーアの原子理論が、30点問題で出てい

30点問題で、戻る1
てそれを、一番先に書きました。物理も以外と出来ました。

 

それから、宿に帰って少しだけ、食事をして、横になって体を休め

ました。明日は、機械科の受験です。夜に下腹を冷やして、薬を飲

んで、また参考書を眺めていました。次の日に、会場へ行くと昨日
「試験が始まると」

と同じ位の人でした。試験が始まると、今日も割と冷静に行動でき

試験が始まる、戻る2
ました。両日とも、いい意味で開き直れたのが、良かったのでしょ

う。この日も試験は、まずまずだったと思います。次の日に、電車

で金沢へ向かいました

 

森本駅に着いて、自宅へは戻らずに、主治

医のいる外科へ向かいました。そして、すぐに、盲腸の手術を受け

ました。主治医の話では、盲腸が背中まで伸びていて間一髪の状況

で、無事に終了して難をのがれることが、出来ました。これも叔父

さんや父や主治医の先生のおかげで助かりました。目からは、自然

に涙がこぼれていました。20歳の時だったので、若かったせいも

あって、無理ができたのでしょう。1週間ほどで、退院できました

。家に帰ったら、大学から、電気科も機械科も、両方とも合格した

との通知が来ていました。盲腸を抱えての受験だったので本当に、

つらかったのです。それだけに、本当に心の底から嬉しさが込み上

げて来ました。自分でも良くやったと思います。感謝です。

 

 

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