新駅を待つ出城、40年の悲願まちづくり先行、開業は住民の「勲章」

(新駅を待つ出城、40年の悲願まちづくり先行、開業は住民の

「勲章」)

多くの作業員が

多くの作業員が集まって打ち合わせし、資材を積んだトラックが頻



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繫に行き交う。白山市北安田町、北陸新幹線の高架橋に沿うように

 
集まって打ち合わせし、

広がる西松任駅建設予定地を訪れると、柵に囲われた工事現場は来
資材を積んだトラックが

外部リンク

年春の開業に向け、慌ただしさを増していた。

 

駅予定地の北側に広がる住宅街には真新しい一戸建てが軒を連ね、

建設中の区画では、青空の下で大工らが汗を流している。あちこち

から響く槌音がこの地のBGMになって久しい。

 

市松任北安田南部地区土地区画整理組合理事長の信作喜久雄さん

(73)は「駅が着工する前から、完成を見越して区画整理をして

いる事例は珍しいんじゃないかな」と振り返る。

 
「新駅を求める住民運動の」

(千代野造成の頃から)

新駅を求める住民運動の歴史は古く、出城地区に隣接する千代野ニ
歴史は古く、出城地区に隣接する、戻る1

ュータウンで造成が始まった40年以上前までさかのぼる。

 

建設中の駅とその周辺の様子に「本当に感無量」と目を細めるのは、

30年以上、北安田町の都市計画に取り組んできた市議の藤田政樹

さん(75)。藤田さんによると、新駅は、1989年に県議会で

議論され、当時の中西陽一知事から設置を妥当とする回答が出てい

た。しかし、以降は停滞が続く。大きな財源を必要とする事業に行

政もJRも動きは鈍かったらしい。

 

西松任駅は自治体がその整備費用の大部分を負担する「請願駅」だ

が、十分な乗降客数が見込むことができるかどうかは認可の重要な

判断材料の一つになる。駅ができるから人が集まるのか、人が多く

住むところに駅が必要になるのか。「鶏が先か、卵が先か」ではな

いが、白山市ではまちづくりが先行する形で進んだ。

 
「92年に始まった北安田町の」

92年に始まった北安田町の区画整理は、住民主導でまちづくりプ
区画整理は、住民主導でまちづくり、戻る2

ランを立てて行政に事業化を働きかけた。この頃から新駅ができる

ことを構想に入れ、町を北部、中央、南部に分けて、商店やクリニ

ックの誘致だけでなく、ホタルがすむためのせせらぎづくりなども

盛り込まれた。

 

 

信作さんが2014年に発足した新駅建設促進協議会の事務局長も

兼ねているのは、区画整理と駅誘致が切っても切り離せない関係だ

からだろう。結果として新幹線延伸に合わせたタイミングとなった

が、人口が増えた実績などが認められての駅開業は、長い時間をか

けて住民たちが勝ち取った「勲章」なのだ。

 

「駅チカ」移住の要因

北安田南部では20年2月、新たな町会「北安田南区」が誕生し、

現在は103世帯が加わる。隣の笠間地区から引っ越してきた町

内会長の黒田和希さん(33)は、北安田を選んだ理由を「地元

から近いし、店も多くて買い物がしやすいから」と話す。

特に「駅チカ」は移住を決める大きな要因だったそうで「金沢に

も小松にも出やすくなれば、将来子どもたちが進学、就職すると

きに選択肢が広がる。駅ができればさらに便利になっていくと思

う」と期待は膨らむ。

 
「悲願だった新たな駅の改札が開く」

悲願だった新たな駅の改札が開くおよそ1年後。そして、列車が
およそ1年後。そして、戻る3

停発車するようになる日常の先に、この地はどんな顔を見せてく

れるのか。願った期間が長かった分だけ、成長が続きそうな気が

した。新駅を待つ出城、40年の悲願まちづくり先行、開業は住

民の「勲章」。松任の千代野ニュータウンは広大な土地区画に多

くの住宅が立ち並ぶ住宅街であります。この仕事を住民が中心に

なって進めて完成させたのは立派と言うしかありません。そこに

新駅ができて多くの人が集まれば発展することは間違いないでし

ょうね。

 

 

 

 

 

 

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