最高のテニス人生、38歳国枝さん引退会見、四大大会、パラ全制覇、

(最高のテニス人生、38歳国枝さん引退会見、四大大会、パラ全

制覇)

車いすテニス男子の第一人者で、

車いすテニス男子の第一人者で、シングルスではパラリンピックで



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3度、四大大会で通算28度優勝した国枝慎吾さん(38)が7日、

東京都内で引退会見し

東京都内で引退会見し「最高のテニス人生を送れた。一番の思い出
最高のテニス人生を

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は東京パラリンピックでの金メダル。今でも鮮明に、写真を見ると

 

震えるような感情になる」と感慨を込めた。

 

昨年7月にウィンブルドン選手権のシングルスで初優勝し、四大大

会とパラを全制覇する「生涯ゴールデンスラム」を達成。コート上

で最初に出た言葉が「これで引退だな」だったことを明かした。準

優勝だった全米オープンが終わってからは「もう十分やり切ったな

と口癖のように出てしまった。そのままテニスをしていていいのか

なというような気持ちになってしまった」と決断の経緯を説明した。

 

2009年に当時のパラアスリートとしては異例だったプロ転向を

宣言し、ユニクロ所属で活動した。スポンサーを募って競技に専念

する障害者選手のモデルケースを確立してきた。パラスポーツ界で

は初の国民栄誉賞の授与が検討されていることに「車いすテニス、

自分のやってきたことが最大限に評価されて大変に光栄に感じた」

と話した。

「今後も振興に注力していくとし」

今後も振興に注力していくとし「(テニスは)健常者と障害者の垣
(テニスは)健常者と障害者の、戻る1

根のないスポーツだった。そこの(垣根をなくす)活動は続けてい

くのかなとぼんやり思っている」と展望した。

 

9歳の時、背中の腫瘍が原因で車いす生活になり、11歳で競技を

始めた。21年の東京パラでは日本選手団の主将を務め、開催国の

顔として活躍。先月22日に引退を表明した。

 

パラスポーツ界をけん引してきた国枝さんの足跡を語録で振り返っ

た。

 

*2008年9月(北京パラリンピックでシングルス初制覇)「少

しでも多くの方に車いすテニスを知ってもらえれば」

*09年4月(プロ転向を宣言)「魅せながら勝つことが必要にな

る。プロ一本の生活は厳しいと覚悟しているが、成し遂げられれば

障害者スポーツに携わる人たちに夢を与えられる」

*12年9月(ロンドン・パラでシングルス2連覇)「プロを宣言

した以上、失敗例になっては駄目だと思っていた。金メダルで責任

を果たせた」

*16年9月(右肘手術の影響などでリオ・パラで準々決勝敗退)

「昨年パラリンピックがあれば、と何度思ったことか。苦しい1年

だった」

*21年9月(東京パラのシングルスで2大会ぶりの復活優勝)

「この日のために全てを費やした。報われて良かった。こうして金

メダルを掲げていることは99・99%、信じられなかったこと」

*22年7月(ウィンブルドン選手権のシングルスで初優勝し「生

涯ゴールデンスラム」を達成)「これで完結したなと思った。いつ

でも、すっきりとやめられると思ったのも事実。それだけこのタイ

トルに懸ける思いは強かった」

*23年1月(交流サイトで引退表明)「最後まで世界一位のまま

での引退は、カッコつけすぎと言われるかもしれませんが、許して

ください」

*同年2月(東京都内で引退記者会見)「最高のテニス人生を送れ

た。一番の思い出は東京パラリンピックでの金メダル」

「東京パラリンピックでの金メダル」

「競技の認知度向上へも闘った」

一番の思い出は

「東京パラリンピックでの金メダル。東京(開催)が決まった20

13年からの夢がかなった瞬間は今でも鮮明に、写真を見ると震え
13年からの夢がかなった瞬間は、戻る2

るような感情になる。それくらい思いが詰まった金メダル。一番の

集大成だった」

世界ランキング1位での引退表明。

「競技レベルは年々上がっていて現状維持だと相対的には衰退する。

1位になったら誰の背中も見えなくなる難しさがあるが、現状に満

足せず、常に自分の中で課題を見つけて、いかに成長するかが面白

さでもあった」

 

国民栄誉賞の授与が検討されている。

「連絡を受けたときは車いすテニス、自分のやってきたことが最大

限に評価されて大変に光栄に感じた」

かつては競技の認知度が低かった。

 

「(04年の)アテネ(・パラリンピック)の頃は、まだスポーツ

として扱われない、福祉として社会的な意義があるものとして伝わ

っていた。スポーツとしてというこだわりは相当、強く持ちながら

プレーしていた。相手、自分、スポーツとして見られたい、この三

つの闘いがずっと肩にのしかかっていた」

自身の活躍が普及やPRに寄与した。

 

「東京パラが終わった後の反響はスポーツとしての手応えがあった。

若い選手に向けて純粋なスポーツとしての土台を用意できてよかっ

た」

妻の愛さんの支えも大きかった。

「弱音を言ったらプレーにも」

「弱音を言ったらプレーにも出てしまうと思ってメディアの前では
出てしまうと思ってメディアの、戻る3

強気な発言をしなきゃいけなかった。妻には『もう無理』『引退か

な』と言えた。はき出せる場所があってよかった」

今後は。

「何となく何をしていきたいのかが、ぼんやりと出てきたくらい。

(テニスは)健常者と障害者の垣根のないスポーツ。そこの(垣

根をなくす)活動は続けていくのかなとぼんやりと思っている」

最高のテニス人生、38歳国枝さん引退会見、四大大会、パラ全

制覇。国枝さんを見ているとファイトのかたまりのような気がす

る。四大大会で通算28度も優勝しているのにウィンブルドン選

手権のタイトルだけが取れずにいた。昔オーストラリアにローズ

ウォールという選手がいた。バックハンドは世界一だった。この

選手もウィンブルドン選手権だけが優勝できなくて、40歳まで

トライしたが勝てなかった。国枝さんは最後に優勝したから良か

ったです。どんなにうまくても運、不運があるんですね。それも

一流選手によくあります。不思議ですねと言うしかありません。

 

 

 

 

 

 

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