渡部暁不屈の走り、3大会連続メダル、先頭でスプリント勝負、逆転許し0・6秒及ばず

(渡部暁斗不屈の走り、3大会連続メダル、先頭でスプリント勝負、

逆転許し0・6秒及ばず)

ノルディック

ノルディックスキー複合男子個人ラージヒルで渡部暁斗が3位とな



内部リンク

り、複合日本勢で初めて3大会連続でメダルを獲得した。前半飛躍

 

(ジャンプは140メートル)は5位、トップと54秒差で出た後
複合男子個人

半距離(10キロ)は途中から先頭集団でレースを引っ張ったが、
ラージヒルで

外部リンク

ゴール直前でグローバク、オフテブロのノルウェー勢に抜かれた

 

。1位と0・6秒差だったので当然金メダルだと、思いました。

本当に悔しいレースでした。0・6秒差で1位、2位、3位が

決まったのですからね。実際にこんなことが起きるなんてしば

らくは信じられませんでした。勝負はいつ何が起きるか分かり

ません。渡部暁斗が一番悔しいでしょう。今までで一番金メダ

ルに近いレースでした。

 
「悲願達成は目前」

悲願達成は目前に迫っていた。ノルディックスキー複合男子個
迫って、戻る1

人ラージヒル。後半距離を5位から出た渡部暁斗が、先頭で競

技場に戻ってきた。「もしかしたら金が巡ってくるかも」と頭

にもよぎった。だが猛烈に追い上げてきたノルウェー勢とのス

プリント勝負に屈し0・6秒差の3位。「思ったようにはいか

ないな」と悔しそうに笑った。

 

54秒先に出てコースを間違えるアクシデントもあった前半1

位のリーベルを、3・5キロ付近で捉えた。ただ「なかなか引

っ張ってくれる選手がいなかった」と集団の前に出た分、体力

が削られた。走力のある後続から懸命に逃げた末、「力が残っ

ていなかった」と最後の直線を目前にかわされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

今季はジャンプが精彩を欠き、ワールドカップ(W杯)で表彰台に

立てないまま五輪に臨んだのは、17歳で初出場した2006年ト

リノ大会以来だった。前半飛躍でヒルサイズまで5メートルに迫る

大ジャンプを繰り出し、上々の位置につけても「正直、自分を信じ

られていなかった」と明かす。それでも力走で3大会連続のメダル

をもぎ取り「執念ですね」と口にした。

 
「1980年代」

1980年代生まれは渡部暁斗と永井の2人だけ。「ごまかしが利
生まれは、戻る2

かなくなっている」という低下した体力を随一の経験を重ねて円熟

味が増した「技」でカバーしている。距離では重心の移行をうまく

使ってスキーに力を伝えられており、今季は全盛期迫る走りを見せ

ていた。

 

自らの進む道を英語の種目名をもじって「コンバイン道」と表現す

る日本のエース。5度目の冬季五輪を節目と位置づけ、渇望してい

た表彰台の中央こそ逃したが、第一人者の意地を輝く「銅」に結実

させた。

 

(日本複合勢で初)

1980年代後半、全日本スキー連盟が強化に時間と資金が必要で

世界的に選手層が薄い複合に着目してから30年以上を経て、荻原

健司らが担ってきたエースの座を受け継いだ渡部暁斗が複合勢初の

3大会連続メダルを手にした。

 
「ジャンプと距離」

ジャンプと距離の専門家を指導者に迎え、海外遠征を増やすなどの
専門家を、戻る3

策を講じた成果が92年アルベールビル五輪の団体優勝だった。個

人種目では94年リレハンメル五輪で河野孝典が銀メダルに輝いた

が、「宇宙人」と呼ばれる強さを誇った荻原は2002年ソルトレ

イクシティ五輪まで4大会で頂点どころかメダルにも縁がなかった

成績に反映されるジャンプの比率が低くなるルール変更が相次ぎ、

競争力は落ちたが、高橋大斗や小林範仁が主戦となって、世界と戦

う最低限の力は維持した。渡部暁斗不屈の走り、3大会連続メダル

、先頭でスプリント勝負、逆転許し0・6秒及ばず。最後のゴール

直前は本当に死闘でした。誰が勝ってもおかしくないレースでした

。0・6秒差の中に3人の選手がいたんです。見ている方が興奮し

ました。渡部暁斗には本当に惜しいレースでした。今までで一番金

に近い試合でした。

 

 

 

 

 

 

 

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