瓢箪から下町、「まいどさん」彦三で修業、ボランティア大学校出身

(瓢箪から下町、「まいどさん」彦三で修業、ボランティア大学校

出身)

秋が深まる城下町で

秋が深まる城下町で、黄色のジャンパーをまとった金沢観光ボランテ



内部リンク

ィアガイド「まいどさん」によく出くわす。コロナが落ち着き、よう

黄色のジャンパーを

やく戻ってきた観光客に真心を込めて案内するメンバーたちは、瓢箪
まとった金沢観光

外部リンク

地区にある市中央公民館彦三館でガイドの心得を身に付けたという。

 

未来のまいどさんたちが通っているのは、彦三館にある「金沢ボラン

ティア大学校」(ボラ大)の観光コースだ。今年も第29期生が5月

から翌年2月まで全25回、現役のまいどさんや有識者から、名所旧

跡の歴史やボランティアの心構えを学んでいる。

「ボラ大事務局によると」

ボラ大事務局によると、昨年度までに830人が修了し、多くの人が
昨年度までに830人が、戻る1

まいどさんとして活躍している。

「観光コースは人気で、2回落選しました」。彦三館の近くに住む八

幡真一さん(70)は、会社員時代にあまり地元に貢献できなかった

との後悔から、定年退職する数年前、ボラ大に通い始めた。

 

12年前に念願のまいどさんとなり、小学生を案内することもある。

「知識を積むことで、ありふれた景色に違う側面があると子どもたち

に伝えることができると楽しい」とやりがいを語る。

(生涯学習の拠点)

どうして彦三館にボラ大があるのだろう。事務局長の喜田徹さんによ

ると、ボラ大は1994(平成6)年、当時の山出保市長の下、全国

の自治体で初めて設立された。国内でボランティア活動が盛んになる

きっかけとなった阪神大震災が起きる前年だった。

 

 

 

 

 

 

「当初は中央公民館長町館で」

当初は中央公民館長町館で講義をしていたが、2001年、旧金沢
講義をしていたが、戻る2

税務署跡地に彦三館が完成し、ボラ大は移った。彦三館はボラ大の

ほか、65歳以上の市民を対象とする「高砂大学校の拠点となって

いる.。

「交通の便が良く『バス通学』が多いです」と喜田さんは笑う。

 

彦三館の一室をのぞくと、いろいろな年代の人が大学の授業のよう

に90分間の講義を受けていた。ボラ大は市内や近郊に住む満18

歳以上が対象で、観光をはじめ、国際交流や福祉、環境など8コー

スに分かれて今期は20~80代の188人が受講している。八重

澤美知子理事長(金大名誉教授)は「同じ年代が集まる大学とは違

い、ボラ大は幅広い年代が一緒に学ぶのが魅力です」と話す。

 

受講生の盛実重利さん(68)=富樫1丁目=はメーカーを退職後、

金沢の知識を身に付けたいと、受講を決めた。愛媛生まれの盛実さ

んは「普段は関わらないような人たちと交流できる。終了後は何か

のグループで活動したい」と希望を語る。

「実際これまでの修了生の中には」

実際、これまでの修了生の中には、同期で意気投合してグループを
同期で意気投合して、戻る3

つくったり、同窓会を通して縦のつながりができたりしている。ま

いどさん以外にも、環境保全や金沢駅の「金沢もてなし隊」など地

域活動で活動している。

(地域活動の核に)

「多様な人が集まることで刺激し合える。修了生が地域活動の核と

なってほしい」と八重澤理事長は期待を寄せる。金沢の生涯学習の

拠点である彦三館。来年は節目の30期生を迎える。バス通学する

高齢者らの姿を見ると、自分ももっと学びたくなった。瓢箪から下

町、「まいどさん」彦三で修業、ボランティア大学校出身。確かに

人はいくつになっても学びたいと思うはずです。それが人間の向上

心です。80歳になっても健康で地域活動ができる人は幸福です。

人間は人の役に立ちたいと思うのが自然です。そして、それが生

きがいにつながります。私もそういう人になりたいと思っていま

す。

 

 

 

 

 

 

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