(甲は生きている1、「ファン」が列つく80歳医師、金沢から通
い17年)
穴水町中心部から車で20分ほど、町南東部に位置する甲地区。人
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口は837人(今年3月末時点)と、この5年で1割以上減り、町
内でも高齢者の比率が高い。小学校は既になく、年度末には唯一の
町南東部に位置する甲地区
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こども園も閉じる予定という過疎化止まらない奥能登を象徴する場
所だ。それでも、地域を愛し、懸命に暮らす人たちの営みがある。
特別なものはないけれど、心地いい生活があるという町のキャッチ
コピーは「生きている。穴水」。その文言を体現するかのような地
区を訪ねた。
9月下旬、地区でただ一つの医療機関を訪れると、お年寄り2人が
玄関前の花壇に腰掛けていた。診療開始の午前9時まで、まだ1時
間以上もある。しばらくすると、白衣を着た医師らしき人が診療所
から出てきてお年寄りを招き入れた。「外で待たせるのは申し訳な
いし、だいぶ早く開けるようにしとるんや」。そう話すのは、公立
穴水総合病院兜診療所に勤務する医師杉盛恵さん(80)=金沢市
小立野2丁目=だ。
(最初は週4勤務)
珠洲市生まれの杉盛さんは、飯田高を卒業後、金大医学部に進んだ。
金大附属病院や国立金沢病院(現金沢医療センター)で耳鼻咽喉科
の医師として勤務。退職後に県地域医療人材バンクに登録し、20
06年4月、バンクの斡旋第1号として兜診療所に赴任した。
「杉盛さんは奥能登がふるさと」
杉盛さんは「奥能登がふるさと。まだまだ元気やったし、もうちょ
まだまだ元気やったし、戻る1
っと医者として役立ちたいと思ったんや」と当時を振り返る。勤務
し始めたころの診療日は週4回。勤務日の前日に穴水入りし、診療
所の住居スペースで寝泊まりしていた。
しかし、自身の高齢に加え、穴水総合病院に勤務する若手医師が経
験を積む場にしようと、担当する日を徐々に減らした。現在は毎週
月曜の午前と午後のみだが、診察日は午前5時に起床する。車で片
道2時間かけて通う日々は17年目に入った。
こちらも穴水支局に着任してから1年半ほど、家族がいる金沢の自
宅に毎週のように帰ってはいるが、その生活を続ける気力はどこか
らくるのだろうか。
穴水総合病院に聞くと、一つの答えが返ってきた。若手医師が担当
する日に比べ、杉盛さんが出勤する月曜はとりわけ患者さんが多い
らしい。
「取材当日、診療所に一番乗り」
取材当日、診療所に一番乗りしていた山本春雄さん(92)も「杉
していた山本春雄さん、戻る2
盛ファン」の1人。「いつも診てもらうのは杉盛先生。わしの体の
ことをよく分かっとるから安心や」と全幅の信頼を寄せる。夫婦で
通っている島崎日出子さん(82)も「優しい先生で説明が分かり
やすく話しやすい。みんな好きやわいね」と笑顔を見せた。
診療が始まる直前、待合室にはすでに10人以上のお年寄りが待っ
ていて世間話に花を咲かせていた。
「元気でも来て」
杉盛さんいわく、健康を維持するには喉の力を鍛えるのが重要だと
いう。「声を出すことが大事。元気でも診療所に来て、私や患者さ
ん同士でしゃべるだけでいい」。耳鼻咽喉科が専門の杉盛さんが言
うと説得力があるが、患者にはお年寄りが多いだけに病院に姿が見
えないと逆に体調を心配するほどなのかもしれない。
かつては昼休みになると患者たちと碁石を並べて過ごしたという杉
盛さん。「住んでいる人が生き生きしていないと集落に活気がなく
なる。いつまでできるか分からんけど、元気なうちは診療所にいた
いと思っとる」とまだまだ現役でとの気持ちのようだ。
「待っていてくれる人がいる」
待っていてくれる人がいる。そう思うと、片道2時間のドライブも
そう思うと、片道2時間の、戻る3
苦ではないのだろう。ふるさとで同じような年代の住民とともに生
きる老医師の衰えぬ情熱が地域を支えている。甲は生きている1、
「ファン」が列つく80歳医師、金沢から通い17年。現役の医師
を引退後、県地域医療人材バンクに登録し、穴水総合病院の兜診療
所に再勤務した。まだ医師として社会の役に立ちたいという気持ち
があったそうです。現在は80歳です。その間17年間、金沢から
片道2時間かけて車で通い続けているのです。本当に立派な医師で
心から尊敬します。引退直後は週4日勤務だったそうです。こんな
にもハードな仕事を長い間続けられたと感心しました。奥能登の高
齢者の患者さんがたくさん先生のことを待っていてくれたから心の
支えとなって17年間も続いたのでしょうね。現在も月曜1日だけ
診察されています。本当に情熱のある素晴らしいことですね。
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