「大変でしたね」「お体を大事に」。22日、能登半島地震で被災
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した輪島、珠洲両市を訪問した天皇皇后両陛下は、今なお避難生活
を余儀なくされている人たちに、住まいや体調を気遣う言葉を優し
22日、能登半島地震で
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く掛けられた。板敷きの避難所に膝をつき、同じ目線でやりとりさ
れる姿に、被災者からは「勇気と元気をもらえた」との声が上がっ
た。
約100人が身を寄せる輪島市ふれあい健康センターでは、両陛下
は靴下のまま段ボールベッドに座る一人一人と目線を合わせ、声を
掛けて回った。
新谷満さん(60)=同市新橋通=母千恵子さん(87)とともに
両陛下から「ご自宅は大丈夫ですか」「お体の方は大丈夫ですか」
と尋ねられた。仮設住宅への入居待ちが続き、不安な日々を過ごす
が「避難所のみんなの心が和んだと思う」と話した。
「面会した市消防団副団長の」
面会した市消防団副団長の山吹英雄さん(64)=同市稲舟町=は
山吹英雄さん(64)=同市稲船町=は、戻る1
「復興に向かっていきたい」と決意を新たにした。
珠洲市の避難所では、津波や断水の状況を気に掛けていたという。
約80人が暮らす緑丘中では、直公民館長の橋元繫幸さん(69)
=同市野々江町=が妻のひろみさん(65)と生活を続ける。自宅
は津波を免れたが、近くで被害が出たと伝えると、両陛下は「大変
な思いをされましたね」とねぎらったという。市内はほぼ全域で断
水が続いており、「お水はどうされているんですか」と尋ねる場面
もあった。
人道支援をする認定NPO法人「ピースウィンズ・ジャパン」の橋本
笙子さん(58)は「東日本大震災でも活動したことを説明すると
とても優しい目をされた」と振り返った。
視察やお見舞いは日没後まで続き、バスで移動する際には、両陛下
はバスの窓を開け、沿道に集まった住民に手を振って応えた。膝つ
き目合わせ、大変でしたね、お体を大事に、両陛下、避難所、お見
舞い。
「珠洲市の飯田港では、皇太子時代に」
(飯田港で犠牲者悼む・蛸島、宝立に向かって黙礼)
珠洲市の飯田港では、皇太子時代に3回訪問されたことがある蛸島
3回訪問されたことがある、戻る2
町、地震と津波で36人が亡くなった宝立町に向かってそれぞれ黙
礼し、犠牲者を悼まれた。
天皇陛下は皇太子時代の2003年に日本アグーナリー(国際障害
スカウトキャンプ大会)、06、18年に日本スカウトジャンボリ
ーで蛸島町の「りふれっしゅ村鉢ケ崎」を訪問した。
隆起、陥没した波止場のほか、津波で打ち上げられた車を見て回ら
れた後、鎮痛な面持ちで目を閉じ、深々と頭を下げた。
「視察の間、珠洲焼や揚浜式製塩に」
(珠洲焼や輪島塗・伝統産業気遣う)
視察の間、珠洲焼や揚浜式製塩について聞いたほか、輪島市では千
ついて聞いたほか、輪島市では、戻る3
枚田や輪島朝市、輪島塗に触れて「復興しないといけないですね」
と述べられた。
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