金石は磨いてなんぼ、「元日新聞」記者は壮年会、令和につなぎ61号

年に一度、元日に金石地区にだけ届く新聞がある。取材中に、金石

年に一度、元日に金石地区に

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に住んでいなければお目にかかれぬ「幻の新聞」の情報を求め、金

だけ届く新聞がある。

取材中に、金石

集まっていたのは、金石町壮年会広報部のメンバー。紙面が印刷さ

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れた8ページ分のゲラ(校正刷り)を前に「クロスワードの問題は

 

難しすぎんかな」「これくらいなら解きがいがあるよ」などと意見

を交わしていた。

 

越田大地会長(45)を交え、印刷前の最終チェックに余念がない。

ゲラには赤入れが随所にある。「絶対に間違えられんよ」。ゲラを

凝視する「記者」たちの姿に、自分たちの日々の作業が重なって共

感する。

 

壮年会は25~45歳の働き盛りの世代で構成する。「元日新聞」

の発行に向けては、広報部員が普段の仕事の合間を縫って10月

から準備を進めてきた。記事のネタを考え、取材し、スポンサー

集めもする。壮年会のOBや会員の人脈を生かし、今年は147社

の協賛が集まったという。

「この新聞、金石壮年の創刊は」

(創刊は昭和33年)

この新聞、「金石壮年」の創刊は金石町壮年会が設立された195
金石町壮年会が設立された、戻る1

8(昭和33)年にさかのぼる。休刊した年もあったが原則、年1

回ペースで発行され、80年代から1月1日が発行日となった。以

来、紙の新聞のスタイルを守り、令和まで続いてきた。

 

壮年会のファイルに残る最も古い新聞は昭和38年、「三八豪雪」

の年の3月に発行された第10号。1面では大野湊神社の社務所が

結婚式場と集会場に解放されることが報じられていた。

もちろん、三八豪雪もネタの一つで、町民総出の除雪作業は「金石

町民に伝わる『協力の精神』『町ぐるみ』という他町のうらやまし

がる良習がしからしめた」とつづられている。

 

99(平成11)年は、現在の天皇皇后両陛下が金石を訪問された

様子を「忘れません。あの日の笑顔」と題した特集で振り返り、2

021年は金沢港クルーズターミナルの写真が1面を飾っていた。

 

「一年の計は元旦にあり」と言われる日に、地元尽くしの新聞を囲

んで「金石の今」を語り合える皆さんは、幸せだなあ。

「ひと息ついたデザイナーの}

ひと息ついたデザイナーの永瀬梨江さん(38)は「新聞づくりっ
永瀬梨江さん(38)は新聞づくり、戻る2

て大変なんですね」と、しみじみとつぶやいた。それだけ皆さん、

真剣な証拠である。

 

(継承の重み感じ)

どれどれ、最新の61号の特集は、と赤入れが済んだゲラを手に

取ると「ネタバレ厳禁でお願いしますよ」とクギを刺された。楽

しみにする読者の顔を思い浮かべれば、ごもっともだ。

 

広報部長の吉田拓也さん(33)は「コロナ禍でも新聞をつない

できた先輩方を思うと、途絶えさせてはいけないという重みを感

じる」と話す。北國新聞などに折り込む形で、約3400部を配

布する予定だ。

「OBの一人、金石の歴史を知る会の}

OBの一人、金石の歴史を知る会の林吉三会長(76)は「新聞づ
「林吉三会長(76)は、戻る3

くりを通じ、地域に愛着が深まった」と懐かしむ。代々受け継がれ

てきた「元日新聞」は、地元住民の金石愛を磨き続ける役割を果た

している。金石は磨いてなんぼ、「元日新聞」記者は壮年会、令和

につなぎ61号。1年に1回の発行でも継続しているのは立派なこ

とだと思います。皆さん仕事をしながら新聞を発行しているのです。

また記事を見つけるのも大変ですね。

 

 

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