(高岡・勝興寺国宝に、本堂と大広間・式台、加賀藩が庇護、金沢
と連携強化を)
国の文化審議会は12日、江戸後期を代表する寺院建築の勝興寺(高
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岡市伏木古国府)の本堂と大広間・式台を国宝に指定するよう永岡桂
子文部科学相に答申した。加賀藩の庇護を受けて整備された伽藍は全
寺院建築の勝興寺
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国屈指の規模を誇り、文化史的な意義も深いと評価された。富山県内
では瑞龍寺(同市関本町)の国宝指定以来、25年ぶり。二つの国宝
建築がある市は北陸三県では唯一となる。近く答申通り告示され、国
宝は計230件となる。
勝興寺は浄土真宗本願寺派の寺院で、本堂は1795(寛政7)年、
大広間は17世紀中期、式台は18世紀後半に建立された。境内には
12棟の重要文化財があり、うち2棟が今回、国宝に格上げされる。
本堂は加賀藩11代藩主前田治脩(13代住職・法暢)が再建計画を
立てた。西本願寺(京都市)の阿弥陀堂をモデルに造られ、文化庁に
よると、国内で十指に入る破格の規模を誇る。桁行39・3メートル
梁間37・5メートルは江戸時代以前の寺院本堂で全国で9番目に大
きいという。近世に発展した技術を駆使し、荘厳な大空間を形成して
いる点が評価された。
「大広間・式台は浄土真宗の」
大広間・式台は、浄土真宗の公式な接客の場となる「対面所」の整備
公式な接客の場となる、戻る1
過程を体現し、「歴史的価値が極めて高い」(文化庁)と評された。
文化庁は、勝興寺について「真宗王国・越中」の筆頭格の寺院である
と指摘。加賀藩の庇護を受け、浄土真宗が畿内から北陸へと教線を拡
大する中、地域の拠点となり、文化史の観点からも意義が深いとした。
(平成の大修理70億円)
国宝指定には、1998年から2021年に行われた「平成の大修理」
の過程で得られた知見が寄与した。総事業費は約70億円で内訳は国
59億5千万円、富山県と高岡市各4億2千万円、所有者2億1千万
円だった。
大修理の完工を記念し、昨年からは高岡茶会(富山新聞社、北國新聞
社主催、ラジオたかおか後援)と「特別華展」(富山県いけ花作家協
会、富山新聞社、北國新聞社主催)が勝興寺で開催されている。
「勝興寺の国宝指定は高岡市」
(金沢と連携強化を)
勝興寺の国宝指定は高岡市にとって、開町の祖・前田利長(加
とって開町の祖・前田利長、戻る2
賀藩2代藩主)の菩提寺である国宝瑞龍寺に続く慶事といえる。
歴史都市に一層の重みを加え、高岡と加賀藩の絆をあらためて
示す契機になる。
勝興寺や瑞龍寺に加え、高岡では前田利長墓所や利長が築いた
高岡城の城跡が国史跡として歴史的価値を認められている。こ
れらは日本遺産「加賀前田家ゆかりの町民文化が花咲くまち高
岡」の核である。「加賀藩文化圏」を代表する都市の一つとし
て、「藩都」だった金沢市と県境を越えた連携を強め、観光誘
客などに生かしてほしい。
23年間に及んだ「平成の大修理」では国や県、市の負担に加
え、地元住民も年間千円を拠出して支えてきた。今後、後世に
継承していくには地元にとどまらず、さまざまな活用を通じて
多くの県民に親しんでもらい、愛着を深めていく仕掛けがさら
に必要になる。
「二つの国宝建築をまちづくりに」
二つの国宝建築を、まちづくりに生かさぬ手はない。会見で角
生かさぬ手はない、戻る3
田悠紀市長が述べた通り、勝興寺と瑞龍寺はJR氷見線・城端線
で結ばれており、両線のLRT(次世代型路面電車システム)化や
直通化の議論を加速させることにもつながるだろう。高岡・勝興
寺国宝に、本堂と大広間・式台、加賀藩が庇護、金沢と連携強化
を。瑞龍寺が国宝であることは知っていたが、今回勝興寺が国宝
に指定されることになった。本堂の建物は本当に大きくて驚きま
した。立派な建築物だと思います。大広間も本当に大きくて見事
な建物です。瑞龍寺の他に、こんな立派な勝興寺があったことは
知りませんでした。これで富山県は寺院の国宝が2件になります。
これらには加賀藩が関係していたことも分かりました。国宝にす
るのに70億円のお金と23年の時間がかかったことを知って再
び驚きました。本当にびっくりしました。
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