選抜高校野球星稜激闘制す、延長十一回天理に5ー4、「星稜コンバット」高らかに

(選抜高校野球星稜激闘制す、延長十一回天理に5ー4、「星稜コ

ンバット」高らかに)

選抜高校野球大会

第94回選抜高校野球大会は第4日の22日、甲子園球場で1回戦



内部リンク

が行われ、2年ぶり15度目出場の星稜は天理(奈良)を延長十一

 

回の末、5ー4で破った。

 
今月末の退任が

今月末の退任が決まっている林和成監督率いる星稜は、2-0とリ
決まっている

ードした八回裏に追いつかれ、延長十回に2番垣淵祥太郎の犠飛で

外部リンク

勝ち越し。その裏再び追いつかれた後、十一回に相手の送球エラー

 

の間に2点を勝ち越し、その裏の守りで2番手投手・武内涼太が1

失点に抑えて振り切った。

(大垣日大と26日2回戦)

2回戦で星稜は26日の第1試合(午前9時開始予定)で大垣日大

(岐阜)と対戦する。

 
「星稜ナインが」

(1250人勝利を後押し)

星稜ナインが延長十一回の激闘を制し、甲子園一塁側アルプス応援
十一回の、戻る1

席が沸いた。バス7台で金沢から乗り込んだ生徒、教職員、OBは

約1250人。3年ぶりに演奏応援が解禁となり、得点が入ると吹

奏楽部の50人が伝統の「星稜コンバット」を高らかに響かせ、勝

利を後押しした。

 

天理との「名門対決」に、選手の家族も手に汗握りながらエールを

送っていた。背番号1で先発のマウンドに立ったマ-ガード真偉輝

キアン選手の母恵子さん(57)と米国出身の父マイケルさん(5

4)は地元の沖縄から駆け付けた。「ずっとドキドキして、まとも

に見ることができなかった」と恵子さん。八回に同点打を浴び、ベ

ンチに下がった際は「よく投げてくれた」と心でねぎらいの言葉を

送っていた。

 

 

 

投手陣をリードした主将の佐々木優太捕手の祖母政江さん(72)

はピンチを抑える度に祈るように戦況を見守り、「心臓に悪い試

合だったけど、勝ってほっとした」と振り返った。

 
「6番・ファースト」

6番・ファーストで出場した荒木陽翔選手の父克幸さん(45)は
出場した、戻る2

、星稜野球部OB。今月末で退任する林和成監督の1年後輩にあた

り、「息子には監督のために勝ってくれと声を掛けた。1試合でも

多く監督に野球をやらせてあげてほしい」と進撃を期待した。

 

吹奏楽部長の金子絢音さん(2年)は「甲子園の舞台で演奏できて

夢のよう。次も全力で貢献したい」と話した。

 

(26日に応援ツアー)

ほっこく観光は26日、星稜の2回戦(大垣日大戦)応援バスツア

ーを実施する。金沢駅金沢港口(西口)を午前1時半発で、旅行代

金は往復のバス代金と甲子園入場券、軽食弁当を含め大人1万68

00円、子ども1万5800円。申し込みは、ほっこく観光。

 
「星稜激闘制す」

選抜高校野球星稜激闘制す、延長十一回天理に5ー4「星稜コンバ
高校野球、戻る3

ット」高らかに。試合は星稜がなかなか勝ち切れる流れではなかっ

た。八回表に1点取って2ー0とリードした。しかし、その裏天理

が2点取って同点とした。延長十回表に星稜が1点取って3ー2と

リードしたが、その裏また天理が1点取って3ー3に追いついた。

延長十一回表に天理のエラーで星稜が2点取って5ー3とした。そ

の裏ひじにデッドボールを受けた2番手の投手が痛みをこらえて、

天理の攻撃を1点に抑えて星稜が勝ち切りました。まさに激闘を超

えて死闘でした。両チームとも粘り強い本当にいい試合をしてくれ

ました。素晴らしかったです。さすが名門同士の試合でした。

 

 

 

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新首長石川の未来へ決意、馳氏コロナ対策切れ目なく、「頭低く丁寧に」

(新首長石川の未来へ決意、馳氏コロナ対策切れ目なく、「頭低く

丁寧に」)

「13日投開票の」

13日投開票の知事選で初当選した元文部科学相の馳浩氏(60)



内部リンク

は14日朝、地元の金沢市神谷内交差点での演説で活動をスタート

 

し、「私を指示してもらえなかった人の理解を得るため、頭を低く

外部リンク

して丁寧に県政発展に取り組みたい」と保守分裂選のしこり解消を

 

目指す考えを強調した。

知事選で初当選

馳氏は岸田文雄首相に電話で勝利を報告。首相は「大変な選挙をよ
元文部科学相の

く戦い抜いた。何かあったらいつでも言ってほしい」と伝えた。森

喜朗元首相とも電話で話し「疲れを癒して県民のために頑張ってほ

しい」と激励を受けた。

 

県庁では谷本正憲知事に「安定した行政運営のためご指導をお願い

します」とあいさつ。「昨年7月は大変失礼な状況で申し訳ありま

せんでした」とも述べ、谷本知事の進退表明前に「後継」を自任し

て出馬の意向を示したことをわびた。新型コロナの話題で谷本知事

は「自ら打たないと説得力がなくなる」と馳氏にワクチン3回目接

種を勧めた。この日は支援者らへのあいさつ回りもこなした。

 

馳氏への当選証書付与式は16日に行われる。任期は27日から4

年間となる。

 

(激震新知事誕生 馳知事「一強」の兆し)

激戦を制した余韻冷めやらぬ14日午前、馳浩氏は支援を受けた県

議11人とともに県庁知事室を訪ねた。「あらためてどうも。座ら

れますか?」。一行を出迎えた谷本正憲知事は、やや堅い表情で声

を掛けた。普段、来客があると立て板に水の谷本知事だが、この日

の口数はやや少なめ。同行した県議の多くが谷本知事と距離を置い

てきた面々であることも関係してか、場には緊張感が漂った。

「知事選で馳氏の」

知事選で馳氏の脇を固めた県議のうち、紐野義昭、藤井義弘、下沢
固めた、戻る1

佳充、中村勲、作野広昭の5氏は森喜朗元首相に近い。必然的に、

森氏と溝がある谷本知事の県政運営には批判的な立場を取ることが

多かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(主流派交代へ)

そんな顔触れが知事室に居並ぶ光景は珍しく、馳新知事誕生によっ

て県政主流派も交代することを印象付けた。「これらは知事室に足

を運ぶ機会が増えるかもしれんね」。懇談後、県議の1人は待ち遠

しそうにつぶやいた。

 

1994年、副知事だった谷本氏は当時の連立与党だった非自民・

非共産勢力に担がれて知事選に出馬し、石川弘参院議員と激突。辛

くも勝利を収め、以後7期28年にわたる「長期政権の歴史が幕を

開けた。

 

この時、敗れた石川氏を擁立したのが当時野党の自民党で幹事長の

ポストにあった森氏だった。

 

その後、政権与党に復帰した自民は県政界でも勢いを増し、「数の

力」で谷本知事を揺さぶった。これに折れる形で自民寄りのスタン

スを徐々に強めていった谷本知事だが、それでも森氏との関係は改

善されなかった。

「森氏は2012年」

森氏は2012年に国会議員のバッジを外しても、谷本県政ににら
国会議員、戻る2

みをきかせ続けた。だが、見方を変えれば、森氏という目の上のた

んこぶが存在したからこそ、谷本県政は長続きしたとも言える。

 

あるベテラン県議はこう解説する。「森さんは影響力もあるが、そ

の分、アンチも多い。「反森」をうまく利用することで谷本県政は

7期も生き永らえた」

保守三つどもえとなった今回の知事選では、山田修路氏の陣営がま

さにこの手法を実践した。安部晋三元首相ら東京から駆け付けた馳

氏の応援弁士を「永田町の圧力」と表現し、背後に森氏を見え隠れ

させることで「反森票」を取り込もうとしたのである。

 

しかし、馳氏が知事の座を手にしたことで「谷本ー森」のパワーバ

ランスは大きく変化する。生まれも育ちも自民で、森氏を「政治の

師」と仰ぐ馳氏に、県政運営上の強力なライバルは見当たらず、権

力の集中が加速する可能性もある。

 

(あいさつ待ちで行列)

知事選が決着した直後の14日未明、早くも「馳知事一強」時代の

到来を予感させる光景が見られた。

 

報道陣のインタビューを受ける馳氏の背後には、新知事にいち早く

あいさつしようと企業関係者らが列をつくり、取材が終わるのを今

や遅しと待ち構えた。列の中には「知事選は中立」と静観をうたっ

ていた大企業トップの姿もあった。「やっぱり知事のパワーはすご

いですね」。馳氏を支援した金沢市議の1人は行列を見て感心した

ように語った。夜が明けても「馳詣で」は続き、金沢駅西にある選

挙事務所には来客が絶えなかったという。

大きすぎる権力には批判の矛先が向きやすい。その意味では、永田

町から頭ごなしに谷本氏に注文を付ける森氏の存在は、知事の権力

者イメージを薄める役割を果たしたとも言える。

「立ちはだかる」

敵として立ちはだかる人物もなく権力を享受できる立場となる馳氏
敵として、戻る3

は、そうしたリスクとどう向き合うのか。自重を忘れ、かじ取りを

誤れば、馳県政は短命に終わりかねない。新首長石川の未来へ決意

、馳氏コロナ対策切れ目なく、「頭低く丁寧に」。石川県知事選は

山野氏が8000票差までに迫ったが、最後は馳氏が逃げ切った。

馳氏の完勝に終わる結果になった。馳氏はこれからが大切なので石

川の県政のために全力で頑張ってほしいと思います。衆院議員の経

験を充分に活かしてもらって、県民本位の県政をしてもらいたいと

思います。

 

 

 

 

 

 

 

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谷本知事26日退任、県民と職員に感謝28年間幸せだった、人と時代に恵まれた

(谷本知事26日退任、県民と職員に感謝28年間幸せだった、人

と時代に恵まれた)

谷本正憲知事

石川県の谷本正憲知事(76)は15日までに、県庁で北國新聞社



内部リンク

の単独インタビューに応じ、26日の退任を前に「知事一人では何

 

もできない。県民の皆さんと職員の皆さんの協力、県政への信頼が

積み重なって多くのことを成し遂げられた」と感謝を述べた。

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7期にわたる県政運営で、石川が飛躍する足掛かりが築けたと自負

「15日までに」

を示し、「28年間、知事を務めさせてもらい、大変幸せだった」
県庁で北國新聞社

と語った。谷本知事は、印象深い仕事の一つに金沢城の復元整備を

挙げ、「ここまで本格的にやらせてもらえるとは夢にも思っていな

かった。北國新聞社に全面的に後押ししていただいた」と感慨深げ

な表情を浮かべた。

 

二の丸御殿についても復元の方向性を示すことができたとし、「完

成すれば江戸後期の本物の素晴らしさを多くの方にご堪能いただけ

る。石川の歴史や伝統、文化を発信する場所になっていくのではな

いか」と期待した。小松空港の国際化なども成果に挙げた。

 

「信頼が全ての基本」 (馳氏にエール送る)

13日の知事選で初当選し、27日付で就任する元文部科学相の馳

浩氏(60)に対しては「県民からの信頼が全ての基本。これがな

ければどんな仕事をしても評価につながらない」と強調。「立ち振

る舞いを含めて仕事にふさわしい行動を取り、石川を日本のトップ

ランナーとして飛躍させてほしい」とエールを送った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(谷本知事28年を回顧)

「28年は長い。だけど、ひたすら一生懸命にやってきたから、そ

んなに長い気はしないんや」。なじみ深い石川県庁を去る日が近づ

く中、北國新聞社のインタビューに応じた谷本正憲知事は、ぽつり

と胸の内を明かした。豊かな文化の土壌や特色ある企業の集積がこ

の地の個性と見定め、強みを磨き上げることに心を砕いた28年間

。気付けば「日本海側のトップランナー」になっていた県政のかじ

取り役は、「人と時代に恵まれたね」と振り返った。

退任を26日に

(退任後も散歩は継続)

退任を26日に控えた今の思いは。28年間、知事としていろんな
控えた、戻る1

節目の場に立ち会わせていただいたことは大変幸せでした。県民の

皆さんの県政に対する信頼がなければ、とてもやりおおせなかった

。そういう意味では、県民の皆さんにあらためて感謝ですね。

 

それから、金沢城の復元整備も、食材のブランド化も、北陸新幹線

金沢開業のにぎわい創出も、職員の協力がなければこれだけの成果

は上げられなかった。事を成し遂げて喜びを共有したことも、厳し

い言葉を浴びせたこともありましたが、皆さんしっかり応えてくれ

た。職員にも感謝のほか言葉はありません。

 

就任はバブル崩壊直後の1994(平成6)年。時代はずいぶん変

わった。

 

人々の価値観も大きく変わって、規模の大きさから質の高さや個性

を重視するようになりました。就任時にいろんな人の話を聞き、文

化の厚みが石川の最大の個性だから、しっかり守ろうと決意しまし

た。

 

規模は小さくても市場シェア1位の「ニッチトップ企業」など、キ

ラリと光る中小の地場企業の多さも個性だから応援したい。こうし

たことを県の基本目標に据えて施策に落とし込めば、進む方向は間

違ったものにならないと思ってやってきました。

印象に残っている

特に印象に残っている仕事は。

金沢城の復元整備は28年もやらせてもらったおかげで二の丸御殿
仕事は、戻る2

を除き、ほぼ完成させることができた。ここまでできるとは正直思

っていなかった。二の丸御殿も整備していけば江戸時代後期の本物

の素晴らしさをご堪能いただけると思う。北國新聞社に全面的に後

押ししていただき、ありがたかったですね。

 

一番うれしかった仕事は。

北陸新幹線金沢開業はもちろんあるけど、やっぱり2004年の小

松ー上海便の就航かね。あれが実現しなかったら、小松空港は単な

るローカル空港に終わってたわ。

 

チャーター便50機を満席にして中国東方航空にOKと言わせ、次

は小松基地や。当時の防衛庁は中国機の乗り入れに当然難色を示し

ていたけど、小松基地指令ができた人でね。「基地と地元は共存共

栄です。私に任せてください」と言ってくれた。一番高いハードル

だった上海便を最初にクリアできたことで、その後の台北や香港が

続き、小松空港の国際化が着実に進んだんや。そう思うと、私は人

と時代に恵まれたね。

 

新知事が馳浩氏に決まった。馳氏に託す県政の課題は。

やはり新型コロナ対応。社会経済活動をどう正常化させていくのか

、より具体的な対応が求められる。2年後には新幹線県内全線開業

が実現するし、かつてのにぎわいをどうやって早く取り戻せるかも

真剣に考え、実行しないといけない。当面はそのことが一番大事じ

ゃないですか。それとロシアのウクライナ侵攻で、石油などの燃料

価格が急騰している。県民生活や産業活動に大きなブレーキが掛か

らないようにどう対応するかが、知事が交代した直後に大きな問題

に急浮上するかもしれないね。

 

知事の大変さをひと言で言うと。

1日24時間、1年365日公務ですよ。軽はずみな行動は一切で

きない。衆人環視の中にいるわけだから、自分を律することが求め

られる立場です。新知事は立ち振る舞いも含めて知事にふさわしい

行動を取り、県民の信頼を獲得していくことに尽きると思います。

 

知事退任後、第二の人生は。

分からんね。基本的には奥さんに合わせることになるんじゃないで

しょうか。

ウオーキングは

日課の早朝ウオーキングは退任後も続ける?

続けますよ。20年以上続けている、私の唯一の健康法だから。健
退任後も、戻る3

康でなければとても知事の仕事はできなかった。後任の知事は頑健

だから、あえてそういうことをしなくていいのかもしれないけど。

でも雨の日、雪の日はウオーキングはやらんよ。特に雪の日は、こ

れまで2回転んで骨折したから、奥さんにやかましく言われとるん

や。「次転倒したら頭打ちますよ。あの世からおむかえが来ても私

は知りませんよ」って。骨折したときも全然同情してもらえなかっ

たからね。谷本知事26日退任、県民と職員に感謝28年間幸せだ

った。知事の仕事は本当に大変だと思います。その県の県政の最高

責任者ですからね。気の休まる時間があるのでしょうか。心配にな

ります。特に谷本知事は高齢ですから、よく28年間も知事を務め

られたなあと思うと本当に立派だと思います。心から尊敬します。

石川の誇りです。私は最初の出馬の時に演説を聞きました。ほんと

に正直な方で誠実さを感じました。この人なら間違いないと確信し

ました。

 

 

 

 

 

 

 

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スピードスケート女子1000、高木美帆金メダル獲得、いくしかない抜群の出足、勝負あり

(スピードスケート女子1000、高木美帆金メダル獲得、いくしか

ない抜群の出足、勝負あり)

女子1000

女子1000メートルで、前回平昌大会銅メダルの高木美帆(日体大



内部リンク

職)が1分13秒19の五輪新記録で滑り、個人種目で自身初めての

 

金メダルを獲得した。今大会では500メートル、1500メートル
前回平昌大会

、団体追い抜きの銀メダルに続く4個目で、冬季の日本勢最多を更新
銅メダルの高木

外部リンク

した。通算では7個目のメダル。

 

前回2位の小平奈緒は1分15秒65で10位だった。2位はレール

ダム(オランダ)、3位はボウ(アメリカ)だった。

 
「出だしに神経を」

出だしに神経を研ぎ澄ませた高木美帆は「いくしかない」と、ためら
高木美帆、戻る1

いなく飛ばした。スピードスケート5種目に挑んだ大会で最後の女子

1000メートル。世界のスプリンターをしのぐ鋭い出足を見せた時

点で、勝負ありだった。ここまで銀メダル三つだった日本のエースが

、最後の最後に胸のすくような圧勝を見せた。アウトコースからスタ

ートダッシュした高木美帆は100メートルを1位で通過した。その

後も加速を続けて最後にインコースに入る時の、スピードは素晴らし

かった。五輪レコードでゴールした。ここまで何戦も戦って体は疲れ

切っていたはずである。改めて高木美帆のメンタル面の強さと凄さを

ひしひしと感じました。凄い選手です。この日のためにウエイトトレ

ーニングも始めたそうです。

 

(ゴール後、ほえた)

「しっかりスタートを決めることが一番大事」と集中を高め、駆け抜

けた200メートルはトップタイの17秒60。後は滑りを乱さない

ことだけだった。自信のある中盤以降は無駄なく、リズムよく足を運

ぶ。ゴールするとパチンと手を打ってほえ、勝利を確信したように、

両腕を高々と上げた。終わってみれば2位とは0秒64の大差だった

。私はこの時高木美帆にはスピードスケートの女王の風格を感じてい

た。1000メートルのレースは本当によく頑張った。どこに最後の

力強さが残っていたのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

忘れられない1000メートルのレースがある。2017年12月

、米ソルトレークシティー。一緒に滑った小平が世界新記録を樹立

して優勝した。高木美帆も2位と奮闘したものの、歯が立たなかっ

た。

 
「控室に戻った」

控室に戻った高木美帆は真っ赤な顔で珍しく怒りに震えていた。
真っ赤な、戻る2

「いいレースをしたのにかなわなかった。むちゃくちゃ悔しい。

勝ち負けより内容にこだわってきた高木美帆の心に、火が付いた。

 

短距離の女王に対抗心を燃やし、初速の進化を求め続けた。4年

前はこの種目で銀の小平に0秒16差の銅メダル。さらに磨きを

かけ、今回の500メートルは2位。なかなか勝ち切れなかった

五輪の締めくくりにめくくりに、闘争心をかき立てられた原点と

いえる種目で頂点を極めた。

 
「無念の転倒で」

無念の転倒で2位だった15日の団体追い抜き後、選手村に戻る
15日の、戻る3

バスで小平と一緒になった。ライバルたちの進化は日本を追った

結果で「誇れることだと思うよ」と言ってもらい「前を向かせて

くれた」。日の丸を背負ったウイニングランで先輩を見つけると

、敬意と感謝を込めて抱擁した。スピードスケート女子1000

、高木美帆金メダル獲得、いくしかない抜群の出足、勝負あり。

アウトコースからの高木美帆のスタートは素晴らしいものでし

た。100メートルは本当に速かったです。最後のインコース

への加速も相手をどんどん離して行く素晴らしい走りを見せて

ゴールして手をたたいて、ほえました。この時優勝を確信して

いたかも知れません。とにかく強かったです。こんなにも強い

高木美帆を見たのは初めてでした。この五輪で勝つためにウエ

イトトレーニングを始めたそうです。自分を追い込んで何が足

りないかを考えた時にフィジカルとメンタル面をもっと鍛えな

いと勝つことは難しいことに気づいたのでしょう。

 

 

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渡部暁不屈の走り、3大会連続メダル、先頭でスプリント勝負、逆転許し0・6秒及ばず

(渡部暁斗不屈の走り、3大会連続メダル、先頭でスプリント勝負、

逆転許し0・6秒及ばず)

ノルディック

ノルディックスキー複合男子個人ラージヒルで渡部暁斗が3位とな



内部リンク

り、複合日本勢で初めて3大会連続でメダルを獲得した。前半飛躍

 

(ジャンプは140メートル)は5位、トップと54秒差で出た後
複合男子個人

半距離(10キロ)は途中から先頭集団でレースを引っ張ったが、
ラージヒルで

外部リンク

ゴール直前でグローバク、オフテブロのノルウェー勢に抜かれた

 

。1位と0・6秒差だったので当然金メダルだと、思いました。

本当に悔しいレースでした。0・6秒差で1位、2位、3位が

決まったのですからね。実際にこんなことが起きるなんてしば

らくは信じられませんでした。勝負はいつ何が起きるか分かり

ません。渡部暁斗が一番悔しいでしょう。今までで一番金メダ

ルに近いレースでした。

 
「悲願達成は目前」

悲願達成は目前に迫っていた。ノルディックスキー複合男子個
迫って、戻る1

人ラージヒル。後半距離を5位から出た渡部暁斗が、先頭で競

技場に戻ってきた。「もしかしたら金が巡ってくるかも」と頭

にもよぎった。だが猛烈に追い上げてきたノルウェー勢とのス

プリント勝負に屈し0・6秒差の3位。「思ったようにはいか

ないな」と悔しそうに笑った。

 

54秒先に出てコースを間違えるアクシデントもあった前半1

位のリーベルを、3・5キロ付近で捉えた。ただ「なかなか引

っ張ってくれる選手がいなかった」と集団の前に出た分、体力

が削られた。走力のある後続から懸命に逃げた末、「力が残っ

ていなかった」と最後の直線を目前にかわされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

今季はジャンプが精彩を欠き、ワールドカップ(W杯)で表彰台に

立てないまま五輪に臨んだのは、17歳で初出場した2006年ト

リノ大会以来だった。前半飛躍でヒルサイズまで5メートルに迫る

大ジャンプを繰り出し、上々の位置につけても「正直、自分を信じ

られていなかった」と明かす。それでも力走で3大会連続のメダル

をもぎ取り「執念ですね」と口にした。

 
「1980年代」

1980年代生まれは渡部暁斗と永井の2人だけ。「ごまかしが利
生まれは、戻る2

かなくなっている」という低下した体力を随一の経験を重ねて円熟

味が増した「技」でカバーしている。距離では重心の移行をうまく

使ってスキーに力を伝えられており、今季は全盛期迫る走りを見せ

ていた。

 

自らの進む道を英語の種目名をもじって「コンバイン道」と表現す

る日本のエース。5度目の冬季五輪を節目と位置づけ、渇望してい

た表彰台の中央こそ逃したが、第一人者の意地を輝く「銅」に結実

させた。

 

(日本複合勢で初)

1980年代後半、全日本スキー連盟が強化に時間と資金が必要で

世界的に選手層が薄い複合に着目してから30年以上を経て、荻原

健司らが担ってきたエースの座を受け継いだ渡部暁斗が複合勢初の

3大会連続メダルを手にした。

 
「ジャンプと距離」

ジャンプと距離の専門家を指導者に迎え、海外遠征を増やすなどの
専門家を、戻る3

策を講じた成果が92年アルベールビル五輪の団体優勝だった。個

人種目では94年リレハンメル五輪で河野孝典が銀メダルに輝いた

が、「宇宙人」と呼ばれる強さを誇った荻原は2002年ソルトレ

イクシティ五輪まで4大会で頂点どころかメダルにも縁がなかった

成績に反映されるジャンプの比率が低くなるルール変更が相次ぎ、

競争力は落ちたが、高橋大斗や小林範仁が主戦となって、世界と戦

う最低限の力は維持した。渡部暁斗不屈の走り、3大会連続メダル

、先頭でスプリント勝負、逆転許し0・6秒及ばず。最後のゴール

直前は本当に死闘でした。誰が勝ってもおかしくないレースでした

。0・6秒差の中に3人の選手がいたんです。見ている方が興奮し

ました。渡部暁斗には本当に惜しいレースでした。今までで一番金

に近い試合でした。

 

 

 

 

 

 

 

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川除「金」スキー距離男子20キロクラシカル立位、「負けるな」父激励に恩返し

(川除「金」スキー距離男子20キロクラシカル立位、「負けるな」

父激励に恩返し)

パラリンピック

北京冬季パラリンピック第4日の7日、ノルディックスキー距離



内部リンク

20キロクラシカルで立位の川除大輝(21)富山市出身、日立ソ

 

リューションズJSCが金メダルを獲得した。今大会の日本勢3個目

となる。

 

2度目の出場で開会式の日本選手団旗手を務めた川除は初の表彰台

外部リンク

。通算6個目のメダル獲得を狙った新田佳浩(41)日立ソリュー

 

ションズは7位だった。

 

(「負けるな」父激励に恩返し)

躍動感のある滑りで後続選手を大きく引き離した。得意の20キロ
第4日の7日

クラシカル立位で金メダルに輝いた川除大輝は、根っからの負けず
ノルディック

嫌い。指の欠損の障害があるが、健常者と一緒に競い技術を高めて

きた。心の中で息子を気遣いながら「絶対負けるなよ」と激励して

くれた父や家族に最高の恩返しができた。

 

川除はゴール直後に右手を突き上げ、笑顔でガッツポーズ。手渡さ

れた大きな日の丸に身をくるみ、日本選手団の関係者に手を振った

 

幼い頃、姉や友達が一輪車や自転車に乗れたのを見ると、必死にで

きるまで練習した。リレーで友達に負けると悔しがり、けんかにな

った。父大輔さん(50)は「みんなと一緒のことをやらないと気

が済まなかった」と話す。

 

小学校で加入した地元のスポーツクラブでは、握力がいるスキー板

のワックスがけも1人でこなした。小中と指導した小川耕平さん

(44)は「「自分で何とかする」との強い意志があった」と振り

返る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

中2の時に一度だけ信念を曲げた。小川さんに「ワックス、伸ばし

てもらえませんか」と頼み、全国大会の出場権が懸かった富山県大

会に臨んだ。激しい競り合いを制し、全国への切符を勝ち取った。

 
「周りの友人らと」

周りの友人らとの付き合いで障害を気にすることはなかった。ただ
付き合い、戻る1

小学生の時、サッカーの試合で対戦相手にからかわれたことがある

。大輔さんは、口に出して川除には言わないものの「心の中では

「健常者を見返してやれ」と思っている」と明かす。

 

7日朝、LINE(ライン)で「絶対まけるなよ」と伝えると、息子

からは「絶対頑張る」と力強い返信があった。大輔さんは、家族

と富山市の自宅で勝負の行方を見守った。「一生懸命努力をして

きたので期待はしていたが断トツの1位。ありがとう、おめでと

う。私たちに最高のものをくれた」と声を詰まらせた。

 

(川除大輝) 4年前と比べて、すごく自分の成長を感じること

ができた。優勝できたので、うれしく思う。勝つことができたの

で(新田には)安心してもらえると思う。さらに上を目指してい

けるように頑張りたい。川除「金」スキー距離男子20キロクラ

シカル立位、「負けるな」父激励に恩返し。スキーは距離の競技

はどれを見ても本当にきついスポーツだと思います。バイアスロ

ンや複合でも選手はゴールするとすぐに倒れてしまいます。スキ

ーをはいたまま横になってすぐには起きることが、できません。

それだけきついスポーツなのでしょう。ほとんど全員が倒れてし

まいます。きついスポーツだからこそ勝った時は嬉しいのでしょ

うね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

北京冬季パラリンピック第4日(7日)ノルディックスキー距離の

男子20キロクラシカル立位で富山市出身、21歳の川除大輝(日

立ソリューションズJSC)が金メダルを獲得した。2大会目の出場

で初の表彰台。7大会連続出場の新田佳浩(日立ソリューションズ

)は7位だった。

 

アルペンスキーのスーパー複合で滑降、スーパー大回転との3冠を

狙った女子座位の村岡桃佳(トヨタ自動車)は銀メダル。前半のス

ーパー大回転で首位に立ったが、後半の回転で逆転された。田中佳

子(Tポイント・ジャパン)は4位。今大会3個目のメダルが懸か

った男子座位の森井大輝(トヨタ自動車)は回転で途中棄権した。

 
「スノーボード」

スノーボードクロス男子で、大腿障害の小栗大地(三進化学工業)
男子で、戻る2

と下肢障害の市川貴仁(エレマテック)がともに5位に入った。

 

胸突き八丁の残り5キロの手前、頭のバンドを投げ捨てた。スキ

ー距離男子クラシカル立位の川除が「ただ暑かっただけ」と振り

返った、この動作がラストスパートの号砲となった。

 

「抑えて入って後半にしっかり上げていこう」との狙いはぴたり

と的中。2位の中国選手に1分30秒以上の差をつけて圧勝した

。ゴール後は大きな日の丸に身を包み、満面に笑みを浮かべた。

 

5キロのコースを4周する20キロ。序盤に1キロ以上続く長い

上りは、160センチそこそこの小柄な川除にとっては、タイム

の稼ぎどころだ。生まれつき両手足の一部がなくストックを持た

ないスタイルで、真骨頂のピッチ走法が威力を発揮した。逆に体

重が軽く、スピードが出にくい終盤の下りは「しゃがんだ姿勢で

風の抵抗をなくし(板を)滑らせようとした」と言うように、的

確な判断が光った。

 

(鍛えた心肺、終盤光る)

昨年12月のワールドカップ(W杯)では2種目で4位となり、後

半の失速を課題に挙げていた。合宿では標高約1700メートルの

高地で長距離のタイムトライアルを敢行し、心肺機能を鍛えた。

「最後は精神的な部分」と自分を追い込んできた成果を、終盤に見

せつけた。

 
「前回の2018年」

前回の2018年平昌大会は個人種目で最高9位にとどまった。強
平昌大会、戻る3

豪ロシア勢の不在という追い風はあったものの、21歳にして頂点

に立った耀きは色あせない。日本パラリンピック委員会(JPC)に

よると、冬季大会の日本男子では最年少金メダリストで「4年前と

比べて成長できたことを、しっかり見せられた」と言い切った。

川除「金」スキー距離男子20キロクラシカル立位、「負けるな」

父激励に恩返し。21歳と言う若さでつかみ取った初めての表彰台

の中央での初金メダル。心の底から喜びが湧いてきた姿が目に浮か

びます。彼はこの勝利を生涯、忘れることはないでしょう。本当に

価値ある金メダルだと思います。今までどれだけの努力と練習をし

てきたことでしょう。努力はけっして人を裏切らない。素晴らしい

ことをやってくれました。彼を目指して頑張る子どもたちが多く出

てくるはずです。

 

 

 

 

 

 

 

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