米下院議長訪台、25年ぶり「民主主義に関与」台湾海峡中国軍派遣、緊張

(米下院議長訪台、25年ぶり「民主主義に関与」台湾海峡中国軍

派遣、緊張)

アジア歴訪中のペロシ米下院議長

アジア歴訪中のペロシ米下院議長が2日夜、専用機で台湾入りした。



内部リンク

複数の台湾メディアや米メディアが伝えた。3日に蔡英文総統と会

 
2日夜、専用機で

談する予定。新華社電によると、中国外務省は米国に対する「強烈
台湾入りした。

外部リンク

な抗議」を表明した。対抗措置を警告してきており、王毅国務委員

 

兼外相は2日「米国こそ平和の最大の破壊者だ」と非難した。台湾

海峡の中間線付近に軍用機や艦船を派遣し軍事的な圧力を強めてい

る。米海軍は周辺海域に空母打撃群を派遣、台湾軍も警戒態勢を強

化するなど軍事的緊張が高まっている。

 

ペロシ氏が率いる米議員訪問団は、声明を発表し「台湾訪問は台湾

民主主義に対する米国の揺るぎない関与を示すものだ」と強調した。

 
「航空機追跡の民間ネットワーク」

航空機追跡の民間ネットワークによると、ペロシ氏の専用機はマレ
ペロシ氏の専用機は、戻る1

ーシアから台湾に向かう際、中国がほぼ全域で領有権と管轄権を主

張する南シナ海を大きく迂回した。下院議長は正副大統領に次ぐ米

国ナンバー3の高位で、訪台は1997年のギングリッチ氏以来2

5年ぶり。ペロシ氏は3日、立法院(国会)を表敬する見通し。

 

台湾の中央通信社は2日、中国が旧ソ連製空母をウクライナから購

入し改修した空母「遼寧」と、初の中国国産空母「山東」がそれぞ

れ母港を出発したと報じた。台湾海峡に向かうかどうか注目されて

いる。

一方、米海軍の原子力空母ロナルド・レーガンを中核とする空母打

撃群や強襲揚陸艦トリポリなどは台湾周辺の海峡に展開している。

 

米メディアによると、台湾海峡で不測事態を避けるため設けられて

いる中間線に複数の中国軍用機が接近、艦船も付近の海峡にとどま

っている。

 

 
「米国ナンバー3の下院議長」

(民主重鎮ペロシ氏)

米国ナンバー3の下院議長として25年ぶりに台湾を訪問したナン
25年ぶりに台湾を、戻る2

シー・ペロシ氏(82)は、連邦議員歴35年の民主党重鎮だ。一

貫して人権問題を厳しく批判してきた対中強硬派として知られる。

女性の地位向上に取り組んできたリベラル派で、議会の内外で時に

は物議を醸す政治活動を続けてきた行動派でもある。

「強い女性」。米国初の女性下院議長でもあるペロシ氏について米

政界関係者は口をそろえる。西部カリフォルニア州サンフランシス

コの中華街を抱える選挙区から選出され、1987年に連邦下院議

員に就任した。

 

(人権、厳しく批判)

中国の人権問題への取り組みは筋金入りだ。訪中して89年の天安

門事件が起きた北京中心部の広場を訪れ「民主主義のために犠牲に

なった人々にささげる」と書かれた横断幕を掲げた。

 

急速に発展する中国との経済関係強化に当たっても、人権問題改善

を条件に掲げ、民主党政権との対決も辞さなかった。

 

中国がチベット独立派とみなし敵視するチベット仏教最高指導者ダ

ライ・ラマ14世とも親交がある。2008年の北京夏季五輪、2

2年の北京冬季五輪ともにチベット族やウイグル族への弾圧を非難

し、外交ボイコットを呼びかけた。

女性や移民を軽視する発言が目立った共和党のトランプ前大統領と

は犬猿の仲だ。20年にはトランプ氏が議場で一般教書演説を終え

た直後、背後で原稿を破り捨てて抗議の意思を示した。

 
「1940年、東部メリーゴーランド」

1940年、東部メリーゴーランド州生まれ。下院議長職は201
下院議長職は、戻る3

9年から2回目。夫と共にカリフォルニア州に移住、5人の子ども

を育てた。米下院議長訪台、25年ぶり「民主主義に関与」台湾海

峡中国軍派遣、緊張。米下院議長ペロシ氏が訪台しました。寨英文

総統ともいろんな話し合いをされたと思います。総統も心強い思い

をしたと思われます。ペロシ氏は過去の英国のサッチャー首相に似

ているように思われます。この人も鉄の女と言われるほど強い政治

家でした。ペロシ氏は筋金入りだと言われてこの人も強い政治家で

す。特に人権問題には厳しい人です。2人とも信念があり素晴らし

い政治家でしょうね。

 

 

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海と砂丘のまち七塚、伝統漁守るサラリーマン、漁協は「出張所」に、福浦港に底引き船団

(海と砂丘のまち七塚、伝統漁守るサラリーマン、漁協は「出張所」

に、福浦港に底引き船団)

能登半島の付け根

能登半島の付け根、石川県のほぼ中央に位置する旧七塚町、現在の



内部リンク

かほく市七塚地区は、日本海に面し、南北に細長い砂丘地だ。「山

石川県のほぼ中央に

なし、川なし、田圃なし」という自然条件のもと、先人たちは主た
位置する旧七塚町

外部リンク

る生活の糧を海に求め、長らく漁業が盛んな土地だったが、時代の

 

流れとともに、まちの装いは大きく変わった。海と砂丘のまちの今

を追う。

 

7月30日早朝、かほく市外日角の砂丘に地引き網のロープを引く

10人ほどの姿があった。七塚で唯一、地引き網漁を行う油野武彦

さん(56)=白尾=のグループだ。浜から機械でロープを巻き取

り、網をたぐり寄せる。魚の入る先端の袋網が見えると、最後は人

力で網を浜に揚げた。

 

2時間余りの漁で収穫はキス10キロ売り上げは1万円だという。

油代などを差し引くと利益はないに等しい。10人で1万円では、

1人当たりの時給換算すると500円か。全国平均の最低賃金が時

給千円に迫ろうかという時代にあって、あまり生産的ではないが、

油野さんは「こんな日もあるわい」と歯牙にも掛けない。

「その理由はきっぷのいい」

その理由はきっぷのいい性格のせいだけではない。油野さんは塗装
性格のせいだけでは、戻る1

会社に勤めるサラリーマンで、地元の仲間というメンバーもそれぞ

れ営業マンや自営業など他に本業がある。いわば「兼業漁師」なの

だ。

 

(福浦港に底引き船団)

七塚の漁業は明治時代までは地引き網漁や刺し網漁が多かった。し

かし、沿岸部のイワシやサバが減ると、次第に底引き網漁が主流に。

30隻を超える七塚の底引き船団は、志賀町の福浦港を拠点に活動

し、船団が所属する南浦漁協は県内で指折りの売上高を誇った。

 

 

2隻の底引き網船を所有し、南浦漁協の組合長も務めた堂久八さん

(80)=白尾=は「ニギスの漁獲高は南浦漁協が日本一だった。

大卒初任給が月1万5千円の時代に中卒の坊やの乗組員が6万~1

0万円稼いどった」と振り返る。

 

ところが平成に入ると、魚価が低迷し、後継者不足も顕在化した。

地元に漁港がないため経費もかさみ、漁をやめる人が相次いだのだ。

七塚沖にワイングラス型の漁港を設置する計画もあったが、いつの

間にか立ち消えになった。

「時代の波には逆らえず」

時代の波には逆らえず、2016(平成28)年までに七塚の底引
2016(平成28)年、戻る2

き網漁は姿を消した。隆盛を誇った南浦漁協(06年の県漁協統合

以降は南浦支所)は「出張所」に格下げされ、事務所などの施設も

売却。現在の南浦出張所は、運営部会長の自宅が事務所を兼ねてい

る。

 

(仲間と朝飯「うまい」)

油野さんの父親も底引き網漁船の乗組員で、引退後に小型船を購入

し、沿岸部で刺し網漁などにいそしんだらしい。そして、父親が亡

くなって船を譲り受けた油野さんは、サラリーマンを続けながら、

土日に漁に出る生活になった。地引き網漁は6年前、このままでは

七塚の伝統漁がついえてしまうと、支所の関係者から頼まれて始め

たという。

 

もうからないだけならまだしも、赤字に陥りかねない地引き網漁を

なぜ続けるのか。ひと仕事を終えた油野さんに尋ねた。「海が好き

やしな。それに漁が終わって仲間とわいわいしながら食う朝飯がま

たうまいんや」。波打ち際で紫煙をくゆらせながらガハハと豪快に

笑った。

「南浦出張所に所属する」

南浦出張所に所属する漁師は油野さんを含め、わずか10人。七塚
漁師は油野さんを、戻る3

の漁業の未来は決して明るいものではない。しかし、本業ではない

にせよ、現役の漁師たちは底抜けに明るく、今もなお、海とともに

生きている。海と砂丘のまち七塚、伝統漁守るサラリーマン、漁協

は「出張所」に、福浦港に底引き船団。かほく市の七塚の30隻を

超える底引き船団は志賀町の福浦港を拠点に活動し、所属する南浦

漁協は県内で指折りの売上高を誇った。七塚がこんな凄い底引き船

団だったとは全く知らなかった。特に「ニギスの漁獲高は日本一だ

ったそうです。

 

 

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第7波で保健所逼迫、自宅療養の問い合わせ増、金沢市、1日800人に連絡

(第7波で保健所逼迫、自宅療養の問い合わせ増、金沢市、1日8

00人に連絡)

新型コロナの流行

新型コロナの流行「第7波」で感染者が急増し、健康観察や相談対



内部リンク

応に当たる石川県内の保健所業務が逼迫している。県や金沢市は応

「第7波」で感染者が急増し

援職員の派遣に加え、感染者への連絡をメールに変更するなどして
健康観察や相談

外部リンク

効率化に努めるが、業務量は拡大する一方だ。専門家からはコロナ

 

が全数把握の「2類相当」になっていることに関し、柔軟な運用を

すべきとの声が上がっている。

(効率化、メールに変更)

「陽性との届け出があり連絡しました」「濃厚接触の方はいますか」

 

27日午後4時半、金沢市西念の市保健所では、職員が感染者への

連絡の業務に追われていた。電話のコール音が響く中、受話器を片

手に聞き取った患者の状況などを書き留めていた。

「感染者に連絡し、症状や」

感染拡大を受け、今月19日以降は1日当たり800人前後の新規

感染者に連絡し、症状や重症化リスクの有無などを確認している。
重症化リスクの有無、戻る1

持病の有無や年代などを基に優先順位を決めており、連絡が2日後

になるケースもある。自宅から医療機関への移送手配に関する業務

がほぼなくなった一方、自宅療養の軽症者からの電話相談が増えて

いるという。

 

市は、他部署からの職員派遣などで保健所の人員を通常の42人か

ら62人体制に増強。感染者への第一報の連絡を携帯電話のSMS

(ショートメッセージサービス)に切り替えた。

 

ただ、絶対的な業務量が増加しており、コロナ担当の地域保健課職

員25人のうち17人は、7月の時間外勤務時間が既に過労死ライ

ンとされる月80時間を上回っている。越田理恵所長は「日付をま

たいで勤務したり、休日出勤したりする場合もある。応援職員の協

力で何とか乗り切りたい」と話す。

一方、県保健所でも今月下旬から患者への連絡を電話からスマート

フォンのメールに切り替えた。感染者が多い石川中央、南加賀の2

保健所には、県庁から職員を派遣している。

 

「県職員の一人は感染者は」

(「インフル並みに」)

県職員の一人は「感染者は今後も増える可能性があり、職員数は正
今後も増える可能性、戻る2

直言って足りない」と漏らす。別の県職員は感染症法上の分類を2

類相当から5類相当に引き下げる案について「現場の負担を減らす

ため、5類に引き下げ、インフルエンザのように定点把握に変える

ことも選択肢ではないか」と話した。

(開業医「てんてこ舞い」)・発熱外来やワクチン接種

コロナの感染拡大には金沢市内の開業医も頭を悩ませている。市医

師会長を務める半田内科医院(同市小立野3庁目)の鍛治恭介院長

は「発熱外来だけで1日に10~20人が来院し、さらにワクチン

接種が多い時には30人、市民対象の健診が10人弱など、最近は

毎日てんてこ舞いだ」と語った。

「ここ10日ほど、開院から1時間以内に発熱外来の予約が埋まっ

てしまう」話すのは、さかもと内科クリニック(同市古府2丁目)

の坂本茂夫院長。診察希望者が多いため、症状がない濃厚接触者は

断っているといい「重症化しそうな人を優先せざるを得ない」と苦

しい胸の内を語った。

「みずきクリニック」

みずきクリニック(同市みずき1丁目)の木村寛伸院長は「ワクチ
木村寛伸院長は、戻る3

ン接種希望者と発熱外来の受診者が接触しないように配慮している」

と話した。

(2病院に発熱外来)・31日、金沢市医師会

金沢市医師会は日曜日の31日、かがやきクリニック(同市疋田1

丁目)とはしもと医院(同市玉川町)に発熱外来を設ける。時間は

午前9時~午後0時半。県と県医師会は21日、各地の医師会に、

休日や夜間の当番医態勢の充実などを求める通知を出している。第

7波で保健所逼迫、自宅療養の問い合わせ増、金沢市、1日800

人に連絡。ここに来てコロナのBA5の感染者が急増している。保健

所は過労死ラインを超える時間外勤務をしている所が急増している。

その上、休日勤務までしているのである。これではいつ過労死する

人がでても不思議ではない状況だ。何とかして過労死は防がなけれ

ばならない。みんなで知恵を出し合って協力してもらいたい。医療

従事者には感謝しかありません。

 

 

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日本韓国破りV、サッカーEー1選手権、4大会ぶり2度目、後半3発W杯へアピール

(日本韓国破りV、サッカーEー1選手権、4大会ぶり2度目、後

半3発W杯へアピール)

サッカーの東アジア

 

(先制の相馬MVP)

サッカーの東アジアEー1選手権は27日、愛知・豊田スタジアム



内部リンク

で男子の最終戦が行われ、日本は韓国に3ー0で完勝し、2勝1分

Eー1選手権は27日

けの勝ち点7で4大会ぶり2度目の優勝を果たした。女子代表「な
愛知・豊田スタジアム

外部リンク

でしこジャパン」とそろっての大会制覇は初めて。

 

後半に相馬(名古屋)が先制し、佐々木(広島)町野(湘南)が加

点した。最優秀選手(MVP)には相馬が選ばれた。韓国は2勝1敗

の勝ち点6で2位。対戦成績は日本の15勝23分け40敗となっ

た。

「国内組の日本は」

(後半3発W杯へアピール・急造チーム「資質」証明)

国内組の日本は「Jリーグの価値を示す」が合言葉だった。空席が
Jリーグの価値を示す、戻る1

目立つ今大会、谷口は「国内組で、期待されていない雰囲気も感じ

た。でも、素晴らしい選手がいると証明したかった」と言う。J選

抜がW杯前国内最終戦で意地を見せ、ライバル韓国に完勝した。

先発はJ1首位の横浜M勢が軸。鋭い出足で球際も屈せず、サイド

の連携もスムーズだった。後半4分、右で組み立てて藤田が逆側へ

クロスを送り、相馬が先制。同19分にはCKから佐々木が加点し、

同27分は藤田ー西村ー小池龍とつないで、町野がダメを押した。

 

前半40分にミドルシュートを打たれると、20歳の藤田が寄せの

甘かった26歳の小池龍を怒鳴りつけた。同じような声がけを欠か

さない水沼は、急造チームでも「声で解決できることはたくさんあ

る」と言う。活動期間の短さを言い訳せず、できることに全力を注

ぐ。初招集の面々も、代表に求められる資質を示した。

 

「前回優勝した2013年」

前回優勝した2013年大会から柿谷(名古屋)らがW杯ブラジル
大会から柿谷(名古屋)、戻る2

大会に滑り込んだ。森保監督は今大会から継続的に呼びたい選手が

いるかどうかを問われ「イエス」と断言。カタールへの道を切り開

く3試合になったかもしれない。

 

(相馬、持ち味発揮)

後半の立ち上がり、日本は相馬が持ち味を発揮して均衡を破った。

右から藤田がふんわりと出した浮き球に反応して自慢の快速を飛ば

す。遠い側に走り込んで頭で合わせた。さらには左CKで佐々木の

得点をアシスト。「とにかく結果。数字だけが目標」と語る通り、

W杯のメンバー入りへ猛アピールした。

 

(よくやってくれた)森保一・男子日本代表監督

Jリーグの価値、日本のサッカーの価値を上げようと、みんなが志

してくれた。優勝して価値を認めてもらおうと、選手たちが本当に

よくやってくれた。

「日本はわれわれより」

(優勝にふさわしい)ベント男子韓国代表監督

日本はわれわれより90分間を通して良かった。妥当な勝者だと思
90分間を通して、戻る3

うし、優勝にふさわしい。ベストを尽くしたが、ミスが多すぎた。

これだけミスをすれば代償を払わないといけない。

 

 

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谷本前知事に名誉県民贈呈、「石川の時代到来予感」馳知事を激励、7並び「記憶に残る」

(谷本前知事に名誉県民贈呈、「石川の時代到来予感」馳知事を激

励、7並び「記憶に残る」)

県は25日、谷本正憲

県は25日、谷本正憲前知事(77)=県公立大学法人理事長=に、



内部リンク

名誉県民の称号記を贈った。県庁で行われた贈呈式で谷本氏は「石

前知事(77)

川が日本海側トップランナーとなるための足掛かりは築けた」と7
県公立大学法人理事長

外部リンク

期28年の任期を振り返り、「これから石川の時代が到来する予感

 

がする。個性に磨きをかけ続け、他県の追随を許さない石川を目指

してほしい」と馳知事ら現執行部を激励した。

馳知事はあいさつで「常に県民本位の姿勢で、県民生活の安全安心

の確保やハード・ソフト両面から県の発展に向けた取り組みを進め

てきた」と谷本氏の実績を高く評価。「気さくな人柄で、県民と県

庁の距離を縮める努力をしてきたことにも県民を代表して敬意と感

謝を申し上げたい」とたたえた。

 

続いて石田忠夫県議会議長は、交流基板の整備をはじめ、ものづく

り産業や高等教育機関の集積を進めてきたことに触れ、「豊富な識

見と尊い経験を基に、一層の力添えをお願いする」と祝辞を述べた。

 

式では馳知事が谷本氏に称号記を手渡し、名誉県民章を首にかけた。

副賞100万円の目録も贈られた。谷本氏の妻委香さんが同席し、

最後に記念撮影が行われた。名誉県民選考委のメンバーも出席し、

夫妻を祝福した。

「夢にも思わず」

終了後、記者団の取材に応じた谷本氏は、1992年の名誉県民条

例制定に当時副知事として携わったことに触れ、「私が対象になる

とは夢にも思わなかった。こんなにうれしいことはない」と喜びを

口にした。

 

「今後は県公立大学法人の」

今後は県公立大学法人の理事長としての職務をこなしながら、「一
理事長としての職務を、戻る1

県民の立場から県政発展を見守り、意見を求められれば率直に申し

上げていきたい。協力できることはしていきたい」と話した。

 

(委香さん「県民に感謝」)

委香さんは「主人の7期28年の仕事を、こうした形で評価しても

らえたのは大変光栄で、うれしく思う。あらためて多くの県民の皆

さんに心から厚く感謝を申し上げたい」と語った。

 

名誉県民は、首相をはじめとする三権の長の経験者や、学術、文化

の振興に尽くした人物を顕彰する趣旨で92年に条例が制定された。

谷本氏のほかに生理学者の勝木保次、工芸家の蓮田修吾郎、元知事

の中西陽一、陶芸家の浅蔵五十吉、大樋陶冶斎、元首相の森喜朗の

各氏が選ばれている。

 

(谷本節」全開)

贈呈式のあいさつで谷本前知事は「名誉県民の称号をいただくにあ

たり、家内に言われて気付いたことがあった。7という数字がやけ

に重なっている」と指摘した。

「7期にわたって知事を務めた」

7期にわたって知事を務めた自身が、77歳の年の7月に7人目の
77歳の年の7月に、戻る2

名誉県民称号を受けたとし、「もう一つは歓迎すべきことでないが、

現在はコロナの第7波。そんな中でも感染防止策を講じて式典を開

催していただいた」と述べた。

 

「あと2日後なら27日で7が七つだった」と語る一方、「これは

単なる偶然でないと思う。あらためて私にとって記憶に残る日にな

った」と感慨深げな表情を浮かべた。

 

式後の懇談でも「谷本節」は全開だった。知事在任中は控えていた

車の運転再開をにらみ「先の3連休は自動車教習所でみっちり特訓

してもらった」と報告。「40キロで猛スピードに感じた」「エン

ジンが鍵を回すのでなく、ボタンになっていて驚いた」などと息つ

く間もなく話し続けた。

 

いつもは口数の多い馳知事がほとんど入り込めないほどの多弁ぶり

で、懇談を見守った関係者の一人は「引退しても全く衰えていない」

と驚いた様子だった。

「一方、馳知事の評価について」

一方、馳知事の評価について記者団に問われた際は「極めて常識的
記者団に問われた際は、戻る3

な県政運営をされていると思う。これからに期待している」と語っ

た。谷本前知事に名誉県民贈呈、「石川の時代到来予感」馳知事を

激励、7並び「記憶に残る」。谷本前知事が石川の県政運営を7期

28年にわたって成し遂げたのは本当に立派だと思います。いろん

な人の協力があったからこそ出来たのでしょう。谷本氏自身も言っ

ていますがとにかく人に恵まれたと。谷本氏の石川県への貢献は大

きなものがあります。まずは北陸新幹線の東京までの運行、次に能

登空港、それから小松空港の整備と拡張予定、金沢城の整備と拡張

そして金沢駅の整備と拡張など数多くの貢献をされています。今度

は北陸新幹線の敦賀以西の工事があります。これは馳知事に任せま

しょう。谷本前知事は温厚で誠実な人です。私は1回目の立候補す

る時から知っています。話を聞いてこの人なら間違いないと確信し

ました。今回の名誉県民栄誉章の贈呈は当然だと感じますね。奥様

も立派な方だと思います。28年も支えるのは大変なことです。こ

の夫妻は素晴らしいの一言につきます。

 

 

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星稜春夏連続甲子園、夏は3年ぶり21度目、小松大谷に4ー3、昨夏コロナで辞退

(星稜春夏連続甲子園、夏は3年ぶり21度目、小松大谷に4-3、

昨夏コロナで辞退)

第104回全国高校野球

第104回全国高校野球選手権石川大会は25日、金沢市の県立野



内部リンク

球場で決勝が行われ、星稜が2連覇を狙った小松大谷を4ー3で下

選手権石川大会は

し、春夏連続の甲子園出場を決めた。夏は3年ぶり21度目、春夏
25日、金沢市の県立

外部リンク

通じて36度目の出場となる。

 

試合は一回表、小松大谷・北村怜士の先頭打者本塁打で幕を開けた。

3点を追う星稜は二回に反撃し、続く三回に7番・津澤泰成のタイ

ムリーで勝ち越しに成功。その後は互いに投手陣が踏ん張り、星稜

が逃げ切った。

「6月から監督代行として」

6月から監督代行として指揮を執ってきた山下智将部長は「苦しい
指揮を執ってきた山下、戻る1

場面もあったが、3年生中心にまとまってプレーしていた。春のセ

ンバツはベスト8だったので、その上を目指したい」と意気込んだ。

夏の甲子園は8月6日に開幕する。

(星稜試練乗り越えV)

数々の試練を乗り越え、星稜ナインが甲子園の切符をつかんだ。昨

夏はチーム内で新型コロナの陽性者が相次いだためベスト8で無念

の出場辞退。雪辱を期して新チームを始動したものの、就任したば

かりの田中辰治監督(45)が5月に体調不良でまさかの離脱。急

きょ監督代行としてユニホームを着た山下智将部長(40)は「耐

えて勝った生徒たちに感謝です」と目に涙を浮かべた。

(代行の山下部長・親子2代甲子園采配)

決勝の相手は小松大谷。2014年決勝は星稜が0ー8から九回裏

に9点を奪う「奇跡の逆転劇」を演じ、翌15年は準々決勝で小松

大谷が0ー3から九回裏に一挙4得点でサヨナラ勝利を収めた。

 

 

因縁のライバルとの対決は、2時間24分に及ぶ「名勝負」となっ

た。ベンチ前からマウンド上の歓喜の輪を見つめた山下部長は「本

当に苦しかったです。田中監督が不在になったタイミングは、チー

ムがばらばらで、練習試合もほとんど負けましたから」と安どの表

情を見せた。

「星稜を全国区の強豪に鍛え上げた」

星稜を全国区の強豪に鍛え上げた元監督の山下智茂氏(77)=門
元監督の山下智茂氏、戻る2

前高野球部アドバイザー=を父に持つ山下部長。「監督代行」に就

いたのは2回目で、2019年に奥川恭伸投手(ヤクルト)を擁し、

春の県大会と北信越大会を9戦全勝で制覇。今大会5勝を上積みし、

連勝記録を「14」に伸ばした。

 

試合後、ベンチ裏に駆けつけた父は「よくやった。おめでとう」と

強く握手して祝福。3月に監督を退任した星稜高教諭の林和成さん

(47)も笑顔でねぎらいの言葉をかけた。

 

選手たちも重圧と闘っていた。主将の佐々木優太捕手はプレーに精

彩を欠くようになり、今大会は先発メンバーから外れた。「チーム

は本当にまとまらない時期があって、かなり悩みました」と明かし、

「気持ちでつかんだ優勝」と喜びをかみしめた。

「甲子園でも指揮を執る予定の」

甲子園でも指揮を執る予定の山下部長は「入学してすぐコロナで学
山下部長は入学して、戻る3

校に来れなかった世代。そして昨年の出場辞退。なんとか良い思い

をさせたいな、という思いが強かった。甲子園でもまず1勝」と誓

った。星稜春夏連続甲子園、夏は3年ぶり21度目、小松大谷に4

ー3、昨夏コロナで辞退。この2校のライバルはいつも凄い試合を

します。序盤ですぐに3ー3の同点になった。その後は投手戦にな

り点が入らない。3回に星稜が1点を入れて4ー3になった。そし

て9回表に小松大谷がレフト前ヒットでランナーがホームに帰ろう

とするが、星稜のレフトのバックホームが素晴らしい返球でタッチ

アウトで試合終了になった。試合後にレフトの選手が絶対にアウト

にすると凄い気迫でした。あっけない幕切れでしたが2時間24分

の素晴らしい死闘でした。両チームとも本当によく練習したのだと

思います。

 

 

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