山田白山市長死去、首長、県議ら「無念」、愛すべき男「最後まで仕事」

(山田白山市長死去、首長、県議ら「無念」、愛すべき男「最後ま

で仕事」)

10日、山田憲明

10日、山田憲昭白山市長の訃報に接した県内の首長や県議、国会



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議員らは、一様に「無念でならない」と肩を落とした。誰もが認め

白山市長の訃報に接した

る人柄の良さと面倒見の良さで広く愛される存在だっただけに、
県内の首長や県議、

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「現実としてけ止められない」と涙する人も。「最後まで仕事を

 

するんだという情熱、執念があった」と、病を押して公務に向かい

続けた姿に政治家としての覚悟を感じ、胸を打たれたとの声も聞か

れた。

 

「言葉にならない。まだ受け止められない」。かねて親しかった井

出敏朗能美市長は声を震わせ、「バランスの取れた市政運営は自分

の道しるべにもなっている」としのんだ。前哲雄河北町長は「兄貴

のような存在。あれだけ気遣いのできる人はいない」と惜しみ、栗

貴章野々市市長も「言葉に表すことができない強いショックを受け

ている」と沈痛な面持ちで語った。

「南加賀の首長では最年長で、

(議場で落涙)

南加賀の首長では最年長で、豊富な政治経験で誰からも頼られる存
豊富な政治経験で誰からも、戻る1

在だった山田氏。宮橋勝栄小松この日の市議会の質疑で、何度も涙

で声を詰まらせながら「倒れる前日(今月5日)にも、市境の道路

整備にともに取り組もうと意欲的に話をされていた。市長としてま

だまだけん引してほしかった」と冥福を祈った。

 

5期務めた県議の同僚にも衝撃が広がった。1995(平成7)年

の初当選同期に当たる下沢佳充氏(自民)は「肝胆相照らす仲だっ

たので悲しみを禁じ得ない。私が敗戦した金沢市長選で、旗蟙鮮明

に応援してもらったことは一生忘れない」と悼んだ。

 

山田氏が自民入りする前の無所属県議時代、会派「地域政治研究会

(地政研)」をともに結成した矢田富郎津幡町長、山田省悟元県議

とは長年、家族ぐるみで付き合った。矢田町長は「いい男、愛すべ

き男やった。最高の盟友を失った」と目頭を押さえた。

 

「矢田氏によると、山田氏は」

(公務のため転院)

矢田氏によると、山田氏は金大付属病院に入院中は外出が認められ
金大付属病院に入院中は、戻る2

ず、病院から市役所へ通えるようにと公立松任石川中央病院に転院

したという。「真面目すぎる男だった」と人柄をたたえた。

 

山田省悟氏が7日に病室を見舞った際は「ノリちゃん、来たよ」と

声を掛けると、まぶたがぴくぴくと動いたという。「立場が変わっ

ても仲良くしてもらった。市長にふさわしい人物で、大事な友達だ

った」と悲しみをこらえた。

 

自民県連会長の宮本周司財務政務官は10日夕、自宅を弔問に訪れ

た。「回復を願っていた。つらく悲しく残念な気持ちでいっぱい」

と頬をぬらし、後任を選ぶ市長選については「佐々木紀衆院議員

を中心に白山市の自民支部、県市議らで話をしないといけないが、

今は整理が追いついていない」と述べるにとどめた。

 

山田氏が吉野谷村長、自身が副知事の頃から親交がある県公立大

学法人理事長の谷本正憲前知事は2月上旬に懇談したのが最後に

なったとし、「80数キロあった体重が64キロに減ったと言い

ながら、白山手取川ジオパークの世界ジオ認定でいかに市を発展

させるかをとうとうと語っていた。

仕事への使命感が人一倍強かった」と表情を曇らせた。

(思い出ありすぎる)
「馳浩知事は記者団の取材に対し」

知事

馳浩知事は記者団の取材に対し「議会の最中で倒れたことを思う
議会の最中で倒れたことを、戻る3

と無念でならない」と語り、「思い出はありすぎるぐらいある」

と追悼した。山田白山市長死去、首長、県議ら「無念」、愛すべ

き男「最後まで仕事」。山田白山市長や小松市長のことはあまり

よく知らない。何かがあった時新聞やテレビで知るくらいです。

議会の最中に倒れたようで本人も地元住民も残念でならないでし

ょう。白山市長は本当に立派な人だったことはよく理解できます。

本当に惜しい人を失いました。

 

 

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金沢港再出発、国際クルーズ寄港、狙いは「超富裕層」「発着」、

(金沢港再出発、国際クルーズ寄港、狙いは「超富裕層」「発着」

10日午前8時、ドイツやスイスなどの乗客約500人を乗せたド

10日午前8時、

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イツの客船「アマデア」が金沢港に入港した。3年半ぶりの外国客

ドイツやスイスなどの

船の寄港に、県関係者は一様に安堵と喜びの表情を見せた。
乗客約500人を乗せた

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「クルーズ船は富裕層をたくさん迎えることができる交通手段だ。

どんどん寄港を増やしていきたい」。内田滋一県商工労働部長はク

ルーズターミナルに次々と入る外国人を出迎えながら意欲を語った。

 

県の調査では、欧米系の高級客船の乗客が金沢で消費する平均額は

1人当たり約3万4千円。国内日帰り旅行者の約2倍の経済効果だ。

アマデアも富裕層の多いラグジュアリー船。市内観光から港に戻っ

た乗客の中には金箔店や和菓子店などの袋を両手に提げた人も見ら

れた。

 

「港の格が上がる」

金沢港は今年、国内外から40本の寄港を見込む。米国のダイヤモ

ンド・プリンセス、「海の女王」の呼称で知られる英国のクイーン

・エリザベスなど有名豪華客船もあるが、県が誘致に力を入れたの

は別の船だ。

「金沢の観光地としての魅力は十分に理解している。高級なお客さ

まにも喜んでもらえるでしょう」

 

2月上旬、オーストラリアの船会社「シーニック・クルーズ」を訪

れた県港湾活用推進室の職員は、同社の担当者から誇らしい言葉を

掛けられた。

「現地で称されるほど憧れの存在」

同社の客船は「いつかはクラウン」ならぬ「いつかはシーニック」

と現地で称されるほど憧れの存在。一般的な国内クルーズが40万
一般的な国内クルーズが40万、戻る1

~50万円であるのに対し、こちらは安くても200万円近くする

ため、乗客のほとんどが「超富裕層」となる。

 

県は2018年から誘致を続け、6月9、25日に「シーニック・

エクリプス」の初寄港を取り付けた。

 

今月21日と4月4日にはモナコの船会社「シルバーシー・クルー

ズ」のシルバー・ミューズが初めて入港する。同船も乗客は超が付

く富裕層が多く、業界では「シルバーシーが来れば港の格が上がる」

とも言われるという。

 

県の担当者は「海外の富裕層による経済効果は観光産業に潤いをも

たらしてくれる」と歓迎する。

 

「もう一つの客船誘致の柱は」

(見本市に出展へ)

もう一つの客船誘致の柱は「発着型」だ。旅を終えて下船する人、
旅を終えて下船する人、戻る2

別のツアーで新しく乗り込む人が寄港地で前後泊する傾向があり、

先述の調査での乗客平均消費額は約4万5千円に増加した。

 

その経済効果を期待できる機会は4、5月に訪れる。ニュージーラ

ンドの船会社「ヘリテージ・エクスペディション」が金沢港発着の

クルーズを初めて実施することになった。

 

県や金沢市、金沢港振興協会はコロナ禍の最中もオンラインで船会

社の誘致活動を継続した。40本という寄港数にその成果が現れて

いる。ただ、コロナ禍前の最多55本に届き、追い越すには、さら

なる売り込みや工夫が必要となる。

 

次の一手として、県は3月27~30日に米・フロリダで開催され

世界最大のクルーズ見本市に出展し、各国から集まる船会社や旅

行会社に魅力を発信する。

 

アマデアは10日午後6時半ごろ、次の寄港地である新潟へ向け出

港した。乗客からは「歴史を感じられ、きれいなまちも良かった」

との喜びの声が聞かれた。

「港が日本海側の拠点として」

とはいえ、受け入れの「成功例」はまだ40分の1に過ぎない。金

港が日本海側の拠点港として再び輝くには、久々に日本の旅を体

再び輝くには、久々に日本の旅を、戻る3

感する乗客や船会社の信頼と高い満足度を獲得する必要がある。国

際クルーズが再開された今年は早速、正念場となる。金沢港再出発、

国際クルーズ寄港、狙いは「超富裕層」「発着」。金沢港は新しく

クルーズターミナルが出来たりかなり整備されてきた。しかし、も

っと有名にならないと世界中からはクルーズ客船は寄港してくれな

い。あらゆるチャンスを生かしてもっと世界中にアピールしていか

なければならない。

 

 

 

 

 

 

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学生と歩む杜の里、「第7」は金大とともに、今や観光名所の一つ、工大生が直談判

daigaku(学生と歩む杜の里、「第7」は金大とともに、今や観光名所の一

つ、工大生が直談判)

食べ盛りの若者、とりわけ

食べ盛りの若者、とりわけ親元を離れて暮らす学生にとって、安く



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てボリュームのあるメニューを提供してくれる飲食店は心強い味方

親元を離れて暮らす

だ。県外出身者が多い金大生はどうか。最近の「学生メシ」事情を
学生にとって、安く

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探ってみた。「大学の近くに店がないので昼はコンビニ」「牛丼や

 

ファストフードが中心かな」。そんな声に交じり、よく聞かれたの

が、おなじみの「第7ギョーザの店」だった。

 

「ホワイト」と呼ばれる独特のギョーザは、県内はもちろん、県外

にも多くファンを持つ。休日になると駐車場で大型のバスを見かけ

ることもあり、今や金沢の観光名所の一つといっても過言ではない。

「9日、もりの里1丁目の同店へ」

「ホワイト」豪快に

9日、もりの里1丁目の同店へ足を運んだ。「ホワイト」と大盛り
足を運んだ。「ホワイト」と大盛り、戻る1

の白米を交互かき込む学生らしき若者の姿も。豪快な食べっぷりに、

見ているこちらもおなかが空いてきた。

 

新潟出身の金大地域創造学類3年、坂上慎太朗さん(21)は「い

つも人がたくさんいるイメージ」と話し、別の学生は「具だくさん

でおいしい。大満足です」と笑顔を見せた。

 

調べてみると、「第7」の歩みは金大とともにあった。創業者は、

今年1月に85歳で亡くなった元雄久直さん。1964(昭和3

9)年に石引1丁目で店を構え、当時、小立野にあった金大工学

部のキャンパスの学生から人気を集めた。

 

「その後、89年に金大が角間へ」

その後、89年に金大が角間へ移転した後、当時、駐車場が手狭
移転した後、当時、駐車場が、戻る2

だったこともあって元雄さんは杜の里への移転開業を決断。田ん

ぼに囲まれた現在地へ引っ越した。

 

久直さんの娘で、店を切り盛りする元雄有紀社長(56)は「あ

の頃はジャスコしかなく、街灯も少なくて真っ暗だった。こんなに

にぎやかになるなんて想像できなかった」と杜の里の発展ぶりに驚

く。

 

(工大生が直談判)

「第7」といえば金大のイメージがあるが、こんな逸話も残る。久

直さんが杜の里への移転を考えていた当時、野々市市にある金沢工

大の学生がそのうわさを聞きつけ、「うちの大学の近くに来てほし

い」と直談判に訪れたという。自ら候補地を探してくる熱心な若者

もいた。

 

学生に愛された「第7」もまた、学生を愛していた。その象徴が大

盛り一杯800グラムの白米である。有紀さんによると、久直さん

は「学生さんには腹一杯食べてもらいたい」といつも話していた。

実際、この大サイズのご飯とギョーザを食べれば、大概の人は満腹

になる。

「観光客も増えたけど、やっぱり」

「観光客も増えたけど、やっぱり学生さんを大事にしたい。ギョー
学生さんを大事にしたい、戻る3

ザを食べれば、金沢で過ごした大学時代を思い出す。そんな存在で

ありたい」と有紀さん。誰しも思い出の味はあるはず。そんなこと

を考えていたら、学生時代に通った定食屋に行きたくなってきた。

学生と歩む杜の里、「第7」は金大とともに、今や観光名所の一

つ、工大生が直談判。大学時代が人生で最高の時代ではなかろう

か。部活と勉強に自由に好きなだけ頑張れます。人生の基礎が作

れます。本当に素晴らしい時間を過ごしました。特に一緒に部活

をやった連中とは、70歳になった今でも交流があります。テニ

ス部は本当に楽しかったと思います。

 

 

 

 

 

 

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