万感「歴史つないだ」、ツール・ド・のと最終日、3日間411キロ走破

北國新聞創刊130年記念「ひゃくまん穀プレゼンツ第35回ツー

北國新聞創刊130年記念

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ル・ド・のと400」(同実行委)は最終日の18日、七尾市から

ひゃくまん穀

金沢市までの138・2キロで行われた。明治時代、北陸で初めて

プレゼンツ第35回

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開催された「自転車大競走」を源流とする伝統の大会で3日間計4

 

11キロを走り抜いた参加者は、ゴールで誇らしげに完走証を掲げ

「歴史をつなぐ一員になれた」と歓喜の輪を広げた。

 

最終日は、3日間走る「チャンピオンコース」などに351人がエ

ントリーした。午前7時半に七尾市を出発し、氷見市や中能登町を

経由してゴールの石川県西部緑地公園を目指した。途中、激しい雨

に見舞われることもあったが、出場者は力強くペダルをこぎ続け、

ゴールすると互いに健闘をたたえた。

「北國新聞朝刊で「人生妙なり」を」

(3度目挑戦一青さん)

「唯一無二の大会」

北國新聞朝刊で「人生妙なり」を連載するエッセイストで俳優の一
連載するエッセイストで俳優の、戻る1

青妙さんは「3日間だからこそ、選手同士や地域との一体感が生ま

れる。ツール・ド・のとは唯一無二の大会」と3度目の挑戦を振り

返った。

 

チャンピオンコースで連続出場を続ける白山市の古川博人さん(6

0)と金沢市出身の北出裕一さん(56)は自転車大競走に起源を

持つ大会を走破したことに「伝統をつなぐ一人になれたのならうれ

しい」と感無量の表情でうなずいた。今年のチャンピオンコース参

加者で最年少となった堀井昂さん(12)=大津市=は日本海の景

色が忘れられないとし「大人になっても走りたい」と笑顔を見せた。

 

最終日は、自転車界の著名人も能登の魅力に触れた。ツール・ド・

フランスなど欧州で30年以上活動してきたサイクリングフォトグ

ラファー・砂田弓弦さん(62)=富山市=は「美しい海岸と昔な

がらの家々が残る能登は絵になるポイントばかりだ」と絶賛した。

「(40)=東京=は沿道の声援が」

全日本シクロクロス選手権マスターズで優勝経験を持つ落合友樹さ

ん(40)=東京=は沿道の声援が印象に残っているとし「これほ
印象に残っているとし、戻る2

どまでに住民の理解を得られる大会は他にない。歴史が長いからこ

そだ」と力を込めた。

 

台湾勢「来年も走る」

海外勢も能登路を満喫した。台湾から初めて参加した周茂麟さん

(49)は「美しい日本海沿いを走ったことは一生の思い出。友

達にも声をかけて来年も参加したい」と話した。「八田技師夫妻

を慕い台湾と友好の会」の徳光重人世話人代表も遠来勢をサポー

トし、完走した。

 

引退の川端さん「最高の3日間」

第1回大会からチャンピオンコースに出場し続け、今大会での引退

決めている川端明さん(75)=内灘町=は、子や孫とともにゴー

ルし、有終の美を飾った。「ツール・ド・のとは生きがい。家族や

仲間に見守られ、最高の3日間になった」と満足そうに話した。

 

川端さんは最終日、1日コースで参加した長男の大介さん(44)

孫の隼介さん(14)、あいりさん(10)とともにゴールを目指

した。県西部緑地公園では引退を知った他の選手に拍手で迎えられ、

「名残惜しい気持ちが込み上げてきたが、引退しても息子たちがい

る。今後はボランティアとして大会を支えたい」と話した。

「あいりさんはおじいちゃんの自転車を」

あいりさんは「おじいちゃんの自転車をこぐ姿がかっこよかった。
こぐ姿がかっこよかった、戻る3

大きくなったら3日間のコースに挑戦したい」と笑顔を見せ、大介

さんは「父のサイクリングへの思いを引き継いでいきたい」と語っ

た。万感「歴史つないだ」、ツール・ド・のと最終日、3日間41

1キロ走破。自転車は楽しくもあり、辛いスポーツでもある。3日

間で411キロを走破するのは、かなりきついことです。観客の応

援で元気をもらって頑張るのでしょうね。それと夜の食と美酒で癒

されて走ることができるのでしょうね。

 

 

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古くても新神田、3代継ぐ「第六ギョーザ」、屋台の魂、守り続け

新神田に住んでいて、気になる店がある。クスリのアオキ御影店近

新神田に住んでいて

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く、大通りから路地に入ってすぐの「第六ギョーザの店」(神田1

気になる店がある

丁目)だ。夜になると、店先の四角く赤い看板に光がともる。

クスリのアオキ御影店

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同じように名前に数字の入ったギョーザの店で、金沢市民の頭に浮

 

かぶのは「第七ギョーザの店」(もりの里1丁目)だろう。駐車場

で大型の観光バスを見かけることもあり、広々とした店内に県内外

の客が入り交じっている。

 

これに対し、「第六」は13席ほどのL字カウンターと小上がり、

団体客用の2階席がある、こぢんまりとした店だ。7日夜、後輩2

人と店を訪ねると、若い男性数人が食事をしていた。平日だったが、

カウンターは自分たちが座って間もなく埋まった。

{お客さんと近い距離で商売をしたい」

(客と近い距離で)

「お客さんと近い距離で商売をしたいというのは、創業当時からの
というのは、創業当時からの、戻る1

思いですね」。3代目の上野雅由さん(54)はこう話す。店は上

野さんと、2代目の父、妹の3人で切り盛りする。

 

上野さんによると、店は1955(昭和30)年ごろに創業した。

「第七」のルーツにもなった金沢のギョーザ店で働いていた祖母

が独立し、簡素な屋台を構えたのが始まりという。

 

創業から変わらないのが「ニンニクなし、ニラ多め」のギョーザ

だ。味付けは秘密。カリッと焼き上がったギョーザは肉汁があふれ、

味はしっかりしているのに、あっさりしている。上野さん考案の

「シソギョーザ」は、シソの風味が食欲をそそり、箸もビールもど

んどん進んだ。

{第六」の特徴は、ギョーザ以外の」

「第六」の特徴は、ギョーザ以外のメニューの豊富さだ。おでんに
メニューの豊富さだ。おでんに、戻る2

クリームコロッケ、刻みネギをはさんだ「厚揚げのサンド焼き」、

刺し身など。上野さんは「昔から居酒屋に近いメニューが多く、屋

台の雰囲気を受け継いでいると思う」と振り返る。

 

(地域に支えられ)

大学卒業後に就職した医薬品卸業の会社を退職し、26歳ごろに店

に入った上野さん。両親の働きぶりや来店客とのふれあいに魅力を

感じ、家業を継ぐことを決意したという。

 

アットホームな雰囲気に常連も多く、店内には、常連客から贈られ

た店の絵が飾られている。学校の集まりでも利用され、中村町小の

児童からは校下の職業人の取材を受けた。上野さんは「地域の人に

支えられている」と感謝を口にした。

{新しい住民も多い新神田・神田」

新しい住民も多い新神田・神田エリアだが、田や畑しかり、店しか
エリアだが、田や畑しかり、戻る3

り、昔から引き継がれる地域の魂もある。古きを大切にし、新しき

を受け入れる。そんな懐深い一面がこの地域にはある。古くても新

神田、3代継ぐ「第六ギョーザ」、屋台の魂、守り続け。「第七ギ

ョーザは食べたことはないが」、「第六ギョーザは食べたことがあ

る。非常においしいギョーザだった」。地域に支えられて常連客が

多いのも店にとってはありがたいことです。

 

 

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日曜特番、レジェンド「もっと人呼べる」、景色、運営、声援を評価

今大会には、「自転車界の長嶋や王」とも称される著名サイクリス

今大会には、自転車界の

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トたちが集った。風光明媚な能登の風景や沿道の声援、豊かな食な

長嶋や王とも称される

どを楽しみ、「国内外からもっと人を呼び込める大会だ」と口をそ
著名サイクリスト

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ろえた。

「大石一夫さん(62)=長野県安曇野市=は

大石一夫さん(62)=長野県安曇野市=は世界選手権やアジア大
世界選手権やアジア、戻る1

会で日本に選ばれ、1990年には国際サイクルロードレースで総

合優勝に耀き、「レジェンド」と呼ばれる存在。1日で終わること

が多い他のイベントと比べて、ツール・ド・のとの3日間は充実感

があるとし、「小学生から高齢者まで幅広い層が参加でき、3日間

も風景と食を堪能できる」と語った。

「三浦恭資さん(62)大阪府河内長野市は」

三浦恭資さん(62)大阪府河内長野市は、ソウル五輪でロードレ
ソウル五輪でロード、戻る2

ース代表、アトランタ五輪マウンテンバイククロスカントリー代表

と種目を選ばぬ活躍から「キング」の愛称で知られる。「道沿いで

手を振ってくれる姿に感動した」と温かな住民の歓迎が印象に残っ

たという。タイムを競うのではなく、参加者同士が互いに風よけと

なるなど助け合って完走を目指すことも「最高の贅沢」とした。

「1997年ジャパンカップで優勝し」

1997年ジャパンカップで優勝し、シドニー五輪でロードレース
シドニー五輪でロードレース、戻る3

日本代表に選ばれた阿部良之さん(54)=大阪府和泉市=は、日

本海や昔ながらの街並みを楽しめるコース設定やチェックポイント

の充実した振る舞いなどを特徴に挙げ、「スピードを競わないこと

で間口が広い。自転車競技を始めたばかりの愛好者にうってつけの

大会だ」と力を込めた。日曜特番、レジェンド「もっと人呼べる」

景色、運営、声援を評価。タイムを競うのではなく完走を目標に

している大会である。「小学生から高齢者まで幅広い層が参加で

き、3日間も風景と食を堪能できる」。他のイベントは普通1日

で終わることが多い。ツール・ドのとの3日間は充実感がある。

 

 

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熱い沿道「能登は格別」、三大老舗レースの一つ、参加者に熱い声援を送る地域住民

きらびやかな銀輪の列に、沿道から大きな声援が送られた。16日

きらびやかな銀輪の列に

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に開幕したツール・ド・のと400。全国各地に自転車大会はあれ

沿道から大きな

ど、愛好者の多くは「能登は格別。やみつきになる」と口をそろえ
声援が送られた。16日

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る。人気の理由は何か。サイクリストに同行し、能登の海岸線を進

 

むと、明治期の「北國新聞社自転車大競走」に通じる沿道の熱気が

あった。

 

午前7時前、スタート地点の金沢市の県西部緑地公園には全国約5

70人が集まり、今か今かと号砲を待っていた。常連も多く、選手

同士の絆は深い。出発前からお祭りムードが漂う。

「頑張って いってらっしゃい」

沿道も楽しげだった。

「頑張って」「いってらっしゃい」。能登らしい黒い瓦屋根が続く
能登らしい黒い瓦屋根が続く、戻る1

住宅前で、孫をだきかかえた高齢者がにこやかに声を掛けていた。

黄金色の稲穂が揺れる田んぼでは老夫婦が手を止めて、笑顔を向け

た。道ばたでビールケースに座って観戦する人も。この日を楽しみ

にしていたようだ。

 

ひときわ大きな歓声が飛んでいたのは、輪島市門前町の曹洞宗大本

山總持寺祖院に近い總持寺通り商店街。初日のコースで最も難所と

言われる海抜200メートルを超える円山峠にさしかかる直前だ。

 

旗を手にした地元住民が集まって、「ほら、もうちょっとで輪島や

ぞ」と全てのランナーに笑顔で声を掛ける。陶器店を営む澤田由紀

子さん(74)は、「ちっちゃい子どもが一生懸命こいどる姿をみ

とるだけで、涙出てくる。人がくるだけでうれしくなる」と道路に

飛び出んばかりの勢いで両手に持った旗を振っていた。

昨年に続いて参加した大阪府和泉市の辻川登志子さん(61)は

「沿道の笑顔と声で力が湧いた。今年の目標は全ての声援に笑顔で

応えることです」とほほ笑んだ。

「ツール・ド・のと」はタイムを競う」

「ツール・ド・のと」はタイムを競う賞金レースとは違う。起伏に
賞金レースとは違う。起伏に、戻る2

富んだ能登の景観美、地元の温かなサポートが名物だ。国内の自転

車レースは、北海道、沖縄、そして能登が三大老舗レースと言われ

るそうだ。「のと」が35回の歴史を重ねたのは、選手の奮闘に地

域が応え、もてなしの輪を広げてきたからだろう。

 

1906(明治39)年、北國新聞社が主催した「自転車大競走」

は、長距離ロードレースとして北陸で初めて行われ、大盛り上がり

となった。当時の北國新聞には、選手が黒山の人だかりをかきわけ

て尾山神社前を出発したとの記事が載る。レースは参加する人、見

守る人の心に火を付ける。それは令和の今も変わらない。

「1日目を無事に走りきった選手たちは夜」

1日目を無事に走りきった選手たちは夜、能登のおいしい料理と美
能登のおいしい料理と、戻る3

酒で疲れを癒やした。鋭気を養い、最終日まで能登一周を走りきる。

117年前に負けないドラマがまだまだ繰り広げられそうだ。熱い

沿道「能登は格別」、三大老舗レースの一つ、参加者に熱い声援を

送る地域住民。この自転車大競走はタイムを競う賞金レースとは違

う。選手の頑張りと観客の応援と、もてなしが目的のようです。選

手と見守る人が互いに励まし合いレースが成立するようですね。素

晴らしいことだと思います。

 

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