先日、人口戦略会議が公表した「消滅可能性自治体」。若年女性人
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口が2050年までに半減するというリストから、宝達志水町以北
で唯一、中能登町が対象から外れた。能登地区は過疎化に歯止めが
自治体。若年女性人
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掛からず、地震で拍車が掛かることも想定される。毎年400人が
転入し、人口減が比較的織やかな「選ばれる町」の秘密を探った。
大型連休明け最初の週末となった12日、アル・プラザ鹿島は多く
の親子連れでにぎわっていた。1階の生鮮食品売り場では女性が夕
飯のメニューを思い描きながら品定めし、2階のゲームコーナーか
らは子どもの笑い声が聞こえる。
同じ敷地内には県内最北のマクドナルドや、ファミレス、ボウリン
グ場などがあり、駐車場はいつもそこそこ埋まっている。4年前に
移住してきた30代女性も「ある程度のものはそろう。本当に助か
っている」と買い物に不便は感じていないようだ。確かに中能登支
局に赴任した時も、テーブルや椅子などはアル・プラザ内で調達し
たし、日用品の補充も、たいてい事足りるだろうと足が向く。この
地で暮らしていると、鹿島のアルプラは「町の顔」のような存在に
なっていると感じる。
「アル・プラザ鹿島が開業したのは」
(消費の8割が町外)
アル・プラザ鹿島が開業したのは、旧鹿島町時代の1995(平成
旧鹿島町時代の1995、戻る1
7)年11月1日。当時の鹿島町には繊維業者が多かった一方で小
売業者が少なく、町民の消費の8割は町外に流れていたという。
「このままでは鹿島はさびれていく一方だ」。そんな危機感を抱い
た地元小売業者の団体「かしま商業開発協同組合」が希望を見いだ
したのが、大型ショッピングセンター誘致の構想である。大型店と
地元の商店が共存し、活性化を図ろうとしたのだ。
しかし、道のりは平たんではなかった。元々は田畑だった土地に大
型商業施設を誘致するスケールの大きさに、県の関係者からは、人
類初の有人月面着陸に例えて「アポロ計画のようだ」と揶揄された
こともあった。「本当に月に行くよりも難しいかと思いました
よ」。当時、鹿島町商工会で経営指導員を務めていた廣田隆弘さん
(86)はこう振り返る。
「実際、当初は核テナントとしての出店を
実際、当初は核テナントとしての出店を求めていたジャスコとは地
求めていたジャスコとは、戻る2
元主導を貫く組合側の計画と折り合いがつかず、アル・プラザを展
開する平和堂(滋賀県彦根市)に切り替わった経緯がある。廣田さ
ん自身も国や県などと何度も交渉し、資金の工面に奔走した。
(初日に6万人来店)
構想が浮上してから10年。ようやくこぎ着けた開店の様子を報じ
た北國新聞によると、初日に6万人が来店した。当時の鹿島町の人
口が9千人弱だから、数字からもその熱狂が伝わってくる。店の前
を通る鹿島バイパスには駐車待ちの列が約4キロ離れた七尾市まで
伸びていたそうだ。「その光景を見たら、こみ上げてくるものがあ
りました」と廣田さん。夢の実現に感極まった。
「開業後は、バイパスを挟んだ敷地に」
開業後は、バイパスを挟んだ敷地に家電量販店ができ、道の駅「織
家電量販店ができ、道の駅、戻る3
姫の里なかのと」も建設されるなど一帯は大きく変貌を遂げた。今
では能登最大規模の商業圏に発展し、多くの人が集まるようになっ
た。
「カネ」だけでなく「ヒト」の流れも変えたアルプラ誘致。とりあ
えずは「消滅しない」自治体となった功績の要因の一つになったで
あろうこと考えると、地元の願いを託した「アポロ計画」はしっか
り軌道に乗ったようだ。中能登は消滅しない、「アポロ計画」と呼
ばれた誘致、アルプラ、一大商業圏に。本当に中能登がこんなに発
展するとは思わなかった。この裏には多くの人の努力がある。運も
よかったのでしょう。
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