中能登は消滅しない、撤退防いだ「石動山パワー」、商業施設に分霊社。

中能登町の人口減抑制の一因とされる商業施設「アル・プラザ鹿

中能登町の人口減抑制

中能登町の人口減抑制の

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島」には、敷地の一角にぽつんと小さな神社が建てられている。

一因とされる

店舗裏側にある駐車場のさらに奥にあるため、気付かない買い物
商業施設アル・プラザ

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客も多い。

 

 

(創業者の名が刻まれ)

「伊須流妓神社」と名付けられたこの神社は、中能登町の国史跡

「石動山」にある「伊須流妓比古神社」の分霊社である。

各地のアル・プラザで勤務経験がある店長の田中重人さん(50)

は「神社があるなんて、全国でも珍しいですよ」と誇らしげだ。

 

鳥居に近づいて柱をよく見ると、名前が刻まれている。「夏原平次

郎」。アル・プラザ鹿島を運営する平和堂の創業者であり、神社の

建立にはこんなエピソードがある。

「開業の3年前、平和堂が出店を決めあぐねて」
開業の3年前、平和堂が出店を決めあぐねて

開業の3年前、平和堂が出店を決めあぐねていた頃の話。地元のか
いた頃の話。地元の、戻る1

しま商業開発協同組合との会合の場では、平和堂側から「断念」を

におわす言葉も漏れ、地元の悲願だった計画は暗礁に乗り上げそう

になっていた。

 

どうにか望みをつなごうと危機感を持った組合側の1人が、ある日

の話し合いで唐突に石動山の話題を切り出したという。「鹿島には

石動山という古代から山岳信仰の拠点とされた霊山があります」。

石動山が住民に親しまれ、歴史や文化を育んできたと熱弁したの

だ。

 

すると、信仰心があつかった夏原氏は強い関心を示し、出店を決

め、分霊社の建立まで一気に進んだ。「石動山パワー」が平和堂

の撤退を翻意させ、縁を結ぶ形となった。

「そんな経緯があったからか」
そんな経緯があったからか

そんな経緯があったからか、神社は現在も商売繫盛の守り神とし
神社は現在も商売繫盛の守り神と、戻る2

て従業員が定期的に清掃するなど大切に扱われている。建立後に

地元の熊野神社が合祀され、祭りの際には獅子舞いが披露された

り、交通安全の出発式が行われたりしたこともあり、地域に根ざ

した神社となった。田中さんも営業前に神社に立ち寄り、従業員

の安全を願うのが日課になっているそうだ。

 

(大きなけが人なし)

元日の地震では、アル・プラザ鹿島の施設内も天井が落ち、壁に

はひびが入るなど被害が出た。商品は散乱、2階の衣料品コーナ

ーなどは今も営業できず、立ち入り禁止となっている。

 

ただ、元日の営業前に神社でおはらいするのが毎年の恒例で、そ

のかいあってか、店内には多くの人がいたものの、幸いにして大

きなけがを負った人はいなかった。田中さんは「神社が守ってく

れたのかもしれない。できるだけ早く店を完全復旧させたい」と

意気込む。

「店長への取材を終えて駐車場に」
店長への取材を終えて駐車場に

店長への取材を終えて駐車場に向かうと、買い物帰りの男性が神
向かうと、買い物帰りの男性が、戻る3

社で参拝していた。尋ねると「神社を見つけたら、何となく手を

会わせたくなる」とのこと。この男性に限らず、発展を遂げたア

ルプラ一帯のように、商売繫盛を願って訪れる人は少なくないら

しい。

 

中能登町は近隣市町に比べて地震の被害が小さく、宮下為幸町長

も「災害に強い町だと証明された」と胸を張る。アルプラの分霊

社からはちょうど、石動山を仰ぎ見ることができる。この社が出

店撤退も地震被害も防いだのかもしれないと感謝しながら手を合

わせると、確かに大きな力に守られているような気分になった。

 

 

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