(インディ500で日本人の佐藤琢磨が世界を相手に2度の優勝を
勝ち取った)
インディ500で日本人の佐藤琢磨が世界を相手に2度の優勝を勝
インディ500
ち取った。2013年4月21日、佐藤琢磨がインディ500・シ
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リーズで日本人初優勝。日本のモータースポーツファンが待ちわび
た瞬間だ。
世界を相手に
モータースポーツがスポーツ紙の一面を飾るなど、いつ以来だろう
か。
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やっぱり、琢磨だった。世界的メジャー・オープンホイールレース
において、日本人初の優勝という快挙をもたらしたのは、やはり佐
藤琢磨だ。
米国最高峰の自動車レース、インディカー・シリーズは4月21日
、第3戦がカリフォルニア州ロングビーチの市街地コースで行われ
、A・J・フォイトの佐藤琢磨が1時間50分8秒7155で、念願
の初優勝を果たした。日本のモータースポーツ・ファンにとって昨
今、稀に見る朗報です。
琢磨は、日本レース界の王道を歩んでいたにも関わらず、F1界か
らのスーパーアグリ撤退以来、これまで不遇と表現しても差し支
えない年月を過ごして来た。
「ホンダが主催」
19歳でホンダが主催する鈴鹿サーキット・レーシング・スクー
19歳で、戻る1
ル・フォーミュラの門を叩くと、これを主席で卒業。即、全日本
F3選手権に参戦。2000年からイギリスF3選手権に飛び込む
と、2001年には日本人初となる同シリーズのチャンピオンに
輝き、同年F3の最高峰であるマカオGPも制した。
後にF1において、同僚となるジェンソン・バトン(2013年
当時マクラーレン)は、イギリスF3でシリーズ3位、マカオG
Pでも3位という成績。顧みると、琢磨は2009年のF1王者
をも上回る実績をひっさげ2002年、ジョーダンからF1デビ
ューを果たした。フォーミュラカートを初めてドライブして以来
、わずか5年でF1のシートを得るとは、にわかに信じがたい「
スピード出世」だ。
2003年の日本GPでは、BARホンダを駆り、6位初入賞。
2004年には、バトンと共にBARの大躍進を牽引。同年イン
ディアナポリスで行われたアメリカGPにおいて、1990年
日本GP鈴木亜久里以来、日本人として二人目となる3位表彰
台に上がった。
「この年をピーク」
しかし、この年をピークとし、琢磨のキャリアは下り始める
琢磨の、戻る2
。2005年のBARホンダは、前年の躍進が噓のように失速
。結果シートを失った琢磨は2006年から、鈴木亜久里監督率い
る「スーパーアグリ・ホンダ」から「オールジャパン体制」で参戦
。しかし、21世紀のF1においてプライベートチームは案の定苦
戦。資金難もあって、2008年にはチームとともに撤退となった
。
この後、F1シートの獲得を目指し「浪人」となるが、2010年
からインディカー・シリーズに参戦。だが、初年度は総合21位、
二年目の2011年もランキング13位に終わるなど、ドライバー
としての琢磨は「過去の人」となった感を抱かせた。
(琢磨の類まれなクレバーさ)
これまでインタビユーしてきたスポーツ・アスリートの中で、琢磨
はもっともクレバーな選手のひとりだ。
「2度目のインディ」
琢磨は2020年8月に2度目のインディ500制覇となり、複数
琢磨は、戻る3
回優勝を飾った史上20人目のドライバーという栄誉に輝いた。こ
れはもちろん日本人初の、快挙、と呼んでいい出来事でした。
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