(ヤクルト20年ぶり日本一高津臣吾監督の考え、奥川エースの仕
事秘蔵っ子で流れつかむ)
日本一に輝いたヤクルトの高津監督が優勝インタビューで語った。
「感謝、感謝、感謝です」は野村元監督が1993年に日本一に
なった時の言葉だ。亡き恩師の「ノムラの考え」を胸に自らの手
亡き恩師の
腕を確立し、選手たちの力を引き出した戦いぶりを振り返った。
「ノムラの考え」
外部リンク
高津監督は第1戦に20歳の奥川(かほく市出身、星稜高OB)第
2戦に24歳の高橋の秘蔵っ子2人を先発させ、シリーズの流れを
つかんだ。奥川は7回1失点と好投し、チームはサヨナラ負けした
ものの、今季沢村賞に輝いた山本を内容で上回った。高橋は今期1
3勝の宮城に投げ勝ってプロ初の完投を完封で飾った。
内部リンク
奥川は高津監督が2年前の就任直後にドラフト会議で1位指名した
。3球団競合で自ら当たりくじを引き「日本球界のエースにするの
が使命」と誓った。昨季最終戦でデビューさせ、今季はほぼ中10
日で起用。後半戦からは連戦の初戦を任せて先発の中心に育てた。
「日本シリーズを」
日本シリーズを前に「相手エースに投げ勝つことがエースの仕事」
相手エース、戻る1
と、山本との投げ合いに飛躍を求めた。奥川は期待に応えた。一方
で日本一まであと1勝とし、相手は山本が再び先発した第6戦には
中6日で奥川を酷使せず、高梨を先発させた。「今の勝利と同時に
10年先のチームもイメージしている」と考えがぶれることはなか
った。
高橋は奥川と競わせることで力を引き出した。2軍監督時代から速
球にほれ込んでいたが、制球難と故障で伸び悩んだ。負けず嫌いの
性格を理解し、今季は奥川が登板した翌日に先発させた。シーズン
終盤に才能が開花。大舞台で相手を圧倒した姿に「よくここまで投
げれるようになった」と目を細めた。
(奥川投手へ「さらに活躍を」
ヤクルトの奥川恭伸投手の地元かほく市では28日、チームの日本
一を喜び、さらなる飛躍を期待する声が上がった。
油野和一郎市長
油野和一郎市長は、奥川投手が登板する試合を毎回チェックしてき
奥川投手、戻る2
たといい、「大変素晴らしい活躍で本当にうれしい。さらに活躍を
重ね、いずれは市の「ふるさと大使」を委嘱できればと思う」と語
った。
(ヤクルト日本一で地元・かほく)
奥川投手の実家がある同市大崎の山名田勇一区長(69)は「本当
に頑張った。帰ってきたら住民一同で歓迎したい」とねぎらった。
奥川投手が所属
奥川投手が所属した学童野球チーム「宇ノ気ブルーサンダー」の広
学童野球、戻る3
瀬勝巳代表(56)は「日本シリーズの第7戦でもう一度投球を見
たかった」と本音を明かした上で「来シーズンこそは2桁勝利を目
指してほしい」と期待を込めた。ヤクルト20年ぶりの日本一高津
臣吾監督の考え、奥川エースの仕事秘蔵っ子で流れつかむ。
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