(海士町はいま、島は益谷王国、「足向けられん」漁港を整備、感
謝の銅像)
5日に舳倉島漁港の荷さばき所で行われた参院選の期日前投票に合
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わせて、おそらく「舳倉島史上初」の出口調査を試みた。しかし誰
も投票先を教えてくれない。「知ったもんにそんなこと言えんわ」
参院選の期日前投票に
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と海女さんたちに𠮟られた。
ん、待てよ。知ったもんにって。今まで無視されたり、逃げられ
たりしたこともあったのに「顔見知り」って認めてくれたのか。新
聞記者としてはダメなのに、なんだかうれしい。
投票先は分からなかったが、島民の言葉の端々から今の政治への望
みがうかがえた。多かったのは「漁船の灯油代アホみたいに高い」
との言葉だった。そしてもう一つ。「益谷先生だったらなあ」
「舳倉島漁港を見下ろす」
(水産日本躍進の一翼)
舳倉島漁港を見下ろす高台に、衆院議長や自民党幹事長などを歴任
衆院議長や、戻る1
した旧能登町出身の益谷秀次氏(1888~1973年)の銅像が
立っている。礎石には1963(昭和38)年8月建立、とある。
「舳倉島が日本海遠洋漁業の最前線基地として脚光を浴び、(略)
水産日本躍進の一翼を荷負うに至ったのは益谷先生の愛郷赤誠の賜
に外ならずー」
益谷氏を顕彰して、島の有志が銅像を建立した理由が、これでもか
と石板に刻まれている。
島の漁業権を管理する海士町自治会が25年前に発行した「海士町
開町350年記念誌」によると、舳倉島の港の着工は1950(昭
和25)年。大和堆などの漁場へ出漁する漁船の避難・補給港、漁
民の前線基地として整備された。
「さらに島が離島振興対策」
さらに島が離島振興対策の対象となったのは57年、その5年後に
対象となったのは、戻る2
は島民の暮らしを劇的に向上させる礎となった、定期船が夏季限定
で就航した。
島に60年以上暮らす漁師の岩多幸海さん(80)は、「政治の力」
の大きさを振り返った。「立派な港ができ、島の暮らしが良くなっ
たのも、全部益谷先生のおかげ。足を向けて寝られん」
かつて能登では、衆院議員系列だった瓦、坂本、稲村の3派の争い
が熾烈を極めた。その瓦系の「生みの親」こそ益谷氏である。
翻って現代。瓦系の流れをくむ西田昭二、益谷氏を敬愛する近藤和
也の両衆院議員が、衆院石川3区でしのぎを削る。参院県選挙区で、
島に貼られた2枚のポスターは、この両氏がそれぞれ支援する2人
のものだ。石川3区の2人のつばぜり合いの音が、日本海の真ん中
の孤島にまで響いているようだ。
「島の暮らしは本土と」
(政治家には優しい)
「島の暮らしは本土と同じように豊かになった」。投票を終えた7
同じように豊かになった、戻る3
0代の海女さんは、政治家が島にもたらした恩恵に感謝する。島の
区長である木村清成さん(65)は「島の暮らしを良くしてもらわ
んなんからな。政治家に島のもんは優しいんや」とつぶやいた。海
士町はいま、島は益谷王国、「足向けられん」漁港を整備、感謝の
銅像。私が子どもの頃から益谷氏の名前は金沢でも、有名だった。
衆院議長や自民党幹事長を歴任し政治家としての実力は凄かった。
その益谷氏が舳倉島の漁港の整備や島が暮らしやすいようになる事
業を全部やってくれたのでしょう。島民には神様のような存在だっ
たと思います。ですから銅像まで立っているのですね。
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