湧きあがれ粟津愛、銀座と呼ばれた歓楽街、コロナ下でも投資話、一等地に移転

(湧きあがれ粟津愛、銀座と呼ばれた歓楽街、コロナ下でも投資話、

一等地に移転)

人が集う所には店も

人が集う所には、店も集まる。小松市の温泉街である粟津の地にも、



内部リンク

一昔前まで「銀座」と呼ばれた繫華街があった。

集まる。小松市の温泉街

正直、今の粟津で銀座と言われてもピンとこない。しかし、粟津町
である粟津の地にも、

外部リンク

などの店舗や事業所でつくる粟津温泉商工会の専務理事で「銀なべ

 

食堂」店主の宮本和日朗さん(58)は「粟津銀座ってよばれとっ

たんや」と自信たっぷりだ。

生まれも育ちも粟津の「生粋の粟津っ子」である宮本さんによると、

「銀座」の範囲は、旅館「のとや」から粟津温泉南交差点までの約

150メートル。「飲み屋やお寿司屋さん、お土産屋さんもあり、

客がげたをカラコロ鳴らして外を歩いとった」と思い出してくれた。

 

商工会の加盟店数は、約20年前は50~60軒で今は30軒。温

泉街の店の数は往時と比べるべくもない。

「銀座通りにある根上酒販」

(色香もあった)

「銀座」通りにある根上酒販代表の根上康平さん(71)にも聞い
代表の根上康平さん、戻る1

た。小売店に混じって「スマートボールやっとる射的場があったわ。

湯治に来る客を安く泊める『木賃宿』もあった」らしい。「クラブ

やら、小さいストリップ劇場もあってんぞ」。60年ほど前の粟津

の夜の街は、お色気や猥雑さもあって、にぎやかだったのは間違い

なさそうだ。

 

(一等地に移転)

懐かしんでばかりじゃしょうがないよね。そう思っていると、厳し

いコロナ下にも関わらず、粟津銀座だった通りの交差点に面する

「一等地」に、移転開業を予定する業者がいると耳にした。詳しい

話を聞こうと、温泉街から程近い小松市戸津町の「スマイルレンタ

カー」へ向かった。

 

 

同社の代表は、商工会へ今年3月に加入した光田潤司さん(37)

「コロナが収束してきて、これから人々の動きが活発になる。い

つまでも収束を待ってられない」と、この時期での投資に踏み切

る心境を語る。年末か来年初頭での移転を計画しているそうだ。

「大阪市出身で大阪に勤めて」

大阪市出身で大阪に勤めていた光田さんは、妻の実家がある戸津
いた光田さんは、妻の実家、戻る2

町を何度も訪れて「温泉の質が良く、都会の慌ただしさから抜け

出して落ち着ける」と粟津の魅力に浸った。

 

脱サラ、移住して2020年1月にレンタカー業を始めた。間も

なくコロナの感染が広がり観光客が激減したが、抑えた価格設定

で人気を集め、住民や旅館従業員が利用したという。

新たな店に光田さんは、カフェなどや昼飲みが楽しめるスペース

も備えた事務所を構える計画だ。ベーカリーなど近隣店舗で購入

した飲食物を持ち込めるようにする考えで、「にぎやかに人が集

まる場所にし、粟津温泉を盛り上げたい」と青写真を描く。

「商工会は独自の商品券配布」

商工会は、独自の商品券配布や、日本遺産「小松の石文化」にち
日本遺産小松の石文化、戻る3

なんで石の彫刻展示など、あの手この手でにぎわい創出を図る。

「温泉すーぱー」を営む西出久義会長(72)は「温泉がある限

り、今後も新しい店は出てくるやろうし、粟津はまだ可能性があ

る。前向きにいろいろ考えてやっていく」と未来を見据える。

「銀座」の復活なるか。皆さんの話に乗せられ、そんな気分にな

ってくる。湧きあがれ粟津愛、銀座と呼ばれた歓楽街、コロナ下

でも投資話、一等地に移転。粟津温泉と言えば、法師をはじめ古

くからの旅館が多い。昔は粟津銀座と呼ばれた歓楽街があったら

しい。この頃は温泉も数多くあって栄えていたのだろう。温泉は

数が減っても歴史が長いから何とかやっていけそうな気がします。

法師は700年代に開業していますから、1300年ほど続いて

いることになります。これは凄いことだと思いませんか。凄いこ

とだと思わさせられます。

 

 

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