((署名や講演・解決訴え続け、拉致被害者5人帰国20年、「この
時計は母」)
1978年に北朝鮮へ拉致された蓮池薫さん(65)と妻祐木子さ
内部リンク
ん(66)=新潟県柏崎市、曽我ひとみさん(63)=同県佐渡市、
地村保志さん(67)と妻富貴恵さん(67)=小浜市=が200
(65)と妻祐木子
外部リンク
2年10月に帰国して、15日で20年となった。5人は仕事や生
活の傍ら、拉致問題の解決を願い、講演や署名活動で訴え続けてい
る。
北朝鮮は今年に入り弾道ミサイル発射を繰り返し、日朝関係は膠着
状態となっている。政府が認定した残る被害者12人の帰国への道
は依然遠い。待ちわびる家族の高齢化だけが進み、近年は横田めぐ
みさん=失踪当時(13)=の父滋さんらが相次いで亡くなった。
02年9月に当時の小泉純一郎首相が訪朝し、金正日総書記が拉致
を認めて謝罪。蓮池さんら5人は翌月、帰国を果たし、04年に北
朝鮮に残した子どもら7人が来日した。
(拉致被害者5人・帰国20年)
蓮池さんは、柏崎市の新潟産業大准教授として朝鮮語などを教える。
翻訳や著書の執筆に取り組み、12年には北朝鮮での生活をつづっ
た手記「拉致と決断」(新潮社)を出版した。
「佐渡市の養護老人ホームで」
佐渡市の養護老人ホームで介護の仕事をしている曽我さんは、街頭
介護の仕事をしている、戻る1
署名や講演会で、母ミヨシさん=同(46)=らの思い出や北朝鮮
での生活を語るなど精力的に活動している。夫のジェンキンスさん
は「佐渡歴史伝説館」の土産物店で働いていたが、17年12月に
77歳で亡くなった。
地村さんは勤めていた小浜市役所を16年3月に定年退職した。そ
の後は同市内で署名活動や拉致問題啓発の講演会に参加している。
富貴恵さんも福井県の嘱託職員を退職し、3人の子どもは県内企業
に就職するなどしている。
(「この時計は母」)
母から贈られた大振りの腕時計。准看護師として働き始めたころに、
患者の脈を測るのに便利だと選んだ。その後、24年に及ぶ北朝鮮
での生活と、帰国後に母を待つ20年という長い時間をともに過ご
してきた。
「この時計は母であり、何かにくじけそうになると𠮟ったり励まし
てくれる宝物」。北朝鮮に拉致された曽我ひとみさんにとって、一
緒に連れ去られた母ミヨシさんを含む被害者がもどらない限り、拉
致問題は終わらない。
19歳だった1978年8月12日、新潟県佐渡市(当時真野町)
で母と道を歩いていたところ、男3人にいきなり袋をかぶせられ、
担いで運ばれた。乗せられたのは船。ミーティング港に着くと日
本語で「北朝鮮だ」と言われた。動転したが、一緒にさらわれた
はずの母がいないのが、何より心配だった。
母は、楽ではない暮らしの中で朝は田畑を耕し、昼は工場に勤め、
夜は内職を続け、その生活に愚痴の一つもこぼさなかった。小学
校の遠足では、ウインナーと卵焼きがたくさん入った弁当を作っ
てくれた。ただ、母のおかずは少しの漬けものだけ。
「辛いから、ご飯がいっぱい食べられるんだよ」と笑っていた。
「友達の浴衣がうらやましい」
友達の浴衣がうらやましいとねだると、夜を徹して縫ってくれ
ねだると夜を徹して、戻る2
た。寒い雪の日の帰り道、「仕事が早く終わった」と駆け寄っ
てきて上着に包んでくれた。涙ににじむ思い出の中でも、いつ
も笑顔だった母。拉致された日から、会えていない。
北朝鮮では新しい家族ができた。元米兵で亡命していたチャー
ルズ・ジェンキンスさんと結婚、2人の娘を授かった。
2002年に帰国、北朝鮮に残っていた家族も04年に来日し、
佐渡市で一緒に暮らし始めた。父茂さんは05年になくなった
が、時間を共有することが実現した。家族も地元になじむ努力
を惜しまず、友人らにも支えられた。
ただ、「幸せな分、ここに母がいなきゃな」との思いは消えな
かった。そして夫は17年に亡くなった。娘2人も家庭を持ち、
今は1人暮らしだ。
北に残る拉致被害者に危害が及ぶのを恐れ、活動を抑えてきた
時期もあったが、次第に積極的に支援を呼びかけるようになっ
た。「わずかな時間でも、母ちゃんを取り戻して、ともに過ご
したい」との思いからだ。
「腕時計が傷つき電池が」
腕時計が傷つき、電池が切れるたびに母に何かあったかと不安
切れるたびに母に何か、戻る3
になる。それでも、いつか帰る日を祈りながら、時を刻む針を
見つめ続けている。署名や講演・解決訴え続け、拉致被害者5
人帰国20年、「この時計は母」。曽我ひとみさんの母親は苦
労人で良く働く人でした。母親のご飯のおかずは漬けものだけ
です。それでも辛いからご飯が進むのよと言って笑っていたそ
うです。どんなに辛くても笑顔のたえない人でした。母親の所
を読むと自然に涙が出てきて止まりませんでした。娘の弁当の
おかずはたくさん作ったそうです。自分は我慢しても娘にはひ
もじい思いをさせたくなかったのでしょうね。本当に心から感
動しました。
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