学生と歩む杜の里、「第7」は金大とともに、今や観光名所の一つ、工大生が直談判

daigaku(学生と歩む杜の里、「第7」は金大とともに、今や観光名所の一

つ、工大生が直談判)

食べ盛りの若者、とりわけ

食べ盛りの若者、とりわけ親元を離れて暮らす学生にとって、安く



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てボリュームのあるメニューを提供してくれる飲食店は心強い味方

親元を離れて暮らす

だ。県外出身者が多い金大生はどうか。最近の「学生メシ」事情を
学生にとって、安く

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探ってみた。「大学の近くに店がないので昼はコンビニ」「牛丼や

 

ファストフードが中心かな」。そんな声に交じり、よく聞かれたの

が、おなじみの「第7ギョーザの店」だった。

 

「ホワイト」と呼ばれる独特のギョーザは、県内はもちろん、県外

にも多くファンを持つ。休日になると駐車場で大型のバスを見かけ

ることもあり、今や金沢の観光名所の一つといっても過言ではない。

「9日、もりの里1丁目の同店へ」

「ホワイト」豪快に

9日、もりの里1丁目の同店へ足を運んだ。「ホワイト」と大盛り
足を運んだ。「ホワイト」と大盛り、戻る1

の白米を交互かき込む学生らしき若者の姿も。豪快な食べっぷりに、

見ているこちらもおなかが空いてきた。

 

新潟出身の金大地域創造学類3年、坂上慎太朗さん(21)は「い

つも人がたくさんいるイメージ」と話し、別の学生は「具だくさん

でおいしい。大満足です」と笑顔を見せた。

 

調べてみると、「第7」の歩みは金大とともにあった。創業者は、

今年1月に85歳で亡くなった元雄久直さん。1964(昭和3

9)年に石引1丁目で店を構え、当時、小立野にあった金大工学

部のキャンパスの学生から人気を集めた。

 

「その後、89年に金大が角間へ」

その後、89年に金大が角間へ移転した後、当時、駐車場が手狭
移転した後、当時、駐車場が、戻る2

だったこともあって元雄さんは杜の里への移転開業を決断。田ん

ぼに囲まれた現在地へ引っ越した。

 

久直さんの娘で、店を切り盛りする元雄有紀社長(56)は「あ

の頃はジャスコしかなく、街灯も少なくて真っ暗だった。こんなに

にぎやかになるなんて想像できなかった」と杜の里の発展ぶりに驚

く。

 

(工大生が直談判)

「第7」といえば金大のイメージがあるが、こんな逸話も残る。久

直さんが杜の里への移転を考えていた当時、野々市市にある金沢工

大の学生がそのうわさを聞きつけ、「うちの大学の近くに来てほし

い」と直談判に訪れたという。自ら候補地を探してくる熱心な若者

もいた。

 

学生に愛された「第7」もまた、学生を愛していた。その象徴が大

盛り一杯800グラムの白米である。有紀さんによると、久直さん

は「学生さんには腹一杯食べてもらいたい」といつも話していた。

実際、この大サイズのご飯とギョーザを食べれば、大概の人は満腹

になる。

「観光客も増えたけど、やっぱり」

「観光客も増えたけど、やっぱり学生さんを大事にしたい。ギョー
学生さんを大事にしたい、戻る3

ザを食べれば、金沢で過ごした大学時代を思い出す。そんな存在で

ありたい」と有紀さん。誰しも思い出の味はあるはず。そんなこと

を考えていたら、学生時代に通った定食屋に行きたくなってきた。

学生と歩む杜の里、「第7」は金大とともに、今や観光名所の一

つ、工大生が直談判。大学時代が人生で最高の時代ではなかろう

か。部活と勉強に自由に好きなだけ頑張れます。人生の基礎が作

れます。本当に素晴らしい時間を過ごしました。特に一緒に部活

をやった連中とは、70歳になった今でも交流があります。テニ

ス部は本当に楽しかったと思います。

 

 

 

 

 

 

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