移動手段を確保し、他の参加国の同意を取り付けるー。ウクライナ
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のゼレンスキー大統領の来日は、約1カ月前から極秘の調整が始ま
った。ロシアに対する大規模な反転攻勢が間近とみられる中、ゼレ
取り付けるー。ウクライナ
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ンスキー氏は先進7カ国首脳会議(G7広島サミット)に参加し、
被爆地で直接支援を訴えることにこだわった。舞台裏を検証した。
「ゼレンスキー大統領から対面参加の強い希望が表明され、慎重
に検討した」。20日午前、日本政府は「オンライン参加」との
説明を一転させ、来日をようやく発表した。
2カ月前の3月21日、岸田文雄首相はウクライナの首都キーウ
(キエフ)を電撃訪問。首脳会談で、ゼレンスキー氏のサミット
へのオンライン参加を要請していた。外交筋によると、対面参加
の調整が始まったのは4月下旬。首相がアフリカ外遊に出発する
前だった。官邸はウクライナの戦況をにらみながら、是非を見極
めた。
「来日が実現すれば、ロシアに」
来日が実現すれば、ロシアに対抗するG7の決意を国際社会に発
対抗するG7の決意を、戻る1
信できる半面、ゼレンスキー氏に注目が集まる。G7との連携を
重視して招待したインドやインドネシアなど他の新興・途上国がか
すんでしまうー。首相はG7各国や招待国の反応を探るよう指示を
出した。
(フランスで足確保)
ゴーサインが出たのはサミット直前。「足」の確保は、フランスか
ら「大統領権限で自由に動かせる航空機がある」と伝えられ、頼っ
た。
難題は保秘の徹底だ。情報が漏れれば、ゼレンスキー氏を危険にさ
らす上、議長国としての信用を失いかねない。
19日の開幕近づくにつれ、本人が訪日するとの観測が流れ始め、
ウクライナ政府高官も否定しなかった。それでも首相はサミット初
日の19日夜、記者団にとぼけてみせた。「ウクライナ政府はオン
ライン参加と発表している。現時点で付け加えることはない」
「ゼレンスキー氏は5月13~15日、」
ゼレンスキー氏は5月13~15日、欧州のG7メンバー国を歴訪
欧州のG7メンバー国を、戻る2
した。「さらに外遊がいくつか入るかもしれない」。ウクライナ政
府高官は当時取材にこう打ち明けていた。サミットに対面で出席す
れば、ロシアに友好的なインドやブラジルの首脳にも直接訴えかけ
られる。訪日計画は最終段階だったとみられる。
14日にはパリでフランスのマクロン大統領と会談した。外交筋に
よると、その後、フランスが訪日用に政府専用機を提供することが
決まった。
航空機を追跡する民間ネットワーク「フライトレーダー24」で、
専用機の航跡をさかのぼると、19日未明にパリを離陸し、ポーラ
ンド南東部ジェシュフの空港に。その後、サウジアラビア西部ジッ
ダに移動した。
「ウクライナのイスラム教徒を助けてほしい」。ゼレンスキー氏は
同日、ジッダで開かれたアラブ連盟の首脳会談で支援を呼びかけた。
欧米以外を訪れたのはロシアの侵攻後初めて。再び専用機に乗り込
んだ。
(いつものパーカ姿)
20日午後3時半ごろ、専用機が広島空港に着陸。木原誠二官房副
長官らが赤いじゅうたんが敷かれた駐機場で出迎えた。タラップか
ら下り立ったゼレンスキー氏はいつものカーキ色のパーカ姿だった。
「G7広島サミット2日目の20日、」
(警察は厳重警戒・テロ対策を強化)
G7広島サミット2日目の20日、広島にウクライナのゼレンスキ
広島にウクライナの、戻る3
ー大統領が到着した。航空機から降り立ったゼレンスキー氏は終始、
硬い表情。広島空港や主会場のグランドプリンスホテル広島周辺で
は、警察が来日を受けてテロ対策をさらに強化した。
ゼレンスキー氏の車列は白バイとパトカーの先導で高速道を移動し
て、主会場のホテルがある地域に入った。厳重警備の中、沿道では
市民が集まった。広島市の主婦橋本佑季さん(45)は「歴史的瞬
間を目撃できた」と満足そうだった。広島市中心部では大規模な交
通規制が続いた。来日へ極秘調整1カ月、ゼレンスキー氏対面強く
希望、核なき世界「究極目標」。日本は広島と長崎に原爆を投下さ
れた世界で唯一の被爆国である。本当に多くの人が亡くなった。広
島サミットが開かれた意義は核なき世界の実現に向けてこの究極目
標に向けて努力することである。核を使えば人類は破滅してしまい
ます。ゼレンスキー氏の狙いも被爆地で直接支援を訴えることにあ
った。
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