材木地区の真ん中にぽっかり空いた土地がある。2016年に閉校
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した旧材木町小の校舎跡地だ。解体から3年近くたつ今も更地のま
まで、柵に囲まれている。
2016年に閉校
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14日朝、跡地を見に行くと、児童が隣接する公民館に集まってい
た。芋掘りに出掛けるそうだ。跡地に何ができてほしいか尋ねると、
兼六小2年の宮村真幸君(7)は「公園ができてほしい」と元気に
答えてくれた。「この辺は住宅密集地で公園が少なくて」と母亜希
子さん(44)。ボール遊びをさせてあげたいという。
同級生の牛坂満君(7)は「森があったら虫取りができる」と話し
た。近所に住む70代女性は「校庭は残っているけど結構狭くてね。
跡地もみんなで使えたらいいんだけど」。次々と要望が出てくるあ
たりに住民の跡地への思いを感じた。
「143年の歴史を誇った材木町小は」
(校舎解体惜しむ声)
143年の歴史を誇った材木町小は味噌蔵町小と統合し、兼六小と
味噌蔵町小と統合し、兼六小と、戻る1
なった。どんな経緯があったのだろう。育友会や校下少年連盟の会
長を務め、味噌蔵町小との統合議論に関わった窪正裕さん(60)
によると、統合に賛成した理由は児童減少だけではなかった。同じ
兼六中校下である田上小の児童が急増し、小規模校だった材木町小
児童の「中1ギャップ」が不安視されたこともあったという。窪さ
んは「児童が心配せずに中学校に進めるようにしてあげたかった」
と振り返る。
統合後、材木町小の校舎は耐震基準を満たしていなかったため解体
された。統合後に校舎が解体された市内の小学校は、最近では材木
町小だけだという。卒業生である窪さんは「残念だが、なくなった
からこそできることを考えていきたい」と語る。
(切り株から新芽)
跡地を眺めると、銅像がひっそりと置いてあった。材木地区町会連
合会の上坂達朗会長(64)に聞くと、銅像は「若き力」という力
強いポーズをした男性像。校舎がなくなるまで正面玄関の前に立っ
ていたという。クラスの集合写真は象の前で撮るのが伝統で、上坂
さんが材木町小6年の時も「若き力」の前で撮影した。
「上坂さんは、学校のもう一つのシンボル」
上坂さんは、学校のもう一つのシンボルだった校庭のクスノキにつ
だった校庭のクスノキに、戻る2
いても教えてくれた。「若き力」とともに児童を長年見守ってきた
木で、材木公民館にはクスノキをモチーフとしたマスコットキャラ
クター「ざいもっくん」までいる。
そのクスノキは昨年秋に枯れてしまった。樹木医が診たところ、幹
が空洞化していたという。校舎がなくなって風当たりがかわったの
だろうか。原因は不明らしいが、倒木の危険があり今夏に伐採した。
上坂さんたちにとって伐採は苦渋の決断だったが、終わるものがあ
れば、始まるものもある。クスノキの3分の1はまだ生きていると
診断されており、その証拠に切り株から新芽が出てきた。
「校舎はなくなってしまったけど地面はある」
「校舎はなくなってしまったけど地面はある。市と検討を重ねてい
市と検討を重ねて、戻る3
るが、整備がうまくいったら『若き力』と一緒に地域のシンボルと
してクスノキを復活させたい」と上坂さん。モザイクのように魅力
がちりばめられている材木地区住民の心をつなぐのは、二つのシン
ボルの下で育まれた「材木愛」だった。モザイクの材木、復活待つ
二つのシンボル、「若き力」像とクスノキ。昔は各校舎に銅像や石
像がありました。材木町小の「若き力」像は素晴らしいと思いまし
た。金沢市内でも小子化が進み、校舎の統合が進んでいます。時代
のせいでしょうか。仕方がありません。将来はどんどん人口が減少
していくと思います。
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