飛行機で金浦空港に着き警備員が銃剣を持ち恐怖で仕事で以前に韓国へ行った時とは

(飛行機で金浦空港に着き警備員が銃剣を持ち恐怖で

仕事で以前に韓国へ行った時とは)

韓国へ行った事

 

30位の時に3人で仕事で、韓国へ行った事がある。その時の事を

 

 

書いて見ようと、思っています。飛行機で行ったら本当に、しばら

韓国へ行った

くで金浦空港に、着きました。空港は厳戒態勢に近い警備でした。

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カメラは撮影禁止で、警備員はみんな銃を持っていました。さすが

 

に外国は違うと感じました。38度線の先は北朝鮮ですから、当時

でも戦闘態勢です。空港に降りたら、にんにくの臭いがしてとても

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臭かったです。相手の会社の人が車で、迎えに来てくれたので、そ

 

の車で会社まで行きました。我々の担当者は本社では、社長室の室

長で親切な人でした。テグの工場まで高速道路で送って、もらいま

した。

 

作業服に着替えて工場の中を、見学させてもらいました。とても大

きな工場でかなり時間が、かかりました。1日目は見学だけで終了

です。次の日は、道具箱を鍵のかかるロッカーに入れて、機械の部

品を置いてある所を見て、使う部品から順番に工場へ、運びました。

その後、順番に従って組み立てを始めました。道具箱を鍵のかかる

ロッカーに預けるのは、当時の韓国では、泥坊さんが多くて、この

ような管理をしてもらうしか、他に方法は、ありませんでした。本

当に悪い人が多くて、困っていました。チョットの間に今まで、使

っていた道具でさえ、なくなるのですから。

 

 

 

 

 

 

「手動操作の」

当時は、ほとんど手動操作の機械ばかりでした。だから本当に、人

手動操作、戻る1

が多くいました。現在のような自動機械は、ほとんどありませんで

した。我々の会社の機械は、糸より機械の前工程の準備機で、糸を

巻く機械です。巻く機械と言うと簡単なようですが、カムを使って

両端が、耳高にならないように、実案と特許が多くかかっています。

当時にしたら、かなりの技術力がありました。会長である父が発明

した物が多くありました。私自身も感心するような技術でした。私

は、父を発明の数では、超えれませんでした。父のひらめきは素晴

らしい物が、ありました。

 

「1日に1台」

機械の組み立ては、順調に進んで1日に1台のペースで、完成して

順調に進んで、戻る2

いきました。ある日の朝、工場に行ったら係長が、慌てて近ずいて

来て、大変です。昨日、泥坊さんが入って機械の変速機と、フリク

ションプーリが、何枚か盗まれました。と言って困っていました。

変速機は、作れないから、日本から送ってもらいましょう。フリク

ションプーリは、こちらで作れると思います。と言ったら係長は、

すぐに相談に行きました。大変だったと思いました。どちらの部品

も何とか、手に入って10台以上の機械を、無事に組み立てて試運

転も、ほぼ順調に進みました。食事は毎日、肉が中心でした。肉は

コギと言います。それとニンニクです。不思議な事に自分も、食べ

るとニンニクの臭いが、ほとんど気にならなくなります。肉は、本

当においしかったです。2週間ほどの仕事でしたが、いい経験と勉

強になりました。今日では何かと近くて遠い国と、言われるように

なりましたが、本当にそうかも知れません。同盟国ですから、世界

の平和と安全のために、仲良くして発展して行けたらいいですね。

 

 

 

 

 

 

 

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圧倒的に強くてフットワークも抜群のテニスの世界ランキング1位のジョコビッチの凄さ

    (圧倒的に強くてフットワークも抜群のテニスの世界ランキング1位のジョコビッチの凄さ)

 

 

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 ジョコビッチはテニスプレーヤーとしては、決して大きい方では、

ない。しかし非常にクレバーな選手である。

ストロークとボレーは

しかしサーブ

強いボールが打てて、プレースメントも正確である。しかしサーブ

はそんなに速くはないが、プレースメントは非常に厳しい所を、狙

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って来る。相手にとってはリターンが、難しくなる。その上、球種

 

もフラット、スピン、スライスの全てが打てるのが強みである。サ

ービスダッシュから、ボレーで決める事もうまい。足が速くてフッ

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トワークも抜群である。体力面もメンタル面

 

も、両方とも強くて申

し分ない。アンテシペイション(予測すること)も抜群にうまい。

 

 4大タイトルでは8回ほど、優勝しているはずである。特に芝生の

コートやハードコートのように速いコートが、得意である。だから

世界ランキング1位を、守れるのであろう。ずっと1位を守るのは

プレッシャーも、かかるだろうが、全く表情も

変える事なく淡々と

試合を進めてゆく。相手に取っては嫌な選手であろう。でもこの冷

な選手がこの間、USオープンの大会で相手が、素晴らしいショット

を決めて、冷静さを失って後ろに向かって、強くボールを打ったの

「後ろに向かって」

が、線審に当たって失格になると言う、事件が起きた。彼もやはり

線審に当たって失格、戻る2

人間なんだなあと思いました。

 

 

 

 

 

 

 

「日本の錦織とUSオープン」

 5年ほど前に日本の錦織とUSオープンで、決勝戦を戦ってジョコ

日本の錦織、戻る1

ビッチが優勝しました。彼は、やはりチャンピオンらしい試合をし

ました。錦織に取っては惜しい敗戦に、なりました。錦織はこの試

合に限らず、体力面に問題があると思います。それに比べてジョコ

ビッチは、何の問題もなかったと思います。さすがに世界ランキン

グ1位だけのことはあります。常に全ての面で錦織を上回っていました。

 

  常に冷静で正確なショットを決めていました。1番、差があ

ったのはサーブだと言えます。プレースメントが素晴らしく、厳し

い所ばかり狙って、打つのでなかなか返す事が出来ません。錦織も

もう30歳になったので、優勝のチャンスは今後そんなに多くはな

いでしょう。本当にもったいない試合でした。ジョコビッチにとっ

は最高の試合で、今後もまだまだ活躍することでしょう。

 

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飛行機でムンバイに着き夕方国内線でアーメダバードへ飛んでインドで初めて仕事をした時

(飛行機でムンバイに着き夕方国内線でアーメダバードへ飛んで

インドで初めて仕事をした時)

インドで最初に仕事


インドで最初に仕事をしたのは、35歳位の時でした。今から思え

インドで最初に

ばずいぶん、若い頃でした。繊維機械の組み立てです。修理も兼ね

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て行っていたので、10日位の海外出張でした。気温は40度を超

 

えるのですが、湿度が低いのでカラッと、した暑さでそんなに大変

では、なかった記憶があります。アーメダバードと言う場所で有名

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な、無抵抗主義を唱えたガンジーの、生誕の地です。現地の人達は

 

お酒が飲めません。我々みたいな仕事で出向いた、外国人はビール

なら1日に1本で、ウイスキーなどは1ケ月に、ビンで2本でした

。それもパスポートを持って、役所で証明書をもらって来て、酒屋

へ行って自分で、買って来るのです。今ではホテルで自由に飲む事

が、できますが当時は、本当に不便で不自由でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あまり楽しみ」

あまり楽しみ、戻る2

そんな環境でしたから、あまり楽しみはありませんでした。しいて

言えば麻雀をする事位でした。麻雀は勝つ事があまりなくて、負け

てばかりでした。食事は辛いものばかりで、マスターに一番辛くな

いのを、作って欲しいと頼みました。それでも辛いです。最後には

食べる物が無くなって、日本のラーメンのような、ヌードルばかり

を食べていました。仕事の方もなかなかうまく進まなくて苦労しま

した。凄く熱いので午後の4時には、仕事を終了してホテルに戻り

ました。テレビをつけても英語ばかりで、ほとんど理解が出来ませ

んでした。日本人はなぜか土曜日も仕事でした。他の外国人は土日

は、全く仕事はしません。つくずく文化の違いを感じました。そし

て、土曜日の夜には町へ遊びに行って、日曜日の夜に帰ると言う、

スタイルです。この行動にも感心しました。これも文化の違いでし

ょうか。

 

 

 

 

 

 

「それで会社も」

さすがに、仕事は真面目にやります。それで会社も文句が言えませ

それで会社も、戻る1

ん。お酒は、かなり飲みます。ある日、ジョニーウォーカーと日本

の、サントリーのオールドと交換して欲しいと、言って来たので交

換しました。彼らは、オールドがうまいと言っていました。彼らは

英語が分かるので、テレビを見ながら飲んでいました。インドには

カースト制度のなごりが残っていて、上流階級の人達は、みんな英

語を話します。発音はインド独特であまり良くありません。それで

も充分に通用します。それと彼らは、家庭でも英語を使うそうです

。日本人だけが、下手な英語で会話していました。この時ほど劣等

感にさいなまれた事は、ありませんでした。大学まで出て英語の会

話が出来ないのは、日本人の特徴です。これからの日本はもっと、

英語の会話教育に、力を入れるべきだと痛感しました。

 

 

 

 

 

 

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初めてフェデラーを見た時に彼の時代が来ると思った最高のスイスのテニスプレーヤーのフェデラー

                                                                    

 

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(初めてフェデラーを見た時に彼の時代が来ると思った最高の

    スイスのテニプ レーヤーのフェデラー)

フェデラー

 私がフェデラーを知ったのは、ずいぶん前になりますが、ボルグや

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ベッカーの後に出て来て、テレビで見て初めて知りました。本当に

 

素晴らしいテニスプレーヤーが、現れたものだと思いました。これ

からはしばらくの間はフェデラーの時代が続くと、すぐに感じまし

た。

 

    それほど、凄い選手だったからです。サーブ、ストローク、ボレ

ー、スマッシュ、どれを取っても完璧の一言でした。サーブのコン

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トロールは自由自在に、狙った所へ打つことができます。それも、

 

フラット、トップスピン、スライス、全ての球種を完璧に打つ事が

可能です。フェデラーのストロークは、フォアもバックも片手打ちで

す。

「フォアもバックも片手打ち」

 

    最近は両手打ちが多い中で、片手打ちの選手は少ないです。

フォアもバックも、戻る1

パワーは少し落ちるかも知れませんが、リーチは広くなります。こ

れもフォアもバックも、フラット、トップスピン、スライス、すべ

てを打ち分けます。それに加えてネット際のドロップショットも、

素晴らしい感覚を持っています。ボレーとスマッシュも素晴らしい

ショットの持ち主です。ボレーで特別なのはストップボレーもタッ

「独特です」

チは、独特です。それに5セットマッチを戦えるだけの、体力面と

独特です、戻る2

メンタル面の強さも兼ね備えています。怖いのはケガだけです。そ

れと年齢が大分いきましたから、これからは年齢とも戦わなければ

なりません。私の見る限りでは年齢の割には、まだまだタフな選手

だと思います。

 

 

 

 

 

 

私の知る限りでは、4大タイトルを20回以上優勝していると思い

ます。

それに奥さんは本当に綺麗な方で、上品な美人です。フェデラーの

試合がある時は、必ず見に来て応援しています。たとえ5セットマ

ッチの長い試合に、なっても最後まで見ながら、応援しています。

フェデラーは本当に幸せな人だと、思います。家族に恵まれて好き

なテニスが、出来るのですから。これからも長く頑張って、ファン

のためにいい試合をして、楽しませて欲しいと思います。これから

の活躍に期待しています。

 

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相手のマッチポイントから逆転勝ちした武蔵工大との練習試合とは

(相手のマッチポイントから逆転勝ちした武蔵工大との練習試合とは)

 

大学時代の事

「大学時代の事」

 

 

 

大学時代

 

 

 大学時代の事ですが、武蔵工大とテニスの練習試合をすることに、

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なりました。私はいつものようにシングルスの、ナンバー6で出ま

 

した。試合が始まってストロークの打ち合いになって、相手もかな

りうまい選手だと分かりました。激戦になって試合が進んでいきま

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した。第1セットは私が取って、第2セットに入ると相手は、緩い

 

ボールを混ぜて来て少し、スローペースになりました。よくあるパ

ターンです。このペースの変化で私は、タイミングが合わなくなっ

て、ミスを連発してしまって、第2セットを取られてしまいました。

 

 最後の第3セットは凄い接戦になりました。相手はサービスダッ

シュから、ボレーで決める作戦も使って来て、苦戦の連続でした。

土のコートだったので、遅いぺースの相手が有利に試合を運びまし

た。私は相手のペースに合わせてしまって、なかなかポイントが取

れません。それで私も時々サービスダッシュをする、作戦に変更し

ました。これで少しずつ私のペースになって来て、ポイントを挽回

することが出来るように、なりました。凄まじい試合になって来て

ポイントの、取り合いになりました。だんだんと疲れてきましたが

どうしても、勝ちたかったので最後の力を振り絞って、頑張ってい

ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「遂に相手の」

 

マッチポイント、戻る2

そして遂に相手のマッチポイントが来ました。

でもどうしても負けたくなかったので、試合が終わるまで勝ちたい                                                                                                                                                     と言う気持ちを、持ち続ける覚悟をしました。先輩達が言うには勝

ちたい時は、最後まで勝つと言う気持ちを、持ち続けられた時だけ

勝つ事ができる。1度でも負けると思ったら、その時は負けると言

うのです。この試合は最後まで勝つと言う気持ちを、持って戦って

いました。それで奇跡が起きたのです。勝ちました。後1本、取ら

「本当に信じられませんでした。」

れたら負けと言う所から勝ったのです。本当に信じられませんでした。

 

本当に信じられません、戻る1

疲 れもありましたが、爽快な気持ちになったのを、憶えています。

本当に奇跡 を起こしたのです。

心の底から嬉しさが込み上げて来ました。みんなも本当に喜んで

くれました。最高の1日でした。

こんな事が実際にあるんだなあとつくずく、思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 

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実案と特許で1年間で13個提出して日刊工業新聞の全国版に載る

 (実案と特許で1年間で13個提出して日刊工業新聞の全国版に載る)

実案と特許を1年に13

 

 

 

 

 

 

ずいぶん前になりますが、実案と特許を1年に13取って、全国版

の日刊工業新聞に載りました。他社の技術者から、電話がかかって

日刊工業新聞に

来て、どうして1年に13も取れたんやと聞かれました。アイディ

内部リンク

アが次々と浮かんで、来たんでね。と答えました。でもそれが相手

 

にしてみたら、不思議でならないと思ったのでしょう。それとアイ

デアが仕事中には、浮かばなくて何かして、遊んでいる時などに浮

外部リンク

かぶのです。例えばボーリングをしている時などである。私にはこ

 

れが本当に不思議でならなかった。会社で仕事をしている時は1度

も、アイデアが出たことはなかった。何かを一生懸命に考えている

ときは、頭が緊張しているからなのだろうか。やはりリラックスし

ている時でないとダメなのだろうか。これについては良く分かりませ

ん。                                                                                                                                           

ただ経験からそのようであるらしいと思われます。今は全部

電子出願だと思いますが、当時は紙に書いて出願していましたので

全体をまとめるのと書く作業は、かなり大変でした。絵も少し書く

必要がありました。時間も争いますから速く書く必要があります。

慣れない時は速く書けませんでした。でもだんだん慣れて来ると速

く書けるようになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし絵が以外と時間が、かかるのです。簡単なように思いますが

定規を使うので、結構時間がかかるのです。1番、時間がかかるの

「実案も特許も請求の範囲」

は、実案も特許も請求の範囲の項目です。範囲を広くすれば通り難

請求の範囲、戻る1

いですが、あんまり広くしても良くないです。逆に狭くすれば通り

易いですが、他人にすぐに破られてしまいます。この請求の範囲を

決めるのが、最も大変です。ここを決めてしまえば、後は楽に書けま

す。         

時間も凄く大切です。私はある実案で他人に、3ケ月だけ、

「3ケ月だけ」

遅く出して負けた経験があります。それが商品化されて、ホームセ

負けた経験、戻る2

ンターで売られているのを、見た時は悔しくてたまりませんでした

。こんな事もあるのだなあと思いました。今となってはいい経験で

した。弁理士に頼めば費用は、何十万円もかかります。私は自分で

書いたので、当時は3万円ほどでした。1割ほどです。その上、申

請が通ると、その時にも費用が発生します。とにかく弁理士に依頼

すると、お金が多くかかります。ところで新聞に載った時は、会社

名も出ましたので、社長は本当に喜んでくれました。私も嬉しっか

ったです。実案と特許で65歳までに、50ほどの申請が認められ

ました。ほとんどが自社の機械の、防衛のためです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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