今まで勝てなかった、富山商船に勝利して最後の北陸高専テニス大会での優勝

(今まで勝てなかった、富山商船に勝利して最後の北陸高専テニス

大会での優勝)

高専に通っていた私


大学に行く前に、高専に通っていた私は、10人ほどで、硬式テニ

高専に通って
ス部を作った。第1期生である。コートも2面あったので、すぐに

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本格的な練習が、出来ました。金沢大学から、コーチも呼んで基礎

 

から、教えてもらいました。今の現役達は、かなり、強くて、全国

の高専大会で、今までに、優勝や準優勝を、何回もしています。私

達の優勝は、北陸大会で、大分レベルの差が、あります。

でも富山

商船は、当時でも、全国レベルだったかも知れません。10回試合

をして、1回勝つ位でした。最後の年は、そこに、勝つために、朝

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6時頃から、毎日、朝練習をしました。練習だけでなく、体力面と

 

メンタル面も鍛えるために、ランニングや筋トレもやりました。と

ても、きつかったのを、憶えています。とにかく、富山商船に勝ち

たい一心でしたから、きつい練習にも耐えることが、できたのだと

思います。

 

練習試合も多くやりました。金沢大学や金沢工大へも、

こちらから、出向いて行って、練習と試合をしてもらいました。

大学の大会にも、エントリーさせてもらいました。サービスダッシ

ュをして、ネットに近ずいてのボレーの練習と、ストロークで、厳

しい所へ、出玉を打って前へ出て、ボレーで決める練習など、今ま

でに、やらなかった練習も、取り入れました。

 

また、サーブの練習では、トスの練習も充分にやって、サーブが安

定するように、改善しました。サーブ自体は、スピードばかりを追

求するのでは、なくてプレースメント(コース)をしっかりして狙

うコースへ、打てるような練習を、何度も繰り返して、行いました

。コントロールを重視する作戦に、方針転換しました。このことが

後の試合に、大きな効果をもたらす結果に、なりました。サーブは

プレースメントが、一番大切です。

 

みんなサーブが本当に、うまく

なりました。それに加えて、シングルスとダブルスの、サーブを打

つ位置も、徹底して研究しました。その上、ジュースコートとアド

バンテージコートの、立つ位置も研究しました。このことも、後に

絶大な効果を、発揮しました。この事が、富山商船に、勝利する大

きな要因になった事は、言うまでもありません。相手は、我々がそ

こまで、研究しているとは、全く考えなかったと、思います。試合

の当日、プレーが始まりました。

 

ダブルスは、2対1で1ポイント

リードしました。シングルスは、2ポイントで、どちらかが、勝て

ば我々の優勝が、決まります。でも勝負は、何が起こるか分かりま

せん。最後まで気が抜けない、試合になりました。第2シングルス

は、善戦しましたが、負けてしまいました。ポイントは、2対2の

同点です。最後は、エース同士の対決です。我々のエースは、身長

が、180Cmで、リーチも長くて、ボレーが得意です。

 

「ミスの少ない選手」

しかし商

船のエースも、粘り強くて、ミスの少ない選手です。どちらが勝つ

ミスの少ない、戻る1
かは、分かりません。試合が、始まりました。5分5分で、ゲーム

は、4対4です。次は、向こうのサーブで、こちらは、リターンで

す。30対40(サーテイー・フォーテイ)(2対3)で後1本取

とこのゲームを取れます。ストロークで、いい出玉を厳しい所へ打

って前へ出ます。向こうのパッシングショットも、厳しい所へ来ま

したが、リーチを伸ばして、ボレーを決めました。

 

これで、5対4
「こちらのサーブで」

でリードです。今度は、こちらのサーブで、1本目は、センターへ

サーブで、戻る2
速いサーブで、攻撃して、取りました。2本目は、オープンコート

へ、スライス(手前に回転)をかけて、相手をコートの外へ出して

ボールが、返らず、サービスエースです。3本目は、相手の体を狙

ってボデイショットです。すかさず、前へ出てボレーで決めて、こ

のセットを取りました。第2セットは、ラリーの打ち合いで、5対

4になりました。40対40(ジュース)になり、その後、我々の

エースが、取って、アドバンテージになり、マッチポイントです。

長いラリーの末に、我々のエースが前に出て、見事なボレーで、勝

利しました。試合の後、エースを、みんなで胴上げしました。顧問

の先生も、胴上げしました。本当に、商船に勝っての、優勝は、今

だに、はっきりと憶えています。最大のライバルを倒しての、優勝

ですから、嬉しくてたまりませんでした。これも、苦しい、朝練習

に耐えたおかげです。一生の思い出で、宝物です。やったあ高専。

いまでも、時々集まって、飲みながら、懐かしい思い出話に花を咲

かせています。苦労を共にした友は、最高です。

 

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何回も見に行って副審までしたベテランと新人の戦いのジャパンオープンテニス

(何回も見に行って副審までしたベテランと新人の戦いのジャパン

オープンテニス)

ジャパンオープンテニス


ずいぶん前になりますが、大学時代に、ジャパンオープンテニスが

ジャパンオープン
ありました。私は、副審をつとめました。第1セットは、ベテラン

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の選手が、取りました。第2セットは、混戦の試合になりました。

 

ゲームカウントが、3対3の中盤に、差し掛かった時に、思い出し

たくもない事件が、起きました。それは、新人の選手が、チャンス

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でネットに出ていた時に、ベテランの選手が、ロビングを上げたの

 

ですが、少し、短くなって、チャンスボールになった時です。新人

の選手は、ここぞとばかりに、思い切りの力で、スマッシュを打ち

ました。私は、このボールをよく見ていたのですが、ラインぎりぎ

りの所で、インかアウトかが、わかりませんでした。仕方なく両手

で、目を隠して、主審に判定できませんのジェスチャーで、判定は

主審に任せました。ラインズマンもわからなかったと思います。そ

の時、新人の選手が、私をにらみつけて、英語で大きな声を出して

怒っているのです。インにきまっているじゃないかと言っているよ

うでした。顔は、真っ赤になっていました。私は、本当に心が、動

揺してしまいました。ベテランの選手は、何もなかったかのように

素振りをしていました。落ち着いたものです。時間は、5分から、

10分位だったと、記憶しています。



「速くて見えません」

しばらくして、主審は、レット(ノーカウントでやり直し)のコール

を、しました。私には、本当に、速くて見えませんでした。新人の選

見えません、戻る1
手は、まだ怒っています。しかし、主審が、レットのコールをしたの

で、早く試合を、始めなければなりません。ようやく、試合は、再開

しましたが、新人の選手は、あの1本が、気になるようで、ミスの連

発です。ベテランの選手は、淡々として、落ち着いたプレーで、ゲー

ムを進めていきます。やはり、過去の経験の差が、出てきます。さす

がだと思いました。新人の選手は、半分、やる気がなくなったのか、

いいプレーが、できなくなりました。試合の方は一方的になって、新
「第2セットは」

人の選手は、1ゲームも取れなくて、結局、第2セットは、6対3で

6対3で、戻る2
ベテランの選手が、勝利しました。凄い差が出るもんだなあと思いま

した。副審を務めていた私が、正確な判定が出来ていたらもっと違っ

た試合になっていたんだろうなあと、思ったら、悔しくなりましたが

見えないものは、どうしようもありません。速いと言えば、サーブも

そうです。でも、サーブの見分け方は、知っていましたので、うまく

判定が出来ました。サーブの時は、まばたきもせずに、横線を見てい

て、何もなければ、黙っています。何かが、横切った時は、それが見

えるので、フォルトとコールします。この試合で、1本の判定で試合

が、変わってしまうので、心して、慎重に判定しなければならないこ

とを学びました。さすがに、プロの試合は、凄いです。いい勉強にな

りました。

 

 

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東京の伯父さんが病院を手配して慢性盲腸を抱えての大学入試がきつかったこと

(東京の伯父さんが病院を手配して慢性盲腸を抱えての

大学入試がきつかったこと)

右下腹が痛かった


大学入試のために上京する日の朝、起きると少し、右下腹が痛かった

上京する日の朝
。東京の叔父さんから、電話がかかって来て、こちらの有名な病院を

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5ケ所ほど、おさえたから、心配しないで試験を、受けに来いと言わ

 

れました。私は、下腹の痛みが気になって、なかなか行くとは、言え

ませんでした。叔父さんが何度も説得するので、死ぬも生きるも私の

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運命だと、割り切って行く覚悟が出来ました。今は本当に感謝してい

 

ます。その叔父さんも5年ほど前に、他界してしまいました。

この状

況なので、父も一緒についてきてくれました。宿に着いて、下腹を冷

やして、薬を飲んで参考書を見ていました。高専からの受験だったの

で、国立大学は、無理でした。私学でも、早稲田と慶応はレベルが高

くて無理でした。理科大の1本に絞って受験しました。次の日、会場

へ行くと500人位の人が来ていました。倍率が高いので、この中で

合格するのは、30人前後かと思ったら、開き直って以外と冷静でし

た。英語は、長文が難しくて少しの分かる単語から、後は想像で訳し

ました。数学は以外に良く出来ました。物理は、問題を良く見ると、
「ボーアの原子理論」

昨日の晩に宿で見ていた、ボーアの原子理論が、30点問題で出てい

30点問題で、戻る1
てそれを、一番先に書きました。物理も以外と出来ました。

 

それから、宿に帰って少しだけ、食事をして、横になって体を休め

ました。明日は、機械科の受験です。夜に下腹を冷やして、薬を飲

んで、また参考書を眺めていました。次の日に、会場へ行くと昨日
「試験が始まると」

と同じ位の人でした。試験が始まると、今日も割と冷静に行動でき

試験が始まる、戻る2
ました。両日とも、いい意味で開き直れたのが、良かったのでしょ

う。この日も試験は、まずまずだったと思います。次の日に、電車

で金沢へ向かいました

 

森本駅に着いて、自宅へは戻らずに、主治

医のいる外科へ向かいました。そして、すぐに、盲腸の手術を受け

ました。主治医の話では、盲腸が背中まで伸びていて間一髪の状況

で、無事に終了して難をのがれることが、出来ました。これも叔父

さんや父や主治医の先生のおかげで助かりました。目からは、自然

に涙がこぼれていました。20歳の時だったので、若かったせいも

あって、無理ができたのでしょう。1週間ほどで、退院できました

。家に帰ったら、大学から、電気科も機械科も、両方とも合格した

との通知が来ていました。盲腸を抱えての受験だったので本当に、

つらかったのです。それだけに、本当に心の底から嬉しさが込み上

げて来ました。自分でも良くやったと思います。感謝です。

 

 

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会員は多くがお金持ちのお嬢様の柏テニスクラブでのアルバイトは条件が良かった

(会員は多くがお金持ちのお嬢様の柏テニスクラブでの

アルバイトは条件が良かった)

柏テニスクラブ


大学時代に、柏テニスクラブで、週に2回ほど、テニスのレッスン

週に2回ほど
のアルバイトをしていました。1コースが、90分で普通は、1日

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に3コースをレッスンしました。私は、初めての日に大学の部活で

 

着ている汚いジャージを着て行ったら、マスターに、注意されて支

払いは、バイト代が入ってからでいいから、新しいテニスウェアを

買ってほしいといわれて、買いました。

レッスンが、始まると最初

は、ほとんどが女性の若い人達で、緊張して、なかなか、うまくで

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きません。1回目のレッスンが、終了して2回目からは、少し緊張

 

が、ほぐれて来て、少しずつ、うまくいくようになりました。当時

で、90分で、2000円位のバイト料で、すごく高かったように

記憶しています。初心者には、こちらから、ボールを5本ずつ出し

て、ストロークで返してもらう練習です。ミスの多い人には、後ろ
「右手を握って」

から、右手を握って、グリップの確認と素振りの練習をします。感

グリップの確認、戻る1
覚が、つかめたら、またストロークの練習をします。そうして、少

しずつ、うまくなるのを待ちます。中級者位になったら、ストロー

クのラリーを行います。ラリーが続くようになると、テニスが面白

くなってきます。ここまで来れば、初心者を卒業です。

 

 

中級者は、最初からストロークのラリーの練習からです。それが、

うまくなると、次は、ボレーの練習です。

ボレーは、フォアハンドとバックハンドで、グリップが違うので、

グリップから、指導します。フォアハンドは、ラケット面を垂直に

して、そのまま、上からにぎります。バックハンドは、ラケットの

面を、左手で少し右に回して、バックハンドが、やや厚めになるよ

うにして、にぎります。回す角度は、その人の手首の強さに、より

ます。手首の弱い人は、もう少し回して、もっと厚めにして、にぎ

ります。ですから、人によって角度は、変わってきます。

 

ボレーは
「ネットプレーで」

ネットプレーで、使いますので、相手が、パッシングショットでバ

ネットプレー、戻る2
ックハンドを、打ってきたら、素早く、グリップを変えます。これ

が、ボレーの難しいところです。何回も何回も、練習しないと、ボ

レーは、うまくなりません。次に、サーブですが、重要なことは、

トスが、うまく上がるかどうかです。いいトスが、上がれば、サー

ブは、7割成功です。後は、肩がスムーズに、回ればはいります。

トスの練習が、一番大事です。

 

最後に、スマッシュですが、左手を

上に上げて、ボールを、指さす感じです。ラケットを、かついでボ

ールを、正面に見るようにします。ボールが落ちて来たら、なるべ

く高い所で打ちます。これも、練習で感覚をつかむしかありません

。すべてが、打てるようになると、テニスが、本当に面白くなりま

す。後は、試合の中で、少しずつ強くなっていく感覚を、つかむし

かありません。練習は、楽しいですが、試合は、きついです。まず

は、練習をたのしんで、うまくなったら、試合をしましょう。もち

ろん、体力面とメンタル面の両方の強さが、要求されます。学生な

どは、試合を、目指して、自分に勝つように、頑張ろう。

 

 

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研究室に寝泊まりして計算していた卒業論文の研究のきつかったこと

(同じ高専卒の二人での研究)

卒論の研究


大学4年になると、必ずこの卒論の研究を、しなければなりません

卒論の研究を
。そうしないと、卒業できません。同じ高専卒の二人での研究でし

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たので、気心が知れていてとても充実した時間でした。すぐに研究

 

に、かかれるわけではなくて、最初は、テーマの基礎勉強をしてゼ

ミのみんなに、順番に発表していく形でした。研究室の教授と教授

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の恩師の、東京大学の名誉教授で日本電気学会会長の、山田先生が

 

週1回、来られて指導してくださいました。先生は、当時80歳位

でしたから、もう亡くなられていると思います。

電車で近くの駅ま

で来られて、教授が、往復、送迎していました。教授が東京大学の

大学院に、進学した時の恩師が山田先生です。私達のテーマは、マ

イクロコンピュータの研究でした。ある日、先生はマイクロコンピ

ュータとは、何ぞやと聞かれて来週までに、教えて下さい。と言わ

れました。私達は、わかりました。と答えました。先生は、80歳

位なのに学者の探求心は、凄いなあと改めて感心しました。

 

ところ

が、マイクロコンピュータは、日本に上陸して、1年以内だったの

で、文献もほとんどありません。あるのは、インテル(アメリカの
英語の原書だけ

会社名)の英語の原書だけです。それを読んで日本語に訳して次週

英語の原書、戻る1
山田先生に答えたら、大体、分かったと言われてホットしました。

先生は、電磁気学の世界的権威で、世界電気学会があると、毎年、

出席されていました。素晴らしい先生に教わりました。感謝です。

 

ゼミが終了して、いよいよ実験の準備です。制御系のアナログ系か

ら、AD変換機にてデジタル系に変換した、8ビットのデータを、

マイクロコンピュータに取り込んで、演算させて、結果を再び、

DA変換機で、デジタル系から、アナログ系に変換して、制御系

に戻して、どのような制御になるかを、確認することであった。

この時、比例係数は、約5位で積分係数は、約1位で微分係数

は、外乱には、強くなるが入れると制御系が、不安定になるの

で入れなかった。この3ケの係数値のベストな値を、探して実験
「多くの先生方に」

を繰り返した。多くの先生方に、アドバイスを頂いて、実験を

アドバイス、戻る2
終了した。

 

後は、論文を墨汁で書いて、精査して書き上げたら、良く乾燥させ

て、とじる作業です。墨汁に慣れてないので、あまり綺麗には書け

ませんでした。最後に、卒論の発表会で無事に発表出来て、偉い先

生方に、合格判定をもらえば、OKです。遂に私の発表順が、来ま

した。最初は、緊張して大変でしたが、少しずつ慣れて来て、最後

まで、無事に終わりました。ところが、教授達の質問の時に、一人

の教授が、おかしな質問をしてきて、私も意味が、わかりませんで

したが、東京大学の山田先生が、手を上げて簡単に説明して下さい

ました。最後まで、本当にお世話になりました。山田先生は、本当

に良く、理解されていました。ゼミに先生が、おられて良かったで

す。感謝です。

 

 

 

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沢松和子とアン清村がダブルスでウィンブルドン大会で日本人として初優勝しました

(沢松和子とアン清村がダブルスでウィンブルドン大会で

日本人として初優勝しました)

沢松和子


もうずいぶん前になりますが、沢松和子とアン清村ペアーが、ウィ

アン清村
ンブルドンで優勝しました。沢松和子は、大柄な選手でシングルス

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も強い選手です。全日本では、ナンバー1で何連覇もしているはず

 

です。アン清村は、対照的にとても小さな選手です。日系アメリカ

人です。小さな選手ですが、前でのネットプレーが、得意な選手で

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す。試合の前には、この二人が、どんなダブルスをするんだろうと

 

思っていましたが、沢松が後ろで根気よく、ストロークでつないで

チャンスが来たら、アン清村が、ネットから動いてボレーで決める

というテニスをします。運動神経がとても良くて、しかもプレーが

速い。小さいのに、素晴らしいテニスをします。そして、一番不利

なのが、サーブですが、スピードはそんなに出ないのですが、プレ

ースメント(コース)が本当に、厳しい所をねらいます。コントロ

ールが、ほんとに素晴らしいのです。二人のコンビが、こんなにう

まくいくとは、知りませんでした。この時まで二人のダブルスを見
「沢松は」

たことがなかったので、ビックリしました。沢松は、超一流プレー

超一流、戻る1
ヤーですから、めったにミスはしません。アン清村もミスの少ない

プレーヤーでした。小さいプレーヤーは、アン清村を参考にすれば

いいでしょう。

「沢松も後ろで」

沢松も後ろで、ストロークをつないでいるばかりではなくて時には

ストローク、戻る2
凄いボールでアタックして、ポイントを取ります。さすがに、沢松

です。サーブは、大柄なのでスピードも出るし、ねらうプレースメ

ント(コース)も、厳しいのでサービスエースも、取れます。何と

言っても、ミスがほとんどないので、相手は、なすすべがありませ

ん。子供の頃から、両親が、イスでの生活と、トイレは洋式にして

大きな大人になってほしいと、願って育てたそうです。それが、後

にテニスプレーヤーになった時に、役にたったのです。子供にも恵

まれて、特に娘の沢松直子は、ウィンブルドンを始め、4大タイト

ル大会にも出場する選手になりました。かなり、強くて活躍しまし

たよ。沢松和子とアン清村の優勝の後は、杉山愛のダブルスまでは

優勝は、なかったように思います。とにかく、この二人の優勝は素

晴らしかったのを、憶えています。ウインブルドンで優勝したので

すから。それも日本人として初めてですから。素晴らしい。

 

 

 

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