輪島・町野・1946年創業、スーパー休まず営業中、「困っている」と聞いたら。

能登半島地震で大きな被害が出た輪島市町野町で、地震発生後から

能登半島地震で大きな

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1日も休まず営業を続けるスーパーがある。多くの家屋が倒壊する

被害が出た輪島市町野町で

などした地域は他にスーパーがなく、市中心部まで買い物に行けな
地震発生後から

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い住民にとっては生命線のような存在だ。店の2代目の本谷一郎さ

 

ん(75)は「地域にささえられ、ここまでやってこられた。今度

は自分たちが恩返しする番だ」と意気込む。

「おー、生きとったか」

「おー、生きとったか」「これ持っていって。遠慮せんと」。店先
「これ持っていって。遠慮せんと」、戻る1

に設けたスペースで、石油ストーブで温めた缶コーヒーを配り、住

民と談笑するのが本谷さんの日課だ。顔なじみの客が立ち寄ると、

一服しながら地震時の状況やどんな気持ちだったかを語り合う。

 

避難所生活が続く住民にとって、地域唯一のスーパーは憩いの場

でもある。本谷さんは「避難所ではゆっくりできない。ここでた

わいもない話をして、少しでも息抜きになれば」とほほ笑む。

「もとやさん」と呼ばれてきた。

1946年創業の「もとや庄治商店」は、住民から親しみを込め

て「もとやさん」と呼ばれてきた。地震から2月上旬までは停電
地震から2月上旬までは、戻る2

していたため、客には薄暗い店内を懐中電灯で照らしながら買い

物をしてもらった。今は生鮮食品はないが、さまざまな種類のお

菓子や酒、調味料などのほか、ストーブといった家電も取り扱う。

 

過疎化が進み、地域にいくつもあった商店は次々とシャッターを

下ろした。地震が起きた元日は休業日だったが、客が電池や水を

求めて訪れ、急きょ店を開けた。「『困っている』と聞いたら休

めないでしょ」

 

店に隣接する自宅は損壊ですめなくなり、防犯も兼ねて店の一角

で寝泊まりを続ける。避難所に行かない理由は、客が来た時にす

ぐ気付いて対応し、気軽におしゃべりできるようにするためだ。

「2次避難などで離れた住民が」

2次避難などで離れた住民がどれだけ戻るかは見通せない。一方
どれだけ戻るかは見通せない、戻る3

で慣れ親しんだこの地にのこりたいという声も多く聞く。「お客

さんは家族みたいなもの。復旧が進んだら、喜んでもらえるよう

な商品の販売をいち早く再開したい」と本谷さん。この店先から、

地域のこれからを見つめていきたいと思っている。

 

 

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(名物串揚げ「かかし」販売再開・輪島の精肉店)

輪島市の朝市通りに近い精肉店「藤田総本店」は22日までに営

業を再開した。名物の串揚げ「かかし」や唐揚げなどを販売し、

常連客が列をつくった。

 

店舗は無事で、井戸水が水質検査で使えることが分かった。藤田

眞也店長(32)は「みんなが大変な中にあるので、少しでも喜

んでもらおう」と営業再開に踏み切った。

 

22日はウズラの卵とウインナーなどの「かかし」のほか、カボ

チャコロッケ、エビダンゴなど5種を販売した。輪島出身の会社

員矢部愛さん(30)=愛知県岡崎市=は実家の罹災証明書申請

などで輪島に戻ったついでに立ち寄った。「昔からよく利用して

いた。数年ぶりに食べるので楽しみ」と笑顔を見せた。

 

当面は営業期間を限定し、今週は23日までで午前11時~午後

1時。来週も数日間営業する。水道が復旧すれば自家製コロッケ

も再開する。こういう串揚げ専門店などは人気があってうまい。

みんなが地震で大変な時に頑張って応援するのでしょうね。感謝

です。

 

 

 

 

 

 

津幡に創業支援拠点、町商工会開設へ隣接地取得、活用検討会を設置。

津幡町商工会は14日までに、創業支援施設の開設に向け、同町清

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水の商工会館に隣接する河北郡市土建協同組合の土地と建物を取得

 

した。コワーキングスペースや貸しオフィス、研修室などとしての

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活用を想定し、今年度は検討会を設置して利用方法を協議する。商

 

工会は操業の拠点と位置付けて地域経済の活性化につなげる。

 

津幡町商工会が取得した河北郡市土建協同組合の土地は約700平

方メートル。建物の延べ床面積は約460平方メートルで、取得額

は約1600万円となる。同組合の事務所は商工会館に移った。

 

操業支援施設の開館時期は未定。今年度に設置する検討会は創業の

ノウハウを持つ有識者や商工会青年部の会員、町の担当者らで構成

し、建物をそのまま使うか、建て替えるかを含めて施設の具体的な

内容について話し合う。15日に町文化会館シグナスで開かれる総

会で報告する。

 

津幡町商工会の会員は686事業者で、近年は操業に関する相談が

年間10件以上寄せられているという。企業予定者や創業間もない

事業者が利用しやすい環境を整え、地場産業を盛り上げる。

 

商工会は若い世代の意見を取り入れ、行政の支援を受けながら整備

する計画で、操業支援施設の先行事例も参考に検討を進める。津幡

に操業支援拠点、町商工会開設へ隣接地取得、活用検討会を設置。

津幡町は旧の町の数倍の大きさまで伸びてきた。人口もかなり増え

たようだ。デパートはあるし、家電の量販店も大きな店がある。素

晴らしく伸びてきたものである。本当に感心します。

 

 

 

 

 

 

 

 

市民病院近隣公園へ、移転検討、基本計画に着手、まちなかで文化体験。

市は老朽化が進む市立病院(平和町3丁目)を、近隣にある平和町

市は老朽化が進む

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公園に移転させる方向で調整に入った。公園は国有地のため、管轄

市立病院(平和町3丁目)を、

する北陸財務局と取得に向けた協議を進め、新年度に基本計画の策
近隣にある平和町

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定に着手する。当初予算案に事業費2830万円を計上した。

 

 

候補地である平和町公園は、現病院から県道・寺町通りを挟んで斜

め向かいにある。敷地面積は9240平方メートルで、現在の市立

病院の1万1500平方メートルよりやや狭い。

「活用などをまとめる。計画の策定を」

基本計画では、新病院の機能や病床数、整備スケジュール、跡地の

活用などをまとめる。計画の策定を終え次第、基本設計、実施設計
終え次第、基本設計、実施設計、戻る1

に移る。

 

市立病院は1989(平成元)年に開業した。6階建ての本館のほ

か、別館と東館があり、21の診療科と306病床を備える。

「議論を重ねた。高さ制限のある現在地」

病院の再整備を巡っては、有識者による検討会が2018、19年

度に議論を重ねた。高さ制限のある現在地では病院機能を維持した
では病院機能を維持した、戻る2

上での建て替えが困難とし「候補地の選定後、約10年以内の完成

を目指すのが適当」などと移転を検討するよう提言していた。

 

村山卓市長はアクセス面や防災面などを総合的に勘案して候補地を

選定したとし「機能面については今の病院と同程度になると思う」

と述べた。市立病院は特定伝染病の赤痢やコレラのほか、結核など

も隔離する専門病院でもある。

 

 

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(まちなかで文化体験・ホールなど利用、仕組み作り)

市は新年度、市中心部にあるホールや公共空間を利用して、市民や

来訪者が年間を通じて文化芸術を体験できる仕組み作りに着手する。

新年度当初予算案に検討調査費300万円を計上した。

「金沢のまちなかには」

金沢のまちなかには北國新聞赤羽ホール、県立音楽堂、市文化ホー
北國新聞赤羽ホール、県立音楽堂、戻る3

ル、金沢歌劇座など複数の施設に加え、片町きららや香林坊アトリ

オ前広場などの公共スペースもある。市はこうした空間を活用した

い考えで、担当者は「まちなかに行けば、いつでも文化や芸能に触

れることができる仕掛けができないか検討したい」と話した。

 

 

 

 

 

 

 

 

早紀江さんから友枝さんへ悼む手紙、「たくさんのご苦労」「お世話になり感謝」。

61年前に日本海で行方不明となり、北朝鮮で暮らす寺越武志さん

61年前に日本海で

 

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(74)=志賀町出身=の母友枝さんが92歳で亡くなり、北朝鮮

行方不明となり、

に拉致された横田めぐみさん=失踪当時(13)=の母早紀江さん
北朝鮮で暮らす寺越武志さん
66回目の訪朝を機に友枝さんと
 

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(88)が金沢市の友枝さん宅に手紙を寄せた。友枝さんの長女

 

(71)が北國新聞社に明らかにした。「たくさんのご苦労をしの

び、心からお悔やみを申し上げます」。拉致問題を巡って立場は異

なるが、早紀江さんは北朝鮮に翻弄された同じ母として友枝さんを

悼んだ。

 

川崎市に住む早紀江さんの手紙は1日、香典とともに友枝さんと家

族宛てに届いた。便箋2枚に直筆で、「武志様のために全身全霊を

こめてのご活躍と熱意に、いつも応援をし、祈って参りました」

「大変お世話になりましたことを感謝しております」と書かれてい

た。

 

(みんな苦しんでる)

手紙には拉致被害者家族の思いを示すような文面があり、「たくさ

んの被害者はいまだ確認できず、本当にこんな事が起きていること

が信じられない思いで、みんな苦しんでおります」と記された。

「友枝さんと早紀江さんは、

友枝さんと早紀江さんは、ともに13歳のわが子と離れ離れになっ
ともに13歳のわが子と離れ離れに、戻る1

た。友枝さんは拉致被害者家族と行動をともにした時期もあったが

「北朝鮮の船に助けられた」と話す武志さんを尊重し、拉致の言葉

を封印した。一方の早紀江さんは、めぐみさんら拉致被害者の帰国

を最前線で訴え続けている。

 

(心で分かり合う)

友枝さんの長女によると、2人は表立って交流することはなかった

が、折に触れ、手紙や電話で思いを伝え合ってきた。

長女は「2人は心で分かり合っていたと思う。丁寧な手紙をいただ

き、母を思ってくれてありがたい」と話した。

 

早紀江さんは2019年2月、月刊北國アクタスで友枝さんの特集

を読み、「何という長い苦労の年月でありましょうか」と感想をつ

づった手紙を友枝さんに寄せた。昨年4月には友枝さんの入院を知

って筆をとり、「お大事にしてくださいね」と気遣っていた。早紀

江さんから友枝さんへ悼む手紙、「たくさんのご苦労」「お世話に

なり感謝」。(寺越さん母子の61年・友枝さんの歩み)

 

 

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「お母さん、拉致と言えば家族の」

「お母さん、拉致と言えば家族の縁が切れて会えなくなりますよ」
縁が切れて会えなくなりますよ、戻る2

寺越武志さん(74)は一時帰国した2002年10月、母の友枝

さんにこう話したという。

 

友枝さんは再会当時から、武志さんに北朝鮮に来た経緯を何度も聞

いた。武志さんは決まって「北朝鮮の船に助けられた」と言い、詳

しく聞こうとすると「眠っていて分からない」とはぐらかされた。

 

武志はそもそも、北朝鮮に来た経緯を話したがらんかった。武志が

拉致じゃないという以上、私が拉致問題に関わることはできん。聞

くことはやめた」

 

拉致を封印し、武志さんの身の安全と立場、生活を第一に優先した

友枝さん。この決断がなければ、66回もの訪朝を重ね、親子の時

間を過ごすことはできなかったかもしれない。

「武志さんは当時、平壌市職業総同盟」

(仕送り、命がけ)

武志さんは当時、平壌市職業総同盟副委員長という異例の出世を果
副委員長という異例の出世を、戻る3

たし、田舎の亀城から、朝鮮労働党の幹部も入居する平壌の26階

建てマンションの13階に引っ越していた。7LDKの広い間取りで

室内は冷暖房がよく効いたという。

 

友枝さんによると、肉や魚など食事の配給が豊富な時期があり、北

朝鮮で武志さんと暮らした夫・太左ヱ門さん=享年(86)=の糖

尿病治療も手厚かった。だが、やがて生活は苦しくなり、友枝さん

の仕送りなしでは成り立たなかった。

 

友枝さんは金沢で清掃の仕事に励み、訪朝のたびに衣類や家電製品

日用品を持って行き、お金もできる限り渡した。武志さんとの時間

はかけがえのないものだったが、「仕送りは命がけ」と漏らすほど

の負担も抱えていた。

 

(つなぐ糸は細く)

2018年4月、当時87歳の友枝さんは66回目の訪朝に際し、

「これで最後」と心に決めて海を渡った。「年やし、金沢で一緒に

暮らす長女の家族にも心配をかけたくない。もう、武志を助けるお

金もない」しかし、「面倒を見るから一緒に住みましょう」「元気

でまた会いましょうね」と話す武志さんに、最後とは言い出せなか

った。

 

「これで最後、諦めようと思うと、幼い武志のかわいさや再会の時

の喜びが頭に浮かんで、決心が揺らいでしまう。でもどうにもなら

ん、もう最後なんやと何度も自分に言い聞かせた」

「66回目の訪朝を機に、友枝さんと」

66回目の訪朝を機に、友枝さんと武志さんをつなぐ糸は細くなっ
武志さんをつなぐ糸は細く、戻る4

ていく。この北朝鮮による拉致問題は当時は大きな社会問題になっ

た。途中、小泉氏が首相の時に数人を北朝鮮から連れて帰ってきた。

これも大きなニュースになった。小泉氏は素晴らしい仕事をしたと

思います。しかし、それ以来いまだに全容は解決していません。

 

 

 

 

 

 

 

被災飯田高生金大医学類へ、大畠さん「大好きな珠洲で医師に」。

能登半島地震で被災した女子高生が金大医学類に合格し、「大好き

能登半島地震で被災

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な珠洲で医師として働きたい」という夢へ歩み始めた。飯田高普通

 
した女子高生が

科3年の大畠帆乃夏さん(18)=珠洲市宝立町春日野。小学生の
金大医学類に合格し

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頃、同居していた祖母が金沢まで治療に通う姿を見て志した地域医

 

療の道は、元日以降、満足に勉強できない苦難の連続だった。卒業

式がある3月1日は、地震発生から2カ月の節目の日。暮らしやす

い故郷にしたいと、復興への決意を胸に新たな生活を心待ちにして

いる。

 

飯田高からの金大医学類合格は11年ぶり。医師不足と偏在の解消

を目的とし、地元生徒を対象に設けられている「地域枠」での入学

で、石川県が奨学金を貸与する代わりに、大畠さんには一定期間、

指定地区での勤務が課される。

 
「大畠さんが医師を目指したのは」

(祖母がきっかけ)

大畠さんが医師を目指したのは小学校低学年の頃だ。当時、持病
小学校低学年の頃だ。当時、戻る1

を抱えていた祖母は毎月金沢に通院していた。故郷の医師不足を

実感したという。祖母が珠洲市総合病院に転院してからは、地域

の基幹病院の重要性を強く意識するようになり、医学部合格を目

標に勉強に励んだ。

 

元日は約2週間後に迫った大学入学共通テストに向け、自宅で追

い込みの真っ最中だった。突然の衝撃に、家族とともに近くの高

台に逃げた。

 

(懐中電灯の明かりで)

地震で自宅は損壊した。揺れが収まってから、母親が参考書やノ

ート、筆記具を持ってきてくれたが、それから5日間は、昼は自

宅の片付け、夜は車中泊の生活が続き、懐中電灯の明かりを頼りに

参考書を開いた。

 
「学校再開が見通せず、不自由な生活の中で」

学校再開が見通せず、不自由な生活の中で勉強を重ねた大畠さん。
勉強を重ねた大畠さん、戻る2

面接試験を経て、2月13日に合格の知らせが届いた。

 

奥能登は医師不足が顕著で、今回の地震では拠点の公立病院で退

職者が相次ぐなど厳しい環境にさらされている。それでも大畠さ

んは「地震があって苦境が続く珠洲の役に立ちたいという思いが

一層強くなった」と話す。

 
「3年間担任を務めた田喜知康大教諭」

3年間担任を務める田喜知康大教諭(37)は「1年生の頃から
(37)は1年生の頃から、戻る3

『医師を目指す』と話していた。地域医療の一翼を担ってほしい」

とエールを送った。被災飯田高生金大医学類へ、大畠さん「大好

きな珠洲で医師に」。同居していた祖母が金沢まで治療に通う姿

を見て志した地域医療の道は、元日以降、満足に勉強できない苦

難の連続だった。それでも金大医学部に合格して医師を目指して

新たな生活が始まった。将来は地域医療の立派な医師になること

でしょう。

 

 

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症状急に出たり進んだり、診察室、ざっくばらん、治せる認知症。

「認知症は、直せない。新治療薬レカネマブは、進行を遅くするだ

認知症は、直せない。

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け」と聞いて、がっかりした人もいる。そこで、今回は、治せる認

新治療薬レカネマブは

知症の話をしよう。
進行を遅くする

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71歳のDさん。「きっと認知症に違いない」と、家族に連れられ

 

てきた。「もともと、少し忘れっぽいところがあった。それが、約

2週間ほど前から、急にひどくなった。いつもボーとして、どこで

ぶつけたのか、車に痕がついている」と、奥さんはやや興奮気味で

ある。

 

確かに、Dさんには、記憶障害や判断力の低下がみられる。だが、

それらの症状が急に悪くなったというのは、認知症にしてはちょっ

とヘンだ。よく診ると、左の手足に軽い麻痺がある。すぐに、頭の

MRI(磁気共鳴画像)の検査をする。と、大きな「慢性硬膜下血腫」

が見付かったではないか。緊急手術をして、Dさんの認知症の症状

も手足の麻痺も、きれいになくなった。実は、1、2カ月前に、頭

を打撲していたのだ。

「Dさんのケースのような治せる」

Dさんのケースのような治せる認知症には、慢性硬膜下血腫以外に
認知症には、慢性硬膜下血腫以外に、戻る1

水頭症や脳腫瘍などがある。ビタミン欠乏やホルモン異常による病

気もある。その治せる認知症と直せない認知症との違いは、症状の

経過である。アルツハイマー型などの変性疾患による認知症では、

もの忘れや生活障害などが少しずつ、ゆっくりと、いつの間にか進行

する。

 

一方、治せる認知症では、急に様子が変わったり、もともと忘れっぽ

かったのが、ある時急に進んだりする。手足の力が入らないとか、思

ったことが言えないなどの脳の部分的な症状があれば、治せる認知症

の疑いは濃くなる。

 

認知症に対する不安が強いと、受診をためらう人も少なくない。が、

治療のタイミングを失すると大事に至ることもあるのだ。なーに、

ちょっとした検査や採血をするだけだって。症状急に出たり進んだ

り、ざっくばらん、治せる認知症、早めの花粉症対策を。認知症は

怖い病気です。もの忘れだけならいいのですがアルツハイマー型は

怖いです。ゆっくりと進行して発病すると人格も変わる怖い病気で

す。

 

 

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「花粉症の患者さんは全国で約2千万人」

(健康よもやま話・早めの花粉症対策を)

花粉症の患者さんは全国で約2千万人いるとされており、年々増加
いるとされており、戻る2

しています。花粉症による目の痒み、目やに、充血、鼻水、鼻づま

りなどの症状は睡眠障害や集中力低下につながり、仕事や勉強にも

影響が出ることもありますので、早めの対策をして上手に花粉シー

ズンを乗り切りたいものです。

 

治療は抗アレルギー薬の点眼薬や内服、症状に応じてステロイド点

眼や眼軟膏を処方する場合もあります。ステロイドは即効性があり

ますが、眼圧上昇や感染症といった副作用を生じることが眼科専門

医の指導のもと注意して使用しましょう。また、春季カタルのよう

な重症のものでは、免疫抑制剤の点眼薬が有効です。

 

花粉症の時期は眼鏡の方がよいですが、軽症でコンタクトレンズを

使用する場合は1dayタイプのレンズがお勧めです。抗アレルギ

ー薬が配合されているコンタクトレンズもあり、早期からの使用で

症状を抑えることが期待できます。

「特に、毎年花粉症の症状が」

特に、毎年花粉症の症状が出る方は、飛散開始の2週間前から治療
出る方は、飛散開始の2週間前から、戻る3

を開始する「初期療法」が推奨されています。初期療法には症状が

出る時期を遅らせ、花粉症ピーク時の症状を軽くするというメリッ

トがあります。早めに受診して花粉シーズンに備えましょう。花粉

症はある年に突然、発症することがあると言います。発症したら早

く専門医を受診して治療を受けましょう。花粉症は辛い病気です。

十分に注意しましょう。