扉外れ床に砂、ガラス散乱、さいはてのキャバレー無残、復興の象徴再起願う。

扉外れ、砂交じりの床には割れたガラスが散乱していた。珠洲市の

扉外れ、砂交じりの床には

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飯田港近くにある「さいはてのキャバレー」。奥能登国際芸術祭で

割れたガラスが散乱

情報発信を担った拠点は空き家のように荒れ、地震と津波の脅威の
していた。珠洲市の

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跡がまざまざと残っていた。他の常設アート作品も被害が出ている。

 

復旧は容易ではないだろうが、必ずや再起すると信じ、今の惨状を

目に焼き付けた。

 

珠洲市を襲った津波は4メートル超と推定される。キャバレーが立

つ港近くは、津波の影響や多数の地割れが確認され、車では近づけ

そうにない。歩いて向かうと、壁に無数のひびが入った外観が見え

てきた。中の被害が大きいのは容易に想像がつく。

「恐る恐る足を踏み入れると」

恐る恐る足を踏み入れると、津波に流されたのか、いすや机は屋外
津波に流されたのか、いすや机は、戻る1

に投げ出されていた。フロアには砂利やガラスの破片が飛び散り、

棚も崩れ落ちている。ステージの照明器具も床に打ち付けられて原

形をとどめていなかった。

 

さいはてのキャバレーは元々、珠洲市と佐渡市を結ぶ定期船の待合

室があった場所だ。1978年に定期船が廃止されると、一時はカ

フェに。2017年の奥能登国際芸術祭では東京在住のアーティス

トがアート作品として再利用し、18年からはイベントやパーティ

ー場などとして貸し出されて来店客が絶えなかった。

 

近くに住む自営業の瓶子透さん(54)は「芸術祭の時はいつも、

にぎわっとったね」と、遠い昔のことのように思い返す。

「昨年の奥能登国際芸術祭2023」

昨年の奥能登国際芸術祭2023では、トークイベントの会場とし
では、トークイベントの会場、戻る2

て使用され、多くの人が足を運んだ。瓶子さんは、いまだに現実を

受け止められないそうで、「たった1日で何もかも変わった。珠洲

はどうなるんやろ」と嘆いた。

 

(他のアートも被害大)

今回の地震では他のアート作品も大きな被害を受けている。正院町

飯塚にある「あかるい家」は扉が倒れ、吹き抜けのようになってい

た。まだ被害確認が追いつかないアート作品も少なくない。

「わずか3カ月前まで開催されて」

わずか3カ月前まで開催されていた芸術祭は、昨年5月の地震にめ
いた芸術祭は、昨年5月の地震に、戻る3

げない「復興への光」をテーマに掲げ、延べ約5万1千人を、さい

はての地に呼び込んだ。光は今、小さくなったかもしれないが、き

っと消えることはないだろう。珠洲がまた復興を遂げ、その象徴と

なるアートの祭典が再び開かれる日が来ることを願ってやまない。

扉外れ床に砂、ガラス散乱、さいはてのキャバレー無残、復興の象

徴再起願う。震度7近い地震が来れば普通の建物は倒壊すると思う。

特に珠洲と七尾の被害が大きい。道路の寸断や火災と断水。これで

は普通の生活は無理です。

 

 

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羽咋・山崎麻織物工房、能登上布織子に志願増、新たに2人「伝統継ぐ」

県無形文化財の高級麻織物「能登上布」を作り続ける唯一の織元山崎麻織物工房

県無形文化財の高級麻織物

 

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(羽咋市下曽袮町)で3年未満の織子3人が腕を磨いている。うち2人は今年入

能登上布を作り続ける唯一の

ったばかりで、いずれも伝統の技をうけつぎたいと自ら希望してきた。同社によ
織元山崎麻織物工房

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ると、1年に複数の見習いが増えるのは初めてで、関係綺は手織り技術の継承と

 

生産向上に期待を寄せている。

 

(県内各地から)

同社には現在20~70代の織子が15人在籍する。地元だけでな

く、加賀、能登問わず県内各地から通う。

「近年は交流サイト(SNS)などで能登上布に」

近年は交流サイト(SNS)などで能登上布に関心を持った女性が織子
関心を持った女性が織子、戻る1

を志願するケースが増えているという。3年間ほどの研修期間中に

ある40~50代の3人もインスタグラムやイベントをきっかけに

工房の門をたたいた。

 

金沢市から週3日通う吉田知美さんは、同社のワークショップに参

加して織子となることを決めた。金沢美大で身につけた染色の技術

もあるが、麻だけの織物は初めてで「織むらがなくきれいに仕上げ

るのはとても難しい」と話す。

 

「セミの羽のような」と表現される能登上布は、通気性と肌触りの

良さから夏の着物地として重宝される。全てが手仕事で作られ、平

成の初期には織子が数人にまで減って廃業の危機にあったが、4代

目の山崎隆社長は「数年に1人の割合で織子の希望者が入ってきて、

何とか続けることができた」と話す。

「能登上布は近年、小物雑貨のブランド」

(手織りの良さ広まる)

能登上布は近年、小物雑貨のブランド展開を始め、ファッション分
展開を始め、ファッション、戻る2

野に進出。そうした中で一人前の織子を目指す女性が増えてきたこ

とについて、久世英津子常務は「手織り仕事の良さが広まってき

た」と手応えを語る。

 

「能登上布は石川県の中でも貴重な技術。守り継げるよう努力し

たい」と吉田さん。織子仲間とともに織機に向き合う日々を送っ

ている。

「見学や反物、着物の販売のほか、」

山崎麻織物工房では2日まで「年納めまつり」を行っている。工

房見学や反物、着物の販売のほか、体験染めなどができる。4日
体験染めなどができる、戻る3

までオンラインショップも設ける。羽咋・山崎麻織物工房、能登

上布織子に志願増、新たに2人「伝統継ぐ」。明治・大正時代に

能登上布は多くの工場で織られていた。最盛期であった。昔は能

登上布は黒に近い地味な色が多かった。しかし、現在は派手な原

色などが使われるようになってきた。

 

 

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さいはて、祭りのあと、人つなぐ19世帯の集落、親睦深めキリコも巡行

山あいに収穫を終えた棚田が連なる。11月下旬、19世帯約50

山あいに収穫を終えた

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人が暮らす珠洲市若山町吉ケ池では秋の終わりを惜しむように、所

 
「棚田が連なる。11月下旬」

々、赤や黄色の紅葉が美しい姿を見せていた。
19世帯約50

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里山の風景が目を引く一方、集落に人影はさっぱりだ。奥能登国際

 

芸術祭2023が開かれた9~11月、アート作品が展示された会

場は毎日、住民が5、6人ずつ交代で顔を出してにぎやかだっただ

けに、過疎化が進む現実を垣間見たようで、切なくなる。

 

(作家招き安全祈願)

しかし、区長の田畑稔さん(76)は「な~んも寂しくないわ」と

事もなげだった。集落の空き家が展示会場になったのは、田畑さん

の力が大きい。集落を盛り上げようと、住民の了解を取り付けて2

年前の前回芸術祭から会場に手を挙げている。

 
「ボランティアが運営を担う会場が」

珠洲一円にアート作品が点在した芸術祭では、市職員や市外からの

ボランティアが運営を担う会場が多かった。一方、吉ケ池では住民
多かった。一方、吉ケ池では住民、戻る1

総出で会場の草刈りや大掃除に取り組み、会期中は収穫したシイタ

ケなどを提供し、来場者をもてなしてきた。

 

会場には金沢市の家具デザイナー原嶋亮輔さん(43)の作品が置

かれた。芸術祭の開幕前、住民が原嶋さんを招き、安全祈願祭も営

んだ。原嶋さんは「吉ケ池の皆さんと生まれた緑を1回で終わらせ

たくない。4回目の芸術祭に参加できるなら、また吉ケ池を会場に

したい」と感謝した。

 

芸術祭は3年ごとのトリエンナーレ方式で行われる。次回開催は未

定だが、田畑さんは「3年後」を見据え、前回も作品会場となった

空き家のメンテナンスを続ける考えだ。「芸術祭に関わるようにな

って、集落の雰囲気が変わってきたんや」と話す。

 
「今年の秋まつりでは、4年ぶりに」

(初の女性担い手)

今年の秋まつりでは、4年ぶりにキリコが繰り出した。男手が足り
キリコが繰り出した。男手が、戻る2

ないため、コロナ下で中止していた巡行をためらう声が多かったが、

女性が車輪付きの台に乗せたみこしを引き、担い手不足を補った。

集落の女性にとって初めての経験で、祭りが終わった後は「来年も

やりたいね」と笑顔が広がったという。

 

集落にとって、芸術祭は住民が親睦を深める機会になった。駐車場

の誘導や作品の説明、地元産品の販売などを手分けし、前回は約7

千人、今回は約7200人が訪れた。田畑さんは「コロナ前まで開

いていた花見やバーベキューを再開できないか、集落で話し合いた

い」と前を向く。

 
「過疎と高齢化が深刻な吉ケ池では、」

過疎と高齢化が深刻な吉ケ池では、芸術祭が住民の絆を深め、行事
芸術祭が住民の絆を深め、戻る3

の継続を後押しした。刺激的な現代アートは歴史と伝統が息づく能

登の営みがあってこそ輝きを増す。地域のともしびをつなぐおじい

ちゃん、おばあちゃんたちの姿もまぶしく映った。さいはて、祭り

のあと、人つなぐ19世帯の集落、親睦深めキリコも巡行。能登は

少子高齢化が進んでいる。でもこの地で芸術祭が開催されるのは素

敵なことだと思います。わざわざ金沢から田畑さんを呼んで作品を

展示してもらっている。能登にとっては素晴らしいことだと思われ

ます。今後も長く続いてほしいと思います。

 

 

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金沢城公園(金沢市)、百万石の繫栄・始まりの地、戦は女たちの悲劇

小説「銀嶺のかなた」は前田利家「金沢入城」へと歩を進めた。こ

小説「銀嶺のかなた」

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れより300年にわたって加賀百万石の繫栄が始まり、明治まで続

は前田利家「金沢入城」

くのである。小説では、時は天正11年4月27日、西暦では15
へと歩を進めた。

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83年6月17日。

 

 

この春まで、利家は能登一国の主だった。七尾城から賤ケ岳合戦に

出陣した。織田信長の後継者をめぐって対立した柴田勝家と羽柴秀

吉の戦いである。

 

(戦は女たちの悲劇)

戦は女たちの悲劇でもある。「銀嶺のかなた」で語られるお市が、

徳川家康と祝言を挙げていた、という展開は衝撃だった。

 

お市の人生は、戦国の国盗り合戦のために翻弄される。兄、信長

の命によって浅井長政に嫁ぎ、3人の姫を産みながら、信長によっ

て浅井家が滅ぼされた。信長の死後、清須会議で決められて身を寄

せた勝家も、秀吉によって滅ぼされてしまう。

「お市が北庄城に住んでいたのは」

お市が北庄城に住んでいたのは、長女、茶々と勝家の養子、佐久間
長女、茶々と勝家の養子、戻る1

勝之との縁組のためだったという。そのため勝家のもとに、お市と

3人の姫がいたのである。

 

絶世の美女と呼ばれたお市は、落城間近に娘たちを城から出して、

勝家と運命を共にする。

 

夫でないなら、それだけの義理はないはず。お市から聞いた言葉

を、利家は秀吉に伝えた。

 

「お市の方さまは親父さまではなく、織田家に殉じるとおおせら

れた」

しかし狡猾な秀吉は「そんなことが世に知れたら、わしが織田家

を滅ぼしたように思われてまうでにゃーか。だで、夫の勝家に殉

じたことにするで。その方が話としても面白いし、世間も納得す

るがや」

「秀吉のしたり顔が、目に見える」

秀吉のしたり顔が、目に見えるようである。にゃーにゃーと、おど
ようである。にゃーにゃーと、戻る2

けたように聞こえる物言いにくるまれているが、そこに老獪に立ち

回る秀吉のずる賢い策略が隠されている。

 

若い頃から、夫婦ともに親しかった「超人秀吉」に、利家は屈服し

た。

 

賤ケ岳での合戦の後、秀吉は利家に加賀二郡を与えた。佐久間盛政

に代わって、戦わずして金沢城主となったのである。

 

(真っすぐに伸びて)

利家が入った金沢城の大手門入り口には、今も水をたたえている大

手堀がある。兼六園口にある石川門は観光客で大にぎわいだが、こ

こを訪れる人はそれほど多くはない。

 

石垣は高く、角に巨石が使われていて、正門らしき勇壮な品格があ

る。この門から参勤交代の大名行列が出発したのだと思って振り返

ると、尾張町交差点まで、道が気持ちいいほど真っすぐに伸びてい

る。この道から加賀藩主、前田家の歴史が始まったのだ。

「紅葉した葉が、静かなお堀の水に」

紅葉した葉が、静かなお堀の水に、はらりと落ちていった。金沢城
はらりと落ちていった、戻る3

公園(金沢市)、百万石の繫栄・始まりの地、戦は女たちの悲劇。

金沢城は本当に立派な城だと思います。特に石垣の積み方が独特な

特徴があります。それに高く積んであります。敵は攻めにくかった

でしょうね。城の隣りの金沢城公園は百万石行列の最後の場面で使

われます。きれいに整備された公園です。

 

 

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霧島V王手、意地の完勝、直接対決、熱海富士落胆、年間最多勝決める

(25日・福岡国際センター)

(25日・福岡国際センター)

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大関霧島が平幕熱海富士との2敗同士の直接対決を寄り切りで制し、

12勝2敗で単独首位に立った

12勝2敗で単独首位に立った。千秋楽の大関貴景勝に勝てば、4

千秋楽の大関貴景勝に勝てば

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場所ぶり2度目の優勝が決まる。霧島が敗れ、熱海富士が関脇琴ノ

 

若に勝てば、3敗で並び優勝決定戦にもつれ込む。

 

(年間最多勝決める)

 

霧島は今年の61勝目で、初の年間年間最多勝が確定した。

「大関豊昇龍は翠富士を上手投げで」

大関豊昇龍は翠富士を上手投げで退けて9勝目。貴景勝は関脇大栄
退けて9勝目。貴景勝は関脇、戻る1

翔に突き出されて5敗目を喫した。大栄翔は9勝目。琴ノ若は10

勝目をマークした。関脇若元春は5勝目を挙げ、小結阿炎は負け越

した。

 

十両は琴勝峰と大の里が11勝3敗で首位を守った。

 

大一番を控えた14日目の朝、霧島は「どっちが稽古してきたかの

結果が出る」と気合十分に語った。熱海富士に大関の意地を存分に

示して完勝し、単独首位に立った。初の年間最多勝も確定させ「ま

だ一番ある。その後に喜びたい」と千秋楽に気持ちを集中させた。

 

冷静さが光った。立ち合いで突っかけた相手と目が合わないことに

気付き「緊張しているな。自分の相撲を取ろう」と神経を研ぎ澄ま

せた。右下手を引き、左おっつけで攻める。左を巻き替えてもろ差

しを果たし、左へ回り込む相手に密着して寄り切った。

新大関の名古屋場所は肋骨のけがで

新大関の名古屋場所は肋骨のけがで初日の休場から途中出場したが、
初日の休場から途中出場したが、戻る2

負け越した。体調管理に気を配りすぎて稽古量を落とす時期もあり、

師匠の陸奥親方(元大関霧島)に「やらなきゃいけないことはやら

ないと」と諭された。昇進伝達式の口上にも込めた「稽古」で原点

に返り、本来の強さを取り戻した。

 

昇進3場所目で大関として初の賜杯となれば、年明けの初場所は綱

とりのチャンスが巡ってくる。来年4月に日本相撲協会の定年を迎

える鹿児島県出身の師匠は最後のご当地場所となり、しこ名を継い

だ弟子は「変わらず、自分のペースでいきたい」と思いを内に秘め

る。特別な意味のある1年収めの場所を歓喜で締めくくれるか。

 

(直接対決)

支度部屋に戻った21歳の熱海富士はため息をつき、首をかし

げた。2人に優勝が絞られた直接対決で霧島に敗戦。千秋楽で

自身が勝ち、大関が敗れれば、優勝決定戦に持ち込まれるが

「(可能性は)ない。もう言うことはない」と落胆した。

 

2度目で立つと、右四つから巻き替えられ、もろ差しを許す。

左へ回り込もうとしたが、大関の出足に寄り切られた。完敗

も、土俵下の粂川審判長(元小結琴稲妻)は「いつもと同じ

でリラックスし、緊張した感じではなかった」と精神面の安

定を評価した。

「先場所は単独首位で千秋楽を」

先場所は単独首位で千秋楽を迎え、本割と優勝決定戦で連敗
迎え、本割と優勝決定戦で連敗、戻る3

し、初賜杯にあと一歩届かなかった。今場所も快進撃を見せ、

勢いだけでない、確かな地力を証明した。今度は追う立場。

「明日あるので切り替えないと」と自らに言い聞かせるよう

に話した。霧島V王手、意地の完勝、直接対決、熱海富士落胆、

年間最多勝決める。今場所の大関霧島は安定していて強かった。

13勝2敗は立派な優勝成績だと思います。練習量がかなり多い

と思いました。やはりどんなスポーツも練習量が多い人がうまく

なります。それと体力が自然にかなり付きます。長い試合は体力

勝負になります。

 

 

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神戸J1初制覇、前半2発で逃げ切る、始動日に震災苦難の歴史変えた

明治安田J1第33節最終日(25日・ノエビアスタジアム神戸ほ

明治安田J1第33節

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か=7試合)30周年のシーズンで、首位の神戸が最終節を前に

最終日(25日・

リーグ初優勝を決めた。井出と武藤がゴールを決め、名古屋に2
ノエビアスタジアム神戸は

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ー1で競り勝って勝ち点68。2位の横浜Mと4差に広げ、残り

 

1試合で逆転の可能性がなくなった。

 

前節17位の湘南は最下位の横浜FCとの直接対決を1ー0で制

し、勝ち点34で残留を決めた。横浜FCは同29のまま。柏は

鳥栖と2-2で引き分け、同32で残留決定は持ち越した。

 

広島は3-0でG大阪に完勝して3位に浮上し、浦和は2-3

で福岡に敗れて4位に後退。京都はC大阪に競り勝ち、札幌はFC

東京を破った。

「神戸の山口主将が高々と」

神戸の山口主将が高々とシャーレ(優勝皿)を掲げた。阪神大
シャーレ(優勝皿)を掲げた、戻る1

震災に見舞われた始動日から、クラブはずっとこの日を目指し

てきた。経営難による消滅危機や2度のJ2降格、昨季の残留争い。

選手時代も含めて苦難の歩みを知る吉田監督は「今日で歴史は変わ

った」と高らかに言った。

 

今季象徴する泥くさい戦いぶりだ。先制点は前半12分。敵陣での

スローインから粘り強く競り、大迫のパスで抜けた井出が決めた。

2分後には大迫の左クロスを武藤が押し込み加点。2-1となった

後の同40分過ぎにはDF山川が体を投げ出して決定機を防ぐ。最

後まで全員が体を張った。

 

大迫や武藤、山口、酒井の元日本代表勢に中堅の成長がかみ合った。

その象徴がイニエスタから定位置を奪った24歳の佐々木だ。かつ

ては「ライバルにするのもおこがましい」と名手に遠慮したが、公

平な競争の中で「いい意味で追い出さないと」と奮起した。

 

表彰式では左膝の大けがで離脱中の斉藤にもシャーレが渡った。2

度の手術の合間も練習場を訪れ、仲間を激励したMF。代役の扇原

は「未月(斉藤)の代わりに出るなら覚悟を持ってやらないと」と

肝に銘じた。傷つき、苦しむ誰かを思いやり戦うー。地元と支え合

い、苦難を乗り越えてきたクラブらしい姿だった。

「文字通りの大黒柱だった。第33節」

(大迫やっぱり半端ない)

(22ゴール総得点の4割)

文字通りの大黒柱だった。第33節までのチーム総得点59点のう
までのチーム総得点59点の、戻る2

ち、33歳のFW大迫は22点と4割近くを決めた。自己最多だっ

た2013年の19点を超えて得点ランクトップに立つだけでなく、

優勝を決めた名古屋戦の2アシストなど味方にも取らせた。ポスト

プレーや守備で汗を流し、仲間も鼓舞するリーダーに「半端ないで

しょ」と吉田監督。この点取り屋をたたえる際に定着した言葉がふ

さわしい1年だ。

 

昨季は26試合で7得点と低迷。臀部と太ももの間の痛みが「4カ

月も取れなかった」という。サッカー人生を懸けたワールドカップ

(W杯)カタール大会の代表からも落選した。

 

雪辱に燃え、沸き上がったのは「神戸で何かを成し遂げたい」との

思い。まずは故障を抱えながら強行出場し、また離脱するという悪

循環を断ち切る必要があった。W杯のバックアップメンバーも断っ

て治療し、オフ返上で再調整した。

「10年W杯南アフリカ大会で活躍」

10年W杯南アフリカ大会で活躍できずに奮起し、13年に横浜M
できずに奮起し、13年に横浜M、戻る3

で当時最年長の35歳で年間最優秀選手となった中村俊輔にも重な

る今期の大迫。反骨心を燃やしたアタッカーは、栄光をつかむにふ

さわしい姿を見せた。神戸J1初制覇、前半2発で逃げ切る、始動

日に震災、苦難の歴史変えた。神戸には世界的に有名で偉大なイニ

エスタがいる。しかし、若手の佐々木に定位置を取られ引退するこ

とになった。イニエスタは名手だが誰でもいつかこの日が来る。神

戸の初優勝は全員でつかんだ素晴らしい結果だと思います。吉田監

督も今日で歴史が変わったと高らかに言った。大迫もまた素晴らし

い活躍をした。

 

 

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