高速道路を走って専用駐車場に車を停めて連休の砺波のチューリップフェアを見てきました

(高速道路を走って専用駐車場に車を停めて連休の砺波の

チューリップフェアを見てきました)

毎年恒例の4月末の、連休から始まる砺波の、チューリップフ ェア
毎年恒例

を、以前3回ほど見に行った事が、あります。子供達が、まだ小さ



い頃です。車で高速道路を走って、インターで降りて案内に、案内
4月末の

に従って駐車場まで、移動します。到着すると、あまりの車の多さ
連休から

に、驚きました。多分、何万台だと思います。そこから会場までは

内部リンク

歩きます。数分で着きます。会場に着いて二度目の、ビックリです

 

。人の多さです。何万人の人が来場しているのでしょうか。初めて

行った時は、特に驚きました。

「人の多さ」

人の多さにも驚きましたが、咲いて
咲いて、戻る1

いるチューリップは、沢山の種類が何十万本も、ありました。種類

を増やすには、相当の研究開発が、必要になるはずです。これだけ

外部リンク

の種類を作るのには、何十年もの年月が、かかっていて大変な仕事

 

だと、思います。よくぞこれだけの種類を、作り上げた物だと感心

して、感動します。来場者は子供達が多いですが、年代を問わずに

高齢者もかなり多いです。家族の憩いの場になって、いるのでしょ

う。中央には子供達が、遊べるように作ってあります。これは楽し

いと思いますよ。

 

 

 

 

 

「鑑賞する」

我々はチューリップを鑑賞するために、会場内をぐるりと、一回り
会場内を、戻る2

見て回りました。本当に素晴らしい光景でした。これだけの種類を

どうやって作り出したのか、不思議でなりません。おそらく大変な

努力と労力と、時間をかけたのでしょう。チューリップらしくない

チューリップも、沢山ありました。そんな物まで作ってしまう熱意

は、凄いですし、本当に心から敬意を表します。研究者魂と言うか

技術者魂と言うか、粘り強さと信念を感じます。私も技術者でした

から、開発チームの気持ちは、良く理解出来ます。

 

子供達は一緒に、チューリップを見るために、会場を一回り、した

後は中央の子供達が、遊べる所で遊んで、いました。会場自体も大

きくて、子供達だけでは、迷子になりそうな所です。この会場の他

に、ビニールハウスになっている、少し小さい所がありました。こ

こは新品種の展示場だったと、思います。ここも一通り見て回りま

した。ここにも綺麗な花が、多く見られました。

「フォークソング」

夕方からフォークソングの、バンバ ヒロフミさんの、コンサート
夕方から、戻る3

がありました。嫌な事に丁度、小雨が降って来ました。ギターを交

換して、コンサートは最後まで、続けました。さすがにプロだなあ

と思いました。私が思うに交換した、ギターは小雨が降った時に、

使う専用のギターのように、思われます。それにしても最後まで、

歌い切ったのは、さすがにプロだなあと、改めて感じました。何が

あっても対応出来るように、しているのは、立派だと思いました。

コンサートが終わってから、チューリップと球根を少し、買って、

帰るために駐車場へ、向かいました。楽しい一日でした。

砺波のチュウリップフェアを見て、感動しました。

 

 

 

 

 

コメント(以下に書いて下さい)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

里山海道を走って途中にある観光名所で休憩して能登キリシマツツジを見にある寺を目指して行きます

(里山海道を走って途中にある観光名所で休憩して能登キリシマ

ツツジを見にある寺を目指して行きます)

能登キリシマツツジを見に、ある寺を目指して、里山海道を走って
ある寺を

目的地へ向かった。その前にまず穴水を、目指す事にした。途中い



い景色の所が、沢山あるので3回以上の休憩を、取りながら車を走
目指して

らせた。1回目の休憩は小魚を網で、捕まえる所で休んだ。少し離
里山海道を

れた所に能登の大仏が、あると書いてあったが、場所が良く分から

内部リンク

たので、大仏へかっ行くのは止めた。また里山海道を走って、次

 

の目的地を目指した。次は穴水の少し手前で、休憩をした。そこで

自販機で缶コーヒーを、買って飲んで少し休んで、車を走らせて、

穴水を目指した。

「穴水に着いて」

穴水に着いて、里山海道を降りて、下道を走って
里山海道、戻る1

能登キリシマツツジの、咲いているお寺を、目指した。1時間ほど

で、その寺に着いた。沢山の能登キリシマツツジが、丁度、見頃で

外部リンク

見事に咲き誇っていた。無意識でカメラの、シャッターを切ってい

 

た。10枚も、20枚も、いや、50枚以上の写真を、取ったよう

に、思います。1時間以上、その寺にいたように、思います。写真

を取った後から、肉眼で能登キリシマツツジを、見て回りました。

本当に、綺麗に咲いていて、感動しました。今は新聞で、能登キリ

シマツツジを、海外へ輸出しようと言う、記事が書かれています。

この花は能登地方に、多く見られる花で、本当に、輸出されてそれ

で、能登が有名になって、少しでも豊かに、なればいいなあ。と思

います。能登には、このような場所が、沢山あります。

 

 

 

 

 

「観光名所に」

能登キリシマツツジの、観光名所になって多くの、観光客に見て、
観光客に、戻る2

もらいたいです。能登キリシマツツジの、色も数色あるみたいです。

種類は、多くは、ないですが代表的な、色は真っ赤とピンク色です。

どちらの色も、とても綺麗です。これが、海外に広まって、世界中の

どこでも見られるように、なれば素晴らしい事です。でも、良く考え

ると、余りにも多くなり過ぎると、希少価値が、なくなって価格が下

がってしまうと、思います。どの位が良いのかは、程度の問題だと思

いますが、難しい事だと、思います。増えすぎてもダメです。

「世界中の人達」

世界中の人達が、楽しめる程度が、丁度、いいと思います。でも今で
楽しめる、戻る3

は、世界中でかなり、有名になっていると、思います。目を楽しませ

る程度で、充分です。私も何回も見ていますが、本当に、綺麗な花で

す。特に群集で咲いているのが、凄く見事な迫力が、あります。この

花の一番の特徴的な所です。背の低い花が、群集で咲いているのも、

いいと思います。これも又、別の意味での特徴的な、所です。このよ

うに、日本の花が有名になるのは、悪い事ではありません。むしろ、

日本に取っては、いい事だと思います。

 

世界中には、本当に有名な花

が、沢山あります。ブランド品になって、いる花も多くあります。日

本からも、ブランド品の花が、沢山、出るようになれば、ベストです

。世界中の人達の目を楽しませて、もらえればと思います。

能登キリシマツツジを見にある寺を、目指して来て良かったです。

 

 

 

 

 

 

コメント(以下に書いて下さい)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高専時代にわざわざ高専まで来られる金大の先生に畳を手で叩いて柔道の受身から習ったのである

(高専時代にわざわざ高専まで来られる金大の先生に畳を手で

叩いて柔道の受身から習ったのである)

高専時代に金大の、先生に柔道を教えて、もらいました。畳を手で
高専時代

叩いて受身の練習から、習いました。受身の練習は徹底して、いま



した。4週位に渡って、行われました。受身の練習をするのが、嫌
柔道を教えて

になるほど、練習させられました。先生が言うには受身が、出来な
畳を手で

いとケガをするから、受身の練習は多くやらないと、いけないので

す。と言うのです。なるほどなあと思いました。

 

受身の練習が終わったら、組手の練習です。組手も長い間、練習さ

内部リンク

せられました。組手は攻撃の基本です。組手に勝った方が、勝負に

 

も勝つ確率が、高くなります。この間、若くしてガンで亡くなった

 

古賀先生は、オリンピックで大ケガを、しても優勝して金メダルを

取りました。1本背負いに、こだわる選手でした。ガンの事は実の

外部リンク

母親にも言わなかったそうです。家族に心配をかけたくないと、思

 

ったのでしょう。日本柔道界の大きな損失です。最近は女子大学の

監督をされていました。その女子大学は、数年前までは強くなかっ

たのですが、古賀先生が監督に、なってからは本当に、強くなって

有名な女子大学に、なりました。学生達も悲しくて、ショックだっ

た事でしょう。彼は将来、全日本の監督に、なれる人だったと信じ

ています。彼は真実一路の人でしたから、全日本の監督になったら

柔道界は、いい方向に向かうように、変わって行ったはずです。百

年に一度の選手だったと、思います。本当に惜しい人を、亡くしま

した。

「戻します」

話しを高専時代の柔道の、練習に戻します。組手の練習が終わった
練習に、戻る1」

ら、ワザを一つずつ、教えてもらいます。大外刈り、小外刈り、足

払い、内股、一本背負いなど、沢山のワザを教えて、もらって練習

しました。後は抑え込みも、何種類か教えて、もらいました。抑え

込みも相手に、逃げられないように、するには相手の動きに、合わ

せて自分も動きます。

 

 

 

 

 

「上の写真は」

上の写真は内股のワザです。内股は決まれば、綺麗なカッコイイ、
内股は、戻る2

ワザです。今の全日本柔道の会長が、得意だったワザです。払い

腰も決まれば、綺麗なワザです。このような難しいワザは、柔道

選手でないと決められない、気がします。我々が決めようと思っ

てもまず無理だと思います。1本勝ちは綺麗で、カッコイイです

が、我々にはまず無理です。我々はもっと泥臭い寝技位が、いい

所だと思います。寝技でもなかなか、決められません。判定勝ち

が精一杯だと思います。相手のいる試合ですから、1本勝ちは、

難しい事だと考えます。

「試合をすると」

本当に強い人と練習や、試合をすると組手を、組んで5分位すると
組手を、戻る3

かなり苦しくなって、疲れて来ます。全日本以上の選手だと、動か

す事すら出来ないような、気がします。高専時代に柔道を、習って

思った事は、柔道の奥深さでした。これは本当は全日本以上の選手

でないと本当の意味は、分からないような、気がします。

 

 

 

 

 

コメント(以下に書いて下さい)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

バスケット部のキャプテンをした中学最後の試合でミドルシュートを多用した市体のバスケットの試合

(バスケット部のキャプテンをした中学最後の試合でミドル

シュートを多用した市体のバスケットの試合)

中学時代の最後の市の大会の、バスケットボールの試合で、前半は
最後の市の大会

5点リードで、後半を勝ち抜けば3位に、なれると言う試合で相手



は、城南中学だった。先輩方も沢山の人が、応援に来てくれていま
中学時代

した。体力的には、まだ充分に余力が、ありました。ただ心配だっ
バスケット

たのは、相手チームのエースが、シュートが上手くて、良く入るの

で2ゴール決められると、逆転されるので、それだけが心配だった

 

いよいよ後半戦が、始まった。ずっと互いに点数の、取り合いで

内部リンク

試合は進んでいった。私はキャプテンをしていたので、シュートチ

 

ャンスがあれば、ドンドン、シュートを狙っていった。特にミドル

シュートが、面白いように決まった。こちらにも、もう1人エース

外部リンク

がいてシュートを良く決めて、くれていた。そのエースも、ミドル

 

シュートが得意で良く、決めてくれていた。城南のエースもシュー

トを何本も決めていた。

「走らされた」

こちらは良く走らされた。相手チームが、
こちらは、戻る1

動きが速くてディフェンスするのに、体力を使って少しずつ疲れて

きたのです。丁度その時に先輩達が、タイムアウトを取ってくれま

した。この時は、私も疲れていたので、本当に、ありがたかったで

す。先輩方は、あまり勝負の勝敗は、気にせずに最後まで、思い切

りプレーをしようと言ってくれました。これで気持ちが少し、楽に

なりました。

 

 

 

 

 

「試合時間が」

試合時間が残り3分になりました。5点差のままです。相手チーム
5点差、戻る2

のエースが気になります。エースは、あまり疲れていないように見

えます。残り3分で試合が急に、激しくなりました。みんな最後の

力を振り絞って、頑張っているようです。疲れも、もう限界に来て

いるはずです。それでも両チームの、選手の動きは落ちません。凄

い闘志です。どちらも最後の試合だから、歯を食いしばって、戦っ

ているのです。残り2分の所で相手チームの、エースがシュートを

決めました。3点差になりました。こちらは疲れているのか、なか

なかシュートが、決まりません。残り時間が1分に、なった時に、

相手チームのエースが、シュートを決めました。

「1点差に」

これで1点差に、
これで、戻る3

なりました。こちらは、さすがに焦って来ました。もう最後まで

力の限り頑張って、闘うしかありません。もう時間がありません

。残り時間が20秒位に、なった時に、また相手チームのエース

が、シュートを決めました。逆に1点リードされました。このま

までは負けてしまいます。何とか1本シュートを、決めなければ

なりません。しかし無常にも、時間切れで試合終了です。我々の

負けです。みんなの目には、少し光る物が見られました。残り3

分まで5点差で、勝っていたのに逆転負けです。先輩達は良く頑

張ったよ。勝敗は時の運も、あるからなあ。と言ってくれました

。でも本心は悔しさで、一杯でした。初の3位を逃しました。次

の試合が無いから、残念でした。それでも、帰る時にはみんな、

結構、爽やかな顔をしているのを、見て安心しました。

 

 

 

 

 

 

コメント(以下に書いて下さい)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

手仕事で田んぼにコロガシをして苗を植える目印を付けた田んぼに手で田植えをする

(手仕事で田んぼにコロガシをして苗を植える目印を付けた

田んぼに手で田植えをする)

これは40年位前の、人手を借りて、大勢の人で苦労して、多くの
40年位前の

労力を使って、田植えをした時の様子です。町にはグループが、幾



つもあって順番に他の家の、田んぼを一列に並んで、田植えをする
人手を借りて

のです。苗を何処に植えるかは、コロガシと言う道具を、使って、
大勢の人で

縦と横に転がしていくと十字の、印が出来ます。十字の交点に苗を

内部リンク

植えて行きます。全く、原始的なシンプルな、方法ですが、これが

 

以外と綺麗に田植えが、出来ます。昔の人の知恵の結晶です。全く

上手く考えられた方法です。先人達の生活の中から、出て来た知恵

の結晶です。

 

田んぼの端から端まで苗を植えると、片道が1回、終

わります。これを何時間もかけて、繰り返して全部、終わると1枚

外部リンク

の田んぼの田植えの完了です。1件の家には少なくとも、数枚の田

 

んぼがありますから、グループの田植えが終わるのには、1ケ月近

くかかっていたのでしょう。それが現代の田植え機では、7枚を4

日もあれば終わります。技術の進歩は凄い物が、あります。昔は米

が1俵で5万円ほど、したのでしょう。50俵で250万円で60

俵で300万円です。これだけあれば家族全員が、何とか最低限の

生活が出来たのでは、ないかと思います。

 

 

 

 

 

 

「コロガシを」

この写真はコロガシを、子供達5人でかけていますが、大人であれ
子供達、戻る1

ば1人か2人で、かけられると思います。コロガシの作業も、簡単

そうに見えますが、大切な仕事で神経も、使いますので以外と大変

な仕事で、結構、疲れる仕事だと思います。コロガシの作業は苗を

植えるのに、なくてはならない作業ですから、とても大切です。で

もある程度の経験がないと、出来ない作業だと思います。ある程度

のベテランの人が、行うのがベストです。上手く出来ないと田植え

が、できません。

しばらくして苗がある程度大きく、なったら消毒作業があります。

道具を背中に担いで、全て手作業です。消毒液がなくなったら、自

分で作らなければ、なりません。これらも全て手作業です。草が出

て来たら除草機を、手で押して田んぼを一回り、しなければなりま

せん。この作業も見た目以上に、労力が必要で疲れる仕事です。昔

の百姓はタフでないと、務まりません。それから肥料をやる時には

カゴなどに、肥料を入れて田んぼ1枚を、全部、手巻します。これ

も中々、骨の折れる作業です。1枚なら楽ですが、何枚もやるとな

ると大変です。

 

それから水の管理、これも用水路を一時的に、せき止めて自分の田

んぼに水を入れます。この作業はある程度の時間が、かかりますか

ら、昔はこの水の取り合いで、結構もめていたようです。今はどの

田んぼにも、バルブが付いていて、バルブを開くと水が入って来ま

す。今では水の取り合いで、もめる事はありません。

「稲刈りです」

最後は稲刈りです。田植えの時と同じ様に、グループで行動します
田植え、戻る2

。1列に並んで端から、スタートしてカマで稲の下の所を、切って

田んぼに寝かします。丁度いい大きさになったら、短い縄で根本を

縛ります。何度も往復してまずは、1枚を刈ってしまいます。何日

もかけて全部を刈ったら、船かトラックで稲を干す、ハサのある所

まで移動します。ハサの所に着いたら、1人が上に登って、2人ほ

どが下から上の人に、稲を渡します。上の人は横に縄を張ってある

ので、その縄に稲をかけて、行きます。全部、かけ終わったら、後

は自然乾燥するまで、待ちます。

完全に乾燥したら、ハサから外して、また船かトラックで家の納屋

まで、運びます。船で運ぶ時は沢山、積むので船が横転しないよう

に、細心の注意を払って、ゆっくりと船をこぎます。トラックで運

ぶ時も同様な注意を払って、ゆっくりと運転します。家の納屋に着

いたら稲を降ろして、納屋へ入れます。

 

 

 

 

 

「脱穀作業」

次は脱穀機で脱穀作業です。手でワラの部分を持って、モミの部分
モミの、戻る3

を脱穀機の中へ、差し込んで少し回す様にして、モミとワラを分け

ます。これが脱穀作業です。この時気を付けなければ、ならないの

は、手を引っ張られて、機械の中へ持っていかれないように、充分

に注意を払って、仕事をします。機械の中へ手を持って、行かれる

と大ケガをして命にかかわります。

 

脱穀作業が済んだら、最後にモミすり作業です。モミすり機でモミ

を、はがして白米にします。この機械は、そんなに危険な事はあま

り、ありません。白米になったら昔は、1俵で60Kgの俵に入れて

いました。今は30Kgの紙袋に、入れています。昔は60Kgの俵を

扱っていたので、凄く力がいったと、思います。全ての作業が終わ

ったら、後は農協へ出荷するだけです。昔の百姓は、全てが手作業

ですから、今の何倍も大変な、仕事だったと思います。父親や母親

は、長い間その仕事を、して来たのですから、心から尊敬します。

 

コメント(以下に書いて下さい)

 

 

 

 

 

 

 

 

私の家の田んぼは1,100坪3枚を全部人に貸してあって年貢米をもらっています

(私の家の田んぼは1,100坪3枚を全部人に貸してあって

年貢米をもらっています)

私の家の田んぼは、会社組織にしてある人に、貸して年貢として、
会社組織

30Kgで9,000円の、米を21袋もらいます。約20万円になり



ます。1枚、1,100坪の田んぼを、3枚、貸してあります。5年
貸して年貢

間で100万円にも、なります。ありがたい話しです。米は妹が一
田んぼは、

番沢山、持って行きます。後は子供達が少しずつ、持っていきます

内部リンク

。それから知り合いや、友達に少し安く分けて、あげています。喜

 

ばれています。親戚で欲しいと言う人が、いればその人達にも、分

けてあげます。

「ニンニク」

田んぼは貸してある会社が、1枚は、ニンニクの栽培、1枚は稲作
会社が、戻る1

で、後1枚は去年から、レンコンの栽培をしています。要するに、

米よりも利益が多い物へ、転換して行っているのでしょう。転換す

外部リンク

る時は必ず私に、相談に来ます。勝手に転換する事は、ありません

 

。こちらも安心です。でも稲作以外に転換する時は、何年も研究し

ないと栽培出来ないでしょう。農作物を作ると言うのは、簡単な事

ではありません。レンコンなども大変な仕事です。冬の寒い時が最

盛期ですから。ほとんどの農家は、ミズボリですから、手は痺れる

位に冷たくて、感覚がなくなる事も、あると思います。でもレンコ

ンは高く売れますから、レンコン農家は増えています。ほとんどの

農家は水堀ですが、1件だけクワで手掘りしている農家が、ありま

す。これは大変な仕事ですが、レンコンの味が落ちなくて、美味し

くて高く売れます。水堀のレンコンは味が、少し落ちますが手掘り

は、重労働なので、ほとんどの農家は水堀です。

 

 

 

 

 

「レンコンに」

ニンニクやレンコンに比べてべて稲作は手があまりかからなくて楽
稲作は、戻る3

です。田植えをしてしまえば、する事は、そんなに多くありません。

途中の除草や消毒をする事です。消毒も今は小型のヘリコプターを

使って行います。操縦は、さすがにプロの運転手が、行います。凄

い運転技術を持っています。直進、バック、左右の旋回、それに空

中で、しばらく停止する事も、出来ます。私も何回か見た事が、あ

りますが素晴らしい技術です。芸術的で感動すら覚えます。消毒液

がなくなると、土地改良の人が補充して、また消毒作業に向かいま

す。多くの田んぼにこの、ヘリコプターを使いますので、4日位か

かるのでは、ないでしょうか。それにしても、便利になった物です

「大型の普通の」

。以前は大型の普通の、ヘリコプターを使っていたのですが、公害
公害、戻る2

の問題で、中止になってその後から、現在の小型のヘリコプターに

変更になりました。低空飛行をしますので、ほとんど直接、田んぼ

に消毒液が散布されて、公害問題には、なりません。この作業が終

わると秋になって、収穫するだけです。

 

コンバインを使って、稲刈りをして、小型トラックに積んで、ライ

スセンターへ運びます。1枚に3時間ほど、かかります。7枚で3

日か4日ほど、かかります。稲刈りをしたら、一応、終了です。

 

 

 

 

 

 

コメント(以下に書いて下さい)