総理が語る、菅義偉氏、自公意思疎通を密に、解散見送り「結果よかった」

衆院の早期解散論に対し、私は最初から「やるべきではない」とい

衆院の早期解散論

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う趣旨のことを言い続けてきました。岸田文雄首相は今国会での解

に対し、私は最初から

散を見送りましたが、結果としてよかったと思います。ある世論調
やるべきではない

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査では速やかな解散を望んでいる人が11%しかいませんでした。

「腰を据えて政策をきちんと仕上げてほしい」というのが、多くの

国民の声なのだと思っていました。

 

(一致点見いだす努力を)

自民党と公明党の連立政権は政治の安定につながると同時に、政策

の推進力にもなっています。しかし東京でいま、選挙協力の解消と

いう非常に残念な状況になっています。長い間の信頼関係が崩れる

ことのないよう、意思疎通を密にしていくことが大事です。

 

もともと違う政党ですから、相手の立場になって考えることが大切

でしょう。意見の合わないことがあっても、一致点を見いだす努力

をすべきだと思います。私が安倍政権で官房長官を務めていた時も、

自公は密に連絡を取り合いながら課題を前に進めてきました。

 

例えば消費税率を10%に引き上げた際に導入した軽減税率は公明

党の意向を反映した形で実現したんですよね。慎重な意見もありま

したが、公明党の意見を取り入れた今の対象商品の線引きがよかっ

たと思います。

「一方で自民党の強い意向で成立」

一方で自民党の強い意向で成立させたのが平和安全法制です。公明
させたのが平和安全法制です、戻る1

党の理念からして、「戦争法案」などのレッテル貼りには敏感にな

るところはあったと思いますが、話し合いを密にしていたことで理

解してくれました。現在の東アジアの厳しい安全保障環境を考える

と大切な法律を成立させることができたと感じています。

 

自民党は参院では単独で過半数を確保していません。ですから国会

で法律をつくり、国民の期待に応えていくには、公明党との連携が

重要なのです。協力関係をつくり上げていくには時間がかかります

が、壊れるのはあっという間です。東京以外の地域に波及すること

のないよう、執行部の皆さんに話し合ってほしいと思います。

 

 

(ふるさと秋田に胸像)

先月末、ふるさとの秋田県湯沢市に私の胸像が建立されました。地

元の有志の方々が寄付を募り、制作してくれたものです。

 

私は18歳まで秋田で育ち、上京後、曲折を経て横浜の小此木彦三

郎衆院議員の下で秘書になったのが26歳でした。そこからアクセ

ルを踏みっぱなしです。選挙区は横浜の私を、秋田の皆さんが誇り

に思ってくれているのが非常にありがたいです。

「私のように田舎から出て来た人は」

私のように田舎から出て来た人は、両親が世話になっている郷里に
両親が世話になっている、戻る2

何らかの関わりを持ちたいと思っているのではないか。そうした思

いから創設したのが、ふるさと納税でした。

 

(解散見送り「結果よかった」)

2006年、安倍(晋三元首相)さんが当選4回の私を総務相に抜

てきしてくれたので、思い切って制度創設を打ち出しました。官僚

は大反対です。「税の根幹を揺るがす」「ふるさとを定義できない」

。できない理由をたくさん並べましたが、国民は指示してくれると

信じて絶対に引きませんでした。

 

ふるさと納税の寄付額は創設した08年度には約81億円でしたが

年々増え、昨年度は9600億~9700億円だったようです。使

い道は多岐にわたります。北海道白糠町では塾の先生による放課後

学習支援支援に充てられ、沖縄では焼失した首里城の復興に役立て

られています。地方へ視察に行くたび自治体の様々な工夫に驚かさ

れています。

 

(日韓発展の応援団に)

日韓議連の会長としてソウルを訪問した5月31日、よりによって

北朝鮮が「軍事偵察衛星」と称する弾道ミサイルを発射しました。

失敗に終わりましたが、大統領府で会談した尹錫悦大統領とは北朝

鮮への対応で日韓、日米韓が緊密に連携することを確認しました。

 

こうした戦略的な連携について一致できたのは、日韓関係が軌道に

乗り、改善していることを裏付けるものです。尹大統領には「議連

会長として日韓関係発展の応援団としてしっかり対応したい」と伝

え、3月の訪日の際に続き会談した尹大統領からは関係改善に向け

た強い意志を改めて感じました。

「帰国後、岸田首相や森喜朗元首相に」

帰国後、岸田首相や森喜朗元首相に尹大統領とのやりとりを報告し、
尹大統領とのやりとりを報告し、戻る3

「今の前向きな流れを加速させ、日韓関係のさらなる発展を後押し

したい」と伝えました。総理経験者として、議員外交では日本国民

の思いを率直に伝えていくことが大切な仕事だと思っています。総

理が語る、菅義偉氏、自公意思疎通を密に、解散見送り「結果よか

った」。日韓関係には確かに難しい問題が多くあるが今は大局的に

見て結束する時だと思います。それは周りの共産国が非常に危険な

存在になりつつありますから。中国、ロシア、北朝鮮などです。彼

らは核兵器まで持っています。広島や長崎のような悲劇を2度と繰

り返してはなりません。ミサイルでさえ多くの人が亡くなります。

核兵器は放射能が長く残ります。核兵器が使用されれば地球はな

くなる可能性があります。これは全人類の問題であります。

 

 

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1日に素潜り漁解禁、「娘にはやらせられん」、輪島の40代海女、アワビ減に危機感

「娘にはやらせられん」。7月1日のアワビ、サザエの素潜り漁解

娘にはやらせられん

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禁を前に、輪島市に住む40代の海女4人が資源が先細りして漁獲

7月1日のアワビ、

量が減少する深刻な状況を訴えた。漁場の舳倉島や七ツ島周辺での
サザエの素潜り漁

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アワビの水揚げ量は、ピーク時の約40年前と比べると1割以下に。

 

海と共に生き、国の重要無形民俗文化財の担い手でもある彼女らは

「あと10年、続けられるか分からんわ」と危機感を抱きながらも、

伝統を守る覚悟で今年も潜る。4人は同市海士町に所属する、輪島

の海女漁保存振興会長の門木奈津希さん(42)、副会長の橋本里

美さん(42)、理事の笹原麻紀さん(45)、濵谷美恵さん(4

2)。海女の女性に直接話を聞ける機会はめったにない。経歴を尋

ねると、門木さん、笹原さん、濵谷さんは中学卒業後にこの世界に

入った25年を超えるベテランで、海士町の男性に嫁いで海女にな

った橋本さんも十数年のキャリアだった。

「4人は本当にアワビがおらんなった」

4人は「本当にアワビがおらんなった」と口をそろえる。7月から
と口をそろえる。7月から、戻る1

約3カ月が漁期のアワビ、サザエ漁は、高級食材だけにやはり海女

にとって1番の収入源で「もうかるから、昔は海に入るのが楽しみ

だった」と振り返る。しかし、5、6年ほど前から海の異変を肌で

感じるようになったそうだ。

 

 

資源の枯渇は海水温の上昇などが影響しているとみられ、特に輪島

港から北へ約20キロの小島・岩礁群の七ツ島や、嫁礁周辺で深刻

な状況だという。

母や義母、祖母ら家族に海女がいて、海に出るのは「自然の流れだ

った」という4人。ただ、年々収入は落ち、生業としては厳しさが

増している。それぞれ子育て中の母親で、特に娘がいるという門木

さん、濵谷さんは「子どもにはやらせられん」と吐露する。

「駆除などに取り組んでいるものの」

(地元だけでは限界)

海士町では、アワビの稚貝の放流や、餌となる海藻を食べるウニの

駆除などに取り組んでいるものの、資源回復の兆しは見えていない。
資源回復の兆しは見えて、戻る2

国の文化財の伝承者でもある4人は、資源を残しながら、海女を続

けられることを切に願い「地元だけでどうにかしようと思っても限

界なんやと思う」と行政のさらなる支援が必要だと訴えた。

 

かつては楽しみだった漁解禁日。今は水揚げがあるか心配で、笹原

さんは「おとろしくなった」と話す。それでも、門木さんは「私ら

には海女しかないから」と海と共に生きる決意を示してくれた。

 

(伝統守る覚悟、今年も海へ)

(海水温上昇で藻場減・昨年水揚げ1・4トンに)

輪島市によると、輪島沖のアワビの水揚げ量は、1984(昭和5

9)年の39トンをピークに年々減少し、昨年は1・4トンにまで

落ち込んだ。石川県漁協輪島支所によると、海水温の上昇に伴って

藻場が減少し、アワビのエサがなくなっていることなどが要因に考

えられるという。

「近年は、海藻が生えず岩が真っ白に」

近年は、海藻が生えず岩が真っ白になる「磯焼け」現象も見られ、
なる磯焼け現象も見られ、戻る3

同じく海女がいる三重県志摩市でも漁獲量の減少が続いている。昨

年12月には国際自然保護連合(IUCN)は能登沖で捕れる3種

を含むアワビ20種を絶滅危惧種に指定した。

昨年、素潜り漁を行った海士町の海女は123人で、2008年

(205人)から大幅に減った。このうち、年齢別では40代は1

6人、30代8人、20代3人と後継者の確保も課題となっている。

1日に素潜り漁解禁、「娘にはやらせられん」、輪島の40代海女、

アワビ減に危機感。確かに海女さんの潜る時間はすごいと思います。

平均で5分位は潜るでしょうね。それも何十本も潜るのですから驚

きですね。その上獲物を見つけて取ってこなければなりません。も

う神技に近いと思います。何十本も経験をするとできるようになる

のでしょうか。それにしても大変な仕事だと思われます。

 

 

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鶴ヶ丘の恩返し、身近な情報25年発信、「ありがとう」が励みに、厚労相表彰受ける

「行政に任せっきりじゃなく、町民も自分のまちを良くしようと、

行政に任せっきりじゃなく、

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気づいたことを行動に移すのが大事やと思ってやってきた」

 

町民も自分の

鶴ヶ丘4丁目の片桐紀隆さん(83)=金沢市生まれ=がこう言
まちを良くしようと、

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って、町内の地名と数字が書かれた1枚の紙を差し出した。

 

 

よく見ると、バスの時刻表のようだ。町全域を巡回するコミュニ

ティバス「なだバスナディ」を町民が利用しやすいよう今年春の

ダイヤ改正に合わせて作成し、データを全公民館に送ったという。

バスの時刻表なら各停留所に掲示され、町のホームページでも見

られるのに、なぜ独自に作ったのだろうか。

 

なだバスは、南北に細長い町全域を時計回りや8の字に循環する

ものなど四つのルートに分かれており、すべてが町役場や金沢医科

大病院、内灘駅など利用頻度の高い施設を巡る。

「片桐さんによると、よく練られて」

(高齢者も見やすく)

片桐さんによると、よく練られて利便性が高いが、高齢者の一部か
利便性が高いが、高齢者の、戻る1

ら乗り換え時の時刻表の見方が分かりづらく、文字も細かいとの声

を聞き、作成を思い立ったそうだ。ルートごとに各バス停の出発時

間が表示された既存の時刻表とは別に、得意なパソコンを使って出

発、目的地別に表記し直した早見表となっている。

 

 

「高齢社会でバスは不可欠。完全ではないだろうが、少しでも助け

になればと思っとる」と片桐さん。早見表を活用しているという鶴

ヶ丘4丁目の中田キミさん(80)に聞くと、「バスを乗り間違え

ることもなくなり、行き帰りが楽になった」と笑顔を見せた。

 

片桐さんは自身「のりたかのボランティア」と名乗って、早見表の

ほかにも、さまざまな地域活動に取り組んできた。「時間があった

ら暇つぶしのつもりだったが、気づいたら25年以上になった」そ

うだ。

「高校卒業後、金融機関を経て」

高校卒業後、金融機関を経て金沢医科大に勤務したが、体調を崩し
金沢医科大に勤務したが、戻る2

て56歳の時に早期退職。しばらく家で療養していたが、知人に紹

介され、経理の仕事で身につけたパソコンの知識を住民に教えたの

がボランティアの最初だ。公民館のパソコン教室のほか、小中学校

のパソコン授業のサポートを頼まれることもあった。

 

2005年から13年間、町内のデイサービスセンターなどで、利

用者に腹式呼吸を伝授するカラオケ健康教室を開いたことも印象深

い。最初は1回きりと軽い気持ちで引き受けたが、利用者の「楽し

かった。また来て」の声がうれしく、やめられなくなったという。

 

(厚労相表彰受ける)

1998年から毎月数回、地区住民向けに生活情報をまとめた手

作り情報紙の配布も続けている。北國新聞などで情報を得た特殊

詐欺の手口を載せて注意を呼び掛けたり、新型コロナウイルスな

ど病気の予防法を伝えたりしている。

 

そんな活動が評価され、2020年にはボランティア功労者厚生

労働大臣表彰を受けた。片桐さんは「『ありがとう』の声が何よ

りの励み。知力と体力の限り続けたい」と意気盛んだ。

「昭和40年代以降、町内外各地から」

昭和40年代以降、町内外各地から集まった住民が力を合わせて
集まった住民が力を合わせて、戻る3

発展させてきた鶴ヶ丘。取材先の人たちが口々に語るのは「地域

への恩返し」の気持ちだった。

まだ住んで日の浅い富山出身の身だが、微力ながら紙面を通じて

地区の力になりたいと、思いを強くした。鶴ヶ丘の恩返し、身近

な情報25年発信、「ありがとう」が励みに、厚労相表彰受ける。

片桐さんのように得意のパソコンを使って地道に25年も地域に

ボランティアで貢献できるのは、素晴らしいことです。なかなか

続けるのは大変だと思います。それで厚労相表彰まで受けたのだ

と思います。25年も頑張るのは並み大抵の努力ではありません。

忍耐強い人なんでしょうね。

 

 

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金沢百万石まつりきょう開幕、米高校ジャズ姉妹都市縁に参加、行列先導

米ニューヨーク州バファロー市近郊にある高校のジャズバンドが3

米ニューヨーク州

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日、金沢百万石まつりのメイン行事である百万石行列に登場する。

バファロー市近郊にある

金沢とバファローが姉妹都市である縁から2005年にも一度参加
高校のジャズバンドが

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しており、18年ぶりの出演となる。コロナ禍で停滞した国際交流

 

の復活と発展を願い、パレードの先導隊として当日の盛り上げに一

役買う。

「行列に出演するのは」

(バファローから18年ぶり)

行列に出演するのは米ハンブルグ高のジャズバンドで、1日はメン
米ハンブルグ高のジャズバンドで、戻る1

バー21人が金沢市役所を訪れ、村山卓市長と懇談した。団長を務

める音楽教諭ラリー・デュビルさん(54)は「百万石まつりは金

沢市民にとってすごく大事なもの。米国発祥のジャズで日本の文化

に対する尊敬の気持ちを表したい」と述べた。

 

1990年代前半、東京で日本のマリンバ奏者に師事し、その後、

帰国して教師として働いていたデュビルさんは「生徒たちに世界の

多様な文化に触れてほしい」と考えるようになった。

 

「2003年バファローの姉妹都市」

2003年バファローの姉妹都市である金沢市にメールで交流を打
である金沢市にメールで交流を、戻る2

診。これを市側が受け入れ、05年の百万石行列に特別参加するこ

とになり、激しい雨の中で演奏を披露した。デュビルさんは「市民

は情熱にあふれていた。太鼓演奏や伝統的な衣装もよく覚えている」

と懐かしむ。

 

以降、同校のバンドは金沢ジュニアジャズオーケストラ「JAZZ

ー21」と互いに行き来するなど交流を続けたが、まつりへの出演

は途絶えた。昨年秋、村山市長が姉妹都市60周年を記念してバフ

ァローを訪問した際、デュビルさんが「来年の百万石まつりにバン

ドを派遣したい」と打診し、久しぶりの参加が決まった。

「金沢百万石まつりは2日」

(4年ぶり通常開催)

金沢百万石まつりは2日、3日間の日程で開催する。百万石行列で
3日間の日程で開催する、戻る3

は歌舞伎俳優の市川右團次さんが利家公役、俳優の紺野まひるさん

がお松の方役を務める。新型コロナの5類移行を受けて4年ぶりの

通常開催となり、一斉演技の回数は昨年の4回から5回に増える。

今年から北國新聞社が特別協力する。金沢百万石まつりきょう開幕、

米高校ジャズ姉妹都市縁に参加、行列先導。百万石行列を見ると金

沢の古き良き伝統と文化の歴史を感じますね。利家公役やお松の方

役には有名な俳優さんが出演されます。今年の沿道の観客は39万

人でした。市民にも人気があり、他県からも多くの人や外国人も見

に来ます。今や世界的に有名なまつりになりましたね。金沢の誇り

になりました。素晴らしいまつりですね。今年は米高校のジャズバ

ンドも参加してくれました。国際交流は本当にいいことだと思いま

す。一生の思い出になると思います。

 

 

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ポスト国民文化祭が大事、県成長戦略会議で提言、秋の芸術祭、毎年開催を

石川県政の基本的な方向性を示す県成長戦略の策定を担う有識者会
石川県政の基本的な方向性を

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議は20日、金沢市のANAクラウンプラザホテル金沢で第2回会合

示す県成長戦略の

を開いた。会長の一般財団法人県芸術文化協会の飛田秀一会長(北
策定を担う有識者

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國新聞社会長)は、10、11月に県内で開催される国民文化祭

 

(いしかわ百万石文化祭2023)を県政の発展につなげるため

「今からポスト国民文化祭を考えておくことが大事だ」と延べ、今

は隔年で開かれている「ビエンナーレいしかわ秋の芸術祭」の毎年

開催も一案だと提言した。

 

(「文化」「学都」生かすべき)

県内では、1992年に国民文化祭が初めて開催された後、開催の

遺産をどう生かしていくかを議論する中で県芸術文化協会が設立さ

れた。イタリア語で「隔年」を意味する単語を冠した「ビエンナー

レいしかわ秋の芸術祭」は同協会などが主催している。

「飛田会長はビエンナーレが果たした」

飛田会長は「ビエンナーレが果たした役割は非常に大きい。2回目
役割は非常に大きい、戻る1

のポスト国民文化祭に何をやるか。ビエンナーレ(隔年)ではなく、

毎年開催することも一つの考えだ」と提案した。

 

席上、県は成長戦略の骨子案を示した。「幸福度日本一に向けた石

川の未来の創造」を基本目標とし、6本柱の具体の戦略を盛り込ん

だ内容を受け、出席者からは文化立県や高等教育機関の集積を生か

すべきだとの意見が上がった。

 

 

水野一郎金沢工大教育支援機構教授は文化施設が集積している兼六

園周辺文化の森を「文化立県のシンボル」と表現。旧県立図書館や

県社会福祉会館などの用地活用を考える必要があるとし、「文化の

森を総仕上げしていくことが多様な波及効果を生む」と話した。

「青柳政規県立美術館長は」

青柳正規県立美術館長は「金沢、石川の成功は、文化を軸にした国
金沢、石川の成功は、文化を軸に、戻る2

おこしであることを強調すべきだ」と語った。

 

庄田正一県観光連盟理事長は、インバウンド(訪日客)の取り込み

に文化体験が重要とした上で「石川は観光立県ではなく文化立県で

あり、金沢は観光都市より文化都市だということを強く受け止めな

いといけない」と述べた。藻谷浩介日本総合研究所主席研究員は

「石川は日本海側のリーダー県なので、成長戦略にもう少し強い打

ち出しがあってもいい」と述べた。「学都」の強みを生かし、全国

の企業から「学び直し」の社会人留学を受け入れたり、日本文化を

学ぶ外国人を呼び込んだりする施策が必要とした。

 

鈴木寛東大大学院教授は「県の施策次第で人口が増えるかどうかの

岐路に立っているのは石川と広島だけで、他はどこも厳しい。他県

に先駆けて規制を緩和するガイドラインを作れば新しい産業、雇用

が生まれる」と指摘した。

 

有識者会議とは別に設けられた産業、農林水産、個性豊かな地域づ

くりなど五つの部会の座長が議論の経過を報告した。

「冒頭、馳浩知事が新年度の当初予算案で」

冒頭、馳浩知事が「新年度の当初予算案でできることはすぐに取り
できることはすぐに、戻る3

組む。21日開会の県議会2月定例会で成長戦略の方向性を議論し

たい」とあいさつした。有識者会議の委員だった浅野邦子箔一会長

の死去を受け、全員で黙とうした。ポスト国民文化祭が大事、県成

長戦略会議で提言、秋の芸術祭、毎年開催を。隔年の国民文化祭の

開催を毎年開催にしたいという提言があった。毎年開催に何か特別

なメリットがあるのでしょうか。なければ隔年のままでもいいと思

います。石川は観光立県ではなく文化都市だということを再認識し

ました。その通りだと思いました。これは大切なことです。

 

 

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見附島崩落拡大、ドローン撮影で判明、市、県と手だて探る、先端上部えぐれ

珠洲市の石川県天然記念物・名勝「見附島」で、震度6強を観測し
珠洲市の石川県天然記念物

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た5日以降の相次ぐ揺れによって斜面の崩落が進んでいることが9

ドローン撮影で判明した。

日、ドローン撮影で判明した。崩落を知った泉谷満寿裕市長は「驚
崩落を知った泉谷満寿裕市長は

外部リンク

く光景だ。言葉が続かない」と語った。珠洲への観光客の9割が訪

 

れる見附島は重要な観光資源であり、市は「珠洲の宝である絶景を

残す手立てを探りたい」(観光交流課)とし、県と連携して保全対

策を検討していく方針だ。

 

海上にそびえ立つ「軍艦島」とも呼ばれる見附島は昨年6月の地震

で、陸地から遠い裏側斜面が崩壊した。9日に撮影した写真では、

「船首」に当たる表側斜面の上部がえぐれるように崩れ、断崖の下

には積もった土砂も見える。

「高さ約28メートル、」

高さ約28メートル、長さ約160メートル、幅最大約50メート
長さ約160メートル、戻る1

ルの見附島は自然が生み出した「奇跡の造形」で、隆起した軟らか

い泥岩、珪藻泥岩層が長年の風化と浸食によって削られ、船の形が

残った。内浦沿岸の地形の成り立ちや植生を知る上で貴重とされ、

県の天然記念物・名勝に指定されている。

 

珠洲市の観光ポスターに度々使われ、ゆるキャラ「みつけたろう」

のモチーフになるなど珠洲の顔となっている。奥能登を巡る観光

バスの定番スポットであり、市の推計によるとコロナ前の201

9年では観光客約106万人のうち、9割に当たる約95万人が

訪れた。

 

 

島の崩壊を防ぐには、岩肌に凝固剤を吹き付ける方法があるが、

一帯は能登半島国定公園の特別保護地区であり認められない。

1992年には周囲の海底に自然石を沈めて荒波の威力を弱め

たが、群発地震にはなすすべがない。

「見附島の東には高さ、幅とも」

見附島の東には高さ、幅とも約2メートルの小島があったが、
約2メートルの小島が、戻る2

2019年の台風で消えた。市観光交流課の田中薫課長は

「軟らかい地層なのでいつか無くなるのは自然の摂理ではあ

るが、地震で浸食のペースが早まっている」と懸念した。

 

(地震対策「難しい」)

見附島が地震の度に崩れていく現状について、所管する石川県教委

文化財課の担当者は「なんとかしたいが、人の手を加えるのは難し

く、現状は見守っていくしかない」と話した。樹木なら添え木で補

強するといった手だてがあるが、巨大な島全体を崩落から守るのは、

現実的には難しい。

 

見附島は、昨年6月に震度6弱の地震を観測した際も、崩落が確認

されている。担当者は「今後、また地震が起きるとどうなるか分か

らない」と漏らす。崩落を受けて測量などは実施していない。

 

島が2017年に県天然記念物・名勝に指定される際、島の植生を

調査した県文化財保護審議会の高木政喜委員(県巨樹の会会長)に

よると、現在、切り立った崖の上には上がれない。

「植生調査では、ドローンで撮影した」

植生調査では、ドローンで撮影した上空写真や、接近した船上から
上空写真や、接近した船上から、戻る3

の双眼鏡による観察から、タブノキ、モチノキなどの照葉樹が生え

ていることを確認したという。高木委員は「自然の力に対してはい

かんともし難い面があるが、崩落の際に落ちた植物に注意するなど、

変化をしっかり見守りたい」と述べた。見附島崩落拡大、ドローン

撮影で判明、市、県と手だて探る、先端上部えぐれ。見附島へは高

専時代に同級生らと見に行ったことがあります。その名の通り軍艦

にそっくりなので軍艦島とも呼ばれています。当時は雄大できれい

な形をしていて自然の力に圧倒されました。初めて見たので感動的

でした。それが今、地震によって崩落しているのを知り残念でなり

ません。非常に難しいことですが何とか修復できないものでしょう

か。珠洲の宝ですから何とかしたいものです。

 

 

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