23年の出生率、石川1・34最低更新、全国1・20、8年連続減。

厚生労働省は5日、2023年の人口動態統計(概数)を発表し

厚生労働省は5日

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た。女性1人が生涯に産む子
どもの
推定人数「合計特殊出生率」

2023年の人口”

動態統計 (概数)を発表し”

は、石川県が1・34(前年1・38)これまで最も低かった

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04、05年の1・35 をさらに下回った。都道府県別では高

 

い方から16番目(前年23番目)となったが、富山1・35、

福井1・46で、北陸三県では最低だった。石川は出生数(67

52人)、婚姻件数(3793件)も過去最少となった。石川県

の馳浩知事は県庁で報道陣の取材に応じ「大変危惧している。結

婚、出産、子育てがしやすく、若い人が地元で働きやすい社会環

境をつくらないといけない」と危機感を示した。労働省が4月に

公表した市町村別の合計特殊出生率(18~22年の平均)によ

ると、県内では、かほくが1・67、野々市・小松が1・62と

高水準だった一方、低い方から内灘1・24、宝達志水1・35

、金沢1・36となった。県によると、出生率の母数は15~4

9歳の女性であるため、学生などが多い地域は数字が下がるとい

う。民間の有識者でつくる「人口戦略会議」は人口流入が多い一

方、出生率が低い都市を「ブラックホール型」と分類しているが

、金沢などはそうした傾向が出ている可能性がある。

「能登半島地震の被害が大きかった」

能登半島地震の被害が大きかった奥能登は、能都町が1・61、
「奥能登は、能都町が1・61」、戻る1

珠洲市1・56、穴水町1・53、輪島市1・45となっている

。人口戦略会議が公表した「消滅可能性都市」には奥能登を含む

県内9市町が該当しており、次年度以降の数字に反映されるとみ

られる地震の影響を抑えるには、創造的復興を掲げる県や市町が

どこまで効果的な施策を打てるかが重要になりそうだ。

 

(東京は1割る)

全国の合計特殊出生率は1・20となり、過去最低を更新した。

未婚・晩婚化が影響した。最も低い東京は0・99。全都道府県

で低下した。最高は沖縄の1・60で、長崎と宮崎の1・49が

続いた。

「全国の出生数はかこ最少の」

全国の出生数はかこ最少の72万7277人(前年比4万348
「72万7277人」戻る2

2人減)で、23年の政府推計より11年早いペースで減少して

いる。

出生率、出生数ともに8年連続でマイナス。少子化対策関連法が

5日に成立したが、出生率上昇への反転は見通せない。

 

全国のこれまでの出生率の最低は05年と22年の1・26だっ

た。人口の維持に必要とされる出生率は2・07。今後の出生数

に影響する婚姻数は90年ぶりに50万組を割り、前年比3万2

13組減の47万4717組で戦後最少。24年の出生数は70

万人を下回る可能性がある。

 

23年の死亡数は157万5936人で過去最多。出生数との差

に当たる人口の自然減も過去最大の84万8659人だった。自

然減は17年連続で、人口減少に拍車がかかっている。

「5日成立した少子化対策関連法は」

5日成立した少子化対策関連法は、児童手当の拡充など子育て世
「5日成立した少子化対策関連法は」

児童手当の拡充など子育て、戻る3
帯への支援を手厚くする一方で、結婚を望む人への支援は十分と

は言えず対策の効果は不透明だ。厚労省の国立社会保障・人口問

題研究所が23年に公表した将来推計人口は、出生数が72万人

台になるのは34年としていた。

 

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通学ラッシュ行列100メートル、北鉄浅野川線内灘駅(内灘町)。

内灘駅は「浅電」と呼ばれて親しまれる北陸鉄道浅野川線下りの終

内灘駅は浅電と呼ばれて

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着駅だ。金沢のベッドタウンと言われる内灘町側からすれば、県都

との往来に欠かせない足。朝夕の

との往来に欠かせない足。朝夕のラッシュ時は通勤通学の乗客で、
ラッシュ時は通勤通学の乗客で、

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県内のローカル線ではトップクラスの混雑ぶりだ。ガタコトと揺ら

 

れ、駅とその周辺の魅力、課題を探りに出た。

 

17日早朝の内灘駅。駅前の歩道には、電車の到着に合わせて開く

改札を先頭に長い行列が伸びていた。100メートル近くになるだ

ろうか、制服姿の高校生が目立つ。午前7時7分発、2両編成の車

両に乗り込むと、都内を走る通勤電車とまではいかないまでも、身

動きがしにくい、なかなかの混み具合だった。

「町内の高校は内灘高だけで、多くの

(金沢までは17分)

町内の高校は内灘高だけで、多くの子どもたちが金沢などの学校に
子どもたちが金沢などの学校に、戻る1

通うため、これが平日朝の日常風景という。金沢までは17分。

「満員電車」に憧れる生徒は少なくないようで、伏見高1年の吉野

莉那さん(15)は「毎朝乗るたびに高校生になったと実感する」

と笑顔を見せた。

 

車両の隅で立ったまま数学の参考書に目をはしらせていた二水高1

年の高田蒼空さん(15)は「国公立大に入るため、通学の時間も

無駄にしたくないから」と始まったばかりの新生活への意欲でいっ

ぱい。同年代と一緒に電車に揺られるわずかな時間が、勉強を進め

るいいアクセントになっているらしい。

「そんな内灘駅の駅長は今春、鶴来駅長」

(荒天でも運休せず)

そんな内灘駅の駅長は今春、鶴来駅長から異動してきた水内秀之さ
から異動してきた水内秀之、戻る2

ん(62)。45年の鉄道マン人生のうち、浅野川線での勤務が3

2年、うち内灘駅に14年いるという大ベテランだ。水内さんによ

ると、早朝の内灘駅は北鉄の全駅で一番混むそうで「緊張感もあっ

て一日があっという間」と話す。

 

新駅長は「新幹線が止まるほどの荒天でも浅電はとまりませんか

ら。安心、安全、時間ぴったりに送ります」とも胸を張る。実際、

浅野川線は豪雨や台風でもちゃんと運行し、2018年の豪雪時を

はじめ、元日の能登半島地震を除けば、過去10年ほど全面運休は

ない。交流サイト(SNS)で「浅電最強」とのワードが拡散され

たこともある。

 

路線の2022年度の利用者数は151万人で、通学定期での利用

者は50万人ほど。確かに石川線に比べれば、運行本数も乗客も多

い。が、町の人口はこの10年、平均すると毎年100人ずつ減っ

ており、先行きは不透明だ。さらに能登半島地震では町北部を中心

に液状化で甚大な被害が出た。住宅が損壊した町民からは「もう住

めん」との声が聞かれ、人口の減少傾向がこれまで以上に進む可能

性もある。

「北鉄は、引退を控える最後の」

北鉄は、引退を控える最後の8000系のサヨナライベントなどを
8000系のサヨナライベントなどを、戻る3

活用して人を呼び込みたいとする。ただ、荒天時の「最強説」が話

題になるのも生活の足として乗る人がたくさんいてこそ。ラッシュ

時の長い列がいつまでも「内灘のいつもの風景」であってほしいと

思った。通学ラッシュ行列100メートル、北鉄浅野川線内灘駅

(内灘町)。

 

 

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尊富士激痛耐え快挙、「終わってもいいと思った」、24歳若武者、執念の13勝目。

大相撲春場所千秋楽(24日・エディオンアリーナ大阪)新入幕で

大相撲春場所千秋楽

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東前頭17枚目の尊富士が13勝2敗で初優勝を果たした。初土俵

 
(24日・エディオンアリーナ大阪)

から所要10場所の制覇は最速。現行の優勝制度が確立した190
新入幕で

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9年夏場所以降では、14年夏場所の両国以来110年ぶりの新入

 

幕優勝となった。

 

尊富士は14日目に負った右足のけがを押して出場し、豪ノ山を押

し倒した。平幕優勝は2022年九州場所の阿炎以来で37度目。

幕尻優勝は00年春場所の貴闘力、20年初場所の徳勝龍、同年7

月場所の照ノ富士に続いて4人目。

 
「1差で追っていた平幕大の里は」

1差で追っていた平幕大の里は大関豊昇龍に下手投げで敗れて11
大関豊昇龍に下手投げで敗れて、戻る1

勝4敗。豊昇龍は11勝目を挙げた。新大関琴ノ若は大関対決で霧

島に屈して10勝5敗。5勝10敗の霧島は来場所を2度目のかど

番で迎える。

 

尊富士は殊勲賞、敢闘賞、技能賞の三賞を全て受賞。入幕2場所目

の大の里は先場所に続く敢闘賞と初の技能賞に輝いた。十両は水戸

龍が12勝3敗で2度目の優勝。

 

夏場所は5月12日に東京・両国国技館で始まる。

 
「110年ぶりの新入幕優勝を」

110年ぶりの新入幕優勝を決めた尊富士は、テーピングで固めた
決めた尊富士は、テーピングで固めた、戻る2

右足を引きずり気味で引き揚げてきた。目を真っ赤にし「この先、

終わってもいいと思った。このけがで土俵に上がらなかったら男じ

ゃない」。足首の激痛に耐え、大相撲史に残る快挙を成し遂げた。

 

右で張って左を差し、右でおっつけて前進。土俵に詰まった豪ノ山

を押し倒した。その瞬間、表情は柔らかくなり「何が何だか分から

なかった。とにかく優勝を勝ち取りたかった」と安堵感をにじませ

た。

 

(照ノ富士に背押され)

14日目の夜に病院から戻った際は「歩けなくて駄目だと思った」

と休場が頭をよぎった。そんな中、兄弟子の横綱照ノ富士から「お

まえならできる」と背中を押され、痛み止めを打って出場を決断。

休場でも大の里が敗れれば優勝という状況だったが「人の勝ち負け

を待っている場合ではない」と腹をくくった。

 
「鳥取城北高時代は左膝の故障に苦しみ」

鳥取城北高時代は左膝の故障に苦しみ、日大の入試の願書は入院中
日大の入試の願書は入院中、戻る3

の病室で書いた。千秋楽の前日も病院で過ごすことに。苦笑いを浮

かべ「自分はずっとけがをしてきた。でも、けがをして諦めたこと

は一度もない」。強い執念が結実した。

 

大銀杏が結えない力士の優勝は初めて。八角理事長(元横綱北勝

海)は「これで世の中の人にも、尊富士の名が売れたのではない

か」とたたえた。速攻が光った24歳の若武者がスター候補に名

乗りを上げた。尊富士激痛耐え快挙、「終わってもいいと思っ

た」、24歳若武者、執念の13勝目。前日の相撲で痛めた膝は

かなりの重症だった。それでも尊富士は千秋楽の相撲を取って見

事に勝って初優勝した。すごい執念だと思います。

 

 

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大の里逆転V懸け楽日、きょう大関豊昇龍戦、「全力でやるだけ」

大相撲春場所(エディオンアリーナ大阪)14日目の23日、西前

大相撲春場所

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頭5枚目の大の里が小結阿炎を破って11勝目(3敗)を挙げ、逆

(エディオンアリーナ大阪)

転優勝に望みをつないだ。千秋楽は大関豊昇龍と対戦する。1差で
14日目の23日

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首位に立つ尊富士は朝乃山に破れ、右足を負傷。大卒1年目、デビ

 

ュー6場所目の23歳は「優勝」の2文字を意識しない無欲の相撲

を貫く姿勢で「目の前に置かれた明日の一番を全力でやるだけ」と

力を込めた。

 

(阿炎下し11勝)

目の前で尊富士が朝乃山に敗れるのを見届けても心は揺れなかっ

た。阿炎の突き、押しに後退したものの、冷静にはたき込んだ。こ

れで今場所4人目の三役撃破。土俵下の浅香山審判長(元大関魁

皇)は「立ち合いもいい。体が動いている」と評価した。

「集中力が途切れなかったのは」

集中力が途切れなかったのは、12日目の反省からだ。直前の取組
12日目の反省からだ。直前の、戻る1

で尊富士が初黒星を喫するのを目の当たりにし「欲が出た」。続い

て土俵に上がるも大関琴ノ若に屈し、3敗目を喫した。「余計なこ

とを考えてしまった」という。阿炎戦後の支度部屋で優勝への意識

を問われた大の里は「3敗した時点でないと思っている」と言い切

った。

 

千秋楽は先に土俵に上がる尊富士が敗れた場合、優勝のチャンスが

残る。対する豊昇龍には0勝1敗。雪辱を果たせば、優勝決定戦が

控える。

 

昨年夏場所で幕下10枚目格付け出しデビューし、幕内は2場所

目。優勝すれば、県出身では元大関出島(金沢市出身、大鳴戸親

方)以来25年ぶりで、14度の優勝を誇る元横綱輪島(七尾市

出身)の15場所も上回るスピード記録となる。

「東前頭16枚目の遠藤は」

(遠藤3連勝)

東前頭16枚目の遠藤は西前頭11枚目の佐田の海をはたき込ん
西前頭11枚目の佐田の海を、戻る2

で5勝目を挙げた。突き、押しに後退したが、土俵際でうまく体

を残してはたき込んで3連勝。残り1番に向けて「これで余計な

ことを考えずに準備できるからよかった」と前向きに話した。

 

東十両4枚目の輝は同12枚目の琴恵光を押し出し、6勝目。一気

に攻め込む会心の内容で「しっかり攻め切れた」とうなずき、「気

持ちは変わらず、残り1番に集中する」と話した。

「東十両11枚目の欧勝海は西十両5枚目の」

東十両11枚目の欧勝海は西十両5枚目の白熊の上手投げに屈し、
白熊の上手投げに屈し、戻る3

関取として初めて負け越した。右四つで攻めたが、土俵際の左上手

投げに崩れ落ちた。「勝ちたいという欲が出て緊張した」と唇をか

んだ。大の里逆転V懸け楽日、きょう大関豊昇龍戦、「全力でやる

だけ」。大の里は毎日、いい相撲を取っていた。ここまで来たら優

勝したいと思うだろう。

 

 

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小松定期券に補助、加賀温泉旅館客増えた、ビジネス客増観光も期待。

「キャリーバッグを持ち、出張中らしいビジネス客が圧倒的に増え

キャリーバックを持ち

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ました」。北陸新幹線小松駅の改札口付近にある「小松土産店」の

出張中らしいビジネス客が

担当者は、客層の変化をこう語る。18~22日には「新幹線開業

圧倒的に増え

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前の平均と比べ、売り上げが約6割増になった」と手応え十分だ。

 

新幹線改札口近くの飲食店「こまつカブーレ」の吉田和弘店長(4

8)も、駅構内にスーツ姿のビジネスマンが増えたと感じる。売り

上げも好調で「平日は2、3割増です」と笑顔を見せた。

 

小松駅から徒歩5分で、「北國とおり町にぎわい協議会」として誘

客に取り組む龍助町でも駅から歩いてくる観光客が増えた。同協議

会長で精肉店を営む中出暁史さん(40)は「新幹線が来たんだ

な、と実感している」と話す。

 

一方で駅周辺の関係者からは「記念乗車だろうか」「これから客足

は落ち着くかもしれない」など、慎重な声も聞こえてくる。

「そんな中、小松市は観光だけに」

そんな中、小松市は観光だけにとどまらない新幹線活用策を探る。

とどまらない新幹線活用策を探る、戻る1

その一つが、通勤・通学用として新たに設けた新幹線定期券購入の

補助制度だ。通学なら、小松から市外の大学などに通う18歳以上

25歳未満に月額1万円、市外から公立小松大に通う学生に月額5

千円を通算4年まで補助する。

市によると、21日時点でまだ申請はないが、市外の大学に通う学

生の保護者や、県外企業に通勤している人から十数件の問い合わせ

がある。

 

加賀温泉駅前や隣接する商業施設アビオシティ加賀の土産物店「加

賀百撰街」には、観光客の姿が新幹線開業前より目立つ。午後にな

ると、旅館従業員が駅出入り口付近でプラカードを掲げて立ち、客

を送迎バスに案内する光景はこれまで通りだ。

 

加賀百撰街によると、来店客は昨年同期の1・5倍と好調だ。開業

後、特に目立つのが若い男性の1人客で、新幹線に乗りに来た鉄道

ファンとみられる。そんな男性客は地酒の小瓶や、ビーバーなど

「ご当地菓子」を買っていくことが多いという。

「片山津温泉の中谷宇吉郎雪の」

片山津温泉の「中谷宇吉郎雪の科学館」によると、旅館のチェック
科学館によると、旅館の、戻る2

イン前、チェックアウトアウト後の時間帯に来館が増えた。能登半

島地震の影響で来館者は昨年同期の半分ほどだったが、新幹線開業

後は7~8割まで回復した。

 

山中温泉の「ゆげ街道」沿いにあり、手作りコロッケが観光客に人

気の「肉のいづみや」では客が2割ほど増えた。ただ、同店の井筒

幸夫さんは「旅館に人は入っているようだが、街には思ったほど人

が増えていない」とポツリ。「今週は寒い日が続いたのも大きい。

開業効果は徐々に出てくるはず」と期待した。

湯の本町商店振興会の二木克治副会長は「春休み期間に入れば人が

増えると期待したい」と話す。

 

山代温泉観光協会の安念義浩事務局長は「新幹線が目の前を走って

いるのは心強い」とする一方、「観光客が温泉街に滞留するように

なることが重要だ」と述べた。

 

(福井・恐竜館が好調)

平日の21日午後2時すぎ、金沢駅から乗車した「つるぎ」の自由

席2号車は、ほぼ満席。福井駅では「恐竜王国」ならではのモニュ

メントに迎えられ、親子連れが記念撮影していた。

「勝山市の福井県立恐竜博物館に」

勝山市の福井県立恐竜博物館によると、新幹線が開業した16日の

よると、新幹線が開業した16日の、戻る3

来館者は3500人、17日は4600人とコロナ前に比べ、2~

3割増えた。担当者は「自動車で来られる方は多いが、新幹線効果

で福井に注目が集まっているのは大きい」と実感する。

 

一方、駅前で客待ちしていたタクシーの男性運転手(70)は「ブ

ルーインパルスの日は人出があったが、以前と変わらず地元住民と

ビジネス客がほとんど。暖かくなったら観光客が増えてほしいね」

と期待する。

 

 

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「本町銀座」を再び、天皇の休息所令和に伝え、遺産守る使命感も継承。

野々市市本町の旧北國街道を北に進んで歩くと、入母屋造りの旧家

野々市市本町の旧北國街道を

野々市市本町の旧北國街道を

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が見えてくる。2021年に市内で初めて国の登録有形文化財にな

「北に進んで歩くと」

北に進んで歩くと

った田村家(旧藤村家)住宅だ。近代和風建築の豪壮なたたずまい
「入母屋造りの旧家」

入母屋造りの旧家

外部リンク
北に進んで歩くと

入母屋造りの旧家

は宿場町があったころの街道の雰囲気を感じさせる。

普段は公開していないが、当主の田村昌俊さん(88)の案内で中

を見せてもらった。田村家は明治から大正期に活躍した実業家で野

々市村村長も務めた藤村理平の旧宅1878(明治11)年に明治

天皇が北陸を巡行した際、離れにある座敷が天皇の休息所として用

いられた。

 

明治天皇が休憩した座敷は畳敷きで、仏間と床の間のある落ち着い

た間取りだ。室内からは築山や灯籠を配置した造りの庭園を眺める

ことができ、地域の歴史を今に伝える。12年前に一度だけ一般公

開したところ、一日で700人が訪れた。昨年11月には街道の旧

家の庭を巡る歴史まち歩き講座の会場になり、参加者の関心を集め

たのもうなずける。

「建築されたのは明治前期と」

建築されたのは明治前期と伝わるが、しっかり手入れされているよ
伝わるが、しっかり手入れされている、戻る1

うで、それほど古いとは感じられなかった。田村さんは「日頃から

丁寧に掃除し、ほこりを落としている」と説明してくれた。

 

「どうしても残したい」

田村さんによると、母屋は1937(昭和12)年に立て直した

が、明治天皇が休息した座敷だけはそのまま残された。田村さんは

「おやじは明治天皇の小休止した部屋だけは、どうしても残したい

と強い信念があった」と振り返る。

 

ただ、旧家を維持するには維持費がかさむなど苦労が多いそうだ。

台風が来れば雨戸の隙間から風雨が染み込むが、見栄えを考える

と、アルミ製に替えづらい。扉やふすまが傷んで取り替えるにも同

じものが見つからず、大工に頼み、修理して使い続けている。

 

田村さんは「壊すのは簡単だが、元に戻せなくなる。苦労はする

が、明治天皇が小休止した座敷や価値ある遺産を後世に残していか

なければならないという使命感に近い」と決意をのぞかせる。

「街道沿いには昭和30年代以前に」

(きちんと直す必要)

街道沿いには昭和30年代以前に建てられた歴史的建造物が約40
建てられた歴史的建造物が、戻る2

件あり、文化資産を残すため、市も本腰を入れ始めた。今年度は修

理・修復費の補助制度を設け、早速2件の利用があった。うち1件

は田村家の表門の土塀修復で、市の担当者は「登録文化財になって

いる以上、見てもらうためにもきちんと直していく必要がある」と

話す。

「街道沿いをあらためて歩き、往時の」

街道沿いをあらためて歩き、往時の面影を色濃く残す景観を守り、
面影を色濃く残す景観を守り、戻る3

磨いていく人たちに出会った。この貴重な街並みを生かせば、かつ

て「本町銀座」と呼ばれたにぎわいの再生につながるだろう。「本

町銀座」を再び、天皇の休息所令和に伝え、遺産守る使命感も継

承。田村さんによると、母屋は1937(昭和12)年に建て直し

たが、明治天皇が休憩した座敷だけはそのまま残された。田村さん

は「おやじは明治天皇の小休止した部屋だけは、どうしても残した

いと強い信念があった」と振り返る。