和気あいあいのワケ、こだわりの「大ばかユズ」、無農薬、香りが命。

能美市和気町の雑木林に囲まれた細い坂道を上ると、ユズ畑が目に

能美市和気町の雑木林に

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飛び込んできた。この地区で栽培が盛んな市特産「国造ゆず」であ

段々畑に整備

る。段々畑に整備されたユズ団地では、生産者が農薬に頼らない栽
されたユズ団地では

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培を徹底しており、近年、ブランド価値が高まっている。

 

ユズ団地の入り口は鎖で閉ざされ、管理の厳重さが伝わる。まるで

門外不出のお宝を守っているかのようだ。地元住民ですら場所を知

らない人が多いという。

 

5月31日、現地を尋ねると、国造柚子生産組合の組合長の塚田良

三さん(87)と長男の義春さん(65)がユズの苗木の生育状況

を確かめ、手入れに励んでいた。

 

(庭先に植える)

「ユズは香りと果汁が命。無農薬・有機栽培は絶対に譲れん」。塚

田さん親子は口をそろえる。除草剤を一切使わず、肥料には米ぬか

や牛や鶏などのふんを使用。栽培管理の工程には生産者のこだわり

が詰まっている。

「和気地区にはもともと、家々の庭先に」
和気地区にはもともと、家々の庭先に

和気地区にはもともと、家々の庭先にユズを植える習慣があった。
ユズを植える習慣があった、戻る1

1985(昭和60)年、地域おこしの一環で2・5ヘクタールの

農地を切り開いて団地を造成した。この時、苗木1千本が植えられ

たのがきっかけで、特産化を目指して本格的な栽培が始まった。現

在は十数人の生産者が「木頭」「多田綿」の2品種を育てている。

 

高さ約3~4メートルに育つユズの木を近くで見ると、枝全体から

長さ数センチの太いとげが無数に突き出していた。とげを避けなが

らの小まめな剪定や、周辺の草刈りには手間がかかり、収量も年に

よってばらつきがある。実りの難しさを指して「ユズの大ばか18

年」と言われるのはこのためだ。

 

そんなユズを、40年近くにわたり、農薬に頼らず栽培してきた生

産者の熱意は並大抵でない。「味良し、香り良しの安全安心なユズ

を届けたい」と塚田さん。世話は大変だが、苦労した分、収穫の喜

びはひとしおに違いない。

 

(多彩な新商品)

昨年10月には生産組合の加工場が和気町に完成した。有名菓子店

や旅館など70超の取引先に加工用のユズの果汁や皮を供給する。

ゆずみつやマーマレード、ハンドクリームなどの新商品開発を通じ

て用途は広がっており、ファンも着実に増えてきた。

「国造ゆずは能美が誇る地域資源の」
国造ゆずは能美が誇る地域資源の

国造ゆずは能美が誇る地域資源の一つだが、近年は生産者の高齢化
一つだが、近年は生産者の高齢化、戻る2

に伴って管理できない木も出てきたそうだ。そうした中、生産者は

地元の和気小児童らと協力して団地での苗木植樹に取り組む。地域

挙げての地道な放棄地再生の取り組みは頼もしい限りだ。

 

毎年11月に開かれるゆずまつりでは、生産者が和気あいあいとし

た雰囲気の中、来場者との掛け合いを楽しみながらユズを販売す

る。

 

団地の0・4ヘクタールで栽培に励む「柚芽実会」世話人の小坂

功機さん(79)は「リピーターが増え、直売してもすぐに売り

切れることもある。さまざまな機会に国造ゆずの魅力を発信した

い」と力を込めた。

「収穫期を迎える9月下旬~」
収穫期を迎える9月下旬~

収穫期を迎える9月下旬~12月上旬になると、ユズ団地はたわ
12月上旬になると、ユズ団地は、戻る3
わに実ったユズ畑は和気に暮らす人たちをつなぎ、絆を育む交流

の場としても大きな成果を実らせてくれることだろう。

 

 

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中能登は消滅しない、撤退防いだ「石動山パワー」、商業施設に分霊社。

中能登町の人口減抑制の一因とされる商業施設「アル・プラザ鹿

中能登町の人口減抑制

中能登町の人口減抑制の

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島」には、敷地の一角にぽつんと小さな神社が建てられている。

一因とされる

店舗裏側にある駐車場のさらに奥にあるため、気付かない買い物
商業施設アル・プラザ

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客も多い。

 

 

(創業者の名が刻まれ)

「伊須流妓神社」と名付けられたこの神社は、中能登町の国史跡

「石動山」にある「伊須流妓比古神社」の分霊社である。

各地のアル・プラザで勤務経験がある店長の田中重人さん(50)

は「神社があるなんて、全国でも珍しいですよ」と誇らしげだ。

 

鳥居に近づいて柱をよく見ると、名前が刻まれている。「夏原平次

郎」。アル・プラザ鹿島を運営する平和堂の創業者であり、神社の

建立にはこんなエピソードがある。

「開業の3年前、平和堂が出店を決めあぐねて」
開業の3年前、平和堂が出店を決めあぐねて

開業の3年前、平和堂が出店を決めあぐねていた頃の話。地元のか
いた頃の話。地元の、戻る1

しま商業開発協同組合との会合の場では、平和堂側から「断念」を

におわす言葉も漏れ、地元の悲願だった計画は暗礁に乗り上げそう

になっていた。

 

どうにか望みをつなごうと危機感を持った組合側の1人が、ある日

の話し合いで唐突に石動山の話題を切り出したという。「鹿島には

石動山という古代から山岳信仰の拠点とされた霊山があります」。

石動山が住民に親しまれ、歴史や文化を育んできたと熱弁したの

だ。

 

すると、信仰心があつかった夏原氏は強い関心を示し、出店を決

め、分霊社の建立まで一気に進んだ。「石動山パワー」が平和堂

の撤退を翻意させ、縁を結ぶ形となった。

「そんな経緯があったからか」
そんな経緯があったからか

そんな経緯があったからか、神社は現在も商売繫盛の守り神とし
神社は現在も商売繫盛の守り神と、戻る2

て従業員が定期的に清掃するなど大切に扱われている。建立後に

地元の熊野神社が合祀され、祭りの際には獅子舞いが披露された

り、交通安全の出発式が行われたりしたこともあり、地域に根ざ

した神社となった。田中さんも営業前に神社に立ち寄り、従業員

の安全を願うのが日課になっているそうだ。

 

(大きなけが人なし)

元日の地震では、アル・プラザ鹿島の施設内も天井が落ち、壁に

はひびが入るなど被害が出た。商品は散乱、2階の衣料品コーナ

ーなどは今も営業できず、立ち入り禁止となっている。

 

ただ、元日の営業前に神社でおはらいするのが毎年の恒例で、そ

のかいあってか、店内には多くの人がいたものの、幸いにして大

きなけがを負った人はいなかった。田中さんは「神社が守ってく

れたのかもしれない。できるだけ早く店を完全復旧させたい」と

意気込む。

「店長への取材を終えて駐車場に」
店長への取材を終えて駐車場に

店長への取材を終えて駐車場に向かうと、買い物帰りの男性が神
向かうと、買い物帰りの男性が、戻る3

社で参拝していた。尋ねると「神社を見つけたら、何となく手を

会わせたくなる」とのこと。この男性に限らず、発展を遂げたア

ルプラ一帯のように、商売繫盛を願って訪れる人は少なくないら

しい。

 

中能登町は近隣市町に比べて地震の被害が小さく、宮下為幸町長

も「災害に強い町だと証明された」と胸を張る。アルプラの分霊

社からはちょうど、石動山を仰ぎ見ることができる。この社が出

店撤退も地震被害も防いだのかもしれないと感謝しながら手を合

わせると、確かに大きな力に守られているような気分になった。

 

 

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「銀嶺のかなた」紀行、津幡城跡(津幡町)、男の本音がぶつかり合う。

前田利家は佐々成政と共に信長の母衣衆として、武功を競った。利
「前田利家は佐々成政と共に」

前田利家は佐々成政と共に

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家45歳の時、成政は信長から越中を任された。当時、越前府中に

信長の母衣衆として、

いる利家より、10倍以上の所領である。ライバルの出世に、利家

武功を競った。

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は歯ぎしりしたに違いない。

 

 

成政に対して、利家には苦々しい思いがある。23歳の時、信長の

同胞衆の拾阿弥に刀の笄を盗まれて斬った。拾阿弥をかばったのが

成政だったのだ。

 

若い頃の利家は美少年。信長寵愛の小姓で、「かぶき者」だった。

実直な人柄の成政は、派手にふるまう利家を、どう思っていたのだ

ろうか。

「お前も頭を下げろ」

 

賤ヶ岳の戦で秀吉方についたことで、利家は金沢城に入城した。

「銀嶺のかなた」では、その日のうちに利家は、津幡城にいる成政

のもとへ会いに行く。

「秀吉さまが到着される前に金沢城へ来てくれ。戦に負けた。お前

も頭を下げろ」

 

津幡城の茶室で、利家は成政に忠告した。しかし成政は「越中一国

は信長さまから拝領したもの」と突っぱねた。

「そこで利家は、秀吉に誓約をもらうと」
そこで利家は、秀吉に誓約をもらうと

そこで利家は、秀吉に誓約をもらうと約束して、ふたりは酒を酌み

約束して、ふたりは酒を、戻る1

交わす。

「わしは親父さまを救うことができなかった。無銭に負け、おめお

めと敵の軍門に下った。

 

弱音を吐く利家に、成政は勝負しようと立ち上がった。「悔しい

か。性根を叩き直してやる」

 

相撲である。五番目に組み合ったとき「又左、何ゆえ我らが藤吉

郎に従わねばならぬ」

 

成政の声が泣いていた。

 

数々の戦いで生き残った精鋭ふたりが相撲を取る場面は、男のプ

ライドと本音がぶつかり合う、心憎い場面である。

 

信長、勝家の非業の死に、命のはかなさと、世の無常を感じなが

ら、狡猾な秀吉に降伏するしなかった利家の無念は察するにあま

りある。だからこそ、男泣きする成政の心を理解できるのだ。利

家こそ泣きたかっただろう。

「今回の紀行で、津幡城ってあったの?」
今回の紀行で、津幡城ってあったの?

(わずか2年で廃城)

今回の紀行で、津幡城ってあったの?と無知な私は初めて知っ
と無知な私は初めて、戻る2

た。金沢城から北東におよそ4里。目前に立ちはだかる坂を上

った高台である。

 

津幡小学校の旧校舎があった地で、城の遺跡はないという。敷

地の隅の小高い場所に上がると、津幡城址の碑が、枯れ草を背

にひっそりと立っていた。

 

標高15メートルの崖上から、津幡の街が見渡せた。なるほど、能

登、越中、加賀への街道が交差する場所で、好立地である。

源平合戦では平家軍が、七尾城攻略のため上杉謙信が、ここに陣を

敷いたのもうなずける。

 

成政は、賤ヶ岳の戦に加勢しようと兵を進めたが、北庄城が早々に

落ちたと知った。そこで津幡城で様子をうかがっていたのだ。

「利家が加賀、能登、越中を支配する」
利家が加賀、能登、越中を支配する

利家が加賀、能登、越中を支配するようになると、軍事的拠点は必
ようになると、軍事的拠点は、戻る3

要ない。名だたる武将が拠点にした津幡の城は、わずか2年で廃

城。戦国の世は去り、津幡は宿場町となった。「銀嶺のかなた」紀

行、津幡城跡(津幡町)、男の本音がぶつかり合う。現在の津幡は

大きな住宅街が立ち並びデパートや商店街も多く出来た。商業が発

展した。それも大きな建物が多く完全に商業地に生まれ変わった。

昔の面影はほとんどない。

 

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危険でも自宅で生活、2次避難者の半数帰宅、県、損傷状況把握せず。

能登半島地震後、2次避難先から被災者の半数が自宅に戻り、その

能登半島地震後、

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帰宅先の家屋の被災状況を石川県が把握できていないことが22日

2次避難先から被災者の

分かった。余震による倒壊などの恐れがあるにもかかわらず、修繕
半数が自宅に戻り、

外部リンク

や安全確認を行わないまま暮らし始めるケースもある。専門家は2

 

次被害の危険性に加え、「大勢が過ごす避難所に比べ、在宅では体

調の急変に気付くのが遅れやすい」と孤立に伴うリスクを指摘。災

害関連死の増加につながりかねないとして警鐘を鳴らす。

 

県によると、これまでに県内外のホテルや旅館に2次避難した人は

最大5275人で、このうち3043人が今月16日時点で退所し

た。退所者を対象に実施したアンケートによると、49%が自宅に

戻り、29%がみなし仮設住宅に入居。被災地の仮設住宅に入った

のは全体の8%だった。

「アンケートでは、自宅の応急危険度判定の」

アンケートでは、自宅の応急危険度判定の結果や罹災証明書につい
結果や罹災証明書に、戻る1

て尋ねておらず、帰宅した被災者の自宅の損傷状況は分からない。

このため県は自宅に戻る人に対し、建築関係者の助言を事前に受け

るよう呼び掛けているが、「建物が危険と判断されても立ち入りを

禁止することはできない」(建築住宅課)という。

 

3月末に金沢市の2次避難先から輪島市の自宅に戻った男性(7

8)は、帰宅後に罹災証明書の交付を受けて自宅が「半壊」と知っ

たが、そのまま生活を続ける。男性は「直したくても業者が見つか

りにくく、費用もかかる」と悩ましげに話した。

「政府は22日、能登半島地震の被災地を」

(政府被災地支援へ1389億円)

政府は22日、能登半島地震の被災地を支援するため、2024年

支援するため、2024年度、戻る2

度予算の予備費から1389億円程度を支出する方針を固めた。仮

設住宅の建設や公共インフラの復旧費用などの財源に充てる。予備

費を使った被災地支援の第4弾となり、23日の閣議で決定する見

通し。今回の予備費支出では、応急仮設住宅の建設などに683億

円、公共施設や土木施設の復旧に647億円、農林漁業者支援に4

4億円、福祉・介護サービス提供体制の整備事業に16億円を充て

る。

 

名古屋大名誉教授で県防災会議委員の福和伸夫氏(建築耐震工学)

は「外観の損傷が少なくても、強く揺さぶられた建物は構造自体が

弱くなっている可能性がある」と2次被害の恐れを指摘。応急危険

度判定で「危険」とされた家屋に住むのは避けるべきだとした。

 

(専門家が警鐘)

一方、修復すれば居住できる家屋もあるとし、「まず専門家による

調査が必要だ」と強調。ノウハウを持つ団体に県が専門家の派遣を

要請すべきだと訴えた。

「福祉防災コミュニティ協会の鍵屋一」

福祉防災コミュニティ協会の鍵屋一代表理事によると、住宅の損傷

代表理事によると、住宅の損傷、戻る3

度合いにかかわらず、自宅での被災生活にはリスクが潜む。震災ス

トレスや疲労で体調が悪化する恐れがある中、「医療スタッフや避

難者相互の目がある避難所と異なり、自宅では異変に気付かずに手

遅れになりやすい」という。

 

鍵屋氏によると、2016年の熊本地震では、災害関連死と認定さ

れた218人のうち約4割が自宅で亡くなっており、中には自宅を

訪ねたところ、亡くなっていたケ-スもあった。鍵屋氏は「被災者

は体調を第一に考え、近所の人と見守り合ってほしい」と呼び掛け

た。危険でも自宅で生活、2次避難者の半数帰宅、県、損傷状況把

握せず。

(内灘も爪痕深く)、ゆがむ町「町もう住めん」、北部で液状化深刻。

砂地特有の液状化現象で壊滅的な被害を受けた内灘町北部。西荒屋
砂地特有の液状化現象で

砂地特有の液状化現象で

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、宮坂、室地区は道路が浪打ち、至る所で地面から茶色く濁った泥

壊滅的な被害を受けた
内灘町北部。西荒屋

水が吹き出し、住宅が大きく傾くなど無残な姿をさらけ出した。

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「町がゆがんだ。もう住めん」。かつては干拓前の河北潟に面して

 

いた地で長く暮らしてきた住民は不安を募らせる。金沢の近郊でも

能登半島地震の爪痕は深い。

 

(道路浪打ち、家傾く)

津幡総局に赴任して1年半、取材でよく通る内灘の道路は一変し

た。1日の地震発生から3日目、ようやく安全を確保した上で被

災現場に入ることことができた。

「西荒屋小前の県道は隆起や」

西荒屋小前の県道は隆起や陥没でガタガタとなり、車が横転しそ
陥没でガタガタとなり、車が横転、戻る1

うなほど。電柱や道路標識はなぎ倒され、アスファルトに亀裂が

走り、駐車場のコンクリートがめくれ上がる光景に恐怖を感じ

た。

 

西荒屋の八田清三さん(72)の自宅は、隆起の影響で玄関先の

階段がなくなった。駐車場から車を出すこともできず、「家を建

て替えようにも、この年ではどうにもならん。どうすればいいの

か分からない」と途方に暮れる。

 

(損壊住宅1000棟以上)

地震発生から2週間がたち、被害の全容が見えてきた。町による

と、損壊した住宅は西荒屋や宮坂、室地区を中心に千棟以上とみ

られ、町内3カ所の避難所で約130人が過ごしている。

「断水も続いており、自宅が」

断水も続いており、自宅が損壊した中井史郎さん(60)は15
損壊した中井史郎さん(60)は、戻る2

日、「断水が解消されない限り、ここで暮らすのは厳しい」と声

を落とした。実際、内灘南部や金沢市内のアパートを探す動きが

広がっているという。

「坪内健一宮坂区長(75)は」

坪内健一宮坂区長(75)は、県道などの復旧には相当の時間を
県道などの復旧には相当の、戻る3

要するとの見方を示し、「残っている住民で復興していくしかな

い。またみんなが戻ってこられるよう、町と連携して一日も早い

復旧を目指したい」と力を込めた。西荒屋の黒田邦彦区長(71

)は「みんなで頑張り、一歩一歩前に進みたい」と語った。

 

変わり果てたのどかな土地。復旧の道のりは厳しいが、住民の

結束力に胸が熱くなった。

 

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復旧業者が「命綱」に、特需いつまで募る不安、カギは和倉にあり。

4日午後6時すぎ、七尾市和倉温泉の総湯。体つきのいい男性たち午後
4日午後6時すぎ>

4日午後6時すぎ

 

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七尾市和倉温泉の総湯

七尾市和倉温泉の総湯
体つきのいい男性たち

とのれんをくぐる。「いい湯やった」と湯上りの顔には笑みが浮か

ぶ。

 

温泉や水を引き込む配管の修繕が終わり、営業が再開されたのは3

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月下旬。観光客の利用が見込めない中、新たな「お得意さん」とな

ったのは、復旧支援で全国から駆け付ける工事関係者や、支援に入

る自治体の職員だった。

 

(入浴 地震前に回復)

現在、総湯の入浴客は震災前と同程度の1日約550人まで回復。

平日は午後5時から同7時半までがピークで、連日その時間帯に

200~250人の工事関係者がどっと押し寄せるという。

運営する和倉温泉合資会社の小泉孝史社長(75)は「苦境の中

で本当に助かる」とかつてのようににぎわう館内を感慨深そうに

見渡す。

通常営業の見通しが立っていない旅館・ホテルにも「復旧特需」

がわずかながら及んでいる。

「旅館協同組合に加盟する21軒の」

旅館協同組合に加盟する21軒のうち、一般客を受け入れている
一般客を受け入れて、戻る1

のは1軒で、そこを含む12軒が工事業者、自治体職員の宿泊に

は施設を使っている。

 

ほとんどの旅館・ホテルでまだ料理、浴場の提供ができないため、

料金は素泊まりで1人1泊3千~6千円台に設定。通常価格と比べ

ると半値以下だが、「何もできないよりは泊まってくれるだけであ

りがたい」(旅館関係者)と「命綱 」 になっている。

「5月に和倉で唯一の通常営業を再開した」

5月に和倉で唯一の通常営業を再開した「花ごよみ」女将北村良子
花ごよみ女将北村良子、戻る2

さん(65)は「地震直後からの業者さんの長期宿泊が希望になっ

た」と振り返る。

そうした人たちは、被災した飲食店8店舗が総湯近くで夜に営業す

る「屋台村」にも流れる。近く2店舗が新たに出店予定で、温泉街

の明かりはほそぼそとだが、つながれている。

 

(来週には半分に)

ただ、この状態もそう長くは続きそうにないという。旅館協同組合

によると、市内での仮設住宅建設などが一段落し、多い時には60

0人ほどいた工事関係者らの宿泊は300~400人に減少。素泊

まりのみ受け入れる「大観荘」では、これまで泊まってくれていた

約50人が来週には半分程度になる。フロントを担当する橋本真理

子さん(42)は「この先はどうなるか分からない」と不安を漏ら

す。

「奥能登を含め、被災地に入る」

奥能登を含め、被災地に入る災害ボランティアは「自給自足」が原
災害ボランティアは自給自足が、戻る3

則で、穴水町や能登空港に拠点が開設されていることから、需要は

見込めない。7日夕、総湯まで汗を流しに来た静岡からの男性は

「お金を出して、旅館に泊まってまでボランティアには来ないよ」

と口にする。復旧業者が「命綱」に、特需いつまで募る不安、カギ

は和倉にあり。このようなボランティアには難しい問題がありま

す。解決しないと前に進めません。

 

 

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