海と砂丘のまち七塚5、砂の台地に根付く農業、市場に出ぬ、幻の長いも

(海と砂丘のまち七塚5、砂の台地に根付く農業、市場に出ぬ、幻

の長いも)

緩く傾斜する砂地に

緩く傾斜する砂地に、深緑色の葉が幾重にもアーチを描く。この季



内部リンク

節、農家・気谷英一さん(68)=かほく市木津=が所有する「砂

 

丘長いも」の畑に見られる光景である。

深緑色の葉が幾重にも

「長いもは深く土の中に埋まっているでしょう。ベテランの農家で
アーチを描く。この

外部リンク

も実際に掘ってみないと、その長さは見当がつかない。毎回、それ

 

が楽しくてね」。秋の収穫を控え、気谷さんはいとおしそうにアー

チを見る。

 

(県内最小の自治体)

七塚地区は面積が約6・3平方キロ。宇ノ気、高松両町と合併し、

かほく市が誕生するまで、七塚町は県内最小の自治体だった。全域

が砂丘に覆われ、白尾、外日角、秋浜、浜北、遠塚、松浜、木津の

七つの区がある。「七塚」の名称は砂丘上の小山の数に由来すると

も、7人の侍の墓に由来するともいわれる。

 

水や肥料を蓄えられない砂丘地は、稲作には適さない半面、逆に水

や肥料が調節しやすい。通気性にも優れ、高品質の根菜類が育つ条

件が整っており、古くからサツマイモ栽培が盛んだった。砂丘長い

もは1970年代、七塚の特産にしようと生産が本格化した。

「ただ、砂丘長いもの生産量」

ただ、砂丘長いもの生産量は年間2万~3万本程度にすぎない。工
年間2万~3万本程度、戻る1

場や住宅が増え、そもそも耕作できる土地が少ないのだ。17の生

産農家はそれぞれが独自の顧客を抱え、流通のメインは個人売り。

このため市場にはほとんど出回らず「幻の長いも」ともいわれる。

「他産地の長いもより皮の色がちょっと濃くてね。食べると、粘り

と独特の甘みがいいんです」と気谷さん。砂丘長いもの特長を誇ら

しげに話す。どんな味がするのか気になったが、収穫前の今は現物

はない。すぐに味わえないのが残念だが、秋を待つことにしよう。

 

(木津桃を復活へ)

七塚の砂丘地農業で忘れてはならないのが木津桃栽培だ。7月下旬、

「木津桃の里園」で収穫が行われ、木津区長の西谷次雄さん(73)

と前区長の越野正勝さん(78)が桃の木々から直接約4センチ、

ピンポン球サイズの実を摘み取った。

 

 

「これ、持って行きまっしね」。西谷さんから5個の桃をもらい、

今度は味見にありつけた。食べると、白桃のような甘みはないもの

の、フルーティーで素朴な味が口の中に広がる。

 

砂地にも育つ木津桃は、最盛期の大正期には4万本の木が植えられ

た。夏になると、木津の行商金沢のまちを売り歩き、浅野川で夕涼

みする人たちに人気だったという。しかし、戦時下の食糧政策に伴

うサツマイモ栽培の奨励により、多くの桃の木が切られ、次第に衰

退していった。

「そうした中、1990年代」

そうした中、1990年代に地元有志が復活させようと動きだす。
地元有志が復活させようと、戻る2

西谷さんと越野さんもその一員で、現在は木津に約100本の木を

植え、ジャムなどの加工品として売り出せないかと模索する。

 

「あとね」と越野さんが続ける。「木津桃の花は濃いピンクで甘い

香りがする。もっと桃の木を増やしたいね」。かつての木津は桃の

花の香りに包まれ、沖からは花が曇のように見えたと伝わる。地元

・七塚小の校章にもデザインされる木津桃の復活へ、有志らの挑戦

が続く。

「七塚は海のまちである」

七塚は「海のまち」であるのと同時に「砂丘のまち」でもある。不
同時に砂丘のまち、戻る3

利な自然条件にめげず、生活の糧とするため、やせた土壌にも適し

た作物を見いだしてきた先人たち。その思いは砂の台地にしっかり

と根付き、今を生きる人々へ恵みをもたらしている。海と砂丘のま

ち七塚5、砂の台地に根付く農業、市場に出ぬ、幻の長いも。七塚

は砂丘地で土壌は貧しい。この土壌にあう作物の長いもを見つけた

先人たちの努力は辛くて苦しい時間だったと思われます。長いもが

成功した時は本当に嬉しかったことでしょうね。努力は人を裏切ら

ない。その後の木津桃の成功も見事です。何度も失敗しながら成功

にたどり着いたのだと思います。農民は粘り強さがあります。素晴

らしいことです。

 

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海と砂丘のまち七塚、宇ノ気の踏切に七塚の地名、「魚逃げる」線路に反対

(海と砂丘のまち七塚、宇ノ気の踏切に七塚の地名、「魚逃げる」

線路に反対)

宇ノ気地区にある

「宇ノ気地区にあるJR七尾線の踏切の名前に、どういうわけか、



内部リンク

七塚地区の地名がついている」

 
JR七尾線の踏切の

県漁協南浦支所の元参事・山岸秀人さん(66)から、こんな話を
名前に、どういうわけか

外部リンク

耳にした。調べてみると、南から「第1白尾」(宇野気)「第2白

 

尾」(同)「外日角」(森)「秋浜」(宇野気)「遠塚」(宇気)

(木津)(横山)と、場所は宇ノ気なのに、名前が七塚という踏切

が全部で六つある。

 

「第1白尾」から「木津」までの線路の長さは約5キロ。「秋浜」

と「遠塚」の間に、地名がそのまま名前に採用された「七窪」踏切

がある。

 

山岸さん宅は「第1白尾」踏切のすぐそば。七塚の外日角生まれだ

が、結婚を機に宇ノ気に移ってきた。「踏切を見るたび、『なんで

なんかな』と思うんや」と首をかしげる山岸さん。七塚と宇ノ気の

双方にゆかりを持つため、余計に気になるようだ。

 
「七尾線は1898(明治31)年」

(痕跡の一つ?)

七尾線は1898(明治31)年4月、七尾ー津幡間で営業を始め
七尾ー津幡間で営業、戻る1

た。当初は私鉄の七尾鉄道が経営していたが、後に国鉄へ移管され、

JRの運営となった。

 

JR西日本によると、踏切の名前は所在地の地名から付くケースが一

般的で、七尾線の他の踏切はおおむねそれに当てはまる。ならばど

うして宇ノ気の、一部の踏切の名前にだけ、七塚の地名が使われた

のか、担当者に尋ねたものの、開業時の七尾線は私鉄だった上、設

置年代も古く、分からないとの回答だった。

 

七塚町史によると、当初の七尾線は七塚の砂丘地を南北に通る計画

だったとある。しかし、汽車の煙や振動によって魚が逃げてしまう

などと、住民から強く反対され、やむなく宇ノ気の西端に線路が敷

かれたと伝わる。

 

 

このため、山岸さんは「七塚の計画がとん挫した後も、踏切の名前

だけ残ったんじゃないか」と推察。同様の仮説を立てる七塚の住民

は少なくなく、秋浜区長の釜井泰廣さん(70)も「踏切の名前は、

海とともに生きてきた七塚の痕跡の一つなのかもしれない」とうな

ずく。

 
「もっとも宇ノ気の住民」

もっとも宇ノ気の住民の中には別の見方を示す人もいる。旧宇ノ気
中には別の見方を示す、戻る2

町で教育長を務めた、元県議会議長の木本利夫さん(76)は「昔

は宇ノ気から七塚へ向かう道を『白尾道』『遠塚道』などと呼んだ。

その通りの名称が踏切の名前になったんだろう」と見立てる。

 

(由来不明ままある)

「かつての計画から説」と「通りの名称から説」。鉄道ジャーナリ

ストの梅原淳さん(57)に聞くと、「どちらも十分あり得ます」

との回答だった。梅原さんによると、駅舎の名前はともかく、踏切

の名前は由来のよく分からないものが全国的にままあるという。

 

有名なところでは内房線(千葉県)の「切られ」踏切で、周辺に

「切」を連想させるような地名はない。いつ頃からか「昔、刑場

があった」とする都市伝説が一人歩きしているが、それを裏付け

る資料は一切ない。

 

今回の取材では結局、七塚の地名の付いた宇ノ気の踏切の謎を解

き明かすことはかなわなかった。しかし、「汽車で魚が逃げる」

という理由で、明治期の住民が線路の敷設に反対したという、七

塚らしいエピソードを知ることができた。

 
「ローカル線の廃止が全国」

ローカル線の廃止が全国で相次ぐ中、3月に減便された七尾線も
3月に減便された、戻る3

のんびりと構えていられない状況にある。ともすると、海と生き

たまちの名残かもしれない、六つの踏切をこれからもずっと残し

ていきたい。海と砂丘のまち七塚、宇ノ気の踏切に七塚の地名、

「魚逃げる」線路に反対。確かに宇ノ気の踏切に七塚の地名が

付いているのは不思議な気がします。歴史的に検討してもよく

分からないということでした。踏切の名前についてはこれくら

いにして、七尾線も減便されて将来的に廃止になる可能性もあ

ると思われます。そうなれば通勤や通学の学生には大きな影響

が出るでしょうね。乗り合いバスに変更するなどしてこれらの

人たちが困らないようにする対策を今から考えておくべきだと

思います。少子高齢化と能登の過疎化で問題は簡単ではありま

せんが何とか解決したいものです。

 

 

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梯川氾濫、大雨、県内39万人避難指示、浸水60件超、自衛隊に災害派遣要請

(梯川氾濫、大雨、県内39万人避難指示、浸水60件超、自衛隊

に災害派遣要請)

石川県内は4日、

石川県内は4日、加賀地方を中心に記録的な大雨となった。1時間



内部リンク

降水量は白山河内で108・0ミリ、白山白峰で91・0ミリと観

加賀地方を中心に

測史上最大に達し、小松市では梯川が氾濫した。小松市と白山市に
記録的な大雨となった

外部リンク

警戒レベルが最も高い「緊急安全確保」が県内で初めて発令された

 

ほか、両市に記録的短時間大雨情報、金沢、小松、加賀、白山、能

美、七尾の6市に土砂災害警戒情報が出された。最大で39万人に

避難が指示され、各地で床上、床下浸水や道路の冠水が相次いだ。

 

金沢河川国道事務所や県によると、梯川が氾濫するのは1968

(昭和43)年以来で、71年に1級河川に指定されて以降では初

めて。県内の河川が氾濫するのは2018年8月の米町川(志賀町)

、日用川(七尾市)以来となった。手取川も一時、氾濫危険水位に

達した。鍋谷川(小松、能美市)は決壊し、県の管轄する6河川か

ら水があふれ出た。金沢、小松、白山、加賀、能美、野々市、川北

の7市町に災害救助法が適用された。小松市内で集落が孤立しため、

市からの申し出を受けて県が自衛隊に災害派遣を要請した。

 

県によると、床上、床下浸水は金沢、白山、能美の3市で24件、

小松市で少なくとも40件以上が確認された。56カ所の避難所に

最大1926人が避難した。

「4時間の各降水量が」

午後6時時点で、白山河内、白山白峰、小松では3、6、12、2

4時間の各降水量が観測史上最大を記録。白山河内は48、72時
観測史上最大を記録、戻る1

間降水量も歴代最大を更新した。小松は6時間で最大180・0ミ

リ、白山河内は12時間で最大373・5ミリの雨が降り、それぞ

れ8月の1カ月分の平均値を上回った。

 

気象台によると、5日は明け方まで激しい雨が降る所があるが、昼

すぎからは晴れる見込み。

 

 

(危機管理なってない)

加賀地方を中心に記録的な大雨に見舞われた4日、県庁では県の危

機管理のトップである馳知事が終日不在のまま、職員が情報収集に

追われた。当初は各部の次長級を集めた連絡会議を開く予定が、被

害拡大を受け災害対策本部会議に急きょ格上げするなど混乱が露呈

する場面も。悪天候が予想された中、3日から白山に登っていた馳

知事には職員からも「危機管理がなっていない」と苦言が呈された

一方、気象の専門家は「これだけの大雨は予見が難しかった」と話

した。

 

県が各部局の次長級職員を集め、1回目の会議を開いたのは午前9

時半。大雨の状況を共有した後、村上勝危機管理監は記者団に「直

ちに大きな災害が起こる状況ではない」と次長級会議にした理由を

説明した。

馳知事が白山登山で不在にしていることに問題はないかと問われる

と「知事とは随時連絡を取っている。万全の態勢で対応している」

と強調した。

「だがその後も雨は降り続き」

だが、その後も雨は降り続き、南加賀では住宅の床上浸水などの被
南加賀では住宅の、戻る2

害が拡大。県は午後0時半、2回目の次長級会議を開始すると報道

発表したが、約30分後、「第1回災害対策本部会議と修正した。

県災害対策本部会議は、知事を本部長とし、両副知事、各部局長が

顔をそろえる。平成以降、ロシアタンカー「ナホトカ」号の重油流

出事故(1997年)、能登半島地震(2007年)、珠洲市で震

度6弱を観測した地震(今年6月)など六つの災害を受けて開かれ

ており、知事不在は今回が初となる。

 

席上、副本部長の徳田博副知事は「小松市から自衛隊の災害派遣要

請があったため、馳知事が対策本部会議を開くよう指示した」と会

議を変更した理由を説明。知事とは午前6時ごろから電話で連絡を

取り合い、雨や被害の状況を随時報告したとも述べ、万全の態勢が

取れているとの釈明に追われた。午後7時には2度目の災害対策本

部会議を開いた。

 

(職員にも賛否)

有事に知事が県庁にいなかったことに関し、県幹部には「首長は飛

び回っているのが普通であり、不在を批判されるとどこにも行けな

い」と理解を示す声がある一方、「雨予報は前から出ていた。政治

は結果が全てであり、危機管理がなっていないと言わざるを得ない」

との批判も聞かれた。

「村山卓金沢市長は」

村山卓金沢市長は、知事不在によって災害時の県市連携に支障が出
知事不在によって、戻る3

ていないかと記者団に問われ「支障は出ていない。代理となる方が

しっかり指揮されていると思う」と述べた。梯川氾濫、大雨、県内

39万人避難指示、浸水60件超、自衛隊に災害派遣要請。今回の

大雨は特に小松市や白山市で1時間に100ミリほどの激しい雨が

長い間、降り続いて1カ月分以上の雨量になり梯川が氾濫した。住

宅は床上、床下浸水して大変です。道路は冠水して多くの車が被害

を受けています。この後のかたずけ作業がまた、大変です。地球温

暖化の自然からの報復攻撃をされているような気がしてなりません。

これからは脱炭素が重要な課題になります。

 

 

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米下院議長訪台、25年ぶり「民主主義に関与」台湾海峡中国軍派遣、緊張

(米下院議長訪台、25年ぶり「民主主義に関与」台湾海峡中国軍

派遣、緊張)

アジア歴訪中のペロシ米下院議長

アジア歴訪中のペロシ米下院議長が2日夜、専用機で台湾入りした。



内部リンク

複数の台湾メディアや米メディアが伝えた。3日に蔡英文総統と会

 
2日夜、専用機で

談する予定。新華社電によると、中国外務省は米国に対する「強烈
台湾入りした。

外部リンク

な抗議」を表明した。対抗措置を警告してきており、王毅国務委員

 

兼外相は2日「米国こそ平和の最大の破壊者だ」と非難した。台湾

海峡の中間線付近に軍用機や艦船を派遣し軍事的な圧力を強めてい

る。米海軍は周辺海域に空母打撃群を派遣、台湾軍も警戒態勢を強

化するなど軍事的緊張が高まっている。

 

ペロシ氏が率いる米議員訪問団は、声明を発表し「台湾訪問は台湾

民主主義に対する米国の揺るぎない関与を示すものだ」と強調した。

 
「航空機追跡の民間ネットワーク」

航空機追跡の民間ネットワークによると、ペロシ氏の専用機はマレ
ペロシ氏の専用機は、戻る1

ーシアから台湾に向かう際、中国がほぼ全域で領有権と管轄権を主

張する南シナ海を大きく迂回した。下院議長は正副大統領に次ぐ米

国ナンバー3の高位で、訪台は1997年のギングリッチ氏以来2

5年ぶり。ペロシ氏は3日、立法院(国会)を表敬する見通し。

 

台湾の中央通信社は2日、中国が旧ソ連製空母をウクライナから購

入し改修した空母「遼寧」と、初の中国国産空母「山東」がそれぞ

れ母港を出発したと報じた。台湾海峡に向かうかどうか注目されて

いる。

一方、米海軍の原子力空母ロナルド・レーガンを中核とする空母打

撃群や強襲揚陸艦トリポリなどは台湾周辺の海峡に展開している。

 

米メディアによると、台湾海峡で不測事態を避けるため設けられて

いる中間線に複数の中国軍用機が接近、艦船も付近の海峡にとどま

っている。

 

 
「米国ナンバー3の下院議長」

(民主重鎮ペロシ氏)

米国ナンバー3の下院議長として25年ぶりに台湾を訪問したナン
25年ぶりに台湾を、戻る2

シー・ペロシ氏(82)は、連邦議員歴35年の民主党重鎮だ。一

貫して人権問題を厳しく批判してきた対中強硬派として知られる。

女性の地位向上に取り組んできたリベラル派で、議会の内外で時に

は物議を醸す政治活動を続けてきた行動派でもある。

「強い女性」。米国初の女性下院議長でもあるペロシ氏について米

政界関係者は口をそろえる。西部カリフォルニア州サンフランシス

コの中華街を抱える選挙区から選出され、1987年に連邦下院議

員に就任した。

 

(人権、厳しく批判)

中国の人権問題への取り組みは筋金入りだ。訪中して89年の天安

門事件が起きた北京中心部の広場を訪れ「民主主義のために犠牲に

なった人々にささげる」と書かれた横断幕を掲げた。

 

急速に発展する中国との経済関係強化に当たっても、人権問題改善

を条件に掲げ、民主党政権との対決も辞さなかった。

 

中国がチベット独立派とみなし敵視するチベット仏教最高指導者ダ

ライ・ラマ14世とも親交がある。2008年の北京夏季五輪、2

2年の北京冬季五輪ともにチベット族やウイグル族への弾圧を非難

し、外交ボイコットを呼びかけた。

女性や移民を軽視する発言が目立った共和党のトランプ前大統領と

は犬猿の仲だ。20年にはトランプ氏が議場で一般教書演説を終え

た直後、背後で原稿を破り捨てて抗議の意思を示した。

 
「1940年、東部メリーゴーランド」

1940年、東部メリーゴーランド州生まれ。下院議長職は201
下院議長職は、戻る3

9年から2回目。夫と共にカリフォルニア州に移住、5人の子ども

を育てた。米下院議長訪台、25年ぶり「民主主義に関与」台湾海

峡中国軍派遣、緊張。米下院議長ペロシ氏が訪台しました。寨英文

総統ともいろんな話し合いをされたと思います。総統も心強い思い

をしたと思われます。ペロシ氏は過去の英国のサッチャー首相に似

ているように思われます。この人も鉄の女と言われるほど強い政治

家でした。ペロシ氏は筋金入りだと言われてこの人も強い政治家で

す。特に人権問題には厳しい人です。2人とも信念があり素晴らし

い政治家でしょうね。

 

 

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海と砂丘のまち七塚、伝統漁守るサラリーマン、漁協は「出張所」に、福浦港に底引き船団

(海と砂丘のまち七塚、伝統漁守るサラリーマン、漁協は「出張所」

に、福浦港に底引き船団)

能登半島の付け根

能登半島の付け根、石川県のほぼ中央に位置する旧七塚町、現在の



内部リンク

かほく市七塚地区は、日本海に面し、南北に細長い砂丘地だ。「山

石川県のほぼ中央に

なし、川なし、田圃なし」という自然条件のもと、先人たちは主た
位置する旧七塚町

外部リンク

る生活の糧を海に求め、長らく漁業が盛んな土地だったが、時代の

 

流れとともに、まちの装いは大きく変わった。海と砂丘のまちの今

を追う。

 

7月30日早朝、かほく市外日角の砂丘に地引き網のロープを引く

10人ほどの姿があった。七塚で唯一、地引き網漁を行う油野武彦

さん(56)=白尾=のグループだ。浜から機械でロープを巻き取

り、網をたぐり寄せる。魚の入る先端の袋網が見えると、最後は人

力で網を浜に揚げた。

 

2時間余りの漁で収穫はキス10キロ売り上げは1万円だという。

油代などを差し引くと利益はないに等しい。10人で1万円では、

1人当たりの時給換算すると500円か。全国平均の最低賃金が時

給千円に迫ろうかという時代にあって、あまり生産的ではないが、

油野さんは「こんな日もあるわい」と歯牙にも掛けない。

「その理由はきっぷのいい」

その理由はきっぷのいい性格のせいだけではない。油野さんは塗装
性格のせいだけでは、戻る1

会社に勤めるサラリーマンで、地元の仲間というメンバーもそれぞ

れ営業マンや自営業など他に本業がある。いわば「兼業漁師」なの

だ。

 

(福浦港に底引き船団)

七塚の漁業は明治時代までは地引き網漁や刺し網漁が多かった。し

かし、沿岸部のイワシやサバが減ると、次第に底引き網漁が主流に。

30隻を超える七塚の底引き船団は、志賀町の福浦港を拠点に活動

し、船団が所属する南浦漁協は県内で指折りの売上高を誇った。

 

 

2隻の底引き網船を所有し、南浦漁協の組合長も務めた堂久八さん

(80)=白尾=は「ニギスの漁獲高は南浦漁協が日本一だった。

大卒初任給が月1万5千円の時代に中卒の坊やの乗組員が6万~1

0万円稼いどった」と振り返る。

 

ところが平成に入ると、魚価が低迷し、後継者不足も顕在化した。

地元に漁港がないため経費もかさみ、漁をやめる人が相次いだのだ。

七塚沖にワイングラス型の漁港を設置する計画もあったが、いつの

間にか立ち消えになった。

「時代の波には逆らえず」

時代の波には逆らえず、2016(平成28)年までに七塚の底引
2016(平成28)年、戻る2

き網漁は姿を消した。隆盛を誇った南浦漁協(06年の県漁協統合

以降は南浦支所)は「出張所」に格下げされ、事務所などの施設も

売却。現在の南浦出張所は、運営部会長の自宅が事務所を兼ねてい

る。

 

(仲間と朝飯「うまい」)

油野さんの父親も底引き網漁船の乗組員で、引退後に小型船を購入

し、沿岸部で刺し網漁などにいそしんだらしい。そして、父親が亡

くなって船を譲り受けた油野さんは、サラリーマンを続けながら、

土日に漁に出る生活になった。地引き網漁は6年前、このままでは

七塚の伝統漁がついえてしまうと、支所の関係者から頼まれて始め

たという。

 

もうからないだけならまだしも、赤字に陥りかねない地引き網漁を

なぜ続けるのか。ひと仕事を終えた油野さんに尋ねた。「海が好き

やしな。それに漁が終わって仲間とわいわいしながら食う朝飯がま

たうまいんや」。波打ち際で紫煙をくゆらせながらガハハと豪快に

笑った。

「南浦出張所に所属する」

南浦出張所に所属する漁師は油野さんを含め、わずか10人。七塚
漁師は油野さんを、戻る3

の漁業の未来は決して明るいものではない。しかし、本業ではない

にせよ、現役の漁師たちは底抜けに明るく、今もなお、海とともに

生きている。海と砂丘のまち七塚、伝統漁守るサラリーマン、漁協

は「出張所」に、福浦港に底引き船団。かほく市の七塚の30隻を

超える底引き船団は志賀町の福浦港を拠点に活動し、所属する南浦

漁協は県内で指折りの売上高を誇った。七塚がこんな凄い底引き船

団だったとは全く知らなかった。特に「ニギスの漁獲高は日本一だ

ったそうです。

 

 

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第7波で保健所逼迫、自宅療養の問い合わせ増、金沢市、1日800人に連絡

(第7波で保健所逼迫、自宅療養の問い合わせ増、金沢市、1日8

00人に連絡)

新型コロナの流行

新型コロナの流行「第7波」で感染者が急増し、健康観察や相談対



内部リンク

応に当たる石川県内の保健所業務が逼迫している。県や金沢市は応

「第7波」で感染者が急増し

援職員の派遣に加え、感染者への連絡をメールに変更するなどして
健康観察や相談

外部リンク

効率化に努めるが、業務量は拡大する一方だ。専門家からはコロナ

 

が全数把握の「2類相当」になっていることに関し、柔軟な運用を

すべきとの声が上がっている。

(効率化、メールに変更)

「陽性との届け出があり連絡しました」「濃厚接触の方はいますか」

 

27日午後4時半、金沢市西念の市保健所では、職員が感染者への

連絡の業務に追われていた。電話のコール音が響く中、受話器を片

手に聞き取った患者の状況などを書き留めていた。

「感染者に連絡し、症状や」

感染拡大を受け、今月19日以降は1日当たり800人前後の新規

感染者に連絡し、症状や重症化リスクの有無などを確認している。
重症化リスクの有無、戻る1

持病の有無や年代などを基に優先順位を決めており、連絡が2日後

になるケースもある。自宅から医療機関への移送手配に関する業務

がほぼなくなった一方、自宅療養の軽症者からの電話相談が増えて

いるという。

 

市は、他部署からの職員派遣などで保健所の人員を通常の42人か

ら62人体制に増強。感染者への第一報の連絡を携帯電話のSMS

(ショートメッセージサービス)に切り替えた。

 

ただ、絶対的な業務量が増加しており、コロナ担当の地域保健課職

員25人のうち17人は、7月の時間外勤務時間が既に過労死ライ

ンとされる月80時間を上回っている。越田理恵所長は「日付をま

たいで勤務したり、休日出勤したりする場合もある。応援職員の協

力で何とか乗り切りたい」と話す。

一方、県保健所でも今月下旬から患者への連絡を電話からスマート

フォンのメールに切り替えた。感染者が多い石川中央、南加賀の2

保健所には、県庁から職員を派遣している。

 

「県職員の一人は感染者は」

(「インフル並みに」)

県職員の一人は「感染者は今後も増える可能性があり、職員数は正
今後も増える可能性、戻る2

直言って足りない」と漏らす。別の県職員は感染症法上の分類を2

類相当から5類相当に引き下げる案について「現場の負担を減らす

ため、5類に引き下げ、インフルエンザのように定点把握に変える

ことも選択肢ではないか」と話した。

(開業医「てんてこ舞い」)・発熱外来やワクチン接種

コロナの感染拡大には金沢市内の開業医も頭を悩ませている。市医

師会長を務める半田内科医院(同市小立野3庁目)の鍛治恭介院長

は「発熱外来だけで1日に10~20人が来院し、さらにワクチン

接種が多い時には30人、市民対象の健診が10人弱など、最近は

毎日てんてこ舞いだ」と語った。

「ここ10日ほど、開院から1時間以内に発熱外来の予約が埋まっ

てしまう」話すのは、さかもと内科クリニック(同市古府2丁目)

の坂本茂夫院長。診察希望者が多いため、症状がない濃厚接触者は

断っているといい「重症化しそうな人を優先せざるを得ない」と苦

しい胸の内を語った。

「みずきクリニック」

みずきクリニック(同市みずき1丁目)の木村寛伸院長は「ワクチ
木村寛伸院長は、戻る3

ン接種希望者と発熱外来の受診者が接触しないように配慮している」

と話した。

(2病院に発熱外来)・31日、金沢市医師会

金沢市医師会は日曜日の31日、かがやきクリニック(同市疋田1

丁目)とはしもと医院(同市玉川町)に発熱外来を設ける。時間は

午前9時~午後0時半。県と県医師会は21日、各地の医師会に、

休日や夜間の当番医態勢の充実などを求める通知を出している。第

7波で保健所逼迫、自宅療養の問い合わせ増、金沢市、1日800

人に連絡。ここに来てコロナのBA5の感染者が急増している。保健

所は過労死ラインを超える時間外勤務をしている所が急増している。

その上、休日勤務までしているのである。これではいつ過労死する

人がでても不思議ではない状況だ。何とかして過労死は防がなけれ

ばならない。みんなで知恵を出し合って協力してもらいたい。医療

従事者には感謝しかありません。

 

 

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