石川北、アマメハギ「初めて」中止、能登町4集落「やむを得ず」。

能登町秋吉など4集落で2月3日に行われる国連教育科学文化機関

能都町秋吉など4集落で

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(ユネスコ)無形文化遺産の伝統行事「アマメハギ」が今年は中止

2月3日に行われる

されることが24日、集落代表者らへの取材で分かった。地震で避

国連教育科学文化機関

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難生活を送る住民もいるため決断したという。コロナ下でも簡略化

 

しながら続けてきた行事だが、地元住民は「やむを得ない」と残念

そうに話した。

「アマメハギは家内安全と豊作を願う」

アマメハギは家内安全と豊作を願う子どもたちの厄よけ行事。鬼役
子どもたちの厄よけ行事、戻る1

の小中学生が「アマメー」と叫びながら家々を回り、火鉢に長く当

たるとできる火だこ「アマメ」をはぐと脅かし、住民の怠け心を戒

める。能登町では秋吉、河ケ谷、清真、宮犬の4区で毎年、節分の

夕方から夜にかけて行われ、2018年に無形文化遺産に登録され

た。

「秋吉公民館長で、秋吉地区アマメハギ」

秋吉公民館長で、秋吉地区アマメハギ保存会長の橋本忍さん(7
保存会長の橋本忍さん、戻る2

3)によると、13日に開催を協議する予定だったが、地震の影響

で中止となり、各区の判断となった。清真区の坂上久男区長(6

9)は家屋も道路も崩れており、子どもの安全を考えると到底でき

る状況じゃない」と語った。

「行事の歴史を伝える同町秋吉の」

行事の歴史を伝える同町秋吉の「能登の来訪神行事アマメハギ伝承

能登の来訪神行事アマメハギ、戻る3

館」も屋内にガラスが散乱し、鬼の面や建具も被害を受けた。河ケ

谷区に住む橋本会長は「アマメハギが中止になるのは私が知る限り

初めて。子どもたちには伝統を続けられなくて申し訳ない」と話し

た。石川北、アマメハギ「初めて」中止、能登町4集落「やむを得

ず」。アマメハギが初めて中止になるのは、地震の影響である。家

屋も道路も崩れたら安全を考えれば中止も仕方ないと思います。

 

 

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外国語専門学校、「怖かったろう」悲しみ新た、NZ地震13年、富山で追悼。

富山、石川などの日本人留学生28人を含む185人が死亡した2

富山、石川などの日本人

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011年のニュージーランド地震から13年を迎えた22日、学生

留学生28人を含む

12人が犠牲となった富山市の富山外国語専門学校で追悼の集いが
185人が死亡した

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営まれ、遺族ら95人が犠牲者に祈りをささげた。能登半島地震を

 

経験した遺族は、ビル倒壊に巻き込まれたわが子に思いを寄せ、

「怖かったろう」と悲しみを新たにした。

 

遺族や在校生、元同級生らが参列し、地震発生時刻の午前8時51

分(日本時間)に合わせて黙とうした。南島啓校長が追悼の辞を延

べ、藤井裕久富山市長の追悼のメッセージが読み上げられた。在校

生代表の鉾井陽天さん(1年)は「先輩方の思いを忘れず日々の勉

学に励んでいきます」とあいさつした。

「献花に続き、山谷美奈さん」

献花に続き、山谷美奈さん=当時(19)=の父信昭さん(66)
=当時(19)=の、戻る1

=高岡市=が遺族代表のあいさつで「能登半島地震で、娘を亡くし

た苦しみや困難を思い起こし、身にしみる思いだった」と振り返っ

た。

 

式典後、遺族3人が富山市民プラザで報道陣の取材に応じた。横田

沙希さん=同(19)=の父政司さん(68)=富山市=は能登半

島地震発生時、マンションが横揺れしているのを目にしたとし「私

でさえ怖かったのに、娘はパニックの中で、一瞬にしてビルがつぶ

れたと想像すると何も考えられなくなった」と話した。

 

菊田紗央莉さん=同(19)=を失った父邦俊さん(73)=金沢

市=は能登半島地震について「大切な家族を目の前で失った人がた

くさんいる。私たちのように遠く離れた場所で被災したのとは別の

つらさがあると思う」と思いやった。金丸佳世さん同(19)=の

父直弘さん(65)=高岡市=は「13年たっても、悲しみは何も

変わらない」と静かに語った。

「の北川泰大さん=当時(39)」

この地震で石川県関係者では、菊田さんのほか、元北國新聞社記者

の北川泰大さん=当時(39)、白山市出身=、語学留学中だった
「白山市出身=、語学留学中だった」、戻る2

看護師百万元輝さん=同(27)、津幡町出身=が犠牲となった。

 

「つらいけど来なければ」(現地追悼式で遺族)

ニュージーランド地震被災地の南島クライストチャーチで追悼式が

開かれた。研修中に亡くなった堀田めぐみさん=当時(19)=の

両親ら日本の遺族関係者数人も出席。めぐみさんの父和夫さん(6

9)は「やはりつらい。でも来なければならない。親だからね」と

語った。

 

クライストチャーチで生まれ育ったニューグランドのラクソン首相

も出席し、日本人遺族ら一人一人に会い、寄り添う気持ちを伝えた。

和夫さんと妻聖子さん(64)は富山市の自宅で先月、能登半島地

震に遭遇した。「揺れで何もできなかった。なすがままだった。娘

もさぞ怖かったろうな」

「追悼式は国立追悼施設などで行われ」

追悼式は国立追悼施設などで行われ、約400人が参加。黙とうが
約400人が参加。黙とうが、戻る3

行われ、亡くなった人全員の名前が鐘を鳴らして読み上げられた。

外国語専門学校、「怖かったろう」悲しみ新た、NZ地震13年、

富山で追悼。ニューグランド地震から、はや13年、多くの人がビ

ル倒壊によって犠牲となった。

 

 

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商売続ける希望を、のと共栄信用金庫・鈴木正俊理事長、損失出しても支える。

理事長室の机や床には、災害復旧関連の資料が所狭しと山積みにな

理事長室の机や床には

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っていた。「元日の地震から片付けてる暇がなくて」との言葉通り、

災害復旧関連の資料が

揺れではずれたとみられる間仕切りのパネルもそのままだ。
所狭しと山積みに

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奥能登で被災した輪島、穴水両支店は震災からほぼ1週間後の9日

 

に再開した。職員が本店から現金を持って応援に行く形としたが、

出金はわずかで、盗難防止のためにタンス預金を持ってくる人たち

が多かったようだ。

 

(美談ではない)

職員の安全を考えれば支店を開けるのは時期尚早だったというのが

本音という。「それでも、ニーズがあれば開けて良かったと思うが、

決して美談にしてはいけない。職員も被災者であって、本来は仕事

どころでなかった」と話し、職員への感謝を口にした。

「地震から2カ月近くたち、取引先から」

地震から2カ月近くたち、取引先から切実な相談が増えてきた。コ
切実な相談が増えてきた、戻る1

ロナ下で受けたゼロゼロ融資の返済が始まった上に、自宅も事業所

も崩れ、借金を返す手段がなくなった先も少なくない。

 

「今は補助金でも何でも使えるものは使って、商売を続けられると

いう希望を持ってもらうことが一番大事。商売がなくなれば、雇用

も消え、人もいなくなる。何とかなるとのメッセージを早く伝えな

いと、手遅れになってしまう」。震災後、職員には補助金申請の手

続きを徹底的に勉強するよう指示を出した。最近は、り災証明の申

し込み方法まで説明する職員もおり、頼もしく感じているそうだ。

 

「109年の歴史なのか、困ったらのとしん、というのが定着して

いる。行政並みといかないが、頼りにされている分、質問されたら

返せるようにしたい」。自身もこの日の昼食時に、通りがかりの知

り合い3人に国の補助金について説明したという。

今回の地震で人口減少への危機感がさらに強まった。「金庫の人員

は今のところ足りているけれど、取引先の人繰りは厳しい。極端な

ことを言うと、地図に能登が残っても、人がいないちいきでは、な

りわいも成り立たない」。商売を続けてもらうため、「今年度、来

年度は損失を出しても顧客の負担を軽くしないといけない。それだ

けの覚悟でやる」と言い切る。

「とりわけ気掛かりなのが、長期休業を」

(和倉、復興シンボルに)

とりわけ気掛かりなのが、長期休業を強いられる和倉温泉だ。建屋
強いられる和倉温泉だ、戻る2

に亀裂が入ったり、護岸がズタズタになったりした旅館がある。宿

泊者数がコロナ下から回復し、「さあこれから」という矢先の震災

だった。

 

「能登の復興を描く中で、シンボルの一つにしないといけない。た

だ、いくら立派な建物ができても、おもてなしを支える人がいなけ

れば機能しない。やはり国、県に人材流出の防止策を早急に検討し

てもらいたい」

「最後にカメラを向けると、慌てて」

最後にカメラを向けると、慌ててジャケットを取り出した。セータ
ジャケットを取り出した、戻る3

ーに綿パン姿。スーツを着用すべき場面を除いて、最近はこの格好

でいることが多い。「避難所から金庫に通う職員がいる間は、この

格好で通したい。支援物資を運んだり、おれも何でもやるぞと、姿

勢を見せたい」。まちなかでは、営業を再開する店も増えてきた。

「あんた、元気やったけ」と声を掛け合う住民の姿を目にするたび

に、元気をもらう気がしている。商売続ける希望を、のと共栄信用

金庫・鈴木正俊理事長、損失出しても支える。今回の地震で大きな

被害を受けたのが和倉温泉だ。今は長期休業をしている。建物が大

きな被害を受けたのが厳しい状況により一層の拍車をかけている。

 

 

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なりわい再建の支援充実、視察の首相「先頭に立つ」、輪島塗事業者と車座対話。

能登半島地震の被災地を24日に再訪した岸田文雄首相に対し、輪

能登半島地震の被災地を

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島市、穴水町の住民からは1次産業や伝統工芸など基幹産業の再建

24日に再訪した

を求める声が相次いだ。意見交換を終えた岸田首相は「皆さんが被
岸田文雄首相に対し

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災前の笑顔を再び取り戻す日まで、先頭に立って生活やなりわい再

 

建、地域再生に全力で取り組みたい」と延べ、観光についても状況

を見ながらより手厚い需要喚起策を行うと明言した。

 

輪島市の輪島塗会館で開かれた輪島塗事業者との車座対話では、蒔

絵師の大森晴香さんが自宅兼工房が損壊し、市外に避難する職人が

多いとして、「職人がいなくなるのを一番心配している」と説明。

呂色師の丸井聡さんも「もう一度戻ってもらえるよう仮設工房が必

要だ」と続けた。

「岸田首相は市内の石川県輪島漆芸美術館に」

岸田首相は市内の石川県輪島漆芸美術館に開設する仮設工房につい
開設する仮設工房に、戻る1

て、「能登の象徴、日本人にとっての宝をみんなで守っていかなけ

ればならない」と強調した。

 

火災で大半の建物が焼失した輪島朝市では焼け焦げた臭いが漂う中、

通りを見て回り、輪島市朝市組合の富水長毅組合長らにあいさつし

た。穴水町の避難所、輪島市の応急仮設住宅では、住民から「日が

たてばたつほど生活が苦しくなる」「商売をしている人になるべく

早く支援を届けてほしい」など切実な声が飛んだ。大きなひび割れ

が生じた国名勝「白米千枚田」や海底が隆起して漁船が出港出来な

くなった輪島港も巡った。

 

終了後、報道陣の取材に応じた首相は、県が予算案に盛り込む最大

300万円の自宅再建利子助成事業について、輪島、珠洲、七尾、

能登、穴水、志賀の6市町以外の子育て世帯も対象となる方向だと

明かした。「手厚い地方財政措置を検討するよう総務相に指示した」

と話した。

「奥能登以外でも被害が大きかった」

奥能登以外でも被害が大きかった液状化対策については「道路など
液状化対策については、戻る2

隣接住宅地も含め一体的に対策を講ずる。支援措置を速やかに具体

化する」と述べた。

 

同行した馳浩知事は3月16日に富山、福井、新潟県がスタートさ

せる観光支援の北陸応援割に関し、「私も同時にスタートはさせた

いと思っているが、隣県と状況が違う」と実施時期を検討中である

ことに理解を求めた。

「視察には西田昭二総務政務官が同行し」

視察には西田昭二総務政務官が同行し、自民党の岡田直樹参院幹事
自民党の岡田直樹参院、戻る3

長代行、宮本周司参院議員、小森卓郎参院議員が輪島朝市の視察や

車座対話に同席した。

 

 

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視察の首相「先頭に立つ」

「皆さんが被災前の笑顔を再び取り戻す日まで、先頭に立って生活

やなりわい再建、地域再生に全力で取り組みたい」

 

 

21歳対決に熱視線、棋王戦赤羽ホールで24日開かれた棋王戦大盤解説会、全国からファン500人。

金沢市の北國新聞赤羽ホールで24日開かれた棋王戦大盤解説会に

金沢市の北國新聞赤羽ホールで

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は、注目の同世代対決を心待ちにしていたファン500人が全国か

24日開かれた

ら集結した。手に汗握る熱戦を見守るファンからは、熟考を重ねた
棋王戦大盤解説会に

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2人の手に感嘆の声が上がった。対局を終えた藤井聡太棋王(21)

 

と伊藤匠七段(21)が姿を見せると、ファンは温かな拍手で迎え、

両者の健闘をたたえた。

「大盤解説会場に現れた藤井棋王と」

大盤解説会場に現れた藤井棋王と伊藤七段はファンに感謝の気持ち
伊藤七段はファンに感謝の、戻る1

 

を伝えた。第3局を見据え、藤井棋王は「来週に向けてしっかり準

備したい」、伊藤七段は「次は切り替えて実践に臨む」と意気込み

を語った。

「埼玉県和光市の会社員上野尚美さん」

埼玉県和光市の会社員上野尚美さん(52)は、将棋のイベントに
(52)は、将棋のイベントに、戻る2

参加しながら旅行を楽しむ「旅将」仲間と一緒に観戦した。藤井棋

王のファンという上野さんは「昨年は仕事で行けなかったので、今

年こそは来たかった。読みの力のぶつかり合いにわくわくが止まら

なかった」と笑みを浮かべた。

 

金沢市大桑町から訪れた将棋愛好家の会社員中村晴樹さん(45)

は、伊藤七段に以前から注目していたと語り中盤以降、難解な展開

が続く中で踏み込む一手を指しており、見応えがあった」と話した。

 

津幡町中条小6年の西島沙奈さん(12)は初めて大盤解説を体験

し、「大きい画面で観れて楽しかった。藤井八冠も伊藤七段も格好

良かった」と目を輝かせた。

「船江恒平六段が局面を解説し」

船江恒平六段が局面を解説し、藤井棋王の姉弟子として知られる室
藤井棋王の姉弟子として知られる、戻る3

田伊緒女流二段(砺波市生まれ)が聞き手を務め、軽快なトークで

会場を盛り上げた。立会人の久保利明九段もゲストで登場した。

 

 

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(能登の食材、活力に)

正午の昼食休憩は、能登の食材を使った「勝負めし」が登場し、

藤井棋王と伊藤七段の活力の源となった。

 

提供されたのは「加賀懐石弁当」。能登牛の角切りステーキを

はじめ、ナマコや里芋、春菊、カブなど能登の山海の幸をふん

だんに取り入れたメニューで、金沢ニューグランドホテルが調

理を担当した。

 

午前10時と午後3時にはおやつが運ばれた。午前10時は藤

井棋王がイチゴモンブラン、伊藤七段がレアチーズケーキを注

文し、午後3時は両者ともレーズンサンドを頼んだ。

 

 

 

 

 

 

輪島・町野・1946年創業、スーパー休まず営業中、「困っている」と聞いたら。

能登半島地震で大きな被害が出た輪島市町野町で、地震発生後から

能登半島地震で大きな

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1日も休まず営業を続けるスーパーがある。多くの家屋が倒壊する

被害が出た輪島市町野町で

などした地域は他にスーパーがなく、市中心部まで買い物に行けな
地震発生後から

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い住民にとっては生命線のような存在だ。店の2代目の本谷一郎さ

 

ん(75)は「地域にささえられ、ここまでやってこられた。今度

は自分たちが恩返しする番だ」と意気込む。

「おー、生きとったか」

「おー、生きとったか」「これ持っていって。遠慮せんと」。店先
「これ持っていって。遠慮せんと」、戻る1

に設けたスペースで、石油ストーブで温めた缶コーヒーを配り、住

民と談笑するのが本谷さんの日課だ。顔なじみの客が立ち寄ると、

一服しながら地震時の状況やどんな気持ちだったかを語り合う。

 

避難所生活が続く住民にとって、地域唯一のスーパーは憩いの場

でもある。本谷さんは「避難所ではゆっくりできない。ここでた

わいもない話をして、少しでも息抜きになれば」とほほ笑む。

「もとやさん」と呼ばれてきた。

1946年創業の「もとや庄治商店」は、住民から親しみを込め

て「もとやさん」と呼ばれてきた。地震から2月上旬までは停電
地震から2月上旬までは、戻る2

していたため、客には薄暗い店内を懐中電灯で照らしながら買い

物をしてもらった。今は生鮮食品はないが、さまざまな種類のお

菓子や酒、調味料などのほか、ストーブといった家電も取り扱う。

 

過疎化が進み、地域にいくつもあった商店は次々とシャッターを

下ろした。地震が起きた元日は休業日だったが、客が電池や水を

求めて訪れ、急きょ店を開けた。「『困っている』と聞いたら休

めないでしょ」

 

店に隣接する自宅は損壊ですめなくなり、防犯も兼ねて店の一角

で寝泊まりを続ける。避難所に行かない理由は、客が来た時にす

ぐ気付いて対応し、気軽におしゃべりできるようにするためだ。

「2次避難などで離れた住民が」

2次避難などで離れた住民がどれだけ戻るかは見通せない。一方
どれだけ戻るかは見通せない、戻る3

で慣れ親しんだこの地にのこりたいという声も多く聞く。「お客

さんは家族みたいなもの。復旧が進んだら、喜んでもらえるよう

な商品の販売をいち早く再開したい」と本谷さん。この店先から、

地域のこれからを見つめていきたいと思っている。

 

 

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(名物串揚げ「かかし」販売再開・輪島の精肉店)

輪島市の朝市通りに近い精肉店「藤田総本店」は22日までに営

業を再開した。名物の串揚げ「かかし」や唐揚げなどを販売し、

常連客が列をつくった。

 

店舗は無事で、井戸水が水質検査で使えることが分かった。藤田

眞也店長(32)は「みんなが大変な中にあるので、少しでも喜

んでもらおう」と営業再開に踏み切った。

 

22日はウズラの卵とウインナーなどの「かかし」のほか、カボ

チャコロッケ、エビダンゴなど5種を販売した。輪島出身の会社

員矢部愛さん(30)=愛知県岡崎市=は実家の罹災証明書申請

などで輪島に戻ったついでに立ち寄った。「昔からよく利用して

いた。数年ぶりに食べるので楽しみ」と笑顔を見せた。

 

当面は営業期間を限定し、今週は23日までで午前11時~午後

1時。来週も数日間営業する。水道が復旧すれば自家製コロッケ

も再開する。こういう串揚げ専門店などは人気があってうまい。

みんなが地震で大変な時に頑張って応援するのでしょうね。感謝

です。