母子家庭で小学生の男の子がいるのに喫茶店を経営している魅力的なケイ子さんとの出会いと別れ

(母子家庭で小学生の男の子がいるのに喫茶店を経営している

魅力的なケイ子さんとの出会いと別れ)

ケイ子さんは、前の会社のすぐ近くに、新しい喫茶店を開いて毎日
ケイ子さん

遅くまで、一生懸命に働いていた。お客さんも常連客が、多くてい


い人ばかりだった。彼女には7歳位の、男の子がいて小学1年生位
喫茶店を

だったと思います。その子のために頑張っているんだなあ。といつ

内部リンク

も思っていました。店は遅くまで満員状態でした。彼女は本当に忙

 

しくて、忙殺状態でした。私は、いつも病気にならなければ、いい

のになあ。と願っていました。家に帰っても子供は、遅いのでもう

外部リンク

眠っていると思います

 

「子供の寝顔」

子供の寝顔を見るのが、彼女の生き甲斐な

生き甲斐、戻る1

のでしょう。彼女を見ていると、ほんとに愛しくなります。何か、

応援出来る事は、ないのかと、いつも考えていました。子供と過ご

す時間は、本当に少ないと思います。そこまでして、この店をやら

なければならないのか。生きるためには、仕方がないのか。子供が

納得していれば、本当に偉い子だと思います。店には1回も来た事

が、ありません。彼女の教育がいいのかなあ。私は、店ではそう言

う話は、全くした事が、ありません。なるべく明るい話題を、話し

するようにして、いました。

 

 

 

 

 

「店を休業」

ある日、彼女は店を休業して、子供を連れて来るから、どこかへ行
子供を、戻る2

って、いっしょに遊んで、あげてください。と言った。私は、車で

山へ行く事にした。山に着いて、まずは草むらの中に、虫がいない

か、探して見る事にした。名前は良く分からないが、小さな虫が沢

山、見つかった。私は、男の子を僕ちゃんと、呼ぶ事にした。虫を

見て僕ちゃんは、嬉しそうに笑った。良かったなあ。と思った。僕

ちゃんは、虫かごを持っていたので、虫を大事そうに、虫かごに入

れて、喜んでいた。こんな経験は、ほとんどした事が、ないのだろ

う。1時間ほど、虫探しをしていた。次に私は、テニスボールを出

して、僕ちゃんは、小さいので、キャッチボールは、出来ないと思

ったので、ボールを転がして、キャッチする遊びをした。これも僕

ちゃんは、夢中になって、遊んだ。このゲームも1時間ほど、やっ

たら遊び疲れたのか。もう、疲れた。と言うので、充分に遊んだか

ら、もう、止めて少し休憩しよう。と言った。しばらく、休んでか

ら、車で帰る事にした。車に乗ると、ケイ子さんは、今日は、本当

にありがとう。とお礼を言った。どういたしまして。と返答した。

僕ちゃんは、虫かごを大事そうに、持って虫を見ている。彼女は、

この子は、こんな経験がないから、今日は、楽しかったと思うわ。

彼女も、嬉しかったのだろう。車の中で彼女と、僕ちゃんは何やら

楽しそうに、沢山の話しをしていた。彼女の家に着いて、別れる時

に、僕ちゃんは、大きな声で、バイバイを何回も言って、いたのが

印象的だった。ケイ子さんと、僕ちゃんに、幸せあれ。

 

 

 

 

 

 

 

コメント(以下に書いて下さい)

 

 

 

 

 

 

 

 

高専時代に2年生まで物理学を教えてもらった問屋先生の東京での交通事故死の思い出

(高専時代に2年生まで物理学を教えてもらった問屋先生の東京

での交通事故死の思い出)

高専の1年生と2年生の、物理を教えてもらったのが、問屋先生で
物理を教えて

す。先生は非常に厳しくて、特に物理の実験の時は、どんなに遅く


なってもその日の内に、回答を出すと言うのが、原則でした。実験
高専の

が終わると、みんな図書館へ行って、回答にたどり着く、ヒントを

内部リンク

探すのに、必死でした。図書館は実験を終えた、学生でいっぱいに

 

なりました。どんなに遅くなっても、回答を出すまでは、家に帰る

事は、出来ません。私は、一度だけですが、回答が出なくて先生に

外部リンク

夜、遅くに家まで送って、もらった事があります。先生は、厳しい

 

ばかりではなくて、約束は必ず守る、優しさも兼ね備えた、人でし

た。しかし、勉強に関しては、本当に厳しい人でした。進級会議の

時は、赤点の学生は、進級は認めない、考えの人でした。

 

でも、我々が卒業してからは、テニス部の顧問になって、一生懸命

に部員の面倒を見る、優しい人でした。毎年、夏休みには、現役と

OBの交流会を、開いてくれて、試合をしたり、美味しい物が用意

されていて、されらをご馳走になって、交流会は本当に楽しかった

です。交流会の後は、先生の家にお邪魔して、我々の事を現役の学

生に、色んな話をして、もらいました。本当にいい思い出です。

「津幡の人」

高専は、津幡にありましたから、ボランティアで、津幡の人でテニ
高専は、戻る1

スが好きな住民に、コートを提供して、熱心に指導していました。

津幡の住民からも、好かれていました。なかなか、簡単に出来る事

ではありません。時には、津幡の町民のために、テニスの大会を開

催したり、練習会を開いて見たりして、町民のために尽くして、い

ました。また役員もされていました。

 

現役の学生は、OBの協力もあって、北陸地区だけではなく、全国

の高専大会でも、優勝や準優勝を何回も、経験しています。それも

個人戦だけではなく、団体戦でも好成績を、残しています。これも

ひとえに、先生の人柄とテニスに、対する熱心な気持ちに、よる所

が大きいと、言えると思います。

 

 

 

 

 

 

 

先生はテニスばかりではなくて、学問にも熱心で広島大学へ、1年

国内留学して原子物理学を、研究されました。文武両道の素晴らし

い人でした。高専へ戻られてからは、テニス部の顧問に、戻られた

と思います。学問もテニスも、レベルアップされました。

「代表役員」

そんな先生が、北陸地区のテニスの、代表役員として、東京の岸記
先生が、戻る2

念体育館へ、全国の役員会のために、出かけられて、会議に出席さ

れて、会議を終えて帰る途中で、横断歩道を渡っている時に、車に

はねられて、帰らぬ人となって、しまいました。われわれOBを始

め、学生や津幡の町民や、その他の関係者は、悲しさと無念さと悔

しさで、打ちひしがされました。若くして本当に、大切な人をなく

して、しまいました。失って見て初めて、本当に偉大な人だった事

に気ずかされました。どんなにいい人でも、こんな不幸が待ってい

る事が、あるんだなあ。とつくづく、感じされられました。先生に

は、心から感謝します。

 

コメント(以下に書いて下さい)

 

 

 

 

最後は片町にスナックアテネと言う店を出した綺麗な律子との出会いと病気での別れとは

(最後は片町にスナックアテネと言う店を出した綺麗な律子との

出会いと病気での別れとは)

大学を卒業して、勤めていた会社の、すぐ近くに喫茶店があった。
喫茶店が

そこに、律子がアルバイトで、働いていた。私が会社の先輩にこの


店に、連れて来てもらって、初めて会ったのが、律子との出会いで
勤めていた

あった。本当に綺麗な女性でした。それが、きっかけで会社が、終

内部リンク

わると毎日のように、この店に立ち寄った。この店でのアルバイト

 

の事や、お客さんの事や、恋愛の事なども話題になった。まだ18

歳で高校を卒業したばかりだった。あどけなさの残る、綺麗な女性

外部リンク

であった。私は、この彼女に少しずつ、引かれていったのが、分か

 

った。毎日のように通って、他愛もない世間話をしたり、スポーツ

関係の事も、良く話題になった。何となく気軽に過ごせる、こんな

時間が楽しかった。1年近くが過ぎた頃に、彼女が、私、今度、片

町に店を出す事に、なったので良かったら、遊びに来てね。と言わ

れて少し驚いた。こんな若い女性が、もう片町に店を出すなんて。

半分、冗談かと思ってしまった。でも彼女は真剣に話すので、本当

なんだと分かった。店がオープンしたら、近いうちに顔を出すよ。

と言ってその日は、帰る事にした。

 

 

 

 

 

 

「彼女から」

しばらくして、彼女から連絡があった。店をオープンしたとの事で
連絡が、戻る1

した。近いうちに行く事を、約束してその日は、電話を切った。何

だかとても嬉しそうな、声で話していた。

「店へ行って」

ある日の夕方に、時間が出来たので彼女の、店へ行って見る事にし
ある日の、戻る2

た。タクシーで出かけて、スクランブル交差点の所で、降ろしても

らった。そこから、少し歩いて彼女の店に着いた。ドアを開けて中

に入ると、他のお客さんでいっぱいだった。彼女に、よかったね。

と言って椅子に座った。彼女は、来てくれてありがとう。と言って

くれた。小さな店だが綺麗な店でした。10人ほどが座れる、本当

にこじんまりとした、いい店だった。私は、黒バラの花を持って、

行ってあげたら、ほんとに喜んでいた。律子は、相変わらず若くて

綺麗だった。今日は、多くのお客さんで、彼女とゆっくり話をする

チャンスが、なかったので、カラオケで歌を3曲ほど、歌って帰る

事にした。アリスの名曲を3曲、歌った。本当は、こんな立派な所

に店を出して、どんな気持ちかを聞いて、見たかった。今度、来た

時にゆっくり、話して見ようと思った。私の歌には多くの、お客さ

んが拍手をして、くれました。悪い気持ちはしませんでした。最後

に彼女に、今度、また来るね。と言ったら彼女は、今日はごめんね

。と言って頭を下げていた。ドアを開けて店を出たら、何だか少し

寂しい気持ちに、なりました。律子さん。頑張れ。

 

それから、たびたび、店へは足を運んで遊びに、いきました。それ

から20年ほど、経ったある日、1枚のハガキが届きました。それ

には、体調が悪くなって、店を閉めたいと思います。と書かれてい

ました。これまで、本当に長い間ありがとうございました。感謝の

気持ちで、いっぱいです。これを読んだ私は、涙が込み上げて来て

お酒で、体を壊したんだろう。と思いました。治療して良くなりま

すように。と祈らずには、いられませんでした。それ以来、全く、

連絡はありません。本当に心配です。

 

 

 

 

 

 

 

コメント(以下に書いて下さい)

 

 

 

 

 

本当に厳しい審査で有名なグーグルアドセンスの審査に合格した時の本当の嬉しさとは

(本当に厳しい審査で有名なグーグルアドセンスの審査に

合格した時の本当の嬉しさとは)

グーグルアドセンスの審査に、トライしている時は、本当に辛かっ
アドセンス

た。過去に3回も落ちて、何回トライすれば合格するのか、全く分


からなかった。本当に不安になって、アドセンス以外の広告を、探
不安になって

した事もあった。それに、サーチコンソールや、アナリティクスな

内部リンク

どの、ツールを設定するのが、本当に難しくて、諦めそうになって

 

いた事もあった。それでも、何とかサーチコンソールは、克服出来

た。それでも、サーチコンソールの、所有者であることを、証明す

外部リンク

るのには、本当に苦労した。いろんな方法を試して、見たが上手く

 

行かない。最後に、メタタグをコピーして、貼り付ける方法で、ク

リア出来ました。確認作業で、所有者です。と緑色の枠で表示され

た時は、本当に嬉しくなって、安心しました。分かってしまえば、

そんなに難しい事では、ないのですが、そこまでたどり着くのが、

大変でした。他にも難しい事は、沢山あります。諦めずに、パソコ

ンで検索しながら、何とか、クリアしているのが、現実です。68

歳にもなると、着いて行けない事も、沢山あります。それでも、ブ

ログを書く事を、ライフワークに、したいと思っていますから、頑

張って見ます。途中でくじけそうになるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

 

 

「審査に合格」

アドセンスの審査に合格した、メールが届いた時は、ほんとに嬉し
メールが、戻る1

かった。でも、ここからが、スタートなんだなあと、改めて思いま

した。自動広告を入れて見ましたが、1ページに10記事も、書い

たので6個の広告しか、出ません。それも、テストをして見たので

テストが、終わるのに28日も、かかってしまいました。全く、無

駄な時間でした。残りの広告は、手動で入れて見ました。まあ何と

かなりましたが、完璧とは言えません。日々、改善策を考えていま

す。広告を出すだけでも、苦労が多いです。本当は自動広告に、し

たかったのですが、そうも言っていられません。改善点は、ほんと

に沢山あるのですが、一つずつ、対応して行くしかないと、思いま

す。ブログを書いている人は、皆さん、こんなにも、困難な事に、

すべて対応しているのですね。頭が下がる思いです。

「私の周り」

私の周りには
ブログを、戻る2

ブログを書いている人は、ほとんどいないので、分からない事は、

自分で検索して、調べるか、グーグルへ質問して、返答待ちです。

グーグルの研究者は、頭が良くて、レベルが高くて分からない時も

多いです。一番いいのは、ブログ仲間のキャンプに、参加して仲間

を作って、その人達に相談するのが、ベストでしょう。機会があれ

ば、一度、参加して見たいと、思っています。この歳になって少し

気が引ける、部分もありますが、チャンスがあれば、勇気を出して

参加して見たいと、思います。もし、分からない事が出て来たら、

連絡して教えてもらえば、いいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

コメント(以下に書いて下さい)

 

 

 

 

 

 

メタタグが突然消えてしまってグラフが見れなくなったグーグルサーチコンソールのトラブル

(メタタグが突然消えてしまってグラフが見れなくなったグーグルサーチコンソ

ールのトラブル)

2月の終わり頃から、グーグルサーチコンソールが、突然のトラブ
2月の終わり

ルに、見まわれました。その前は正常に、動いていたのですが、何


もしていないのに、グーグルサーチコンソールの、グラフが見れな
グーグル

くなりました。原因としては、メタタグが所定の場所で、見つから

内部リンク

ないとの事でした。何もしていないのに、どうしてこうなったかが

 

理解できません。でも直さなければならないので、真剣にいろいろ

調べたり、修理作業をして見たのですが、直りませんでした。長男

外部リンク

に連絡して、3月9日の午前中に、家へ来てもらう事に、しました

 

。長男は9日は午後からの、出社だったので、朝の9時頃に来てく

れました。2人でいろんな事を、試して見たのですが、直りません

。長男も時間がないので、少し焦っていたのでしょう。私はパソコ

ンでいい方法がないか、検索したのですが、なかなか見つかりませ

ん。長男もスマホで検索を、していました。10時過ぎに長男が、

プラグインを使って、メタタグを所定の場所へ、挿入出来る方法を

見つけました。それでトライして見たら、見事に成功しました。サ

ーチコンソールの、グラフが表示された時には、本当に感動して嬉

しさが、こみ上げて来ました。長男は、ブログの知識は、ほとんど

ありません。会社では、スキャナーのソフトウェアの、仕事をして

います。この会社は、世界シェアが4割位で、世界一です。今では

一人前の仕事を、しているようです。

 

 

 

 

 

「グーグル」

話をグーグルサーチコンソールに、戻します。こんなに凄いツール
サーチ、戻る1

を、誰が作ったのでしょうか。グーグルには、天才的な優秀な人材

が、沢山いるのでしょう。サーチコンソール以外にも、アナリティ

クスやアドセンスなど、数々の有名なツールが、沢山あります。人

材の宝庫です。アメリカには、グーグルを始め、マイクロソフトや

アップルなど、世界のI T産業をリードして行く、企業が沢山ありま

す。凄い事です。日本も技術は、発達していますが、まだまだです

。グーグルは、ツールの技術は、もちろんですが、感心するのは、

セキュリティ対策が、凄くてとても厳しいです。それで我々ユーザ

ーが、困る時があります。それは、ログインの時に、メールアドレ

スと、パスワード認証が、とても厳しくて、今まで使っているもの

が、認めてもらえなくて、使えなくなる事が時々、あります。これ

には本当に、困る時がありますが、それだけ、厳しくしておかない

と、セキュリティーが、守れないと言う事が、あるのでしょう。本

当にきびしいです。日本は、まだまだ甘いのでしょう。将来の若者

に期待しましょう。発想の豊かな若者達の、アイディアに期待しま

しょう。

 

 

 

 

 

「プラグイン」

それにもう一つ、感心するのは、プラグインです。ワードプレスも
感心する、戻る2

素晴らしいですが、それで使える、プラグインも素晴らしい、ツー

ルです。実際に使って見て、上手くいくと、ビックリします。これ

も残念ながら、圧倒的に外国人の発明した物が、ほとんどです。こ

れも天才的な、人達が作成した物でしょう。今回、長男が見つけた

プラグインを使って、見事に成功して、プラグインの恩恵に感謝で

す。本当に上手く、出来ているものだと、感心しました。

 

コメント(以下に書いて下さい)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同じ病気で待合室で会った信子との出会いとお父さんが雪下ろしで屋根から落ちての突然の別れ

(同じ病気で待合室で会った信子との出会いとお父さんが雪下ろしで屋根から落

ちての突然の別れ)

あどけない信子に、初めて出会ったのは、大学病院の、待合室だっ
あどけない

た。あどけなくて、かわいい子が、いるなと思っていた。初めての


時は、声をかけられなかった。2回目に、同じ場所で会った、時に
大学病院

声をかけて、横に座って色々と話した。最初は、名前を聞いて、私

内部リンク

も名前を言った。どこが悪いの、と聞いたら体調が、良くないのと

 

恥ずかしそうに、答えた。2人の診察が、終わって、卯辰山へでも

行って、少し話でも、しませんか、と言ったら、いいですよと言っ

外部リンク

てくれた。私の車に乗って、卯辰山を目指して、走った。病院から

 

は、近いので20分程で着いた。

そこで2人の、今までの事を、お互いに話した。信子は少し恥ずか

しそうだった。色んな事を話したら、お互いに少し、気持ちが楽に

なったのか、2人とも元気になった。それから、土曜日か、日曜日

のどちらかに、デートをするようになって、いろんな所へ行くよう

になった。景色のいい所や、千里浜のように、海岸線を車で走れる

所や、兼六園のような公園へ、出かけた。又、信子は、鶴来の人な

ので、鶴来の公園や、花の綺麗な山や、花壇のある所へ、出向いた


。いろんな場所で、風景を楽しんだり、ボール遊びや、バドミンン

トンをしたりして、2人は、少しずつ仲良く、なって行った。美味

しい食事を、食べたり、夏にはアイスクリームや、アイスコーヒー

も、楽しんだ。この頃は2人で、過ごす時間が、一番、楽しかった

。何よりも、貴重な時間であった。

 

 

 

 

 





「幸福な時間」

しかし、幸福な時間は、長くは続かなかった。運命のいたずらが、
長くは、戻る1

2人の生活を一変させてしまった。それは、冬の事だった。信子の

お父さんが、会社の社長の家の、屋根の雪降ろしを、していて転落

して、頭を打って病院で、手術をしていると言うのである。私は、

一瞬、自分の耳を疑った。本当の事なのか。信じたくない気持ちで

いっぱいだった。急いで病院へ向かった。手術中だった。その日は

遅くなったのと、手術が何時に終わるか、分からないので、家へ帰

る事にした。

 

次の日、又、病院へ向かった。信子の、お父さんは、一命は、取り

止めたものの、目は開けているが、誰も認識できない、様子だった

。私は、信じたくなくて、その場にいたくなかった。しかし、すぐ

に帰るわけにもいかないので、しばらくは、その場にいる事にした

。1時間ほど過ぎて、信子に説明して、病院を後にして、会社へ向

かった。

 

仕事をして、定時になったので、会社を出て、再び病院へ向かった

。信子のお父さんは、相変わらずの状態で、昨日と同じだった。何

をしても、反応がなくて、見ていても、辛くなるだけだった。夜も

遅くなったので、私は、家へ帰る事にした。夕食を食べて、しばら

くして、今後どうすればいいのか、少し考えて見る事にした。まず

この状態が、いつまで続くのだろう。良くなる事は、あるのだろう

か。段々と不安な気持ちに、成って来る。もう遅いので今日は、も

う休みましょう。

「いつもの時間」

次の朝、いつもの時間に、起きて、朝食を食べて、会社へ向かいま
朝食を、戻る2

した。仕事をして、昨日と同じように、定時に会社を出て、病院へ

向かいました。お父さんは、昨日と同じ状態です。この時、私は、

信子と婚約していました。信子が、話があるので、聞いて下さいと

言うので、話し合いをしました。まずは、私から、変則的になって

も、仕方がないから、とにかく、結婚をしよう。と言いました。病

院へ通いながらの、生活になるけれども、それでもいいよ。と言い

ました。信子は、気持ちは、嬉しいけれど、結婚は、出来ません。

と答えました。迷惑が、かかりますから、どうしても、出来ません

。他のいい人を、見つけて下さい。信子は、お父さんの看病をしま

す。他に方法は、ありません。と言って言う事を、聞きません。私

は、返答に困りました。

 

 

 

 

 

 




 

 

 

 

 

 

この時の、話し合いでは、結論は出ませんでしたが、27歳で婚約

して、3年間、結論が出ないまま、待ち続けました。その間に病院

を2回、変わりました。土曜日と日曜日の、どちらかに、病院へ見

舞いに、通いました。2人で話し合いを、しながら、信子の方から

もう、別れましょう。と言い出した。長い間、待たせてごめんなさ

い。そして、ありがとうございました。貴方は、いい人を見つけて

結婚して下さい。さようなら。目には、涙が光って、いました。私

は、こちらこそ、ありがとう。と言いました。そして、結婚する時

は、互いに電話で、連絡しよう。と言いました。私が結婚する時は

電話で、連絡しましたが、向こうからは、未だに電話での、連絡が

ありません。どうしているのでしょうか。

 

 

コメント(以下に書いて下さい)