会社員全員で行った社員慰安旅行での東南アジアとシンガポールの旅

(会社員全員で行った社員慰安旅行での東南アジアと

シンガポールの旅)

シンガポールへ

これもバブルの時代の社員旅行で東南アジアと、シンガポールへ行


った。最初にマレーシア近辺をバスで、回ったが特に印象に残る所

東南アジア

は、あまりなかった。次にバスはシンガポールへ、向かった。この

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街中へ入った瞬間に、ゴミがほとんどなくて、何と綺麗な所なんだ

 

ろうと、本当に感銘を受けた。バイクに人が乗れる馬車みたいなも

のを、引っ張って沢山のバイクが、走っていた。この乗り物はイン

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ドでも、見たような気がする。警察がタバコの吸い殻の、ポイ捨て

 

を見つけたら、1万円程度の罰金を取られるようである。もっと高

かったかも知れない。だからみんな簡単に、ポイ捨てをしないので

街中が本当に綺麗なのだろう。でも他の国と比較したら、異常な位

に綺麗なのである。私達もバイクが人が乗れる馬車みたいなものを

付けた、乗り物に乗ってみた。その中から見ると街中がもっと綺麗

に見えた。公園みたい所を2周ほどして、降ろしてもらった。

 

 

 

 

 

 

 

「マーライオン」

この後、マーライオンが見れる所へ、移動した。私達が見たマーラ

私達が、戻る1

イオンは、実際に見るとテレビなどで見るより、小さく思えた。な

ぜだろう。後で調べてみて分かったが、マーライオン公園と言うの

があって、そこのマーライオンが一番、大きいらしい。全部で6体

いることも分かった。しかし今見て来たのは、本当に小さいものだ

った。びっくりしてこんなもんかと、言うのが正直なところだった

。後で聞いた話だが、日本で一度スターになって今は、売れなくな

った歌手や芸能人が、こちらまでやって来て、コンサートなどを行

「綺麗な街」

って、活動しているとのことです。でもこんな綺麗な街で、活躍で

活動して、戻る2

きれば彼らも幸せかも知れません。こんな綺麗な街なら、しばらく

住んでみたい気もします。私の長女がオーストラリアの、アデレー

ド大学へ1年間、留学した時のシンガポールの、友達が休みになっ

たら、シンガポールへ遊びに来て下さい。と言ってくれて遊びに行

きました。その友達は医学部で父親は医者だそうです。シンガポー

ルには、医学部のある大学がなくて、アデレード大学へ留学したと

の事です。長女は世界にも何人も友達がいます。感謝です。

 

 

 

 

 

 

私達の旅行は2泊3日で終了です。飛行機で関空へ向けて、帰りま

した。シンガポールの綺麗な街中を見れて、満足な旅行でした。

 

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会社の社員全員による慰安旅行で飛行機でハワイに行って来ました

(会社の社員全員による慰安旅行で飛行機でハワイに

行って来ました)

慰安旅行でハワイに


バブルの時代に景気が良くて、社長が慰安旅行でハワイに、連れて

バブルの時代に

行ってくれました。関空から出発して約6時間飛んで、ホノルル空

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港に着きました。従業員はみんな嬉しくて、はしゃいでいました。

 

ホテルの部屋でしばらく休んで、その後好きなコースを選んで、遊

びに出発しました。私達は7人でバスで島を回る事にしました。最

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初にデルモンテのパイナップル畑で、1人1個ずつパイナップルを

 

畑から、掘って取る作業を行いました。私はそれまではパイナップ

ルは、木の上になるものだと、思っていましたが、キャベツのよう

に1個ずつ、畑で育つのです。ここで少しデルモンテさんの話に触

れて見たいと思います。彼はハワイで事業をするために、わずかな

10ドル位の、お金を持ってハワイに、来たそうです。ここで成功

してデルモンテは、今や世界的に有名な企業に、成りました。人の

運命は分からないものです。私達は畑から取ったパイナップルを、

食べて次の目的地へ向かいました。

 

 

 

 

 

 

次は日立のコマーシャルで有名な、この木何の木を見に行きます。

バスにしばらく乗って移動したら、その場所に着きました。大きな

公園のような所でその中に木がありました。テレビで見るより迫力

があって立派な木です。これも個人の所有物だと聞きました。公園

も含めて凄く大きくて綺麗な所です。

 

「ハワイアンオープン」

次の目的地はゴルフのハワイアンオープンで、有名なゴルフ場と、

ゴルフ場、戻る1

ホテルがある所です。丁度、島の反対側になります。再びバスに乗

ってしばらく走ると、着きました。ゴルフ場は本当に綺麗な所でし

た。さすがにハワイアンオープンを行うゴルフ場は、違うなあと感

心しました。この後ホテルのレストランで、昼食を食べました。好

きな物を充分に頂きました。帰りに断崖の所で長い階段を下の海ま

で降りて、岩場の海岸線と海を見て来ました。ここも本当に綺麗な

海でした。ここを最後にバスでホテルまで、帰ります。素朴ないい

旅でした。ホテルに着いて夕食まで少し、時間があるので近くの、

コンビニで飲み物を買って冷蔵庫に入れました。ビールは各自で何

本か飲みました。ハワイで飲むビールは格別でした。その後夕食に

行って好きな物を充分に食べました。テレビを見ても英語が速くて

分からないので、バスで旅した事を話しながら、疲れた人から寝て

いきました。

 

 

 

 

 

 

 

「好きなコース」

2日目も各自好きなコースを選んで、自由行動です。私達はゴルフ

自由行動、戻る2

をするためにゴルフ場へ行きました。全てがセルフサービスです。

ゴルフセットと靴を借りて、ボールは買います。3人ずつのグルー

プに分けて、スタートします。何ホール目かは忘れましたが、私達

のグループの1人が、パー4のホールでセカンドショットが、直接

カップに入るという、出来事がありました。本人は感激してしまっ

て、夕食はみんなにステーキをおごります。と言っていました。冗

談だと思っていましたが、本当でした。試合が終わって、結果発表

で優勝は、社長でした。私はブービー賞で小さなゴルフセットを、

もらいました。色んな事がありましたが、無事に終わりました。夕

食の時間になって、2打目が直接カップインした人の、おごりで、

ステーキを頂きました。とても美味しくて、ゴルフの話で盛り上が

りました。

 

 

 

 

 

 

 

その後ホテルに戻りました。明日はもう帰るので準備をして、もう

少しビールを飲みました。又ゴルフの話や別のグループが、モータ

ーボートで釣りに出て、カジキマグロを2匹も釣った事を、聞きま

した。釣りが大好きな人でさすがだなあと、感心しました。釣った

時はとても嬉しくて、少し興奮したそうです。面白かったでしょう

。と言ったら、本当に楽しかった。と答えていました。その後各自

の部屋に戻って、休みました。

 

翌日の朝は7時に起きて、朝食を済ませてバスで空港へ、向かいま

した。天気が良くていいフライトに、なりそうです。通関を済ませ

て飛行機に乗りました。帰りは気流の関係で1時間ほど余計に時間

が、かかります。8時間ほどのフライトで、関空に着きました。帰

りは本当に長く感じました。とても楽しくて素晴らしい、ハワイの

旅でした。何回行ってもいい所です。芸能人が正月に毎年、ハワイ

で過ごすのが、羨ましいです。金沢に着くまでは安心できません。

 

 

 

 

 

 

 

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12時間以上飛行機に乗った後車で高速を走った最初で最後のフランスでの仕事

(12時間以上飛行機に乗った後車で高速を走った

最初で最後のフランスでの仕事)

フランスでの仕事

フランスでの仕事は、非常に苦労した。関空から出発してドゴール


空港までが、約12時間もかかった。飛行機の中は禁煙でタバコが

関空から出発

吸えない。それで1時間毎にガムをもらって、かんでいた。しかし

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タバコの味は、ほとんどしなかった。とても辛い思いをした。眠ろ

 

うにも眠れないし、飛行機の中を歩いてみても、気はまぎれること

はなく、とても退屈だった。でも仕事で行くのだから、何とか我慢

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ができた。ドゴール空港に着いて1時間の間に、今度は国内線のタ

 

ーミナルまで、移動しなければならない。バスに乗って40分位で

移動出来た。そこに灰皿があったので、急いでタバコを2本吸った

。そこへ国内線の飛行機が来たので、すぐに乗った。1時間ほどの

フライトで、目的地の空港に着いた。車の運転手が看板を持って待

っているのだが、どこへ行けばいいのかが、分からなかった。フラ

ンス人はプライドが高くて、フランス語しか話さない。

 

 

 

 

 

 

そこへ日本語を話すフランス人が来て、ゲートを教えてくれたので

助かった。そのゲートを出ると車の運転手が、待っていた。すぐに

車に乗って高速道路に向かった。ホテルまでは3時間位かかるらし

い。ホテルに着いたのが、真夜中の11時50分頃でした。丸1日

かかっています。フロントでサインをしてすぐに、部屋へ行って寝

ました。

 

「食事をして」

翌日は7時頃に起きて、食事をして作業服に着替えて、コーヒーを

作業服に、戻る1

飲んでいたら、ユーザーの工場長が、車で迎えに来てくれました。

車で工場へ向かって、着いたら彼らは機械の、梱包をバラしていま

した。上のフタをバラス時に、滑らしてしまって部品を3ケ、破損

してしまいました。フランス人の作業員は、後で何とか直してみま

す。と言っていました。昼になって食事に行って、帰ってから、フ

ォークリフトで機械を釣って、降ろす作業をするのですが、リフト

が2トン車なので、後部が浮いて機械が上がりません。チャンネル

の鉄材を持って来て、リフトの後部に差し込んで、その上に人が何

人か乗って、ようやく降ろしました。リフトの3トン車があれば良

かったのですが、なかったのです。今日の仕事は終了です。工場長

がホテルまで、車で送ってくれました。別れる時にグッナイトと言

ったら、相手はボンソワ(フランス語)と返して来ました。本当に

プライドの高い国です。

 

 

 

 

 

 

ホテルで食事をしました。まずビールをもらいましたが、とても美

しかった。ホテルでも全てフランス語なので、頭が痛くなりました

。今日は疲れたのでもう寝ます。

 

翌日も朝食を済ませて、コーヒーを飲んでいると、工場長が車で迎

えに来てくれました。工場に着いて早速、2分割の機械を定位置ま

で、移動してつないでから、水平を出して電源をつないで、1錘目

から20錘目まで、簡単にテスト巻きして、電気ヒータとポンプと

ブロワーのテストをして、破損した部品をフランスの作業員が、直

してテスト巻きをしましたが、やはりまずいので後日、日本から送

ることにしました。後は機械の使い方の説明と、センサとカウンタ

のテストと説明です。通訳のおばさんの英語が、私とあまり変わら

ないレベルなので、困りました。今日の予定はこの辺までなので、

仕事は終了です。ホテルまで送ってもらいました。挨拶はやはり、

ボンソワです。

 

 

 

 

「代理店の方が」

次の日に工場へ行くと代理店の方が、見えていました。この人は英

次の日に、戻る2

語がとても上手で、機械の事も良く理解していて、ホットしました

。この人はこの日、綺麗な液体の糊のテストを、重点的に長い時間

をかけて、行っていました。液体の糊を見た時に、さすがにヨーロ

ッパは凄く進んでいるなと、感心しました。この日の予定もここで

終了です。ホテルまで送ってもらいました。ホテルでの食事の時に

フランス人の夫婦が、見えていました。男性は若い頃に日本の伊藤

忠に勤めていて、神戸に何年かいたそうです。それで日本語がとて

もうまくて、いろんな事を話してくれました。日本人はなぜボジョ

レーヌーボーに夢中になるのか、理解が出来ないと言っていました

。あれは最低のワインで、もっといいワインが沢山あるのになあと

言っていました。こんなフランスで日本語を話し出来るとは、思っ

てもいなかったので本当に、楽しいひと時でした。苦しいのもスト

レスからも、解放されました。本当に感謝です。この日はぐっすり

眠れました。翌日、工場へ行ったらフランスの作業員が、破損した

部品を溶接して、かなり上手に直して、テスト巻きをしていました

。しばらくは大丈夫そうです。あと1日、機械の点検とテスト巻き

をして問題がなければ、仕事は終了です。土曜日は休みで、日曜日

に日本へ帰る予定です。金曜日も仕事は順調でこれで終了です。最

後に事務所へ行って完了書に、ハンコをもらえば全て終了です。事

務所へ行ったら、英語が特にうまい女性が出て来て、私の通訳をし

てくれたら、良かったのに。と言ったら事務所は凄く忙しいので、

できませんでした。と言われました。ハンコを押してもらって全て

終わりました。

 

 

 

 

 

 

次の日は若い画家の展示会があるので、ホテルから歩いて美術館へ

向かいました。行く時は地図を見ながら、ゆっくりと行ったので速

くに着きました。全部の絵を時間をかけて、見ました。なかなかに

いい絵が多くありました。美術館を出てホテルへ帰ろうとしたら、

どこで道を間違えたのか、分からなくなって通行人に、英語で聞い

ても全く無視されました。それでも何とか自力で帰る事が出来まし

た。ホテルで少し休んでから、明日、日本へ帰る準備をしました。

夕食の時はビールをもらって、飲みながらゆっくり食事をしました

。部屋に戻って日本へ帰ってから、する事をノートに書きました。

明日は朝早いので休みました。

 

翌朝早くに車が迎えに来ました。それに乗って高速道路経由で、国

内線の空港まで送ってもらいました。その後ドゴール空港まで飛行

機に乗りました。ドゴール空港に着いて、バスで国際線のターミナ

ルまで移動しました。そこで空港のアナウンスが、ありました。国

際線が強風のために、大幅に遅れるとの事でした。何時に飛ぶかは

今の所は不明との事です。この時思ったのは、空港の横がルーブル

美術館です。日曜日が休みならルーブルへ行って、モナ・リザの絵

の前で1時間ほど、絵を見ていたいなあ。と思いました。もう2度

と来れないと思いましたから。本当に残念で仕方がありませんでし

た。今思い出しても心残りです。一生に一回あるかないかのチャン

スでしたから。3時間ほどしてから、国際線が飛ぶと言うアナウン

スがありました。飛行機に乗って離陸した時に、辛かった仕事の事

やいろんな事が思い出されて、涙があふれていました。さらばフラ

ンスよ。と心の中で叫んでいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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階段を転げ落ちて手すりに頭を打った瞬間に頭の中で起きる閃光現象とは

(階段を転げ落ちて手すりに頭を打った瞬間に

頭の中で起きる閃光現象とは)

東大の学長で化学の教授


東大の学長

東大の学長で化学の教授が、化学学会で新理論の発表を行った。そ

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れが難しい問題だったために、学会で議論になった。しかしその日

 

の学会の議論では、結論が出なかった。教授は質問者に対して次の

学会までに、数学的に証明したいと言って、その日の学会は終了した。

 

でも教授は化学が専門で、数学は得意ではなかった。帰り道は、

悩みながら、返ったと言う。次の日から教授は数学の文献を借りた

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り、買ったりした。ある程度の数が集まったら、数学の教授の所へ

 

行って相談した。数学は全くの畑違いだから、最初は全く分からな

かったという。当然と言えば当然である。何から勉強すればいいの

かさえ、分からなかったと言う。それで、手に取った本から順番に

手当たり次第に、読んだと言う。それしか出来なかったのでしょう。

でもどれかを読んでないと、不安だったのだろう。数学の教授の

所へも何度も足を運んで、何かのヒントを得ようとしていた。分か

らないながらも、頭の中には数学の知識が、どんどん増えていった。

 

「次の学会まで1週間」

次の学会、戻る1

そうこうしているうちに、次の学会まで1週間になってしまった

。そして電車で帰宅する時に、巣鴨の駅の下り階段を降りている時

に、階段を踏み外して、転がり落ちてしまった。1番下まで落ちた

時に、頭を手すりにぶつけてしまった。その瞬間に目の前が光った

ように感じた。同時に数字と公式などが、溢れ出て来た。すぐに、

駅を出て近くの喫茶店に、飛び込んで紙を何枚かもらえませんかと

言って、その紙に浮かんで来る、数字と公式を書き止き止めた。

 

「翌日すぐに」

翌日すぐ、戻る2

翌日すぐに数学の教授の所へ、行って相談をしてみた。数学の教授

は相手に対して、先生よくこんなにも勉強されましたね。と言って

感心していた。3日程度でまとめてみますので、完成したら知らせ

ますから、すぐに来て下さい。しばらくして数学の教授から連絡が

あって、化学の教授がすぐに出向きました。数学の教授は素晴らし

い回答だと思いますよ。と言った。数学の教授は説明をしてくれた。

 

化学の教授はよく理解が出来た。と言う。化学が専門で数学は、

全くと言っていいほど、分からなかったのに、なぜこの時だけは

理解出来たのだろうか。不思議でならない。ずっと考え続けてい

ると、その知識が脳内に蓄積されて、両方からその回路が伸びて

来て、何かの拍子にショートしたように繋がることが、あると言う。

 

その時、目の前が光るように感じると言う。これが閃光現象

と言われるものらしい。科学的に証明されてはいないが、凄い現

象である。脳内の事はまだよくわからない事が多いが、本当に不

思議でならない。人間にはそんな能力まで備わっているのだろう

か。学会の当日にこの理論を発表したら、前回の質問者から素晴

らしい回答です。と褒められたそうです。学会は無事に終了しま

した。化学の教授は本当に嬉しかった事でしょう。

 

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飛行機でアムステルダム空港に着き電車でスイス駅から目指した2回目のイタリアでの仕事

(飛行機でアムステルダム空港に着き電車でスイス駅から

目指した2回目のイタリアでの仕事)

アムステルダム

2回目のイタリアでの仕事は、まずアムステルダムまで飛んでそこ


から、スイス空港へ向かった。そこから、地下鉄で鉄道のスイス駅

イタリアでの

へ向かった。そこから鉄道でイタリア駅を目指した。絹の王はメリ

 

ーさんで、奥さんは洋子さんです。我々は多くの荷物を持っていた

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。洋子さんのおみやげのビンに入った粉の、ヨーグルトは、段ボー

 

ルに入っていた。段ボールは危ないと言うことは、分かっていたが

バッグがなくて、段ボールに入れた。列車がスイスとイタリアの国

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境に着いた時、税関員が乗って来て、我々はパスポートコントロー

 

ルと言われて、列車を下ろされた。駅の部屋でシャツとパンツにさ

せられて、身体検査を受けた。洋子さんのビンに入ったヨーグルト

と機械部品は、税関に取り上げられた。メリーさんに電話したら、

とにかくホテルまで、来なさいと言われた。後は明日、何とかする

からと言われた。それでホテルへ向かった。

 

 

 

 

 

ホテルに着いてシャワーを浴びて下着を着替えた。そこへメリーが

見えて3人で明日の、予定を話し合った。メリーさんは明日、税関

へ行って機械部品と、洋子さんのヨーグルトを取りに行くと、話て

た。我々は工場へ行って色々なチェックを、してそれから機械の改

造の準備をする事から、始める事にした。翌日、工場へ行って予定

の仕事を、済ませて機械の改造にかかった。全てが重い物ばかりで

、予定通りには進まなかった。1台ずつ、ゆっくりと進める事にし

た。この方が効率が良くて、逆に速く進んだ。30台も買ってもら

った、ユーザーだから丁寧な、仕事をしなければならない。

 

ある日

「入口の門」

工場へ行ったら、入口の門が閉まっていた。ある人に聞いたら、今

ある人に、戻る1

日は従業員が、ストライキをしていて、みんな帰ってしまったよ。

と教えてくれた。さすがヨーロッパだなあ。と思った。日本では、

チョット考えにくい事である。我々2人だけ工場に入れてもらって

、仕事をした。静か過ぎて異様な感じがしたが、仕事を続けた。昼

食はホテルへ帰って、済ましてその後また工場に、向かった。自分

達だけで仕事をするのは、本当に異様であった。

 

「何とかその日」

何とかその日の仕

事を終えて、ホテルへ帰った。しばらくして、夕食になったので毎

ホテルへ、戻る2

日、食べている生ハムと、ビールを頼んだ。女将さんは私が生ハム

が好きなのを、知っていて先に用意をしてあった。生ハムは、イタ

リア語で、プルシュートクルーゾーと言って、私が一番先に覚えた

イタリア語である。本場の生ハムは本当に、美味しいです。翌日か

ら工場は、正常に戻ってみんなが出勤して来ました。仕事も順調に

進んで、今回も2週間ほどで終了です。テスト運転も無事に終了し

て工場を後にしました。帰りも電車でスイス駅へ、行ってその後、

スイスの空港から、返ります。空港までの途中に、日本食堂があ

ってそこで食事を、しましたが、醤油の味が忘れられません。本

当に美味かったです。12時間以上かかって、関空に着きました

。そこから金沢までは電車です。着いたらホットしました。

 

 

 

 

 

 

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ソビエト上空の北極圏を飛んで白夜を体験して着いたイタリアで初めて仕事をした時とは

(ソビエト上空の北極圏を飛んで白夜を体験して着いた

イタリアで初めて仕事をした時とは)

イタリアで


イタリアで初めての仕事をした時は、イタリアまで行くのにロシア

イタリアまで

上空を飛ばないでもっと上を飛んで、ヨーロッパを目指した。この

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時、初めて白夜と言う物を経験した。時間に関係なくずっと明るい

 

昼間なのです。眠たくなってもなかなか、眠れません。飛行機の窓

のブラインドが、全部閉められる事がないので、どこかから必ず光

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が入って来るのです。初めての経験でしたので、本当に驚きました

 

。いつも昼間と言う事は頭では、考えられませんでした。でも現実

には、あるのです。本当にびっくりしました。

 

 

 

 

 

 

長い時間、飛んでアムステルダム空港に着きました。65番ゲート

位まであって、イタリア行きは、端から端まで歩きました。航空機

でしばらく飛んでイタリアの空港に着きました。自動小銃を持った

警備員がいてかなり、厳しいチェックを受けました。日本で初めて

のソニーのCDプレーヤーを持って、いましたが何とか通関ができ

ました。ユーザーは世界一の絹の王で、自宅には、2,000万円

位のオーデイオがありました。それに我々が持ち込んだ、ソニーの

CDプレーヤーを、つないで再生して見ました。とてもクリアーな

音できれいな感じでした。ユーザーも感動してとても喜んでくれま

した。残念だったのは、CDがクラシックが5枚ほどで、ソースが

足りませんでした。それでもユーザーの方は、クラシックファンで

満足されていました。我々も苦労して持ち込んで、良かったなあと

思いました。

 

 

 

 

 

 

「オペラ座で」

奥様は東京芸大卒で、イタリアのオペラ座で歌っている所を、ユー

東京芸大、戻る1

ザーが見ていて、国際結婚をしたそうです。お姉さんもフランスへ

嫁いで2人そろって国際結婚です。休みの日にドオモへ連れて行っ

てもらって天井画を見て来ました。ミケランジェロや有名な画家の

絵ばかりで、素晴らしいものでした。その後グッチやブランド品ば

かりの店をまわりました。財布と靴を買わされました。ユーザーが

言うには、少しはイタリアにお金を、落としていってください。靴

は日本人は、足が幅広なので少し窮屈でしたが、買いました。次に

宝石の店へ行きました。凄く高い大きなダイヤやパールを、見せて

もらいました。パールをつないでいる芯糸は、ユーザーが作った絹

糸を使っていました。絹糸は強撚をかけると強度が凄くて、ネック

レスが切れ難くなるそうです。まだ他にも多くの店を回って、沢山

買い物をしました。彼は喜んでくれました。

 

 

 

 

 

 

 

「パスタの」

夜は食事に連れて行ってもらいました。パスタの専門店で食べまし

食事に、戻る2

た。パスタの湯で具合が最高で、とても美味しくて素晴らしかった

です。仕事は機械の改造で順調に、進んでいました。ただ重くて持

ち上げるのが大変でした。2週間ほどかかって、10台の機械を改

造しました。試運転は実際に絹糸を、1,200m/minの高速で巻き

取るテストです。実にきれいに巻き上がって、これが自分で設計し

て組み立てまで、行った機械だと思うと、とても感動しました。こ

の機械で巻けばいい糸が、出来るはずだと確信しました。彼には、

1,000万円もする機械を、1年に10台ずつ30台で、3億円も

買ってもらいました。心から感謝しています。彼の凄い所は、例え

ば来日したら、日本の絹の相場がドンと上がります。そして日本を

離れて、香港へ向かったとすると、日本の絹の相場が下がって香港

の、相場が上がります。彼が動くと世界の絹の相場が、上下すると

言う凄い影響力のある、偉大な人でした。そんな人に巡り合えて、

一緒に仕事が出来た事は、今でも私の誇りですし、感謝しかありま

せん。本当にありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

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