実案と特許で1年間で13個提出して日刊工業新聞の全国版に載る

 (実案と特許で1年間で13個提出して日刊工業新聞の全国版に載る)

実案と特許を1年に13

 

 

 

 

 

 

ずいぶん前になりますが、実案と特許を1年に13取って、全国版

の日刊工業新聞に載りました。他社の技術者から、電話がかかって

日刊工業新聞に

来て、どうして1年に13も取れたんやと聞かれました。アイディ

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アが次々と浮かんで、来たんでね。と答えました。でもそれが相手

 

にしてみたら、不思議でならないと思ったのでしょう。それとアイ

デアが仕事中には、浮かばなくて何かして、遊んでいる時などに浮

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かぶのです。例えばボーリングをしている時などである。私にはこ

 

れが本当に不思議でならなかった。会社で仕事をしている時は1度

も、アイデアが出たことはなかった。何かを一生懸命に考えている

ときは、頭が緊張しているからなのだろうか。やはりリラックスし

ている時でないとダメなのだろうか。これについては良く分かりませ

ん。                                                                                                                                           

ただ経験からそのようであるらしいと思われます。今は全部

電子出願だと思いますが、当時は紙に書いて出願していましたので

全体をまとめるのと書く作業は、かなり大変でした。絵も少し書く

必要がありました。時間も争いますから速く書く必要があります。

慣れない時は速く書けませんでした。でもだんだん慣れて来ると速

く書けるようになりました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし絵が以外と時間が、かかるのです。簡単なように思いますが

定規を使うので、結構時間がかかるのです。1番、時間がかかるの

「実案も特許も請求の範囲」

は、実案も特許も請求の範囲の項目です。範囲を広くすれば通り難

請求の範囲、戻る1

いですが、あんまり広くしても良くないです。逆に狭くすれば通り

易いですが、他人にすぐに破られてしまいます。この請求の範囲を

決めるのが、最も大変です。ここを決めてしまえば、後は楽に書けま

す。         

時間も凄く大切です。私はある実案で他人に、3ケ月だけ、

「3ケ月だけ」

遅く出して負けた経験があります。それが商品化されて、ホームセ

負けた経験、戻る2

ンターで売られているのを、見た時は悔しくてたまりませんでした

。こんな事もあるのだなあと思いました。今となってはいい経験で

した。弁理士に頼めば費用は、何十万円もかかります。私は自分で

書いたので、当時は3万円ほどでした。1割ほどです。その上、申

請が通ると、その時にも費用が発生します。とにかく弁理士に依頼

すると、お金が多くかかります。ところで新聞に載った時は、会社

名も出ましたので、社長は本当に喜んでくれました。私も嬉しっか

ったです。実案と特許で65歳までに、50ほどの申請が認められ

ました。ほとんどが自社の機械の、防衛のためです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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リレーシーケンスのラダーソフトと機械の動きに合わせて書けばいいSFCソフトとは

 (リレーシーケンスのラダーソフトと機械の動きに合わせて

  書けばいいSFCソフトとは)

 

ラダーソフトは簡単なソフト

 

 

 

 

 

 ラダーソフトは簡単なソフトから、複雑なソフトまですべてを書ける

ラダーソフト

万能型である。簡単なソフトは一般的なものから、分周などに使う。

複雑なソフトは代表的なものは、車のラインで使うものや、ACサー

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ボモータの制御に使うものなど、さまざまである。ラダーソフトは、

 

ニモニックは単純なものだが、最近はニモニックを使わないで、コン

ピュータでソフトを書くのが、多い。ラダーソフトは考え方が、非常

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に難しいものである。1級制御技術者などのプロでないと、ラダーソ

 

フトは作成することは、困難である。私達ではなかなか書けない。そ

れだけ考え方が、難しいのである。一見、簡単そうに思えるが、そん

なに甘いものではない。

 

    簡単なラダーソフトは私達でも充分に、書く

事が可能である。車のラインのように、機械的な動きが、決まってい

る場合は本当はSFCソフトの方が、簡単であっているような気がする

「ラダーソフト」

ラダーソフト、戻る1

が、実際のところは今でも、ラダーソフトで書かれている。昔からの

考え方なのだろうか。ラインの動きにあわせてSFCソフトを書けばい

いから、非常に合理的だと思うが、SFCソフトはいまでも、使われな

い。技術者がラダーソフトの考え方に、慣れてしまっているのだろう

。私ならSFCソフトを使ってみたい気がする。私には非常に簡単なよ

うな気がしてならない。

「SFCソフト」

 

SFCソフトはラダーソフトに、比べて自由度は少なくなる。ただ機械

SFCソフト、戻る2

の動きにあわせて、SFCソフトを書けばいいので、考え方は単純であ

る。ACサーボモータを使った機械も、その動きにあわせてSFCソフト

を書けば良いので、これも単純になる。ACサーボモータで難しいのは

1回転の出力パルス数と、原位置を決めるソフトである。これはラダ

ーソフトで書かないと、SFCソフトでは対応が、難しいかもしれない

。ラダーソフトとSFCソフトが、混在することになるが、何ら問題は

ない。最近のシーケンサ(プログラマブルコントローラ)は、非常に

柔軟性が高く出来ている。何の心配もいらない。シーケンサを使って

困る事は、古くなってエラーマークも出ないで、誤動作する時である。

 

    車のラインなどで、この現象が起きると大変である。シーケンサが

疑われる時は、新品に交換するのが、ベストであるが予算で動いてい

る会社は、予算が出るまで交換してもらえない時が、あるので問題で

ある。車のラインや複雑な機械で、この現象が起きると重大な事にな

る場合が多い。高価な部品なので交換してもらえない時が困ってしま

う。小型の安価な時は交換してもらえば、治るケースが多い。

 

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東京の伯父さんが病院を手配して慢性盲腸を抱えての大学入試がきつかったこと

(東京の伯父さんが病院を手配して慢性盲腸を抱えての

大学入試がきつかったこと)

右下腹が痛かった


大学入試のために上京する日の朝、起きると少し、右下腹が痛かった

上京する日の朝
。東京の叔父さんから、電話がかかって来て、こちらの有名な病院を

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5ケ所ほど、おさえたから、心配しないで試験を、受けに来いと言わ

 

れました。私は、下腹の痛みが気になって、なかなか行くとは、言え

ませんでした。叔父さんが何度も説得するので、死ぬも生きるも私の

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運命だと、割り切って行く覚悟が出来ました。今は本当に感謝してい

 

ます。その叔父さんも5年ほど前に、他界してしまいました。

この状

況なので、父も一緒についてきてくれました。宿に着いて、下腹を冷

やして、薬を飲んで参考書を見ていました。高専からの受験だったの

で、国立大学は、無理でした。私学でも、早稲田と慶応はレベルが高

くて無理でした。理科大の1本に絞って受験しました。次の日、会場

へ行くと500人位の人が来ていました。倍率が高いので、この中で

合格するのは、30人前後かと思ったら、開き直って以外と冷静でし

た。英語は、長文が難しくて少しの分かる単語から、後は想像で訳し

ました。数学は以外に良く出来ました。物理は、問題を良く見ると、
「ボーアの原子理論」

昨日の晩に宿で見ていた、ボーアの原子理論が、30点問題で出てい

30点問題で、戻る1
てそれを、一番先に書きました。物理も以外と出来ました。

 

それから、宿に帰って少しだけ、食事をして、横になって体を休め

ました。明日は、機械科の受験です。夜に下腹を冷やして、薬を飲

んで、また参考書を眺めていました。次の日に、会場へ行くと昨日
「試験が始まると」

と同じ位の人でした。試験が始まると、今日も割と冷静に行動でき

試験が始まる、戻る2
ました。両日とも、いい意味で開き直れたのが、良かったのでしょ

う。この日も試験は、まずまずだったと思います。次の日に、電車

で金沢へ向かいました

 

森本駅に着いて、自宅へは戻らずに、主治

医のいる外科へ向かいました。そして、すぐに、盲腸の手術を受け

ました。主治医の話では、盲腸が背中まで伸びていて間一髪の状況

で、無事に終了して難をのがれることが、出来ました。これも叔父

さんや父や主治医の先生のおかげで助かりました。目からは、自然

に涙がこぼれていました。20歳の時だったので、若かったせいも

あって、無理ができたのでしょう。1週間ほどで、退院できました

。家に帰ったら、大学から、電気科も機械科も、両方とも合格した

との通知が来ていました。盲腸を抱えての受験だったので本当に、

つらかったのです。それだけに、本当に心の底から嬉しさが込み上

げて来ました。自分でも良くやったと思います。感謝です。

 

 

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研究室に寝泊まりして計算していた卒業論文の研究のきつかったこと

(同じ高専卒の二人での研究)

卒論の研究


大学4年になると、必ずこの卒論の研究を、しなければなりません

卒論の研究を
。そうしないと、卒業できません。同じ高専卒の二人での研究でし

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たので、気心が知れていてとても充実した時間でした。すぐに研究

 

に、かかれるわけではなくて、最初は、テーマの基礎勉強をしてゼ

ミのみんなに、順番に発表していく形でした。研究室の教授と教授

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の恩師の、東京大学の名誉教授で日本電気学会会長の、山田先生が

 

週1回、来られて指導してくださいました。先生は、当時80歳位

でしたから、もう亡くなられていると思います。

電車で近くの駅ま

で来られて、教授が、往復、送迎していました。教授が東京大学の

大学院に、進学した時の恩師が山田先生です。私達のテーマは、マ

イクロコンピュータの研究でした。ある日、先生はマイクロコンピ

ュータとは、何ぞやと聞かれて来週までに、教えて下さい。と言わ

れました。私達は、わかりました。と答えました。先生は、80歳

位なのに学者の探求心は、凄いなあと改めて感心しました。

 

ところ

が、マイクロコンピュータは、日本に上陸して、1年以内だったの

で、文献もほとんどありません。あるのは、インテル(アメリカの
英語の原書だけ

会社名)の英語の原書だけです。それを読んで日本語に訳して次週

英語の原書、戻る1
山田先生に答えたら、大体、分かったと言われてホットしました。

先生は、電磁気学の世界的権威で、世界電気学会があると、毎年、

出席されていました。素晴らしい先生に教わりました。感謝です。

 

ゼミが終了して、いよいよ実験の準備です。制御系のアナログ系か

ら、AD変換機にてデジタル系に変換した、8ビットのデータを、

マイクロコンピュータに取り込んで、演算させて、結果を再び、

DA変換機で、デジタル系から、アナログ系に変換して、制御系

に戻して、どのような制御になるかを、確認することであった。

この時、比例係数は、約5位で積分係数は、約1位で微分係数

は、外乱には、強くなるが入れると制御系が、不安定になるの

で入れなかった。この3ケの係数値のベストな値を、探して実験
「多くの先生方に」

を繰り返した。多くの先生方に、アドバイスを頂いて、実験を

アドバイス、戻る2
終了した。

 

後は、論文を墨汁で書いて、精査して書き上げたら、良く乾燥させ

て、とじる作業です。墨汁に慣れてないので、あまり綺麗には書け

ませんでした。最後に、卒論の発表会で無事に発表出来て、偉い先

生方に、合格判定をもらえば、OKです。遂に私の発表順が、来ま

した。最初は、緊張して大変でしたが、少しずつ慣れて来て、最後

まで、無事に終わりました。ところが、教授達の質問の時に、一人

の教授が、おかしな質問をしてきて、私も意味が、わかりませんで

したが、東京大学の山田先生が、手を上げて簡単に説明して下さい

ました。最後まで、本当にお世話になりました。山田先生は、本当

に良く、理解されていました。ゼミに先生が、おられて良かったで

す。感謝です。

 

 

 

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17年間家族として生きて老衰で亡くなった丸い目の自宅の黒猫のまる

(17年間家族として生きて老衰で亡くなった丸い目の自宅の

 黒猫のまる)

(まるが自宅へ来てから現在まで)

捨て猫として

 

かん

 

 

 

 

 

まるの生い立ちは、捨て猫として獣医さんの所に、いました。それを

獣医さんの

長女が大学生の頃に里親を探していることを知って、獣医さんの所へ

行ってもらって来ました。3匹いたのですが、黒猫の、まるが最後ま

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で残ってしまったのです。アパートで飼っていたのですが、管理人さ

 

んに見つかって、自宅に持って帰るように言われて、籠に入れられて

電車で自宅に来たのです。その頃は、生まれたばかりで本当に小さく

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て、ネズミをひと回り大きくしたような程度でした。目がクリクリと

 

して丸かったので、名前が、まるになったのです。本当に可愛い子猫

でした。小さくてもとても元気な子猫で、はしゃぎ回っていました。

 

「立派な大人」

1年毎にすくすく成長して、3年程で立派な大人になりました。この

成長して、戻る1

頃になると走り回って、人間が追いつくことは、できませんでした。

この頃になると毛並みもツヤツヤに光って、本当に綺麗になりました

。猫は、子猫の時は1年に、6歳、年を取って成人になると、4歳、

「17年ほど」

年を取るそうです。現在、まるは17年ほど生きていますから、人間

生きて、戻る2

で言えば約70歳です。ずいぶん長生きしたものだと思います。まる

は小さい頃から、家猫でほとんど外へでません。ですから変なものも

食べないし、危険なことに合うこともないのです。でも過去に3回ほ

ど外へ出て、その内1回は、庭の竹竿の中に入って、身動きが取れな

くなって鳴いていたのを、私が見つけて助けました。大分暴れたのか

体中、血まみれでした。こんな事は1回限りです。

 

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