鉄人玉鷲最年長V、「若手に負けない」気力みなぎる、37歳10カ月

(鉄人玉鷲最年長V「若手に負けない」気力みなぎる、37歳10

カ月)

平幕玉鷲が高安を

大相撲秋場所千秋楽(25日・両国国技館)

平幕玉鷲が高安を押し出し、13勝2敗で2度目の優勝を果たした。



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37歳10カ月での制覇は年6場所制となった1958年以降で最

 
押し出し13勝2敗で

年長。21場所ぶりの賜杯で、史上5番目に長い間隔が空いた。初
2度目の優勝を果たした

外部リンク

優勝を逃した高安は11勝4敗。

 

関脇以下で2度優勝は2020年7月場所の照ノ富士以来9人目。

平幕優勝は先場所の逸ノ城に続く35度目となった。1場所15

日制が定着した49年夏場所以降で初の4場所連続12勝以下の

優勝は免れた。

 

貴景勝は正代との大関対決を制して10勝5敗。正代は4勝11

敗で来場所は5度目のかど番。大関から陥落決定の御嶽海も4勝

11敗だった。3関脇は若隆景が11勝4敗、豊昇龍が8勝7敗、

大栄翔は7勝8敗。殊勲賞は玉鷲が2度目、翔猿が初の受賞。敢

闘賞は6度目の高安、技能賞4度目の若隆景だった。14日目に

新十両優勝を決めた栃武蔵は11勝4敗。九州場所は11月13

日に福岡国際センターで初日を迎える。

 
「角界の鉄人玉鷲が新たな」

角界の鉄人玉鷲が新たな偉業を成し遂げた。21場所ぶりに天皇
偉業を成し遂げた。21場所、戻る1

賜杯を抱き「いい重みですね。やっぱり若手に負けたくないとい

う気持ちが一番大事」と穏やかに笑った。

 

高安の左かち上げを右おっつけで巧みに封じた。「止まらずに押

して、押して」と念じ、入門時から地道に磨いてきた突き、押し

で前進。最後は強烈な左喉輪で攻め、同じ二所ノ関一門の好敵手

を力強く押し出した。

 

先場所13日目から、2004年初場所の初土俵以降で初の休場

を経験した。テレビ中継を見られないほど落ち込んだが、新型コ

ロナウイルス関連の休場により連続出場記録は継続。「しっかり

やらなくてはいけない」と奮い立ち、今場所で1463回連続に

伸びて史上3位に浮上した。

 

 
「いつまでも若々しい相撲を」

いつまでも若々しい相撲を取れる秘訣とは。かつて「力士は体の調
取れる秘訣とは。かつて、戻る2

子より、心の調子が大事だと思う。どれだけいい体をしていても、

生き生きとした心がないと生かされない」と話したことがある。土

俵に上がる喜びを再認識した今場所は気力がみなぎり、体の張りも

際立っていた。

 

三役から3年間遠ざかり、昨年は前頭2桁台に後退。だが、今年に

入って照ノ富士から4個の金星を獲得するなど再浮上した。「いい

相撲を見せたい」という熱い思いがベテランの体を突き動かしてい

る。

 
「玉鷲は2度目の優勝」

(押して、押していい結果)

玉鷲は2度目の優勝の喜びを笑顔で語った。
喜びを笑顔で語った、戻る3

ー再び賜杯を抱いた。

「うれしい。いい重みだった」

ーもう一度優勝したかったか。

「もちろん、ずっとあった。帰ったらしっかり泣くと思う」

ー千秋楽の心境は。

「何が何でも自分の相撲を取ろうと思った。止まらずに押して、押

して。いい結果が出て良かった」

ー今場所は苦手な相手にも真っ向から挑んだ。

「自分にはそれしかない。しっかりそれをやることができた」

ー37歳で進化した。

「熱い応援のおかげだ。それと(新型コロナウイルス禍で)会えな

い人も大勢いるので、テレビで見て喜んでもらいたいと思った」

ー今後も連続出場記録に注目が集まる。

「記録というより、自分の相撲を生かしたい。若手に負けたくない

という気持ちが一番」

ー何歳まで現役を続けられるか。

「自分の相撲がどこまでできるか。『玉鷲の相撲、面白くないな』

と思われるまでですかね」

鉄人玉鷲最年長V、「若手に負けない」気力みなぎる、37歳10

カ月。確かに玉鷲の立会いの当たりの強さとその後の喉輪と突っ張

りの激しさは凄いものがあります。回転の速さと力強さが魅力です。

もうすぐ38歳になるというのに本当に若々しいし、元気です。4

5歳まで相撲が取れそうな気がします。高安も相当に強いですが千

秋楽の相撲は簡単に終わってしまいました。玉鷲は強かったですね。

文句なしの相撲内容でした。素晴らしいと思いました。

 

 

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ツール・ド・のと2日目、被災地珠洲に銀輪の列、きょう地震3カ月

(ツール・ド・のと2日目、被災地珠洲に銀輪の列、きょう地震3

カ月)

ひゃくまん穀プレゼンツ

ひゃくまん穀プレゼンツ第34回ツ-ル・ド・のと400は2日目



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の18日、輪島市から七尾市までの約160キロで行われた。19

 
第34回ツール・ド・

日で震度6弱の揺れを観測した珠洲地震から3カ月。出場者は被災
のと400は2日目

外部リンク

した地域の住民と触れ合いながら海沿いを駆け抜け「すこしでも被

 

災地に元気を」と暑さに負けず力強くペダルをこいだ。

出場者は午前7時半に輪島市マリンタウンを出発し、珠洲市、能登

町、穴水町を通って和倉温泉運動公園ヨットハーバー駐車場に到着

した。

 

地震で一部が崩れた見附島をはじめ、白米千枚田や恋路海岸などの

名所をさっそうと走り、住民が笑顔で手を振る場面もあった。金沢

市から参加した高山保さん(61)は「地震から少しずつ回復して

いるのかな、とほっとした。景色が良く、楽しかった」と話した。

 

大会は、1906(明治39)年に北國新聞社が主催した県内初の

自転車ロードレースを源流とする。最終日の19日は、和倉温泉か

ら氷見市や中能登町を通り、ゴールとなる金沢港クルーズターミナ

ルまでの約120キロを走る。

 
「2日目を迎えたひゃくまん穀」

2日目を迎えた「ひゃくまん穀プレゼンツ第34回ツ-ル・ド・の
プレゼンツ第34回、戻る1

と400」は18日、参加者が青空の下に広がる能登の海原を眺めな

がら、3日間で最長となる道のりを疾走した。チェックポイントでは

能登牛など地元の味覚が振る舞われ、ライダーたちが里山里海の美と

味を満喫した。

 

(地域の味堪能)

3日間で能登半島を一周するチャンピオンコースには、本紙で「人生、

妙なり」を連載するエッセイストで女優の一青妙さんがゲスト参加し

た。

 

2017年以来、2度目の参加となった一青さんは、奥能登の風光明

媚な景色と、コース周辺で住民がライダーを歓迎する姿に感じ入り

「日本一の景色とホスピタリティーを持った大会だ。ぜひ世界に発信

していきたいと思った」と振り返った。

 

 

台湾人の父と中能登町にルーツを持つ母の間に生まれた一青さん。

17年の時にはコースに含まれていなかった中能登町を走る19

日の最終日に向け「参加する人に中能登の良さを感じてほしいし、

私も楽しんで走りたい」と意気込んだ。

 
「大会は2日連続で好天に」

大会は2日連続で好天に恵まれ、ほかの参加者にも充実の笑顔が
ほかの参加者にも充実、戻る2

広がった。七尾市の谷田登さん(50)は「みんなで一緒に走る

のが本当に楽しかった。アップダウンがきつかったけれど、仲間

と沿道の応援のおかげで乗り切れた」と満足そうに話した。

 

(おにぎりに舌鼓)

コース上の各ポイントでは、石川県産米「ひゃくまん穀」を使った

おにぎりが配布された。18日は昼食会場の内浦総合運動公園(能

登町)などで、能登牛などさまざまな具材を使ったおにぎりが並び、

出場者が舌鼓を打った。

 

おにぎりはJAグループ石川が提供した。昼食には能登牛弁当、ゴー

ル会場ではカニカマなどが振る舞われた。

 
「初日に続き2日目も陸上」

(自衛隊が後方支援)

初日に続き、2日目も陸上自衛隊金沢駐屯地第14普通科連隊の隊
自衛隊金沢駐屯地、戻る3

員が自転車や物資の運搬に協力した。最終日も参加する。ツール・

ド・のと2日目、被災地珠洲に銀輪の列、きょう地震3カ月。震度

6弱の珠洲の地震から3カ月が過ぎた。金沢は震度2程度で被害は

なかった。珠洲はテレビで見ていたらかなりの揺れでした。被害も

相当にあったと思われます。この地震の原因がよく分からないので

これから大学で調査するようです。

 

 

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日本韓国破りV、サッカーEー1選手権、4大会ぶり2度目、後半3発W杯へアピール

(日本韓国破りV、サッカーEー1選手権、4大会ぶり2度目、後

半3発W杯へアピール)

サッカーの東アジア

 

(先制の相馬MVP)

サッカーの東アジアEー1選手権は27日、愛知・豊田スタジアム



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で男子の最終戦が行われ、日本は韓国に3ー0で完勝し、2勝1分

Eー1選手権は27日

けの勝ち点7で4大会ぶり2度目の優勝を果たした。女子代表「な
愛知・豊田スタジアム

外部リンク

でしこジャパン」とそろっての大会制覇は初めて。

 

後半に相馬(名古屋)が先制し、佐々木(広島)町野(湘南)が加

点した。最優秀選手(MVP)には相馬が選ばれた。韓国は2勝1敗

の勝ち点6で2位。対戦成績は日本の15勝23分け40敗となっ

た。

「国内組の日本は」

(後半3発W杯へアピール・急造チーム「資質」証明)

国内組の日本は「Jリーグの価値を示す」が合言葉だった。空席が
Jリーグの価値を示す、戻る1

目立つ今大会、谷口は「国内組で、期待されていない雰囲気も感じ

た。でも、素晴らしい選手がいると証明したかった」と言う。J選

抜がW杯前国内最終戦で意地を見せ、ライバル韓国に完勝した。

先発はJ1首位の横浜M勢が軸。鋭い出足で球際も屈せず、サイド

の連携もスムーズだった。後半4分、右で組み立てて藤田が逆側へ

クロスを送り、相馬が先制。同19分にはCKから佐々木が加点し、

同27分は藤田ー西村ー小池龍とつないで、町野がダメを押した。

 

前半40分にミドルシュートを打たれると、20歳の藤田が寄せの

甘かった26歳の小池龍を怒鳴りつけた。同じような声がけを欠か

さない水沼は、急造チームでも「声で解決できることはたくさんあ

る」と言う。活動期間の短さを言い訳せず、できることに全力を注

ぐ。初招集の面々も、代表に求められる資質を示した。

 

「前回優勝した2013年」

前回優勝した2013年大会から柿谷(名古屋)らがW杯ブラジル
大会から柿谷(名古屋)、戻る2

大会に滑り込んだ。森保監督は今大会から継続的に呼びたい選手が

いるかどうかを問われ「イエス」と断言。カタールへの道を切り開

く3試合になったかもしれない。

 

(相馬、持ち味発揮)

後半の立ち上がり、日本は相馬が持ち味を発揮して均衡を破った。

右から藤田がふんわりと出した浮き球に反応して自慢の快速を飛ば

す。遠い側に走り込んで頭で合わせた。さらには左CKで佐々木の

得点をアシスト。「とにかく結果。数字だけが目標」と語る通り、

W杯のメンバー入りへ猛アピールした。

 

(よくやってくれた)森保一・男子日本代表監督

Jリーグの価値、日本のサッカーの価値を上げようと、みんなが志

してくれた。優勝して価値を認めてもらおうと、選手たちが本当に

よくやってくれた。

「日本はわれわれより」

(優勝にふさわしい)ベント男子韓国代表監督

日本はわれわれより90分間を通して良かった。妥当な勝者だと思
90分間を通して、戻る3

うし、優勝にふさわしい。ベストを尽くしたが、ミスが多すぎた。

これだけミスをすれば代償を払わないといけない。

 

 

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星稜春夏連続甲子園、夏は3年ぶり21度目、小松大谷に4ー3、昨夏コロナで辞退

(星稜春夏連続甲子園、夏は3年ぶり21度目、小松大谷に4-3、

昨夏コロナで辞退)

第104回全国高校野球

第104回全国高校野球選手権石川大会は25日、金沢市の県立野



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球場で決勝が行われ、星稜が2連覇を狙った小松大谷を4ー3で下

選手権石川大会は

し、春夏連続の甲子園出場を決めた。夏は3年ぶり21度目、春夏
25日、金沢市の県立

外部リンク

通じて36度目の出場となる。

 

試合は一回表、小松大谷・北村怜士の先頭打者本塁打で幕を開けた。

3点を追う星稜は二回に反撃し、続く三回に7番・津澤泰成のタイ

ムリーで勝ち越しに成功。その後は互いに投手陣が踏ん張り、星稜

が逃げ切った。

「6月から監督代行として」

6月から監督代行として指揮を執ってきた山下智将部長は「苦しい
指揮を執ってきた山下、戻る1

場面もあったが、3年生中心にまとまってプレーしていた。春のセ

ンバツはベスト8だったので、その上を目指したい」と意気込んだ。

夏の甲子園は8月6日に開幕する。

(星稜試練乗り越えV)

数々の試練を乗り越え、星稜ナインが甲子園の切符をつかんだ。昨

夏はチーム内で新型コロナの陽性者が相次いだためベスト8で無念

の出場辞退。雪辱を期して新チームを始動したものの、就任したば

かりの田中辰治監督(45)が5月に体調不良でまさかの離脱。急

きょ監督代行としてユニホームを着た山下智将部長(40)は「耐

えて勝った生徒たちに感謝です」と目に涙を浮かべた。

(代行の山下部長・親子2代甲子園采配)

決勝の相手は小松大谷。2014年決勝は星稜が0ー8から九回裏

に9点を奪う「奇跡の逆転劇」を演じ、翌15年は準々決勝で小松

大谷が0ー3から九回裏に一挙4得点でサヨナラ勝利を収めた。

 

 

因縁のライバルとの対決は、2時間24分に及ぶ「名勝負」となっ

た。ベンチ前からマウンド上の歓喜の輪を見つめた山下部長は「本

当に苦しかったです。田中監督が不在になったタイミングは、チー

ムがばらばらで、練習試合もほとんど負けましたから」と安どの表

情を見せた。

「星稜を全国区の強豪に鍛え上げた」

星稜を全国区の強豪に鍛え上げた元監督の山下智茂氏(77)=門
元監督の山下智茂氏、戻る2

前高野球部アドバイザー=を父に持つ山下部長。「監督代行」に就

いたのは2回目で、2019年に奥川恭伸投手(ヤクルト)を擁し、

春の県大会と北信越大会を9戦全勝で制覇。今大会5勝を上積みし、

連勝記録を「14」に伸ばした。

 

試合後、ベンチ裏に駆けつけた父は「よくやった。おめでとう」と

強く握手して祝福。3月に監督を退任した星稜高教諭の林和成さん

(47)も笑顔でねぎらいの言葉をかけた。

 

選手たちも重圧と闘っていた。主将の佐々木優太捕手はプレーに精

彩を欠くようになり、今大会は先発メンバーから外れた。「チーム

は本当にまとまらない時期があって、かなり悩みました」と明かし、

「気持ちでつかんだ優勝」と喜びをかみしめた。

「甲子園でも指揮を執る予定の」

甲子園でも指揮を執る予定の山下部長は「入学してすぐコロナで学
山下部長は入学して、戻る3

校に来れなかった世代。そして昨年の出場辞退。なんとか良い思い

をさせたいな、という思いが強かった。甲子園でもまず1勝」と誓

った。星稜春夏連続甲子園、夏は3年ぶり21度目、小松大谷に4

ー3、昨夏コロナで辞退。この2校のライバルはいつも凄い試合を

します。序盤ですぐに3ー3の同点になった。その後は投手戦にな

り点が入らない。3回に星稜が1点を入れて4ー3になった。そし

て9回表に小松大谷がレフト前ヒットでランナーがホームに帰ろう

とするが、星稜のレフトのバックホームが素晴らしい返球でタッチ

アウトで試合終了になった。試合後にレフトの選手が絶対にアウト

にすると凄い気迫でした。あっけない幕切れでしたが2時間24分

の素晴らしい死闘でした。両チームとも本当によく練習したのだと

思います。

 

 

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羽生引退プロ転向、フィギュア五輪2連覇、「理想の形を追求」4回転半成功目標

(羽生引退プロ転向、フィギュア五輪2連覇、「理想の形を追求」

4回転半成功目標)

フィギュアスケート

フィギュアスケート男子で2014年ソチ、18年平昌冬季五輪王



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者の羽生結弦(27)=ANA=が19日、東京都内で記者会見し

 
男子で2014年ソチ

「プロのアスリートとしてスケートを続けることを決意した。競技
18年平昌冬期五輪

外部リンク

会に出るつもりはない」と話し、五輪、世界選手権など競技会から

 

の引退を表明した。「競技会に関して、取るべきものは取れた」と

理由を語り、今後はアイスショーに軸足を移す。2月の北京五輪で

3連覇を逃して4位に終わった後、最終的な決断に至った。

 

プロ転向後も子どもの頃からの夢だった前人未到のクワッドアクセ

ル(4回転半ジャンプ)成功を目標に掲げた。北京五輪のフリーで

は挑戦して転倒した超大技の習得を目指し「全力で努力を続け、理

想の形のフィギュアスケートをさらに追い求めたい」と意欲を口に

した。

羽生は4歳でスケートを始めた。11年に出身地の仙台市で練習中

に発生した東日本大震災を乗り越え、14年ソチ五輪で同種目の日

本勢初の金メダルに輝いた。17年には右足首に大けがを負ったが、

復帰戦となった18年平昌五輪では同種目で66年ぶりの2連覇を

達成した。冬季五輪金メダリストで初めて、個人としては最年少2

3歳で国民栄誉賞を受賞した。

 
「平昌五輪後は」

平昌五輪後は「(プロ転向を)毎試合、毎試合思っていた」と打ち
(プロ転向を)、戻る1

明けた。20年に欧州を除く四大陸選手権を初制覇し、五輪や世界

選手権、グランプリ(GP)ファイナルなど主要国際大会のタイトル

を総なめにした。10~11年シーズンにシニアに転向後、10年

以上も世界のトップで活躍してきたが、一時代の終わりを告げた。

 

(金沢公演に3回出演)

羽生結弦選手は2011、15、18年に金沢で開かれたフィギュ

アスケート公演「ファンタジー・オン・アイス」に出演し、繊細華

麗な演技と爽やかな笑顔で石川のファンを魅了した。

 

 
「フィギュアスケートの」

フィギュアスケートの羽生結弦選手(27)が第一線を退くと表明
羽生結弦選手、戻る2

した19日、東日本大震災で被災し、金沢市に移住した坂田俊晃さ

ん(62)は万感の思いで会見を見守った。同じ仙台市出身で子ど

もが同級生、避難所でも一緒に過ごした間柄。当時から大きく成長

し、世界を舞台に活躍した羽生選手の言葉を一つ一つかみしめた坂

田さんは「もう順位はつかないし、金メダルは取れないが、これか

らも感動を与える滑りを見せてほしい」とエールを送った。

 

坂田さんは、会見で恩師や故郷への感謝の言葉を並べ、誠実に受け

答えする羽生選手の姿勢に「やっぱり結弦君だ」と感じたという。

けがを克服し、ライバルと切磋琢磨しながら駆け抜けた競技の世界

を退くことをさみしくは思ったが、

自分の滑りを追い求めたいと語る姿に胸が熱くなった。

 
「坂田さんは長男裕煕さん」

坂田さんは長男裕煕さん(27)が羽生選手と同級生で、スケート
羽生選手と同級生、戻る3

を教えてもらうなど家族ぐるみで付き合いがあった。震災を受けて

移住した後の2011年6月、金沢での公演「ファンタジー・オン

・アイス」に出演した羽生選手と再会。故郷の復興の力になりたい

と頑張る若者を後押しできないかと応援する会をつくった。羽生引

退プロ転向、フィギュア五輪2連覇、「理想の形を追求」4回転半

成功目標。羽生結弦選手の全盛期は凄い得点をたたき出していた。

他の選手が追いつけない程の大差だった。それとどんな演技もとて

も綺麗でした。ジャンプもターンもステップもすべてがきれいな演

技でした。体操にもきれいな演技を追求する選手がいますが同じ思

いだと思います。羽生結弦選手のような選手はしばらくは出て来な

いような気がします。

 

 

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東京五輪あのとき何が、マラソン札幌移転、背景に透けるバッハの保身

(東京五輪あのとき何が、マラソン札幌移転、背景に透けるバッハ

の保身)

「合意なき決定」

「合意なき決定」。2019年11月1日、東京都の小池百合子知



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事はこう胸の内を吐き出した。五輪の華、男女のマラソンと競歩が、

2019年11月1日

東京の暑熱を懸念して札幌へ移された。国際オリンピック委員会
東京都の小池百合子

外部リンク

(IOC)による強制的な開催地変更の舞台裏を東京五輪・パラリンピ

 

ック組織委員会の実務責任者が語った。

 

「青天のへきれき」。東京五輪・パラリンピック組織委員会事務

総長の武藤敏郎(78)=元石川県総務部長=は、電話の内容を耳

にした際の驚きを短い言葉に込めた。

 

2019年10月11日、金曜日だった。相手は国際オリンピック

委員会(IOC)で東京大会の調整委員会を率いるジョン・コーツ(7

2)。IOC会長のトーマス・バッハ(68)の腹心である。組織委

は会長の森喜朗(84)と武藤が対応した。話はマラソンと競歩の

札幌移転提案だった。

(暑さのリスク)

「バッハが、ドーハ(カタール)の世界陸上の女子マラソンで棄権

者が続出し、選手が緊急搬送される映像を見てショックを受けてい

る。東京で万一同じことが起こると、東京は暑さで選手の健康がリ

スクにさらされた大会になる。それは望ましくない。札幌に移した

らどうか」。提案はこんなふうだったという。

 

ドーハでは9月から陸上の世界選手権が開かれた。中東の高温多湿

の環境下、女子のマラソンは深夜スタートにもかかわらず、出場選

手の4割を超す28人も棄権した。

「しかし東京も暑熱対策」

しかし東京も暑熱対策に手をこまねいていたわけではない。スター
手をこまねいて、戻る1

ト時間を当初の午前7時半から6時に繰り上げた。東京都は路面温

度の上昇を抑える舗装や、街路樹の剪定で道路が日陰になるなどの

工夫を施した。

 

コースは皇居、浅草、銀座など名所を巡る。国際陸連(現世界陸連)

会長のセバスチャン・コー(65)も満足していると耳にした。

 

「暑さは、コロナ禍以前は最大の課題だった。対策は十分とは思っ

ていなかったから、提案は頭では理解できた。でも国際陸連が賛成

しないだろうとも思った」。ところが難航するとの武藤の見通しは

外れた。15日午前、「コーが了解した。これで行く」とコーツか

ら断定的に知らされた。

そこで初めて東京都知事の小池百合子(69)にしらされたが、了

承しない。当然である。これまでの時間と労力。経費を無にしろと

言うのだから。

 

16日にコーツから情報が寄せられた。バッハが16日中にIOC

理事会を開き、札幌移転を決めると。「急すぎる。延ばして」と要

望したが、バッハは応じなかった。日本時間のこの日夜、IOCは

札幌移転予定と公表、翌日にバッハは「決めた」と言い放った。日

本の憂慮は置き去りだった。

 

 

(異例のトップダウン)

通常の決定プロセスは組織委など開催側の提案をIOCが審議して

決める。トップダウンは極めて異例。IOCが最終決定権を握って

いるため、それ以上あらがえなかった。国、都、組織委とIOCの

4者協議で小池は「合意なき決定」とのまざるをえなかった。

「民主的とは言えない」

武藤は「民主的とは言えない」と批判した。「五輪運動への影響を
と批判した、戻る2

懸念したとしても、冷静に相手(小池知事)と相談して納得した上

で進めるべきだった」。そうしなかったのは、ボートなどの会場見

直しで抵抗した小池に、IOCは不信感を抱いたからと読んだ。「日

本の事情に配慮したら物事は進まない」とIOCの見方を代弁した。

 

キーワードは「保身」だ。武藤は陸上関係者から聞いた話を明かし

た。ドーハの惨状が国際陸連内で大議論を呼び、コーと会長職を争

った実力者のセルゲイ・ブブカ(58)がコーを責めたという。こ

れを知ったバッハが、もし東京で二の舞いとなれば「誰の責任かと、

責められかねないと心配したのだろう」と強硬手段の背景を見立て

た。

 

小池も提案を蹴って、東京で惨状を呈したら責任を問われかねない。

絶対反対でなく、移転費用の負担拒否、との条件闘争となった背景

に、したたかさが透ける。

 

組織委会長の森は水面下で根回ししたようだ。小池に伝える前に一

部都議に漏らしたといわれる。「フライング」だが、コース設定に

は都議や区議が介在したというだけに、事前に知らせて反発を抑え

たのだろう。政府にも了解を得たはずだ。

「正式通告以前に」

正式通告以前にどんな予兆があったのか定かではない。森は通告を
どんな予兆が、戻る3

受ける前日の10日、五輪相の橋本聖子(57)と札幌市長と会っ

た。内容はつまびらかではない。コーツは16日に「先週には五輪

相が(移転に)前向きと知った」と語った。東京五輪あのとき何が、

マラソン札幌移転、背景に透けるバッハの保身。マラソン札幌移転

の話がIOCのバッハ会長から急に出てきた。彼はドーハで凄い暑さ

の中でマラソンの女子選手が出場選手の4割の28人が、棄権した

のを実際に知っていたからこのようになったのか。バッハ会長は半

強制的に決めてしまった。東京五輪でドーハの二の舞いだけはどう

しても避けたかったのだろう。真実はバッハ会長だけが知っている。

 

 

 

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