いつも練習試合に付き合ってもらった東海大学とのテニスの練習試合の結果とは

(いつも練習試合に付き合ってもらった東海大学とのテニスの

練習試合の結果とは)

東海大学との試合


東海大学との試合で、ダブルスを取って、1ポイントをリードした

東海大学

が、シングルスになって、ナンバー6で私が、一番先にコートに入

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った。第1セットは、速いボールのストローク戦に、なった。これ

 

は、私の得意とする所で、しばらくで1セットを取った。このペー

スが、続けばいいなと思っていたら、2セット目になって、相手は

私の打つボールを、全部、中ロブで返して来た。相手の作戦変更で

る。

打ち合いでは、負けると思ったのだろう。この作戦には本当

に参った。こんな練習は、全くしたことがなかった。そしてうっか

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りしていると、知らぬ間に前へ出て来て、ボレーを決めて行くので

 

ある。相手はこの練習も充分にやっているのだろう。1本のボール

が、5分ほど続くこともあった。このペースに変わってから、ほと

んどポイントが、取れずに試合が進んで行った。私がたまに速いボ

ールを打つと、ミスをしてしまって、ますます相手が有利になって

ゆく。サーブも速いボールを打っても、緩く返して来るので、なす

すべがなかった。こんな試合は、この時の1回限りで、他では経験

がない。本当に強い人なら、こちらも前へ出てボレーで決めれば、

いいのである。しかしこのペースになると、変わったことをすると

全部が、ミスになってしまった。情けないと思っても、どうするこ

とも出来なかった。試合が長くなるので、体力をどんどん消耗して

しまう。もう足に痙攣が来そうだった。

 

何とか頑張っていたが、気力も、もう限界だった。こうなるとも

う、結果は想像がつく。本当に悔しかったが、どうすることもで

「2セットを連取」

きなかった。2セットを連取されて、負けてしまった。悔しいや

2セットを、戻る1

ら、情けないやらで、みんなに顔向けが、出来なかった。握手を

して一人で、更衣室へ歩いて向かった。そこで着いてすぐに、全

身痙攣が来たのである。ここで終わりかなあとさえ思った。手で

少しずつ、足をさすって温めたら、痙攣は収まったのでほっとした。

 

あのままだったら、どうなっていただろう。コートから、

更衣室が離れていたので、声を出しても誰も来てくれない。不

「更衣室が離れて」

更衣室が、戻る2

安が大きかった。着替えてコートに、戻って、まだ試合をして

いる選手の、応援をしました。長い試合が多くて、日没延期の

試合もありました。それらの試合は、後日、改めて続けるとい

うことに、なりました。その日が来て、試合が続きから、始ま

りました。残りは3試合ですが、なかなか終わりません。終わ

ったのが、暗くなってからで、また日没延期になるのかと、心

配しました。でも順番に、終わって、結果は5対4で、勝利し

ました。とにかく2日がかりの、長い試合でした。

 

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卒業論文の研究をしながら1年間練習した最後の関東学生になるチャンスの試合をした

(卒業論文の研究をしながら1年間練習した最後の関東学生になる

チャンスの試合をした)

最後の関東学生になる


最後の関東学生になるチャンスの試合を、明日に控えて、私は下宿

関東学生

の寮にいました。夕食を済ませて、寮に戻って、風呂に入って自分

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の部屋で少し、休んでその後、明日の試合をどのようにして、戦う

 

かの作戦を、考えていました。自分も少し強くなっての、ラストチ

ャンスだったので、明日は、どうしても勝ちたかったのです。卒論

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も忙しくて、あまり練習は、できませんでしたが、4年も待ったの

 

で、どうしても、勝ちたいという気持ちが強かった。後1回、勝て

ば関東学生になれる所まで、来たので簡単には、負けれないと考え

たのです。

どういう作戦で戦えば、勝つことが出来るのかが、分か

らなかった。他人に教えてもらっても、それが、自分に出来るのか

と言う疑問も残った。最後は、自分で考えて、勝っても、負けても

それしかないと言う結論に至った。自分の信念で思い切って戦おう

。ただ心配なのは、先輩達のように、自分には、自信を持って打て

るウイニングショットが、無いことでした。体力面とメンタル面の

粘りには、自信がありました。4年生になってから、ストロ-クの

安定性は、格段に上がりました。これは、大きな武器になります。

それと安心感が、あります。その上サーブも、良くなりました。

 

「夜の9時頃」

しかし、寮の、みんなが夜の9時頃に、なってもステレオを、聞い

夜の9時、戻る1

たりギターを、弾いたりして、騒いでいます。ここの学生は寝るの

が、遅いので少し心配でした。私は、明日は早いので、早く寝なけ

ればなりません。寝不足になると、試合に影響します。12時にな

っても、みんなまだ起きています。早く寝てくれと、祈るばかりで

した。4時間ほどしか眠れなくて、起きました。食事をして、準備

をして、電車の駅に向かいました。電車に乗って、会場へ向かいま

した。電車の中で少し、寝たいと思っていましたが、寝れませんで

した。駅に着いて、歩いて会場へ向かいました。もう試合は、始ま

っています。

 

「次の試合です」

私は、次の試合です。オフィシャルへ、名前を知らせ

次の試合、戻る2

て待っていました。寝不足からか、何かいつもの自分では、ないよ

うな気がして、あまり、集中もせきません。遂に私の試合が、始ま

ります。ストロークを、打って見ると相手の、ボールはかなり、速

いことが、分かりました。なかなか、返すのが難しくて、ミスにな

ります。さすがに、関東学生を取ったことが、ある選手だなあと思

いました。第1セットは、簡単に取られて、しまいました。第2セ

ットは、かなり粘って、3対3になったのですが、その後は3ゲー

ム連取されて、負けてしまいました。負け審判をして、電車で帰り

ました。電車の中で、悔しくて涙が出て来ました。4年間も待って

最後の、チャンスでしたので、悔しくて、諦めきれませんでした。

でも相手が、強かったので、仕方がありません。本当に残念です。

 

 

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今まで勝てなかった、富山商船に勝利して最後の北陸高専テニス大会での優勝

(今まで勝てなかった、富山商船に勝利して最後の北陸高専テニス

大会での優勝)

高専に通っていた私


大学に行く前に、高専に通っていた私は、10人ほどで、硬式テニ

高専に通って
ス部を作った。第1期生である。コートも2面あったので、すぐに

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本格的な練習が、出来ました。金沢大学から、コーチも呼んで基礎

 

から、教えてもらいました。今の現役達は、かなり、強くて、全国

の高専大会で、今までに、優勝や準優勝を、何回もしています。私

達の優勝は、北陸大会で、大分レベルの差が、あります。

でも富山

商船は、当時でも、全国レベルだったかも知れません。10回試合

をして、1回勝つ位でした。最後の年は、そこに、勝つために、朝

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6時頃から、毎日、朝練習をしました。練習だけでなく、体力面と

 

メンタル面も鍛えるために、ランニングや筋トレもやりました。と

ても、きつかったのを、憶えています。とにかく、富山商船に勝ち

たい一心でしたから、きつい練習にも耐えることが、できたのだと

思います。

 

練習試合も多くやりました。金沢大学や金沢工大へも、

こちらから、出向いて行って、練習と試合をしてもらいました。

大学の大会にも、エントリーさせてもらいました。サービスダッシ

ュをして、ネットに近ずいてのボレーの練習と、ストロークで、厳

しい所へ、出玉を打って前へ出て、ボレーで決める練習など、今ま

でに、やらなかった練習も、取り入れました。

 

また、サーブの練習では、トスの練習も充分にやって、サーブが安

定するように、改善しました。サーブ自体は、スピードばかりを追

求するのでは、なくてプレースメント(コース)をしっかりして狙

うコースへ、打てるような練習を、何度も繰り返して、行いました

。コントロールを重視する作戦に、方針転換しました。このことが

後の試合に、大きな効果をもたらす結果に、なりました。サーブは

プレースメントが、一番大切です。

 

みんなサーブが本当に、うまく

なりました。それに加えて、シングルスとダブルスの、サーブを打

つ位置も、徹底して研究しました。その上、ジュースコートとアド

バンテージコートの、立つ位置も研究しました。このことも、後に

絶大な効果を、発揮しました。この事が、富山商船に、勝利する大

きな要因になった事は、言うまでもありません。相手は、我々がそ

こまで、研究しているとは、全く考えなかったと、思います。試合

の当日、プレーが始まりました。

 

ダブルスは、2対1で1ポイント

リードしました。シングルスは、2ポイントで、どちらかが、勝て

ば我々の優勝が、決まります。でも勝負は、何が起こるか分かりま

せん。最後まで気が抜けない、試合になりました。第2シングルス

は、善戦しましたが、負けてしまいました。ポイントは、2対2の

同点です。最後は、エース同士の対決です。我々のエースは、身長

が、180Cmで、リーチも長くて、ボレーが得意です。

 

「ミスの少ない選手」

しかし商

船のエースも、粘り強くて、ミスの少ない選手です。どちらが勝つ

ミスの少ない、戻る1
かは、分かりません。試合が、始まりました。5分5分で、ゲーム

は、4対4です。次は、向こうのサーブで、こちらは、リターンで

す。30対40(サーテイー・フォーテイ)(2対3)で後1本取

とこのゲームを取れます。ストロークで、いい出玉を厳しい所へ打

って前へ出ます。向こうのパッシングショットも、厳しい所へ来ま

したが、リーチを伸ばして、ボレーを決めました。

 

これで、5対4
「こちらのサーブで」

でリードです。今度は、こちらのサーブで、1本目は、センターへ

サーブで、戻る2
速いサーブで、攻撃して、取りました。2本目は、オープンコート

へ、スライス(手前に回転)をかけて、相手をコートの外へ出して

ボールが、返らず、サービスエースです。3本目は、相手の体を狙

ってボデイショットです。すかさず、前へ出てボレーで決めて、こ

のセットを取りました。第2セットは、ラリーの打ち合いで、5対

4になりました。40対40(ジュース)になり、その後、我々の

エースが、取って、アドバンテージになり、マッチポイントです。

長いラリーの末に、我々のエースが前に出て、見事なボレーで、勝

利しました。試合の後、エースを、みんなで胴上げしました。顧問

の先生も、胴上げしました。本当に、商船に勝っての、優勝は、今

だに、はっきりと憶えています。最大のライバルを倒しての、優勝

ですから、嬉しくてたまりませんでした。これも、苦しい、朝練習

に耐えたおかげです。一生の思い出で、宝物です。やったあ高専。

いまでも、時々集まって、飲みながら、懐かしい思い出話に花を咲

かせています。苦労を共にした友は、最高です。

 

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何回も見に行って副審までしたベテランと新人の戦いのジャパンオープンテニス

(何回も見に行って副審までしたベテランと新人の戦いのジャパン

オープンテニス)

ジャパンオープンテニス


ずいぶん前になりますが、大学時代に、ジャパンオープンテニスが

ジャパンオープン
ありました。私は、副審をつとめました。第1セットは、ベテラン

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の選手が、取りました。第2セットは、混戦の試合になりました。

 

ゲームカウントが、3対3の中盤に、差し掛かった時に、思い出し

たくもない事件が、起きました。それは、新人の選手が、チャンス

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でネットに出ていた時に、ベテランの選手が、ロビングを上げたの

 

ですが、少し、短くなって、チャンスボールになった時です。新人

の選手は、ここぞとばかりに、思い切りの力で、スマッシュを打ち

ました。私は、このボールをよく見ていたのですが、ラインぎりぎ

りの所で、インかアウトかが、わかりませんでした。仕方なく両手

で、目を隠して、主審に判定できませんのジェスチャーで、判定は

主審に任せました。ラインズマンもわからなかったと思います。そ

の時、新人の選手が、私をにらみつけて、英語で大きな声を出して

怒っているのです。インにきまっているじゃないかと言っているよ

うでした。顔は、真っ赤になっていました。私は、本当に心が、動

揺してしまいました。ベテランの選手は、何もなかったかのように

素振りをしていました。落ち着いたものです。時間は、5分から、

10分位だったと、記憶しています。



「速くて見えません」

しばらくして、主審は、レット(ノーカウントでやり直し)のコール

を、しました。私には、本当に、速くて見えませんでした。新人の選

見えません、戻る1
手は、まだ怒っています。しかし、主審が、レットのコールをしたの

で、早く試合を、始めなければなりません。ようやく、試合は、再開

しましたが、新人の選手は、あの1本が、気になるようで、ミスの連

発です。ベテランの選手は、淡々として、落ち着いたプレーで、ゲー

ムを進めていきます。やはり、過去の経験の差が、出てきます。さす

がだと思いました。新人の選手は、半分、やる気がなくなったのか、

いいプレーが、できなくなりました。試合の方は一方的になって、新
「第2セットは」

人の選手は、1ゲームも取れなくて、結局、第2セットは、6対3で

6対3で、戻る2
ベテランの選手が、勝利しました。凄い差が出るもんだなあと思いま

した。副審を務めていた私が、正確な判定が出来ていたらもっと違っ

た試合になっていたんだろうなあと、思ったら、悔しくなりましたが

見えないものは、どうしようもありません。速いと言えば、サーブも

そうです。でも、サーブの見分け方は、知っていましたので、うまく

判定が出来ました。サーブの時は、まばたきもせずに、横線を見てい

て、何もなければ、黙っています。何かが、横切った時は、それが見

えるので、フォルトとコールします。この試合で、1本の判定で試合

が、変わってしまうので、心して、慎重に判定しなければならないこ

とを学びました。さすがに、プロの試合は、凄いです。いい勉強にな

りました。

 

 

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会員は多くがお金持ちのお嬢様の柏テニスクラブでのアルバイトは条件が良かった

(会員は多くがお金持ちのお嬢様の柏テニスクラブでの

アルバイトは条件が良かった)

柏テニスクラブ


大学時代に、柏テニスクラブで、週に2回ほど、テニスのレッスン

週に2回ほど
のアルバイトをしていました。1コースが、90分で普通は、1日

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に3コースをレッスンしました。私は、初めての日に大学の部活で

 

着ている汚いジャージを着て行ったら、マスターに、注意されて支

払いは、バイト代が入ってからでいいから、新しいテニスウェアを

買ってほしいといわれて、買いました。

レッスンが、始まると最初

は、ほとんどが女性の若い人達で、緊張して、なかなか、うまくで

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きません。1回目のレッスンが、終了して2回目からは、少し緊張

 

が、ほぐれて来て、少しずつ、うまくいくようになりました。当時

で、90分で、2000円位のバイト料で、すごく高かったように

記憶しています。初心者には、こちらから、ボールを5本ずつ出し

て、ストロークで返してもらう練習です。ミスの多い人には、後ろ
「右手を握って」

から、右手を握って、グリップの確認と素振りの練習をします。感

グリップの確認、戻る1
覚が、つかめたら、またストロークの練習をします。そうして、少

しずつ、うまくなるのを待ちます。中級者位になったら、ストロー

クのラリーを行います。ラリーが続くようになると、テニスが面白

くなってきます。ここまで来れば、初心者を卒業です。

 

 

中級者は、最初からストロークのラリーの練習からです。それが、

うまくなると、次は、ボレーの練習です。

ボレーは、フォアハンドとバックハンドで、グリップが違うので、

グリップから、指導します。フォアハンドは、ラケット面を垂直に

して、そのまま、上からにぎります。バックハンドは、ラケットの

面を、左手で少し右に回して、バックハンドが、やや厚めになるよ

うにして、にぎります。回す角度は、その人の手首の強さに、より

ます。手首の弱い人は、もう少し回して、もっと厚めにして、にぎ

ります。ですから、人によって角度は、変わってきます。

 

ボレーは
「ネットプレーで」

ネットプレーで、使いますので、相手が、パッシングショットでバ

ネットプレー、戻る2
ックハンドを、打ってきたら、素早く、グリップを変えます。これ

が、ボレーの難しいところです。何回も何回も、練習しないと、ボ

レーは、うまくなりません。次に、サーブですが、重要なことは、

トスが、うまく上がるかどうかです。いいトスが、上がれば、サー

ブは、7割成功です。後は、肩がスムーズに、回ればはいります。

トスの練習が、一番大事です。

 

最後に、スマッシュですが、左手を

上に上げて、ボールを、指さす感じです。ラケットを、かついでボ

ールを、正面に見るようにします。ボールが落ちて来たら、なるべ

く高い所で打ちます。これも、練習で感覚をつかむしかありません

。すべてが、打てるようになると、テニスが、本当に面白くなりま

す。後は、試合の中で、少しずつ強くなっていく感覚を、つかむし

かありません。練習は、楽しいですが、試合は、きついです。まず

は、練習をたのしんで、うまくなったら、試合をしましょう。もち

ろん、体力面とメンタル面の両方の強さが、要求されます。学生な

どは、試合を、目指して、自分に勝つように、頑張ろう。

 

 

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沢松和子とアン清村がダブルスでウィンブルドン大会で日本人として初優勝しました

(沢松和子とアン清村がダブルスでウィンブルドン大会で

日本人として初優勝しました)

沢松和子


もうずいぶん前になりますが、沢松和子とアン清村ペアーが、ウィ

アン清村
ンブルドンで優勝しました。沢松和子は、大柄な選手でシングルス

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も強い選手です。全日本では、ナンバー1で何連覇もしているはず

 

です。アン清村は、対照的にとても小さな選手です。日系アメリカ

人です。小さな選手ですが、前でのネットプレーが、得意な選手で

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す。試合の前には、この二人が、どんなダブルスをするんだろうと

 

思っていましたが、沢松が後ろで根気よく、ストロークでつないで

チャンスが来たら、アン清村が、ネットから動いてボレーで決める

というテニスをします。運動神経がとても良くて、しかもプレーが

速い。小さいのに、素晴らしいテニスをします。そして、一番不利

なのが、サーブですが、スピードはそんなに出ないのですが、プレ

ースメント(コース)が本当に、厳しい所をねらいます。コントロ

ールが、ほんとに素晴らしいのです。二人のコンビが、こんなにう

まくいくとは、知りませんでした。この時まで二人のダブルスを見
「沢松は」

たことがなかったので、ビックリしました。沢松は、超一流プレー

超一流、戻る1
ヤーですから、めったにミスはしません。アン清村もミスの少ない

プレーヤーでした。小さいプレーヤーは、アン清村を参考にすれば

いいでしょう。

「沢松も後ろで」

沢松も後ろで、ストロークをつないでいるばかりではなくて時には

ストローク、戻る2
凄いボールでアタックして、ポイントを取ります。さすがに、沢松

です。サーブは、大柄なのでスピードも出るし、ねらうプレースメ

ント(コース)も、厳しいのでサービスエースも、取れます。何と

言っても、ミスがほとんどないので、相手は、なすすべがありませ

ん。子供の頃から、両親が、イスでの生活と、トイレは洋式にして

大きな大人になってほしいと、願って育てたそうです。それが、後

にテニスプレーヤーになった時に、役にたったのです。子供にも恵

まれて、特に娘の沢松直子は、ウィンブルドンを始め、4大タイト

ル大会にも出場する選手になりました。かなり、強くて活躍しまし

たよ。沢松和子とアン清村の優勝の後は、杉山愛のダブルスまでは

優勝は、なかったように思います。とにかく、この二人の優勝は素

晴らしかったのを、憶えています。ウインブルドンで優勝したので

すから。それも日本人として初めてですから。素晴らしい。

 

 

 

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