錦織が非常に苦戦して5セット戦う2回戦の2020全仏オープンテニスとは

(錦織の苦戦の2回戦)

非常に苦戦した


錦織の全仏オープンテニスの2回戦は、非常に苦戦した。格下の相

非常に苦戦
手に第4セットにマッチポイントを取りながら、そのセットを逆転

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で取られて、セットポイントが2対2の同点にされてしまった。試

 

合は、第5セットのファイナルまでもつれた。第1と第3セットは

錦織が取って、第2と第4セットは、相手が取った。錦織は、前半

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は、まずまずのプレーで、試合を有利に進めたが、相手も格下とは

 

言へ、粘りに粘って同点までに追いついた。この試合を見ていた私

は、何事も簡単に諦めては、いけない事を学んだ。それにしても、

しつこい相手だなあと思った。第4セットは、錦織が、5対1での

リードから、逆転を許したのです。このセットは、後半は錦織は、

第5セット勝負と見て、体力を温存したのだろう。彼は、コロナに

感染して、しばらく試合から遠ざかっていたので、体力面と試合勘

に不安が、あったのだろう。とにかく、動きが鈍くて相手のプレー
「簡単なボレー」

について行けなかったようだ。簡単なボレーやスマッシュを、ミス

スマッシュ、戻る1
して自分の首を絞めていたのです。ストロークも彼の得意なバック

ハンドのストレートで、ラインいっぱいを狙うショット(ダウンザ

ライン)もミスしてしまって、どうしようもなかった。

「第5セットは」

第5セットは、少し元気が出て試合を優位に進める事ができた。

少し元気が、戻る2
ストロークも速くなって、バックハンドのストレート(ダウンザ

ライン)も決まるようになってきた。少しずつではあるが、錦織

ペースになってきたような気がする。つまらないミスも減ってき

て、エースも増えてきたようだ。休憩の時に充分に水分補給をし

て、何回もラケットを替えていたのが、印象的であった。遂に、

錦織にマッチポイントがきました。それを1回で決めて勝利を、

つかんだ。4時間ほどの長い試合であった。疲労困憊のようでし

た。とにかく、勝ってよかった。お疲れ様でした。私も真夏の炎

天下で、3時間半の試合をした経験が、ありますが全身痙攣がく

るほど辛かったのを、憶えています。錦織は、フルセットを戦っ

たので、この後の3回戦で敗れてしまいました。錦織の全仏はこ

こで終わりました。次は、ウインブルドンです。頑張れ。錦織。

 

 

 

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テニス界では有名な坂井さんと平井さんが相手の元オールジャパンとの練習とは

(坂井さん平井さんが相手)

柏テニスクラブ


その頃、アルバイトをしていた柏テニスクラブに、元オール

アルバイト
ジャパンの坂井さんと平井さんが、見えていました。二人とも

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強い選手です。特に、坂井さんは、ウィンブルドンの大会で

 

確か、ベスト8まで進出したことがあると、記憶しています。

日本を代表する有名な選手でした。安定したストロークと時々

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前に出て決めるボレーは、素晴らしいものがありました。世界

 

的に見ても、有力な選手だったと思います。先に坂井さんと

ストロークの練習をしてもらいました。まず最初に、ビックリ

したのは、ボールがすごく重いことです。私が打つ時は、ラケ

ットが後ろにもっていかれるように、感じました。

本当に重い
「フォアハンド」

ボールです。フォアハンドは、力いっぱい打ってやっと返せる

力いっぱい、戻る1
感じです。それでも、5本続けばいい方です。次のボールは返

せません。ミスになります。オールジャパンの選手は、みんな

こんな凄いボールを打つんだと、改めて感心しました。次は、

バックハンドです。予想はしていましたが、バックハンドは、

もっと強力でした。私達は、バックハンドは、フォアハンドに

比べて弱いので、後ろに持っていかれる感じが、凄いのです。

見ていると普通に打っている感じなのです。手首が相当に強い

のです。

 

 

 

 

 

 

 

「平井さん」

次は、平井さんとの練習です。坂井さんの時と同じように、まず

坂井さん、戻る2
フォアハンドのストロークからです。ここでも、驚いたのはボー

ルがつよいので、ラケットが、はじかれるような感覚が、ありま

した。坂井さんと同じです。平井さんもごく普通に打っているよ

うに見えるのですが、ボールは、やはり凄いです。私は、どうし

てこんなボールが、打てるのか不思議でなりませんでした。やは

り、オールジャパンまでになる人は何かが違うなあと、感じまし

た。坂井さんと同じで、5本返すのが、やっとでした。どちらも

ほんとに、柔らかいフォームで打っているのですが、ボールが凄

いです。自分も、そのボールを打って見たいと、心から思いまし

たが、簡単に打てるものでは、ありません。

 

次に、バックハンド

のストロークの練習です。これも坂井さんと同じで、強力なボー

ルが攻めてきます。やはり、ラケットがはじかれるような感覚が

ありました。2本返すのが、精いっぱいでした。元プロでも現役

のプロでも、ボールの威力が普通の人とは、格段に違います。二

人とも、デビスカップの選手でもありましたが、とにかく、凄い

です。サーブとボレーなどの練習も、してもらいたいと思いまし

たが、時間がなくて、練習は終了です。短い時間でしたが、本当

に有意義な練習でした。感謝です。

 

 

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1年間部員全員で猛練習して4年間かけて大学時代の7部から6部への昇格

(1年間部員全員で猛練習して4年間かけて大学時代の7部から6部

への昇格)

(4年かけての昇格)

7部へ降格


7部へ降格したのは、私が、1年の時でした。本当にショックで泣い

ショック
た者もいました。しばらく回りは、シーンとした静けさに、包まれた

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のを今でも、はっきり覚えてます。私もしばらくは動けませんでした。

 

悔しくて涙も出ませんでした。負けた4年生を責めたい気持ちで一杯

でしたが、口にはだしませんでした。4年生は卒論がありましたから

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あまり練習ができなかったのは、確かです。でも勝負は厳しいです。

 

結果がすべてですから、言い分けにはなりません。負けた本人が一番

悔しくて、情けないと思っているはずですから、特に誰も責める者は

いませんでした。7部へ降格した時の話はこのへんにして6部へ降格

した時の話にしましょう。この時、私は4年生になっていて、部長で

した。卒論で忙しくてあまり練習はできませんでした。ところが不

思議なことにテニスは、3年生の頃より強くなっていたのです。私が

思うにメンタル面が強くなったのだと考えます。

「卒論の実験」

卒論の実験で徹夜を

実験で徹夜、戻る1
したり外国の論文を英語の原書で読んだりして、苦労しましたからそ

れが役にたったのだと思います。練習試合で3年生の時は10戦して

3勝7敗位だったのが、4年生になってからは逆に8勝2敗位になり、

勝率はあがるし何と言っても安定感が格段に増しました。部員の信頼

も厚くなりました。1年生から3年生の、レギュラーもうまくなり、

今年は昇格できると確信しました。他大学との練習試合も、ほとんど

勝利できるようにまでなりました。強化練習も多くやりました。ただ

4年生の私は、あまり出席できませんでした。昇格するには、トーナ

メントで10連勝が必要です。想像を絶するようなことを成し遂げな

ければなりません。そして、遂にその日が来ました。玉川大学との

決勝です。ダブルスで、運よく3勝してシングルスに入りました。私は

ナンバー6で、キャプテンがナンバー5でしたが、ほぼ同時にコート

に入りました。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               

ナンバー5が先に終わって勝利しました。後は私が勝利すれば、

先に5勝になるので、我大学の6部昇格が決まります。途中まで私が
「勝利する」

勝っていていよいよ後1本で、勝利するマッチポイントがきました。

マッチポイント、戻る2
私はいい出玉を打ってネットに出ました。相手は、苦しまぎれの  

ロブを上げてきました。私は慎重にコースを狙って、スマッシュを

打ちました。それが、逆クロスのライン際に決まって、試合終了で

す。自然に涙が出て止まらなかったのを、いまでもはっきり覚えて

います。6部昇格です。本当に嬉しかった。部員みんなが駆け寄って

きてよくやったと喜んでくれました。試合は結局、7対2の勝利で

した。4年かけての昇格だったので、感無量でした。

PARIS, FRANCE – SEPTEMBER 27: Kei Nishikori of Japan serves during his Men’s Singles first round match against Daniel Evans of Great Britain during day one of the 2020 French Open at Roland Garros on September 27, 2020 in Paris, France. (Photo by Julian Finney/Getty Images)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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1、2年生には休む暇のない振り回し付の大学時代のテニスの夏合宿とは

(1、2年生には休む暇のない振り回し付の大学時代のテニスの夏合宿とは)

 (とにかく辛かった合宿の思い出)

ランニング

 

 

 

 

 

夏合宿は、朝6時から、約5Kmのランニングから、はじまります。

夏合宿は

標高が高いので、私には空気が薄く感じて、呼吸が苦しくて本当に

走れませんでした。普通の練習なら、3位以内なのに夏合宿では10位

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に入るのがやっとでした。走ろうと思っても走れないのです。こんな

 

経験は、夏合宿だけです。先輩が後ろから来て、何度も頭を叩かれた

のを思い出します。今となっては懐かしい思い出です。先輩達は本当

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に速いんです。きっと今でもかなり練習しているんだろうと思いまし

 

た。凄いです。

 

「ランニング」

ランニングが終わると朝食です。1年と2年で準備し

1年と2年、戻る1

ます。又、朝食が終わるとしばらくして、テニスコートへ向かいます

。1年と2年は、ほとんど休憩している時間がありません。ほんとに

よくやってきたなあと思います。コートに着くとローラーがけとブラ

ッシングが、待っています。そして、9時になると練習開始です。ま

さに、きつくて大変でした。12時になると午前の練習は終了です。

1年と2年は、宿舎に戻り昼食の準備です。昼食が終わると彼らは、

コートへ行って、簡単なコート整備をします。

 

「1時になると」

1時になると午後の

午後の、戻る2

練習開始です。2時間、練習して3時になると、休憩した後に、地獄

の振り回しが始まります。OBが2人ダブルスコートに入って、男子

7分、女子5分でダブルスコートを走り回って、OBの出すボール

を拾って返すのです。男女とも何人かは、ダウンしたり途中で止め

てしまいます。キャプテンは、そこへ走って行って励まして、続け

ます。この練習は本当に辛かったのを、憶えています。6時には終

了です。彼らは夕食の準備です。その後、全体ミーティングをして

、OBの着衣を集めて洗濯して9時まで自由時間で、9時から、

OBと幹部のミーティングで1日が終了です。

自由時間は先輩に素振りを見てもらったり、いろいろです。これが

1週間続きます。よくやってきたなあと思います。でもこれで強く

なるんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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全豪オープン以外の4大タイトル世界大会で優勝している杉山愛のダブルス

 

(全豪オープン以外の4大タイトル世界大会で優勝している杉山愛

 のダブルス)

(当時世界ランキング1位)

トップテン

杉山愛は、シングルスも世界のトップテンに入ることもあったが、実績

杉山愛

は、あまり残っていない。それよりも強かったのが、ダブルスである。

何と言っても、当時、世界ランキング1位で、全豪オープンだけが準

「優勝している」

優勝で他の3つの大会では、優勝しているのである。とにかくダブルス

ダブルス、戻る1

のスペシャリストであった。ネット際のボレーは一級品であった。

 

サーブも かなり打てるし、リターンも相手の足元へ返すのが、得意

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だった。これだけダブルスで活躍したのに、なぜシングルスで実績

 

を残すことができなかったのか。不思議である。誰と組んでも、自

然なプレーをしていた。スマッシュもうまいし何と言ってもアンテ

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シペイショ(予測)が、素晴らしい能力があったのでしょう。それ

 

と、シングルスとダブルスに出る選手は、特に試合数が多くなるの

で、体力面とメンタル面の両方の強さが要求される。それに動きが

「フットワーク」

速いので、足腰もしっかりと鍛えてフットワークも速くて強くなけ

足腰も、戻る2

ればならない。細かいようだが、手首と足首も強くなければならな

い。手首は、ボレーの数がシングルスに比べて格段に多くなるし、

特にボレーの場合は、手首をしっかりと固めてブレないようにする

のが重要なことである。足首は、とにかく素早いフットワークが要

求されるのでタフさと強さの両方が必要になる。全てのショットの

正確さとうまさの両方を身に付けるためには、体幹も鍛える必要が

ある。これだけのレベルに到達するには、日々のハードなトレーニ

ングが、欠かせないのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

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20代から30代のライジングショットを打つ伊達 公子の全盛期の強さ

(20代から30代のライジングショットを打つ伊達 公子

 の全盛期の強さ)   

(伊達 公子の全盛期の強さ)

1回目の引退は 

 

 

伊達 公子の1回目の引退は、非常に若い頃で30歳位でした。

30歳位

とても若くて、全盛期にテニスをやめたのです。本当に驚きました。

みんな、なぜ今やめるのかは分かりませんでした。本当に全盛期でし

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たから。彼女の強さの秘密は、ストロークにありました。ボールが、

 

ワンバウンドした瞬間のチョットだけ上がった所を、素早く打つの

です。これは、非常に難しい技術です。あんなに早く打つのは、彼女

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の他にほとんどいませんでした。このストロークの優位性は、相手に

 

ボールを待つ時間を、与えない所にあります。例えば相手が出玉を打

ってボレーをするために、ネットダッシュする時に時間がないので、

あまりネットに詰めれなくて、ボレーしなければならないので、ミス

になりやすいのです。

 

「ストローク」

それと相手の横を抜くストロークを、パッシン

横を抜く、戻る1

グショットと言いますが、決まりやすい利点があるのです。ラリーが

長く続いても、常に相手が体力を消耗して、自分は楽なのです。この

ように、試合を有利に運ぶことが、できます。パッシングショットは

この頃、世界でも数人しかいませんでした。この素早いストロークを

ライジングショットと言って、本当に難しいショットです。少しでも

タイミングがずれると、ミスになります。私も現役の頃に、ずいぶん

練習しましたが、伊達さんのようなショットは、打つことが出来ませ

んでした。このショットを打つためには、予測とフットワークの良さ

が要求されます。

 

「素晴らしい」

彼女もボレーも素晴らしいものが、ありました。前

ボレーも、戻る2

へ出ると相手は、時間がないので焦ってミスをするケースが、多々、

ありました。でもダブルスは、あまり得意でなかったのか、ほとんど

シングルスだけの、エントリーが多かったと思います。世界ランキン

グは当時4位まで行ったと思います。又、40歳を超えてから、再び

現役復帰して試合に出るようになりましたが、若い頃のような切れは

影を潜めました。それでもかなりいい試合をしていました。伊達公子

さすがです。