リレー連載、志賀の鼓動、未来を担う打ち手育てる、小学校でクラブ発足。

29日、志賀小を訪ねると、ドンドンと力強い音が聞こえてきた。
29日、志賀小を訪ねると、

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月に一度、4~6年生14人が参加する「太鼓クラブ」の活動日

だ。

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ドンドンと力強い、戻る2

児童は三つの太鼓を使い、強くばちを打ち込む「大バイ」と、細か

なリズムを刻む「小バイ」の二人一組でたたいたり、学年ごとに

4、5人で打ったりと楽しそう。その顔つきは立派な「太鼓打ち」

だ。
音が聞こえてきた。、戻る4
 

「いつもみんな楽しそうに、いい顔して打ってます。このまま太鼓

の町を盛り上げてほしいです」。そう話し、児童を見守るのはクラ

ブ担当教諭の畑中健志さん(35)だ。

 

志賀小のクラブは今年度から始まった。増穂八幡太鼓で活動し、大

会への出場経験もある畑中さんが「太鼓の楽しさを知るきっかけに

なってほしい」と結成した。児童の多くが太鼓を初めて打った初心

者で、志賀天友太鼓のメンバーが指導に当たっている。近く、町内

の老人ホームを訪ね、演奏を披露する予定だ。

 
リレー連載の取材中
リレー連載の取材中

(20年で子ども半減)

リレー連載の取材中、「子どもの打ち手が少ない」「後継者不足が
「子どもの打ち手が少ない」、戻る1
心配」との声を何度も聞いた。その要因の一つは、子どもの数が減

っていること。町内の小中学生の数は20年前に1826人だった

が、今年度は961人と半数ちかくに減少した。

 

コロナで出演機会が減ったことも、追い打ちを掛けた。太鼓は披露

する舞台があってなんぼ。志賀の太鼓連絡協議会長の三井外弘さん

(63)は「太鼓をする子が少なくなった。このままでは伝統の太

鼓がすたれてしまう」と危惧する。

 

そのような状況もあり、志賀小の太鼓クラブは、町内の子ども太鼓

の団体「冨木神幸太鼓 キララ」「大念寺八幡太鼓 鼓友組」「土

田紋六太鼓」などとともに「太鼓の町」の未来を支える頼もしい存

在だ。

 
クラブは校内外で
クラブは校内外で

クラブは校内外でばちさばきを披露しているほか、昨年11月には
ばちさばきを披露して、戻る2
「しかっ子フェスティバル」で保護者や地域住民を前に演奏した。

土田紋六太鼓にも所属する辻口理善さん(志賀小5年)は「大会で

優勝したい」と意欲を見せる。

 

子どもの時に楽しく太鼓を打った経験は、大人になっても残るは

ず。町民の中にも「太鼓を打ち続けたい」と街に残ったり、県外

へ進学した後にふるさとへ帰ってきたりするきっかけになってい

ると聞いた。「打っているところを見てもらえれば魅力が伝わ

る。いろんな場所で志賀の太鼓を見せたい」と三井さん。太鼓は

町のアピールと同時に、子どもたちにふるさとの魅力を伝えるツ

ールにもなっている。

 

(力強く心に届く)

人はなぜ、太鼓の鼓動にひかれるのだろう。力強い音は心の奥深

くにまで届き、不思議とわくわくしてくる。さまざまな団体の演

奏を聞き、自分もそう感じた一人だ。

 
取材で出会った人たちは
取材で出会った人たちは

取材で出会った人たちは、所属や活動は違っても、太鼓の町とい
所属や活動は違っても、戻る3
う誇りと情熱を持っていた。その思いこそ、伝統を未来へつなぐ

原動力となり、これからも聞いた人の心を動かしていくのだろ

う。

馳知事「小浜ありき」に異論、県政報告会、敦賀以西選択肢増やして。

石川県の馳浩知事は25日、金沢市内で開県政報告会で、北陸新幹
石川県の馳浩知事は


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線敦賀以西の小浜ルートについて「京都を説得できていない。選択

肢を増やして、着地点を見つける努力をする段階に入っているので

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はないか」との見解を示した。米原ルートへの再考を求める声が県

内外で強まる中、「小浜ありき」で進めようとする動きに異論を唱

えた格好。「米原」を推す首長や県議からはルート転換に向けて期

待が広がった。

与党が2016年に合意した、戻る2

西田昌司氏に「京都説得を」
小浜ルートは昨年8月、戻る4
与党が2016年に合意した小浜ルートは昨年8月、工期が当初の

15年から最長で28年に延び、建設費が2兆1千億円から最大で

5兆3千億円に上振れするとの試算を国土交通省が示している。

 

県政報告で北陸新幹線の延伸問題を取り上げた馳知事は「9年前と

今とで数字が違う。一度決めたからといって、小浜と言い張るのは

無理がある」と強調した。

 

延伸区間の長い京都では、巨額の建設費負担が発生することに加

え、工事に伴う建設残土処理や地下水への影響に府民の強い懸念

がある。馳知事は、延伸を議論する与党整備委員会で、小浜ルー

トを強く推す西田昌司委員長(参院京都選挙区)を念頭に、「京

都を納得させるのは整備委員長だ。あなたは府民を説得できてい

ない」と批判した。

米原ルートには言及
米原ルートには言及

米原ルートには言及しなかった。一方で、小浜着工が23~25
しなかった。一方で、戻る1
年度の3年連続で先送りされるされることになったとし、「仏の

顔も三度までだ」とも語った。

 

(米原派の期待広がる)

知事の発言に「米原派」の出席者は今後の議論の進展に期待を寄

せた。

 

福村章県議は「一歩前進だ」と評価し、与党整備委員の佐々木紀

衆院議員も「今までより踏み込んだ発言だ」と受け止めた。

宮橋勝栄小松市長は
宮橋勝栄小松市長は

宮橋勝栄小松市長は(米原への再考に)前向きな発言になってき
前向きな発言に、戻る2
た。知事がルート転換を表明する日は近いんじゃないか」と予

想。一方、宮元陸加賀市長は「もっと踏み込んでほしかった」と

物足りなさそうに語った。

 

ホテル日航金沢で開かれた県政報告会には1450人(主催者発

表)が出席した。小森貴連合後援会長のあいさつに続き、佐々木

氏、宮本周司参院議員、近藤和也、西田昭二、小森卓郎、小竹凱

の各衆院議員、善田善彦県議会議長が順にあいさつした。閉会あ

いさつに立った後援会「はせ浩銀河の会」の米沢寛会長は来年春

の知事選に向けて出席者の支援を呼び掛けた。

馳知事は、能登半島地震
馳知事は、能登半島地震

馳知事は、能登半島地震、奥能登豪雨からの復興に取り組む意欲
奥能登豪雨からの、戻る3
も語った。被災した住宅の補修に関し、被災者にイメージもらい

やすいよう修繕のモデルプランを示すと報告した。

「下地」あれば花は咲く、第1章能登は厳しや、土までも、かぶれのようには。

店舗兼自宅のある輪島朝市通りの火の手は、容易にやまなかった。

店舗兼自宅のある

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「つらかったね。通りが全部、燃えてしまった」

 
「大徹八井漆器工房の」
大徹八井漆器工房の
大徹八井漆器工房の八井汎親会長(87)が昨年の元日を回想す
「八井汎親会長(87)が」
八井汎親会長(87)が
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る。300メートル離れた避難先から炎を見詰めることしかでき

なかった。

 
店はかろうじて焼失を
店はかろうじて焼失を

店はかろうじて焼失を免れたが、地震で傾いた。避難所から仮設
免れたが、地震で傾いた。、戻る1
住宅へ映った後の9月には、豪雨が起きた。「今回はダブルパン

チや」と汎親さんは嘆息する。

 

実は今回だけでなく「前回」も、ダブルパンチだった。「奥能登

水害」のあった翌年、1960(昭和35)年4月24日、「輪

島大火」が起きたのだ。

 

復興の途上にあった朝市通りは灰燼に帰した。当時の写真を見る

と、昨年元日の地震後かと思うほどよく似た風景が広がってい

る。

 

(行商で先人に感謝)

汎親さんは、江戸創業の老舗工房の4代目として生まれた。伝

統の技を学びながら、若いころから「漆の科学」に興味を抱い

た。

 

漆の光はなぜ、他にない深みがあるのか。東大の熊野谿従名誉

教授の講義に刺激を受け、電子顕微鏡で器の表面を観察。探究

を続けるうち、ますます漆に魅せられた。

 

「漆っちゃ、ものすごく面白いさけ。本当に不思議な性質を持

っとる」

 
「災害の話をするときは」
災害の話をするときは

災害の話をするときは落ち着いていた汎親さんの口ぶりが、漆
落ち着いていた、戻る2
の話になると熱を帯びてくる。

 

研究とともに、行商にも励んだ。得意先が多かったのは新潟

県。風呂敷包みを担ぎ、1週間ほどかけて料亭や旅館を回っ

た。「輪島塗はモテたね。『あ、輪島さん』と必ず正面玄関

から入れてくれた」

 

北前船で各地に販路を築いた先人たちへの感謝が、自然と湧

いてきた。輪島の人の良さも見えてきたという。

 

「旅に行くから、来た人も大事にするがないかな。みんな、

人を抱擁する」

 

(かぶれのようには)

「漆かぶれは時間がたつと自然に治り、跡が残らない」。汎

親さんの言葉に、輪島の復興を思った。地震と水害の傷手

は、漆かぶれのようにはいかない。輪島は再興できるだろう

か。

 

「できるわい」。即答だった。「泥だらけになっても、泥の

中から美しいハスの花を咲かせましょうよ」

 

ともに行商した父はこう言っていたという。

 

「見えるものは真実でない。真の姿は見えないところにある」

 
「見えないところ」とは
見えないところとは

「見えないところ」とは、輪島塗りでいえば下地だ。「下塗り
輪島塗りでいえば、戻る3
さえしっかりしていれば絶対に大丈夫や」と汎親さんは力を込

める。

 

更地になった朝市通りを見ると、全てが失われ、希望はないよ

うにすら思えてしまう。だが輪島には、人、思い、伝統の技と

いった確かな「下地」がある。復興という花は必ず咲くはず

だ。

 

 

 

日本海側からのSOS、なりわい再建、「仕事がない」海女の嘆き。

「輪島朝市」が金沢市金石地区で出張開催の形で再開した23日、

輪島朝市が金沢市金石地区で

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朝市通りの焼け跡から鳳至川を渡ってほど近くに住む60代の海女

「出張開催の形で」

を訪ねた。
「再開した23日」

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「朝市、きょうからやね。ちょっとずつ前へ進むのは、良いことや

 

なあと思う」

 

2007年の地震の後に立て直した女性の自宅は、今回は無事だっ

た。だが網や漁具をしまう隣の仕事場は大きな被害を受け、取り壊

す予定という。

 

漁再開の見通しを尋ねると、女性の表情が曇った。「肝心かなめの

船が動かんことには、どうしょうもない」。地殻変動で輪島港の海

底が隆起した。港内に停泊した漁船約200隻は、底がつかえた船

もあり、動かせないままだ。

「現在、ダイバーが漁船の船底を調査し」
現在、ダイバーが漁船の船底を調査し

現在、ダイバーが漁船の船底を調査し、損傷具合を確かめている。
損傷具合を確かめている、戻る1

その後、つかえた船を移動させれば、港内を浚渫して水深を確保す

る作業が進んでいく。

 

漁再開への道は少しずつ、動きだしている。だが女性はため息をつ

き、自嘲気味に笑った。

 

「仕事がない。プー太郎や。体がなまって、太ってきた」

 

漁師の夫は震災後、災害ごみの回収や仕分けのアルバイトをしてい

る。だが女性向けのアルバイトは、被災した輪島にはほとんどない

という。

「島も手つかずやしね。島とは」
島も手つかずやしね。島とは

「島」も手つかず

「島も手つかずやしね」。島とは、漁場である輪島沖の舳倉島、七
漁場である輪島沖の舳倉島、戻る2

ツ島のことだ。舳倉の港は津波で被害を受けたようだが、現地の詳

しい状況は分からない。

 

7~9月の素潜りの漁期以外も女性は夫とともに漁をしてきた。海

でなりわいを立て、子どもを育て、家を建てた。

 

「それしかないし、とにかく、早く海へ入れるように・それ以外何

も望まん」

 

再開に向けたさまざまな動きに触れると、「7月に潜れるかも」と

の思いが芽生えてくる。一方で家から一歩外へ出ると、元日と変わ

らない倒壊家屋が目に入り、「やっぱり無理かも」と気が滅入る。

そんな日々だ。

「1日でも早く漁再開のめどが示されること」
1日でも早く漁再開のめどが示されること

一日でも早く漁再開のめどが示されること。それが海をなりわいと
それが海をなりわいと、戻る3

する人々の希望を生む。日本海側からのSOS、なりわい再建、「仕

事がない」海女の嘆き。

 

 

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和気あいあいのワケ、農家民宿、主は元救命士、自然に魅せられ出店。

能美市和気地区の谷あいに位置する鍋谷町。のどかな田園地帯で、

能美市和気地区の

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空き家となった築111年の古民家が農家民宿に生まれ変わると

 
「谷あいに位置する鍋谷町。」

聞き、訪ねた。宿の主は同市消防本部の元救急救命士という異色
「のどかな田園地帯で」

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のキャリアを持つ田中雅也さん(40)=和光台=と妻の美穂さ

 

ん(48)だ。

 

5月30日、田中さん夫妻が交流サイト(SNS)を通じて集まっ

た友人とともに汗を流していた。木造2階建ての室内で土壁を壊

し、新たに壁を塗ったり床板を貼ったりとDIY(日曜大工)で改

装中。田中さんは「古民家の雰囲気を生かし、愛着の持てる場所

にしたい」と話す。

 
「田中さんはもともと和気地区の」
田中さんはもともと和気地区の

(21年間勤め退職)

田中さんはもともと和気地区の仏大寺町出身。「自分の店を持ちた
仏大寺町出身。自分の店を、戻る1

いという夢をかなえるためのチャレンジがしたかった」と昨年2

月、21年間勤めた消防職員を退職した。

 

昨年4月に美穂さんの実家がある金沢市山科地区で、国内産の豆乳

を使ったソフトクリーム店「クラフトソイソフトクリーム5」を開

設。さらに、ふるさとを盛り上げようと農家民宿ができる物件を探

し、鍋谷町の神社前にあった古民家を購入した。

 

オープンすれば、和気地区では初の農家民宿となる。1日1組限定

で受け入れる宿泊スペースと喫茶を設け、2026年秋の開業を目

指しているそうだ。2階は田中さんの住まいとして使って、金沢の

店を切り盛りしながら、農業や九谷焼などの体験が楽しめるように

する計画だという。「コンセプトは『質素なぜいたく』。感動して

もらえるメニューを提供したい」と期待は膨らむ。

 
「和気地区の最も山あいに位置する」
和気地区の最も山あいに位置する

(ウーロン茶専門店も)

和気地区の最も山あいに位置する坪野町でも近年、移住者が増えて
「坪野町でも近年、移住者が増えて、戻る2

いる。台湾ウーロン茶専門店「茶楽」を営む群馬県出身の小菅康雄

さん(66)もその1人。都内の会社を退職後の18年4月、小松

市出身の羽岡美由紀さん(56)と古民家を手に入れて開業した。

 

風味が異なる12種類のウーロン茶が売りで、小菅さんはおいしく

飲んでもらえるよう独学で研究した。築110年の落ち着いた雰囲

気の店内では利用客が手作りスイーツなどに舌鼓を打ち、何気ない

会話を楽しむ。住居を兼ねた店は地元の交流サロンとして親しま

れ、野菜の育て方を教え合うこともあるなど、まさに井戸端会議の

ようだ。地区外からの来店者が豊かな自然に魅せられ、実際に空き

家に移り住んだケースもある。坪野町では5月現在、全21世帯の

うち5世帯が外からやってきた人たちだ。

 
「鍋谷しかり、坪野しかり、和気に」
鍋谷しかり、坪野しかり、和気に

鍋谷しかり、坪野しかり、和気に転居してきた人たちの表情は生き
転居してきた人たちの表情は、戻る3

生きとしているように見える。「小川が流れ、夜は満点の星。この

場所の魅力をいろんな人に伝えたい」と小菅さん。民宿、ウーロン

茶をきっかけに、足を運ぶ人が増えれば、この地を気に入ってくれ

る人も多くなるだろう。移住者たちの取り組みが、そうした好循環

をもたらしてくれそうな気がした。和気あいあいのワケ、農家民

宿、主は元救命士、自然に魅せられ出店。最近は田舎に移住する人

が増えているような気がする。それも築100年を超える古民家を

購入している。

 

 

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北国大花火川北大会、大水害90年復興へ願い重ね、光の大輪2万発競演。

第39回川北まつりのフィナーレを飾る北国大花火大会は3日、川
第39回まつりの>

第39回まつりの

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北町の手取川簡易グランドで行われ、北陸最大級の約2万発が真夏

フィナーレを飾る

の夜空を華麗に染めた。今年は手取川大水害の発生から90年の節
北国大花火川北大会は3日

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目となり、町民は光の大輪にふるさとの復興に尽くした先人への感

 

謝と、能登半島地震の被災地復興へ願いを重ねた。

 

大会は午後8時15分、太鼓の乱打に合わせて4195発のスター

マインで幕を開けた。全国の花火師の創作性あふれる北国芸術花火

などの多彩な花火が披露され、約12万人の観衆が手取川上空を焦

がす音と光のショーに酔いしれた。

「会場には町内に身を寄せる」
会場には町内に身を寄せる

会場には町内に身を寄せる被災者約20人が招かれ、被災地にエー
被災者約20人が招かれ、被災地に、戻る1

ルを送る「祈りの鎮魂花」では10号玉の「椰子菊先変化」やツイ

ンスターマインが柔らかな光の輪を描き続けた。珠洲市蛸島町から

家族で避難している多原美佐子さん(58)はこの日が誕生日の前

日に当たり「こんな感動する花火は見たことない。元気をもらえ

た」と感激した様子だった。

 

フィナーレでは個人協賛を募った2660発の「川北爛漫」、66

63発の「かがやき溢れる未来へ」が披露され、カラフルな光のシ

ャワーが夜空をキャンバスに色彩美を広げた。

 

「川北が誇れるイベント。開催を待ちわびていた」と話すのは川北

町草深の佐野隆雄さん(74)。協賛者席「大かがり火席」を確保

した白山市福留南の岡山真也さん(44)と長女こはくさん(10)

は「今まで見た中で一番きれい」「夏休みの宿題の日記に書きたい」

と声を弾ませた。

「レクサス金沢御影(金沢市)が」
レクサス金沢御影(金沢市)が

レクサス金沢御影(金沢市)が能登の食材を使った料理を楽しむオ
能登の食材を使った料理を楽しむ、戻る2

ーナー向けの催しを企画。150人が同市木倉町の料理店「CRA

FEAT(クラフィート)」が提供した七尾産サザエを使ったライス

コロッケやいしる唐揚げに舌鼓を打ち、華やかな2万発のショーを

楽しんだ。

 

花火に先立ち、川北まつりのメイン行事「音と光の祭典」が行われ

太鼓演奏やかがり火踊りが繰り広げられた。町民が地区ごとに送り

火を掲げて入場し、高さ約約40メートルの大かがり火に点火され

90年前の大水害の犠牲者の霊を慰めた。

「花火大会の模様は金沢ケーブルと」
花火大会の模様は金沢ケーブルと

花火大会の模様は金沢ケーブルとエフエム石川が生中継した。北国
エフエム石川が生中継した、戻る3

大花火川北大会、大水害90年復興へ願いを重ね、光の大輪2万発

競演。2万発の花火は北陸最大級。

 

 

 

 

 

 

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