「売っても利益ない」円安・原油高、原料仕入れ値5割高、もやしの出荷ラインを見守る石橋社長

(「売っても利益ない」円安・原油高、原料仕入れ値5割高、もや

しの出荷ラインを見守る石橋社長)

無数の白いもやしが

無数の白いもやしが、ゴトゴトと音を立ててコンベヤーで運ばれて




内部リンク

いく。29日午前、金沢市若宮2丁目の三吉商店、食卓でおなじみ

 
ゴトゴトと音を立てて

のもやしを生産する県内唯一の工場だ。
コンベヤーで運ばれて
もやしを生産する

外部リンク

「うん、甘い」。包装直前の1本を口に入れ、自慢の品質にこう

 

笑顔をみせたのは石橋隆太郎社長(35)。だが、その後に吐き出

した言葉は甘くなかった。

「もやしを60年続けてきたけど、もう限界ですよ」

 
「同社のもやしの原料で」

同社のもやしの原料である納豆は質の良い中国産。その中国では家
ある納豆は、戻る1

畜飼料の高騰に伴い、トウモロコシなどの栽培を拡大し、納豆は減

らす農家が増えた。加えて納豆栽培にとっては悪天候が続き、収量

が思わしくない。そこに急激な円安が重くのしかかった。

 

「原料はトリプルパンチです」と石橋社長。仕入れ価格ここ2年ほ

どで5~6割も上昇した。さらに、栽培に使う地下水を温めるボイ

ラーの灯油や包装フィルムなどの資材も原油高のあおりをうけ、生

産コストは上がる一方だ。

 
「29日のニューヨーク」

(半年で20円以上安く)

29日のニューヨーク外国為替市場の円相場は一時1ドル=137
外国為替市場の、戻る2

円台を付けた。約24年ぶりの円安ドル高水準を更新し、止まる気

配を見せない。年初は115円台。この半年間で20円以上も円が

安くなった。輸出企業には追い風でも、輸入企業には死活問題であ

る。

 

もやしは鶏卵と並んで食品スーパー各社の安さの指標にもなってお

り、1袋30円以下で販売されることが多い。石橋社長は「仕入価

格が上がっても、もやしは簡単に価格転嫁できるものじゃない。利

益幅は小さくなり、この先、不安しかない」と訴える。

 
「ただ、手をこまねいて」

ただ、手をこまぬいているわけではない。事業の第2の柱に据えよ
いるわけでは、戻る3

うと、もやしをおいしく食べられる無添加ドレッシングの開発に力

を入れている。「なんとか利益を生んでいかないと」。若き3代目

は従業員約30人の雇用と会社の存続に歯を食いしばる。「売って

も利益ない」円安・原油高、原料仕入れ値5割高、もやしの出荷ラ

インを見守る石橋社長。もやしや鶏卵のような価格の安い商品は利

益が出ない。価格転嫁も中々できない。現在の状況は条件が悪すぎ

る。それでもみんな何とか工夫して頑張っています。ロシアのウク

ライナ侵攻が大きな原因です。早く戦争を終わらせることが必要で

すが、簡単ではありません。今は世界平和を祈るばかりです。

 

 

 

(価格転嫁どこまで)

津幡町旭山で木工や製材機械を製造する共和キカイも、急激な円安

に苦しんでいる。同社は機械に組み込む刃物やスキャナーなどの部

品を海外から輸入。製品価格は一つ3千万円から数億円に上るが、

部品の原価が占める割合も大きい。

「その原価がこの半年の間、100万円単位で変わってきた。本

当にメーカー泣かせですよ」。今村亜喜博社長(47)は困り顔を

浮かべる。

 

実は今、同社にはチャンスが到来している。輸入木材の不足で価格

が高騰した「ウッドショック」で利益を出した国内の製材工場が設

備投資を進めており、注文が舞い込んでいるのだ。

 

だが、製品価格には円安や鋼材の高騰などで2~3割上昇した原価

を転嫁しないともうけが出ない。「かといって、転嫁しすぎれば買

い控えを招く。利益を出せるか、バランスが難しい」と今村社長は

腕組みする。

 
「県産業創出支援機構」

県産業創出支援機構の担当者は「製品を売っても利益がほぼない企
ある輸入企業の、戻る4

業、赤字の企業もある。みんな我慢比べの状態だ」と指摘した。

 

参院選では、原油高や円安による物価高が争点に浮上。与野党とも

国民生活を守る訴えに力を入れる。

 

国内企業の99%以上が中小であり、県内でも中小・零細が事業者

の9割以上を占める。外国企業と肩を並べる輸出のノウハウはない

ところがほとんどだ。

 

ある輸入企業の経営者は「われわれ中小の実態を国会議員や政府は

どこまで把握しているのか。しっかり目を向けておかないと、近い

将来、中小がつぶれ、日本が崩壊する」と憂えた。長引く円安、原

油高への対策は待ったなしである。円安や原油高についてはもやし

の項目の文中で記述している。ここでは中小企業について少し記述

してみたいと思います。ある経営者が述べていますが日本は99%

程度が中小企業です。それらが独特の技術で日本を支えています。

今まではそれで良かったのですが、今回のような急激な円安や原油

高になると資金力のない中小企業では持ちません。これは日本の危

機です。国会議員や政府に早くから真剣に対策を考えておいて欲し

いと思います。

 

 

コメント(以下に書いて下さい)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

川北の島集落、受け継がれる防災の知恵、ニュータウンでも備え、30~40代がメンバー

(川北の島集落、受け継がれる防災の知恵、ニュータウンでも備え、

30~40代がメンバー)

河北町役場の裏手

 

川北町役場の裏手、「島集落」の与九郎島に隣接する町最大のニュ



内部リンク

ータウン「ひばりタウン」。子育て世帯を中心に県内各地から転入

島集落の与九郎島に

者が相次ぎ、現在は142世帯532人が住む。水田地帯で17年
隣接する町最大の

外部リンク

前に造成された住宅地は、町内全21地区の中で人口が2番目に多

 

くなり、まだ成長を続けている。

(30~40代がメンバー)

21日、ュータウンの一角に真新しい防災倉庫がお目見えした。

6月に結成された自主防災組織のメンバーが購入予定のヘルメット

や、要支援者やけが人を乗せる車いすの使い方を確かめる。メンバ

ーの中心は30~40代の住民。「実は、防災資機材はこれから集

めるところなんです」と自主防災組織リーダーで区長の平祐一さん

(39)は話す。

 

くしくも6月19日の結成集会の直前、珠洲を震度6弱の地震が襲

った。「災害はいつやってくるか分からない。備えの大切さを痛感

した」。報道に触れた平さんは、気を引き締める。

「町内では島集落など」

町内では「島集落」など、各地で自主防災組織が結成されている。
各地で自主防災組織、戻る1

1934(昭和9)年の手取川大洪水をはじめ、幾多の水害を乗り

越えてきた集落には、水害時の対応など古老から語り継がれたノウ

ハウがある。ニュータウンにはそれがない。

 

日頃から、避難場所の位置を確認するべし。非難が遅れそうな高齢

者も把握し、助け合う手段を確認すべし。「島集落」の教えを受け

たひばりタウンの公民館長石田諒さん(30)は「昔からある集落

の人たちの防災意識は高く、多くのアドバイスをもらった」と語る。

 

 

子育てや仕事の合間を縫って住民が独自に仕上げた防災マニュアル

は、手取川の水害や地震への備えをまとめた。「普段から住民同士

が顔を合わせる機会を増やし、地域のコミュニティー力を高めたい」

と平さん。避難誘導の手順や救出救護などの役割分担も定め、なる

べく早い時期に初の防災訓練を行う予定だ。

「町内にある四つの」

(急速な高齢化懸念)

町内にある四つのニュータウンのうち、20年前から造成されて4
ニュータウン、戻る2

8世帯150人が暮らす田子島の「なでしこタウン」では、早くに

自主防災組織が活動を始めた。ただ、運営を担うメンバーは50代

前後が中心だ。成長して「なでしこ」を巣立つ子どもが増え、まち

全体が急速に高齢化する懸念もある。

 

新興住宅地が、高齢者が多い「オールドタウン」化すれば、防災の

担い手不足に直結するのは明らか。「住み続けたいと思えるよう、

住民の交流と結束の場を増やしていくしかない」。富樫宏介区長

(52)は、状況に応じた防災力のあり方に思いを巡らせる。

「川北町の水田地帯で」

川北町の水田地帯で宅地開発が本格化して25年。手取川の治水
宅地開発が本格化、戻る3

が進み、水害の可能性が格段に低くなったとはいえ、無関心では

いられない。普段は美しい手取川が暴れた時はどう動くべきか。

「島集落」にならう新興住宅地では、自然に住民交流が盛んにな

り、命を守る意識が若者に受け継がれていく。それが川北の強み

となっている。川北の島集落、受け継がれる防災の知恵、ニュー

タウンでも備え、30~40代がメンバー。

 

 

コメント(以下に書いて下さい)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高倉健さんが愛した絶品ステーキ、ひよこ閉店金沢・菊川で58年、82歳林さん「やりきった」

(高倉健さんが愛した絶品ステーキ、ひよこ閉店金沢・菊川で58

年、82歳林さん「やりきった」)

金沢を代表する

金沢を代表するステーキの名店「ひよこ」が30日、その歴史に幕



内部リンク

を下ろした。金沢市菊川1丁目のこぢんまりとした店舗で58年。

ステーキの名店

メニューは1万2千円の絶品ヒレステーキのみで、かつて俳優高倉
「ひよこ」が30日

外部リンク

健さんも通い全国からファンを集めた。体調不良に牛肉の高騰が重

 

なり、店主の林肇さん(82)は「やりきったし、こんでいいわ」

と決断。予約で満席となった最終日、常連客は狭い店内でビフテキ

を頬張り、最後の味をかみしめた。

 

30日午後4時、カウンターには5人が座り、ひよこの最後の営業

が始まった。タマネギやナスが焼かれた鉄板に、林さんが豪快に鹿

児島産の300グラムの牛ヒレ肉をのせると、小さな店内には「ジ

ュー」という音と香ばしい匂いが一気に広がった。

 

客は手際よく肉をさばく林さんを静かに見つめ、ミディアムレアの

厚きりのステーキをじっくり味わった。閉店を知って2人前を注文

した会社役員棚辺亮介さん(38)は「肉だけで腹いっぱいになれ

る唯一無二の店。毎年誕生日にお世話になっていたので、本当にさ

びしい」と話した。

「ひよこは、1964年」

ひよこは、1964(昭和39)年2月15日に創業。同じ年に最
2月15日に、戻る1

初の東京五輪があり、林さんは営業を続ける目標としていた2回目

の東京五輪を迎えた昨年、「そろそろ潮時」と閉店を考え始めたと

いう。

 

店名の「ひよこ」は、現在の店舗の場所にあった焼き鳥店から譲り

受けたもの。「牛なのにひよこ」はお客さんをなごませる林さんの

定番のギャグだ。

 

 

 

ステーキだけで勝負するとの思いから、ご飯は用意していない。林

さんは「炊き方が分からん」と冗談を飛ばすが、そんなこだわりに

高倉さんら著名人も魅了された。

 

2019年ごろには商売道具とも言える腕に疲れがたまり、左肩に

人工骨を入れた。店を半年休業すると、インターネット上では「ひ

よこが閉店したらしい」という書き込みがあふれた。林さんは「び

っくりしたわ」と振り返る。

「コロナ禍で休業を」

コロナ禍で休業を余儀なくされ、席数も8席から6席に減らした。
余儀なくされ、戻る2

それでも続けてこられたのは「お客さんの『また来たい』が聞きた

かったから」と林さん。今後はしばらく休養するつもりとのことで

「本物を出し続けられて幸せやった。やることはやった」と笑顔で

店の明かりを消した。

 

(常連客から惜しむ声)

名店の最後に常連客らからは惜しむ声が上がった。開店時から親子

で通ったという地元企業の経営者は「昔は豚バラやタンのメニュー

もあった。娘もファンで閉店を伝えると涙ぐんでいた」と話した。

 

絶品ステーキは多くの力士の舌もうならせてきた。大相撲金沢場所

で、横綱白鵬の後援会顧問を務めた北川物産(金沢市)の北川博会

長が「ひよこ弁当」を大量に注文し、力士に差し入れしたところ人

気が爆発。大関・貴景勝は平幕時代「金沢と言えばひよこのステー

キ」と楽しみにしていた。

「遠藤(穴水町出身)」

遠藤(穴水町出身、金沢学院大附属高OB、追手風部屋)が1日で
追手風部屋、戻る3

平らげた7人前は店の最高記録で、炎鵬(金沢市出身、金沢学院大

OB、宮城野部屋)は「多くの力士がショックだと思う。自分も一

度、店で食べたいと思っていました」と残念がった。高倉健さんが

愛した絶品ステーキ、ひよこ閉店金沢・菊川で58年、82歳林さ

ん「やりきった」。牛のヒレステーキ一筋に58年、中々難しい仕

事だと思います。料理の仕事は常に味が評価されますから大変な仕

事です。現役時代は毎日が研究と修行の連続でしょう。林さんは肉

で勝負するのだからご飯は作らないと言っていました。頑固な人だ

と思いました。言い換えればそれだけ肉に情熱をかけていたのでし

ょう。ひよこと言えば肉それもヒレステーキがすべてだったのです

ね。林さんは晩年左肩に人工骨を入れる手術をしています。最後の

執念でしょうか。とにかく凄い生き方をした人だと改めて感じます。

 

 

 

コメント(以下に書いて下さい)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東京五輪あのとき何が、マラソン札幌移転、背景に透けるバッハの保身

(東京五輪あのとき何が、マラソン札幌移転、背景に透けるバッハ

の保身)

「合意なき決定」

「合意なき決定」。2019年11月1日、東京都の小池百合子知



内部リンク

事はこう胸の内を吐き出した。五輪の華、男女のマラソンと競歩が、

2019年11月1日

東京の暑熱を懸念して札幌へ移された。国際オリンピック委員会
東京都の小池百合子

外部リンク

(IOC)による強制的な開催地変更の舞台裏を東京五輪・パラリンピ

 

ック組織委員会の実務責任者が語った。

 

「青天のへきれき」。東京五輪・パラリンピック組織委員会事務

総長の武藤敏郎(78)=元石川県総務部長=は、電話の内容を耳

にした際の驚きを短い言葉に込めた。

 

2019年10月11日、金曜日だった。相手は国際オリンピック

委員会(IOC)で東京大会の調整委員会を率いるジョン・コーツ(7

2)。IOC会長のトーマス・バッハ(68)の腹心である。組織委

は会長の森喜朗(84)と武藤が対応した。話はマラソンと競歩の

札幌移転提案だった。

(暑さのリスク)

「バッハが、ドーハ(カタール)の世界陸上の女子マラソンで棄権

者が続出し、選手が緊急搬送される映像を見てショックを受けてい

る。東京で万一同じことが起こると、東京は暑さで選手の健康がリ

スクにさらされた大会になる。それは望ましくない。札幌に移した

らどうか」。提案はこんなふうだったという。

 

ドーハでは9月から陸上の世界選手権が開かれた。中東の高温多湿

の環境下、女子のマラソンは深夜スタートにもかかわらず、出場選

手の4割を超す28人も棄権した。

「しかし東京も暑熱対策」

しかし東京も暑熱対策に手をこまねいていたわけではない。スター
手をこまねいて、戻る1

ト時間を当初の午前7時半から6時に繰り上げた。東京都は路面温

度の上昇を抑える舗装や、街路樹の剪定で道路が日陰になるなどの

工夫を施した。

 

コースは皇居、浅草、銀座など名所を巡る。国際陸連(現世界陸連)

会長のセバスチャン・コー(65)も満足していると耳にした。

 

「暑さは、コロナ禍以前は最大の課題だった。対策は十分とは思っ

ていなかったから、提案は頭では理解できた。でも国際陸連が賛成

しないだろうとも思った」。ところが難航するとの武藤の見通しは

外れた。15日午前、「コーが了解した。これで行く」とコーツか

ら断定的に知らされた。

そこで初めて東京都知事の小池百合子(69)にしらされたが、了

承しない。当然である。これまでの時間と労力。経費を無にしろと

言うのだから。

 

16日にコーツから情報が寄せられた。バッハが16日中にIOC

理事会を開き、札幌移転を決めると。「急すぎる。延ばして」と要

望したが、バッハは応じなかった。日本時間のこの日夜、IOCは

札幌移転予定と公表、翌日にバッハは「決めた」と言い放った。日

本の憂慮は置き去りだった。

 

 

(異例のトップダウン)

通常の決定プロセスは組織委など開催側の提案をIOCが審議して

決める。トップダウンは極めて異例。IOCが最終決定権を握って

いるため、それ以上あらがえなかった。国、都、組織委とIOCの

4者協議で小池は「合意なき決定」とのまざるをえなかった。

「民主的とは言えない」

武藤は「民主的とは言えない」と批判した。「五輪運動への影響を
と批判した、戻る2

懸念したとしても、冷静に相手(小池知事)と相談して納得した上

で進めるべきだった」。そうしなかったのは、ボートなどの会場見

直しで抵抗した小池に、IOCは不信感を抱いたからと読んだ。「日

本の事情に配慮したら物事は進まない」とIOCの見方を代弁した。

 

キーワードは「保身」だ。武藤は陸上関係者から聞いた話を明かし

た。ドーハの惨状が国際陸連内で大議論を呼び、コーと会長職を争

った実力者のセルゲイ・ブブカ(58)がコーを責めたという。こ

れを知ったバッハが、もし東京で二の舞いとなれば「誰の責任かと、

責められかねないと心配したのだろう」と強硬手段の背景を見立て

た。

 

小池も提案を蹴って、東京で惨状を呈したら責任を問われかねない。

絶対反対でなく、移転費用の負担拒否、との条件闘争となった背景

に、したたかさが透ける。

 

組織委会長の森は水面下で根回ししたようだ。小池に伝える前に一

部都議に漏らしたといわれる。「フライング」だが、コース設定に

は都議や区議が介在したというだけに、事前に知らせて反発を抑え

たのだろう。政府にも了解を得たはずだ。

「正式通告以前に」

正式通告以前にどんな予兆があったのか定かではない。森は通告を
どんな予兆が、戻る3

受ける前日の10日、五輪相の橋本聖子(57)と札幌市長と会っ

た。内容はつまびらかではない。コーツは16日に「先週には五輪

相が(移転に)前向きと知った」と語った。東京五輪あのとき何が、

マラソン札幌移転、背景に透けるバッハの保身。マラソン札幌移転

の話がIOCのバッハ会長から急に出てきた。彼はドーハで凄い暑さ

の中でマラソンの女子選手が出場選手の4割の28人が、棄権した

のを実際に知っていたからこのようになったのか。バッハ会長は半

強制的に決めてしまった。東京五輪でドーハの二の舞いだけはどう

しても避けたかったのだろう。真実はバッハ会長だけが知っている。

 

 

 

コメント(以下に書いて下さい)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「M6、7級に備えを」竹内富大名誉教授群発長期化の恐れ「地殻のたがに緩み」

(M6、7級に備えを」竹内富大名誉教授群発長期化の恐れ「地殻

のたがに緩み」)

能登地方を襲った

能登地方を襲ったマグニチュード(M)5・4、最大震度6弱の地



内部リンク

震について専門家は、震活動は継続しており、今後も注意が必要

マグニチュード

だと呼び掛けた。これから約1週間、同程度の地震が起きうるだけ
最大震度6弱の

外部リンク

でなく、能登半島沖の海底にある活断層に影響が及んだ場合、M6

 

~7級の大地震が起きる可能性にあらためて言及した。

 

「現状は、いわば地殻の『たが』が緩んだり、外れたりした状態と

考えられるのではないか」

 

富大の竹内章名誉教授(地質学)は、2011年の東日本大震災の

影響が今も、能登半島を含む列島全体に及んでいる事実を指摘する。

東日本大震災では、宮城県の陸地が約5メートル、北陸は約20~

30センチ、東へ移動した。列島が東西方向へ引き延ばされたこと

になる。

「これにより、能登半島の」

これにより、能登半島の地下にある「古傷」が緩み、流体が入り込
地下にある、戻る1

むなどして、群発地震を引き起こしているのだろう、というのが竹

内名誉教授の見立てだ。

 

そうした視点に立つと、群発の長期化や、大地震の可能性を考えざ

るをえないという。竹内名誉教授は「10年程度、続く恐れもある。

能登では過去数百年の間にもM6~7級の地震が起きていることを忘

れてはいけない」と述べた。

 

金大の平松良浩教授(地震学)は、能登半島の沖合に長さ10~2

0キロの活断層があることに触れ、「これが動けば2007年の能

登半島地震(M6・9)と同程度の規模の地震が起きることがある」

と警鐘を鳴らした。

 

昨年9月から平松教授と共同で奥能登の地殻変動を観測している京

大の西村卓也准教授(測地学)は地下十数キロの所に水などがたま

って膨らむことで周辺の岩盤に力がかかり、地震が起きている可能

性が高い」とした。観測によると、奥能登の地殻変動は依然続いて

いる。

「07年能登半島地震」

07年能登半島地震との関連について、古村孝志東大教授(地震学)
関連について、戻る2

は「今回とは全く別の地震と考えた方がいい」とする。陸上にある

大規模な活断層と今回の震源は離れており「活断層の地震ではない

のでは」とみている。「M6、7級に備えを」竹内富大名誉教授群発

長期化の恐れ「地殻のたがに緩み」。能登には火山がないのにこん

なに大きな地震が起きるのだろう。地殻変動とそこに水などの流体

がたまってその膨張によって地震が起きるのだろう。こんなメカニ

ズムだが学者の仮説でまだよくわからない。

 

 

(天気良いうちに対策を)

地震を受けて気象庁は19日夕に記者会見し、今後1週間程度は同

規模の地震が発生する可能性があると注意喚起した。23日からは

天気が崩れるとの予報を示し、「天気が良いうちに備えを進めてほ

しい」と呼び掛けた。

 

会見した地震津波監視課の鎌谷紀子課長は、今回の地震は2020

年12月頃から続く群発地震の一環だとし、20日に地震調査委員

会を臨時招集して対応について検討するとした。

「梅雨期に入っている」

梅雨期に入っていることから、土砂災害の発生リスクが高まるとし
ことから、戻る3

「崖の近くに住んでいる人は事前にハザードマップ、避難経路を確

認し、気を付けて過ごしてほしい」と話した。

 

 

コメント(以下に書いて下さい)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

積み重ねて大徳、ばち持たない太鼓の「母」「伝統に」成長見守り30年

(積み重ねて大徳、ばち持たない太鼓の「母」「伝統に」成長見守

り30年)

18日、土曜日の

18日、土曜日の大徳公民館を訪ねると、ドンドンドンと和太鼓の



内部リンク

音が聞こえてきた。建物の外にまで届く心地よい響きは、地域で親

大徳公民館を訪ねると

しまれている「もっくり太鼓」だ。
ドンドンドンと和太鼓の

外部リンク

もっくり太鼓では大徳地区の女性9人が活動している。この日は昼

 

すぎから、大徳児童館の活動の一環で、小学生11人がばちさばき

を習っていた。

 

「もっと足を広げて、踏ん張って」「打ち方が前より上手になって

るよ。その調子」。大人たちから威勢のいい声が飛ぶと、子どもた

ちの表情も次第に真剣になっていく。

「練習が行われている」

(女性のパワーを表現)

練習が行われている2階の大ホールの隅で、山田美和子さん(84)
2階の大ホール、戻る1

=がパイプ椅子に腰掛け、子どもたちに温かい視線を向けていた。

 

山田さんは1994(平成6)年、もっくり太鼓ができたときの立

役者だ。婦人会活動に取り組む中で、「地域の女性のパワーを表現

したい。発展してきた大徳の姿を太鼓で見せよう」と提案、町会や

公民館の協力を取り付けてチーム結成にこぎつけた。

 

ただ、当初は太鼓の数が足りないなど、苦労が多かったという。同

じく設立メンバーである藤元暢子さん(82)=藤江北2丁目=は

「自動車屋さんから古タイヤを借りてきて、太鼓の代わりにしてい

た。座布団を丸めてたたいたりもしたしね」と懐かしむ。

「児童館の子どもたちの」

児童館の子どもたちの練習が終わると、続いて「もっくり太鼓」の
練習が終わると、戻る2

所属メンバーが太鼓の前に立った。7月16日の演奏会に向け、ば

ちさばきには自然と力が入る。

 

 

 

山田さんは大徳地区地域伝承芸能保存会長も務め、現在まで30年

近くメンバーを導いてきたそうだが、聞くと、ばちは持たないとい

う。「みんなに遠慮して見る側に回っていたら、いつの間にか裏方

になったんです。保存会長なのに、ばちを握ったことは全然ないの」

と照れくさそうに話した。

 

山田さんも藤元さんも演奏に加わることはないものの、毎週土曜の

練習には休むことなく足を運ぶそうだ。「みんな一生懸命練習して

いる姿を見てるから、発表のときは涙が出る」と山田さん。メンバ

ーも「来てくれなかったらさみしい」と、2人がチームに欠かせな

い存在だと口をそろえる。

 

(湧き水が由来)

もっくり太鼓という名前は、大徳地区に豊富にあった湧き水の呼び

名から付けられた。そこには、地域で生まれた太鼓が、湧き水のよ

うに、未来永劫尽きないでほしいという願いが込められている。

「わが子を見守っている」

山田さんは「わが子を見守っているような感じやね」と目を細める。
ような感じやね、戻る3

主婦の「趣味サークル」のような形でスタートしたもっくり太鼓だ

が、毎年小学生に指導するようになるなど、活動の幅は徐々に広が

っている。地域の伝統に。もっくり太鼓は「母」のような愛情を注

がれながら、しっかりと成長を続けている。積み重ねて大徳、ばち

持たない太鼓の「母」「伝統に」成長見守り30年。もっくり太鼓

と言う名前が実に面白いと思います。文面にいわれが書かれていま

す。太鼓はしっかりと練習しても10年はかかるでしょう。かなり

の体力も必要だと思います。その意味でも小学生から練習している

のは素晴らしいことだと思います。将来が楽しみです。

 

 

 

コメント(以下に書いて下さい)