(オシム元日本監督死去、80歳「考えて走るサッカー」「君たち
はプロ。休むのは引退してから」)
元サッカー日本代表監督で、独特のユーモアとサッカー愛にあふれ
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た言葉が「オシム語録」として人気を呼んだイビチャ・オシムさん
が死去したことが1日、関係者の話で分かった。80歳。サラエボ
出身。
旧ユーゴスラビア代表監督としてストイコビッチらを擁して199
サッカー愛に
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0年ワールドカップ(W杯)でベスト8。2003年、J1下位に
低迷する市原(現J2千葉)を強豪に育て、06年に日本代表監督
に就いた。
日本選手の特徴を生かした「考えて走るサッカー」を掲げて10年
W杯での躍進を目指したが07年11月、脳梗塞で倒れて退任を余
儀なくされた。後任は岡田武史さん。
旧ユーゴの民族紛争に翻弄された半生を記した書籍「オシムの言葉」
が、日本でベストセラーになるなど競技の枠を超えて注目された。
その後は母国であるボスニア・ヘルツェゴビナ協会の正常化などに
尽力し、14年のW杯初出場を実現させた。
「かつて監督を務めた」
かつて監督を務めたシュトルム・グラーツ(オーストリア)も公式
シュトルム、戻る1
ホームページで死去を伝え「彼が全ての世代のファンに愛されてい
ることは間違いない」とつづった。
オシムさんは、多くの名言を残した。深い洞察力やサッカー観、人
生観がにじむ「オシム語録」は。
「PKはくじ引きみたいなもの」(旧ユ-ゴ代表監督時代の199
0年W杯イタリア大会準々決勝、アルゼンチン戦でPKを見ずにロ
ッカーへ。試合はユ-ゴが敗れた)
「戦争から学べたとすれば、それは必要なものになってしまう」
(90年代、祖国の内戦を乗り越えて欧州でクラブ監督を歴任)
「君たちはプロ。」
「君たちはプロ。休むのは引退してからで十分」(2003年
休むのは、戻る2
1月、市原監督就任あいさつで)
「ライオンに追われたうさぎが逃げ出すとき、肉離れをします
か?準備が足りないのです」(03年夏、選手のけがについて)
「90分間走れない選手がいた。日本人は相手よりどれだけ走
れるかで勝負しなければ」(06年8月、初指揮のトリニダー
ド・トバゴ戦後に)「天才ぶりを発揮する機会は何回かに一度。
いつも天才であろうとすると、結果は無残に終わる」(07年
3月、ペルー戦で中村俊輔のプレーについて)
「お前たちはアマチュアか。プロの私は死ぬ気でこの試合に臨
んだのに、そういう気持ちがあったのか」(07年7月、アジ
ア・カップ初戦でカタールと引き分けて)
「試合は?」(07年12月、急性脳梗塞で入院中に意識を回
復して最初に発した言葉とされる)
「南アフリカ」
「南アフリカ(のW杯)で世界のサッカー界の記憶に残る何か
世界の、戻る3
を成し遂げてほしい。日本にはそういう潜在能力がある」(0
8年12月、アドバイザー退任に際して)オシム元日本監督死
去、80歳「考えて走るサッカー」「君たちはプロ。休むのは
引退してから」。オシム監督と言えば優しい人柄である。しか
し選手や試合には非常に厳しい人でした。90分間、走れない
選手は使ってもらえない。とにかく練習して体力を付けるしか
方法はないのです。あの有名な中村俊輔までが批判されるので
すから。とにかくすごい監督でした。
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