北陸新幹線の敦賀延伸まで一週間を切った。延伸と同時に特急「サ
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ンダーバード」と「しらさぎ」は敦賀止まりとなり、北陸線を走っ
た特急が石川県内から消える。北陸線は国鉄時代から「特急銀座」
北陸線は国鉄時代から特急銀座
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と呼ばれるほど、特急列車の運行本数・種類ともに豊富で、旅行や
ビジネス、帰省など多彩な場面で活躍した。人それぞれに思い出が
あり、15日のラストランを前に「寂しい」と声が上がる。
小松駅のほど近く、土居原町の公園に、かつて北陸と東京・大阪を
結ぶ特急に使われた車両が展示されている。赤とクリーム色の「国
鉄色」に塗られ、スタイルは、昔懐かしい「ボンネット型」だ。管
理するのは、その名も「ボンネット型特急電車保存会」の岩谷淳平
事務局長(48)=小松市下牧町=である。
岩谷さんにとって原風景の一つは、小学校に入って間もないころ、
JR粟津駅近くの線路際にある母方祖父の家で見た「雷鳥」「しらさ
ぎ」「白鳥」など北陸線の特急だ。
「まだ漢字が分からず、祖父や
(駅員に感心され)
まだ漢字が分からず、祖父や兄に聞いて「雷鳥は大阪行き、しらさ
兄に聞いて雷鳥は大阪行き、戻る1
ぎは名古屋、白鳥は青森・」と教えてもらった。その知識を駅員に
披露すると「よく知ってるね」と感心され「すごく鉄道好きな子が
いる」とかわいがられた。
岩谷さんは、懐かしの特急が石川県内から消えることに「自分たち
の時代じゃなくなったのかな・」とポツリ。だが往年の特急に郷愁
を覚える人は多く、「想い出を追体験できる施設」としてボンネッ
ト型特急を大事に管理していくつもりだ。
北陸線の特急は「家族の絆」を結ぶ列車でもある。内灘町大根布4
丁目の潟渕幸子さん(75)は、昨年亡くなった夫が名古屋に単身
赴任していたころ「しらさぎ」に乗って月1回会いに行った。最も
想い出深い列車だ。「金沢駅から乗り込む時はいつもワクワクして
いた。寂しくなります」と惜しむ。
津幡町清水の宮一正樹さん(80)は60年前、金沢ー富山間で雷
鳥の試乗会に参加した。呉羽山のトンネルを抜けた瞬間に見えた北
アルプスが目に焼きつき「あの大パノラマは忘れられない」と振り
返る。
「北國銀行出身で、現在は新家工業」
(大阪延伸、絶対見たい)
北國銀行出身で、現在は新家工業常務の浜田哲洋さん(64)=七
常務の浜田哲洋さん(64)、戻る2
尾市出身、大阪市在住=は慶大時代に「国鉄全線2万キロ」を完全
乗車した。能登に親がいるので、今もサンダーバードを年20回以
上利用する。
「仕方ない話だが、今の駅はどこもほとんど同じで・」。かつては
金沢駅に行くと個性豊かな特急たちに出合えたが、その風景もなく
なる。キオスクはコンビニに変わった。「便利になった証しでもあ
るが、昔の名残がなくなるのは惜しいです」
子ども時代に出てきた北陸新幹線の
子ども時代に出てきた北陸新幹線の構想が実現し、敦賀まで延伸す
構想が実現し、敦賀まで延伸、戻る3
る。「うれしいことはうれしい。ただ、この年齢になると、北陸新
幹線が大阪まで延びるのを見られるかな・と考えたりもする。でも
絶対に見たい」。時代によって姿は変われど、鉄道は昔も今も、こ
れからも、人々の夢をかき立てる。15日石川県内ラストラン、さ
よなら「特急銀座」北陸線、それぞれに思い出。確かに昔は雷鳥、
しらさぎ、白鳥などの北陸線の特急がたくさんあった。それがいま
消えようとしている。寂しい話である。
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