(金沢唯一のバッティングセンター、球児愛した「ハロー」閉店、
来月、店主高齢で決断)
金沢市内で唯一のバッティングセンター「ハローバッティングセン
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ター」(同市諸江町)が4月9日、閉店する。野球少年の練習、若
いカップルのデート、サラリーマンのストレス発散。42年間、幅
ハローバッティング
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広い世代に愛されてきたが、店主の出戸正信さん(75)が自らの
高齢を理由に閉店を決断した。ヤクルトの奥川恭伸投手(21)ら
多くの石川出身のプロ選手も愛した「バッセン」の引退にファンか
らは惜しむ声が相次いでいる。
「ハローバッティングセンターは
ハローバッティングセンターは1981(昭和56)年、出戸さん
1981(昭和56)年、出戸さん、戻る1
が妻景子さん(68)と2人で開業した。出戸さんは大学を卒業後、
家業のタクシー会社に約10年勤めていたが、「何か新しいことを
したい」と一念発起。もともと野球好きだったこともあり、当時、
「市内に五つほどしかなかった」というバッティングセンターに目
を付けた。
(最盛期は1日600人)
球速80~150キロの直球、85キロのカーブなどの球種がそろ
った8台のマシンを備え、2階にはトスバッティング用のゲージを
置いた。ダイエー(現ソフトバンク)で1996年盗塁王に輝いた
金沢市出身の村松有人さん(50)=ソフトバンク1軍コーチ=ら
県勢プロOBも親しんだ。星稜高の甲子園準優勝バッテリー、奥川
投手と山瀬慎之介捕手(21)=巨人=の小学校時代の写真も飾ら
れている。
年中無休で営業し、出戸さんは夫婦で交代しながら店番をこなし、
最盛期は1日600人の利用者を記録した。ただ、平成に入ると、
客足に陰りが見え始めた。Jリーグの開幕に伴うサッカー人気など
で野球人口が減った上、学童野球チームが自前で打撃マシンを持つ
ようになった。近年は新型コロナの影響もあり、利用者数は全盛期
の半分以下に落ち込んだ。
「5年ほど前に店じまいを」
5年ほど前に店じまいを考えたというが、金沢市黒田1丁目にあっ
考えたというが、金沢市黒田1丁目、戻る2
た「BBC」が先に閉店したため、「子どもたちの練習の場所を失わ
せてはいけない」との思いで営業を継続してきた。
それでも、年齢を重ね、営業継続の負担は重くのしかかった。冬は
雪の重みで防球ネットが切れないよう、柱に上ってネットを地面に
下ろす作業を続けてきたが、出戸さんは「これが、だんだんきつく
なってきた」と明かす。
「平均寿命まで残り10年や」。昨年秋、景子さんにふと漏らした
一言が閉店を決断するきっかけになったという。
42年間の歴史で脳裏によみがえるのは、多くの野球少年たちだと
いう。「いろんな子どもが来た。ハチマキを巻いていた子もいたな。
顔を覚えてなくても、フォームを見たら誰か分かるんや」。閉店日
を3月末でなく4月9日にしたのは、春休み中の子どもたちに使っ
てもらうためだ。閉店を知った利用者から悲しみの声が聞かれた。
金市工2年の橋本空河さん(17)は「小学4年から通っている
一番好きな場所。これからどこに行けば良いのか」と残念がった。
「出戸さんは通ってくれた子どもが」
出戸さんは「通ってくれた子どもが大人になって息子を連れてき
大人になって息子を連れて、戻る3
たことが何よりうれしかった」と振り返り、景子さんは「自分た
ちで区切りを付けられたことに満足。最後の日まで全力でお客さ
まをもてなしたい」と話した。金沢唯一のバッティングセンター、
球児愛した「ハロー」閉店、来月、店主高齢で決断。私も若い頃
2回ほど行ったことがあります。100キロほどのスピードでも
空振りばかりで全く打てなかった記憶があります。改めてプロ選
手のすごさを感じました。空振りばかりでも本当に疲れました。
今ではいい思い出です。
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