(忘れられない日 感謝の白星、佐々木朗WBC初登板、3回
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忘れられない3月11日に日の丸を背負って先発登板した。野球の
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ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表の佐々木朗
希(21)=ロッテ=は12年前の東日本大震災で被災した岩手県
先発登板した。野球の
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陸前高田市出身で、津波により父と祖父母を亡くした。やや硬い表
情で上がったマウンドでも剛速球はいつも通り。四回途中1失点で
勝利投手となり「最小失点で投げることができて良かった。自分が
できることをしっかりやって、きょうこのマウンドに立てたことに
感謝しました」と充実感を漂わせた。
「入団した。とにかく負けず嫌いで、」
(佐々木朗WBC初登板)
兄の影響で野球を始め、小学3年生で地元の髙田野球スポーツ少年
団に入団した。とにかく負けず嫌いで、当時の監督の村上知幸さん
当時の監督の村上知幸さん、戻る1
(52)は「同級生と言い合いするような元気な子。勝ち気な性格
だった」と言う。
父や兄とキャッチボールをする日常は突然奪われた。津波で家も流
され、同県大船渡市への移住を余儀なくされた。学校のグランドに
は仮設住宅が建ち、河川敷などの空き地で練習した。苦労を経験し
「今ある当たり前なことや、身近にいる大切な人たちのことを当た
り前だと思わず向き合ってもらいたい」と強く願う。
大船渡高3年時に163キロをマークしてその名をとどろかせ、ド
ラフト会議では1位で4球団競合の末にロッテへ入団した。着実に
成長し、3年目の昨年、4月10日のオリックス戦で史上最年少の
完全試合を達成した。
「月日が流れても震災の記憶は」
月日が流れても震災の記憶は決して風化させたくない。「僕が話す
決して風化させたくない、戻る2
ことで、思い出してもらえたりだとか、思ってもらうことに意味が
ある」。憧れたプロ野球選手となり、勇気や希望を与える立場にな
った。「僕が投げている姿で、何かを感じてもらえたらと思う」と
強い意志を持ち、世界一奪回への戦いを続ける。
(侍3連勝・チェコに10ー2)
野球の国・地域別対抗戦、WBCで日本代表「侍ジャパン」は11
日、東京ドームで1次リーグB組3戦目のチェコ戦に臨み、10ー
2で快勝し、3連勝とした。オーストラリアと戦う12日にも準々
決勝進出が決まる。
「先発登板した佐々木朗希は」
先発登板した佐々木朗希は3回2/3を投げて2安打1失点(自責
3回2/3を投げて2安打1失点、戻る3
点0)で8三振を奪った。震災から12年の日にWBCに初登板し
最速164キロを出して勇姿を見せた。打線は四回に大谷翔平
(28)=エンゼルス=の適時二塁打などで4点を奪うなど援護
した。忘れられない日 感謝の白星、佐々木朗WBC初登板、3回
2/3・8K。佐々木朗希投手は高校で163キロをマークしてそ
の名をとどろかせ、ドラフト会議でも最も注目される選手だった。
昨年は完全試合も達成し、まだまだ伸びる選手だと思います。楽
しみなとても素晴らしい投手です。奥川投手も今年は頑張って、
佐々木投手のライバルになってほしいです。期待しています。
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