私の結婚式の仲人をしてもらった沖山さんの紹介で博美と見合いをする事になりました

(私の結婚式の仲人をしてもらった沖山さんの紹介で博美と見合い

をする事になりました)

ある日、突然に博美(現在の妻)と見合いする事が、決まった。突
突然に博美

然の事だったので、少し驚いた。結婚式の時に仲人を、した人の紹


介だった。それから、少し、いろんな話しをして、正式な日にちが
見合いする事

決定しました。見合いの当日は少しばかり、緊張していました。見

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合いは、金沢市内の料亭で、ありました。時間になって、両親と私

 

で車で、向かいました。料亭に着いて席に、座って初めて博美を見

た時に、少し、ふっくらとした、真面目そうな、可愛らしい女性で

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した。しばらく、いろんな話しをして、その後、私と博美は2人で

 

車で、出かけました。私は、どこへ行って何をすればいいかで、少

し悩みました。けれども、ありのままを話せば、いいと思ったので

卯辰山公園へ向かいました。

 

駐車場に車を止めて、どこへ行くわけ

でもなく、そのまま、車の中で婚約者だった、信子との事について

素直に、ありのままに話しを、する事にしました。私は、3年前の

27歳の時に、婚約した信子と言う女性がいました。お父さんが、

屋根の雪をすかしていて、足を滑らせて屋根から落ちて、頭を打っ

て何も、分からない状態に、なってしまって手術をしても、回復し

なくて3年後の、30歳の時に別れたんです。と言った。博美は、

そんな大変な事があったんですか。と答えた。私は、この3年間、

どうすればいいかで、本当に悩んだよ。と言った。結局は、信子の

方から、別れましょう。そして、貴方は、いい人を見つけて結婚し

て下さい。と言ってくれた。私は、本当に涙が止まらなかった。彼

女の決断だったのだ。

 

 

 

 

 

 

私は、ほんとに悲しさが、込み上げて来た。彼女が本当に愛しかっ

た。私は、信子の覚悟を真剣に、受け止めて別れる事を、決意した

。最後に、本当に、これで、いいんだね。と彼女に、確認した。彼

女は、はいと、答えた。

「以上の話しを」

以上の話しを、博美は、黙って聞いていた。私には、それも辛い事
博美は、戻る1

だった。普通、見合いの時は、映画を見に行くとか、ボーリングに

行くとか、楽しい事をするはずである。でも、こんな凄まじい話し

を、長々と聞かせて、事実とは言え、博美に本当に申し訳ないと、

心から思いました。でも、その話しを、きちんと聞いてくれた博美

には、心から感謝します。見合いをしてこんな深刻な、話しをする

事は、一般的に見ても、まずは、滅多にない事だと、思います。結

婚して今まで、いっしょに暮して来ても、本当に悪い事をしたなあ

と、思います。真実や事実だとしても、話しをしてもいい事だとは

言えない事も、充分に有り得ます。これこそ、大乗利他の心だと、

思います。人には、正しい事でも言っては、いけない時もある事を

知らなければ、ならない時もある事を、理解しなければ、ならない

時もあります。人が生きて行くと言う事は、本当に、難しい事です

 

 

 

 

 

「真実と事実を」

それでも、博美は私が真実と事実を、ありのままに話しをした事
ありのままに、戻る2

を、理解してくれて、結婚する事を決心してくれたのだと、思いま

す。心から感謝しかありません。結婚して3人の子供を授かって、

ごく普通に生活が出来て、3人とも大学まで出して、その時は、辛

かったですけれども、68歳になった今、思う事は長男と長女が、

結婚して孫が、女と男が1人ずつ出来て、ほんとに幸せです。次女

の結婚の事が、心配ですけれども、何とかなるでしょう。今まで、

真剣に一生懸命に、生きて来ましたから、後悔は、ありません。後

は家族が幸福に、暮らして行けるようにと、祈るばかりです。

 

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同じ病気で待合室で会った信子との出会いとお父さんが雪下ろしで屋根から落ちての突然の別れ

(同じ病気で待合室で会った信子との出会いとお父さんが雪下ろしで屋根から落

ちての突然の別れ)

あどけない信子に、初めて出会ったのは、大学病院の、待合室だっ
あどけない

た。あどけなくて、かわいい子が、いるなと思っていた。初めての


時は、声をかけられなかった。2回目に、同じ場所で会った、時に
大学病院

声をかけて、横に座って色々と話した。最初は、名前を聞いて、私

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も名前を言った。どこが悪いの、と聞いたら体調が、良くないのと

 

恥ずかしそうに、答えた。2人の診察が、終わって、卯辰山へでも

行って、少し話でも、しませんか、と言ったら、いいですよと言っ

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てくれた。私の車に乗って、卯辰山を目指して、走った。病院から

 

は、近いので20分程で着いた。

そこで2人の、今までの事を、お互いに話した。信子は少し恥ずか

しそうだった。色んな事を話したら、お互いに少し、気持ちが楽に

なったのか、2人とも元気になった。それから、土曜日か、日曜日

のどちらかに、デートをするようになって、いろんな所へ行くよう

になった。景色のいい所や、千里浜のように、海岸線を車で走れる

所や、兼六園のような公園へ、出かけた。又、信子は、鶴来の人な

ので、鶴来の公園や、花の綺麗な山や、花壇のある所へ、出向いた


。いろんな場所で、風景を楽しんだり、ボール遊びや、バドミンン

トンをしたりして、2人は、少しずつ仲良く、なって行った。美味

しい食事を、食べたり、夏にはアイスクリームや、アイスコーヒー

も、楽しんだ。この頃は2人で、過ごす時間が、一番、楽しかった

。何よりも、貴重な時間であった。

 

 

 

 

 





「幸福な時間」

しかし、幸福な時間は、長くは続かなかった。運命のいたずらが、
長くは、戻る1

2人の生活を一変させてしまった。それは、冬の事だった。信子の

お父さんが、会社の社長の家の、屋根の雪降ろしを、していて転落

して、頭を打って病院で、手術をしていると言うのである。私は、

一瞬、自分の耳を疑った。本当の事なのか。信じたくない気持ちで

いっぱいだった。急いで病院へ向かった。手術中だった。その日は

遅くなったのと、手術が何時に終わるか、分からないので、家へ帰

る事にした。

 

次の日、又、病院へ向かった。信子の、お父さんは、一命は、取り

止めたものの、目は開けているが、誰も認識できない、様子だった

。私は、信じたくなくて、その場にいたくなかった。しかし、すぐ

に帰るわけにもいかないので、しばらくは、その場にいる事にした

。1時間ほど過ぎて、信子に説明して、病院を後にして、会社へ向

かった。

 

仕事をして、定時になったので、会社を出て、再び病院へ向かった

。信子のお父さんは、相変わらずの状態で、昨日と同じだった。何

をしても、反応がなくて、見ていても、辛くなるだけだった。夜も

遅くなったので、私は、家へ帰る事にした。夕食を食べて、しばら

くして、今後どうすればいいのか、少し考えて見る事にした。まず

この状態が、いつまで続くのだろう。良くなる事は、あるのだろう

か。段々と不安な気持ちに、成って来る。もう遅いので今日は、も

う休みましょう。

「いつもの時間」

次の朝、いつもの時間に、起きて、朝食を食べて、会社へ向かいま
朝食を、戻る2

した。仕事をして、昨日と同じように、定時に会社を出て、病院へ

向かいました。お父さんは、昨日と同じ状態です。この時、私は、

信子と婚約していました。信子が、話があるので、聞いて下さいと

言うので、話し合いをしました。まずは、私から、変則的になって

も、仕方がないから、とにかく、結婚をしよう。と言いました。病

院へ通いながらの、生活になるけれども、それでもいいよ。と言い

ました。信子は、気持ちは、嬉しいけれど、結婚は、出来ません。

と答えました。迷惑が、かかりますから、どうしても、出来ません

。他のいい人を、見つけて下さい。信子は、お父さんの看病をしま

す。他に方法は、ありません。と言って言う事を、聞きません。私

は、返答に困りました。

 

 

 

 

 

 




 

 

 

 

 

 

この時の、話し合いでは、結論は出ませんでしたが、27歳で婚約

して、3年間、結論が出ないまま、待ち続けました。その間に病院

を2回、変わりました。土曜日と日曜日の、どちらかに、病院へ見

舞いに、通いました。2人で話し合いを、しながら、信子の方から

もう、別れましょう。と言い出した。長い間、待たせてごめんなさ

い。そして、ありがとうございました。貴方は、いい人を見つけて

結婚して下さい。さようなら。目には、涙が光って、いました。私

は、こちらこそ、ありがとう。と言いました。そして、結婚する時

は、互いに電話で、連絡しよう。と言いました。私が結婚する時は

電話で、連絡しましたが、向こうからは、未だに電話での、連絡が

ありません。どうしているのでしょうか。

 

 

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