海と砂丘のまち七塚5、砂の台地に根付く農業、市場に出ぬ、幻の長いも

(海と砂丘のまち七塚5、砂の台地に根付く農業、市場に出ぬ、幻

の長いも)

緩く傾斜する砂地に

緩く傾斜する砂地に、深緑色の葉が幾重にもアーチを描く。この季



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節、農家・気谷英一さん(68)=かほく市木津=が所有する「砂

 

丘長いも」の畑に見られる光景である。

深緑色の葉が幾重にも

「長いもは深く土の中に埋まっているでしょう。ベテランの農家で
アーチを描く。この

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も実際に掘ってみないと、その長さは見当がつかない。毎回、それ

 

が楽しくてね」。秋の収穫を控え、気谷さんはいとおしそうにアー

チを見る。

 

(県内最小の自治体)

七塚地区は面積が約6・3平方キロ。宇ノ気、高松両町と合併し、

かほく市が誕生するまで、七塚町は県内最小の自治体だった。全域

が砂丘に覆われ、白尾、外日角、秋浜、浜北、遠塚、松浜、木津の

七つの区がある。「七塚」の名称は砂丘上の小山の数に由来すると

も、7人の侍の墓に由来するともいわれる。

 

水や肥料を蓄えられない砂丘地は、稲作には適さない半面、逆に水

や肥料が調節しやすい。通気性にも優れ、高品質の根菜類が育つ条

件が整っており、古くからサツマイモ栽培が盛んだった。砂丘長い

もは1970年代、七塚の特産にしようと生産が本格化した。

「ただ、砂丘長いもの生産量」

ただ、砂丘長いもの生産量は年間2万~3万本程度にすぎない。工
年間2万~3万本程度、戻る1

場や住宅が増え、そもそも耕作できる土地が少ないのだ。17の生

産農家はそれぞれが独自の顧客を抱え、流通のメインは個人売り。

このため市場にはほとんど出回らず「幻の長いも」ともいわれる。

「他産地の長いもより皮の色がちょっと濃くてね。食べると、粘り

と独特の甘みがいいんです」と気谷さん。砂丘長いもの特長を誇ら

しげに話す。どんな味がするのか気になったが、収穫前の今は現物

はない。すぐに味わえないのが残念だが、秋を待つことにしよう。

 

(木津桃を復活へ)

七塚の砂丘地農業で忘れてはならないのが木津桃栽培だ。7月下旬、

「木津桃の里園」で収穫が行われ、木津区長の西谷次雄さん(73)

と前区長の越野正勝さん(78)が桃の木々から直接約4センチ、

ピンポン球サイズの実を摘み取った。

 

 

「これ、持って行きまっしね」。西谷さんから5個の桃をもらい、

今度は味見にありつけた。食べると、白桃のような甘みはないもの

の、フルーティーで素朴な味が口の中に広がる。

 

砂地にも育つ木津桃は、最盛期の大正期には4万本の木が植えられ

た。夏になると、木津の行商金沢のまちを売り歩き、浅野川で夕涼

みする人たちに人気だったという。しかし、戦時下の食糧政策に伴

うサツマイモ栽培の奨励により、多くの桃の木が切られ、次第に衰

退していった。

「そうした中、1990年代」

そうした中、1990年代に地元有志が復活させようと動きだす。
地元有志が復活させようと、戻る2

西谷さんと越野さんもその一員で、現在は木津に約100本の木を

植え、ジャムなどの加工品として売り出せないかと模索する。

 

「あとね」と越野さんが続ける。「木津桃の花は濃いピンクで甘い

香りがする。もっと桃の木を増やしたいね」。かつての木津は桃の

花の香りに包まれ、沖からは花が曇のように見えたと伝わる。地元

・七塚小の校章にもデザインされる木津桃の復活へ、有志らの挑戦

が続く。

「七塚は海のまちである」

七塚は「海のまち」であるのと同時に「砂丘のまち」でもある。不
同時に砂丘のまち、戻る3

利な自然条件にめげず、生活の糧とするため、やせた土壌にも適し

た作物を見いだしてきた先人たち。その思いは砂の台地にしっかり

と根付き、今を生きる人々へ恵みをもたらしている。海と砂丘のま

ち七塚5、砂の台地に根付く農業、市場に出ぬ、幻の長いも。七塚

は砂丘地で土壌は貧しい。この土壌にあう作物の長いもを見つけた

先人たちの努力は辛くて苦しい時間だったと思われます。長いもが

成功した時は本当に嬉しかったことでしょうね。努力は人を裏切ら

ない。その後の木津桃の成功も見事です。何度も失敗しながら成功

にたどり着いたのだと思います。農民は粘り強さがあります。素晴

らしいことです。

 

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